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無宗教のまま発展した国ってありますか?宗教と文化はイコールなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 私が言いたいのは歴史において文化的に宗教が全く結びつかず今日まで発展支度にはあるのか、ということです。現在の国において無宗教の国はあるのか?という話ではありません。また、古来より日本はアニミズム信仰があり、そこから神道が生まれ、加えて中国の儒教により現在も日本人は目上の人を敬う傾向を持ちますし、初詣や願掛けで神社に行くことも多い。無意識的に日本人は儒教と神道のミックスした精神文化を引き継いでいます。

      補足日時:2023/12/11 13:55

A 回答 (10件)

>無宗教のまま発展した国ってありますか?


歴史的に見て「無い」というのが最適解なのでしょうが、その前に「宗教とはなにか?どういう意味を持つのか?」を考える必要があります。

たとえば日本の縄文時代の埋葬方法に「遺体に石を抱かせる抱石葬」というものがあります。これの説明は「死者の魂が出てこないようにするため」とされていますが、本当のことは誰も知りません。

で、説明の通りだとすると《縄文人は霊が人体から抜けだすのを恐れた》ということになりますが、これは宗教なのでしょうか?

質問者様はお礼の中でアミニズムに言及なさっていますが「アミニズム」の本質は「自然現象や物理現象を、それぞれの物体や事象を《精霊の意思や行動》に置き換えて説明するもの」です。

逆に一神教は「全ての自然現象や物理現象を《神の意思》として説明するもの」です。

宗教がもつ機能の一つは「現象の論理的説明」だといえるでしょう。

なので最初に提示した「抱石葬」は「縄文人が故人の霊魂が体から離れないようにする」としていたなら、これもアミニズム的発想であり宗教儀式といえる、ということになります。

このようなことを踏まえると「人類だけ埋葬を行うようになった」時点で《宗教》という概念が人類の中に生まれた、と言えるわけです。
 埋葬の歴史はネアンデルタール人あたりから見られルようになったとされていて、大体10万年ぐらい前の遺構に副葬品と一緒に集団で葬られた後などが見つかっているので、宗教的な認識はこの頃に生まれたといえるでしょう。

となると「国・国家」という概念よりはるか以前に宗教的発露が存在するので「無宗教で発展した国」の存在は無いと言っていいかもしれません。

>宗教と文化はイコールなのでしょうか?

もう少し時代が下って、人類が「社会」というものを形成するようになったのが1万年ぐらい前からだと言われています。「社会」を定義するのも結構難しいですが、ここでは「同じ生活を営む集団が同時に複数存在し、お互いに認知、交流する状態」とします。

なぜ「お互いに交流する」のが「社会」なのか?というと、そうしないと「自分達の集落と他の集落の違い」を認識することができないからです。

たとえば、日本の平野部に住んでいた縄文人なら、集落の周辺にドングリなどの広葉樹を植林し、木の実を収穫しながら漁撈や狩猟を行なっていたわけで、貝塚などもたくさん見つかっています。しかしもう少し海から離れた地域の集落だと、海の漁撈はできず、狩猟と川魚などを取って食べることが中心になっていきます。

貝塚を作ったたとえば東京の大森貝塚で生活していた人たちと、北海道で鮭を取って生活していたアイヌの人たちは、1万年前の同じ文化レベルだったとしても、食料調達や気候・周辺の危険な動物などが全く異なっていたわけです。

そうなると価値観も同じではなくなります。たとえば熊がほぼ存在しなかった大森貝塚付近では「熊」という認識すらないのに、鮭の確保をめぐって熊と争う必要があったアイヌ人の「熊」という認識は全く異なるわけです。

アミニズムでは「熊」というものに対して、一定の評価を与えることになり、アイヌたちにとって熊は「人間に生活の糧を与えてくれるキムンカムイ(山の神)」だったのに対して、熊をほとんど見なかったであろう大盛の縄文人が熊に対して「幸を与えてくれる神の化身」という認識は持たなかったわけです。

人間の価値感とは、根本的には生活に根差していますので、このような差は非常に大きな差であっただろうし、貿易で大森の縄文人とアイヌ人が出会った時に「あなたの神は何ですか?」という会話も成立したかもしれないわけです。

またアイヌ人は鮭の皮からできた服を纏っていた、という記録があり、東京の縄文人は麻などから服を作っていたので、出会った時にお互いの服が何からできているのか?それ自体が「文化交流」だったといえます。

アイヌ人が熊にもつ恐れと畏敬の念は宗教であるといえるし、アイヌの生活を支える文化と宗教心は、アイヌ人が暮らす地域の自然現象などを反映しているわけで、世界中同じように「その社会を営む地域性と地域性に由来する自然現象や物理現象」が宗教と文化の根本になっているといえます。

したがって、宗教と文化、そしてそれによって生み出される「宗教的規範=道徳」はすべて人間の心や営みから発生し拡張したものだといえるでしょう。

このように見ると「無宗教のままで発展した地域」は存在しない、と考えるのが妥当だと思います。
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ないね。


文化どうこうより、宗教は価値観~ものの見方考え方~に直結する。
価値観が近ければ団結もたやすい。
団結できれば国力を無駄なく行使できる。

現代日本人は無宗教と言われるがそれは違う。
世間教の信者である。
教義は「普通が良い」である。
土着の価値観ということでヒンドゥー教と似ている。

あの論理的で現実的なローマ人でさえ無宗教が良いなどとは一度も考えなかった。
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ニフラ機

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国民のモラルや行動規範、場合によっては国民からの搾取に当たって政府への批判をそらすために、宗教は必要ですね。


政治家は政治家、神ではないので、為政者に都合のいい神は必要です。

日本は無宗教…と言えなくもないですが、無宗教だから国民もスレて発展しなくなったのかも。
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そういう意味なら、無宗教の国家も発展もあり得ません。


なぜなら人が知恵を持って最初に始めたことは
死者を弔うことだったからです。
弔いに無宗教で臨むことは原理的に無理です。
無宗教という概念がそもそも20世紀以降のものですし。。
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この回答へのお礼

宗教が先で、世界中宗教と文化が繋がっているのが不思議です。人間の1番の恐怖は死ぬ事なんですね

お礼日時:2023/12/11 14:31

それならありません。


たとえば雨乞いだってあなたの言う宗教です。
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この回答へのお礼

やはりありませんか。ありがとうございます

お礼日時:2023/12/11 14:00

自由主義国は、多くが無宗教です。


宗教を持つのは、国民であって、国ではないです。

宗教を憲法とする国の多くは、
それで国民の行動を制限して独裁政権を維持しているので、
発展は偏ることになります。

宗教は、文化の一つです。
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介入してるだけ。


私は無宗教です。あなたは?
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この回答へのお礼

私が言いたいのは歴史において文化的に宗教が全く結びつかず今日まで発展支度にはあるのか、ということです。現在の国において無宗教の国はあるのか?という話ではありません。また、古来より日本はアニミズム信仰があり、そこから神道が生まれ、加えて中国の儒教により現在も日本人は目上の人を敬う傾向を持ちますし、初詣や願掛けで神社に行くことも多い。無意識的に日本人は儒教と神道のミックスした精神文化を引き継いでいます。

お礼日時:2023/12/11 13:54

だいたい、この手の質問の答えは 日中韓と北欧です。


無宗教というより、信仰心の深いタイプの人が少ないという意味ですが
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日本がそうですよ。

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この回答へのお礼

日本?日本は神道、儒教、仏教が介入していると思います。

お礼日時:2023/12/11 13:31

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