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今でも、年配世代の人達のなかには精神論で物事を教え諭すという人も多く、例えば昔は部活などで「水を飲むな」という教育を受けていたらしいですが、
今では水を飲まないと危険だということがわかってきた影響もあってか、寧ろ水を適切に飲むように指導するようになってきています。

しかしこのような精神論には当時それなりの考え方や思想というものがあったのではないか?とふと思ったりもします。

ここでは「水を飲むな」という言葉をあえて肯定して考えてみるとして、そこにはどのような意味があったと思われますか?

またあえて今のような適切に水を飲むようになったことで失われてしまったメリットとしては何があるでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

メリット・・別にないと思いますけど・・


当時はそれが普通だっただけでは・・
まぁ「自分、よく耐えた、あの厳しい指導のおかげで
メンタルが強くなった!」って思ってる人が
もしかしているかも?しれませんが・・
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苦しい状態に身を置いて、肉体的、精神的に強くなる、という目的がありました。


ただ、命に関わることなので、しなくなりました。
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「水を飲むな」と言う時代の水とは、水道水になります。


腹に溜まるので、腹痛を起こしてしまいます。

今の時代は、運動中に飲む水は化学水で、体吸収が早いく、
運動で失った体水分の補給に適した飲み物です。

適切に水を飲むように、と言う変化は、
スポーツ飲料水の開発があったからの変化と言えます。
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この回答へのお礼

なるほどそういう事情もあったのですね。

お礼日時:2024/03/04 13:07

痛いこと、つらいこと、くやしい、悲しいなどの負の要因に打ち勝つメンタルができる、昔のほうが中・高校生の暴力事件などが多かったです、自分も体育の授業中に先生から殴られたり蹴られたり、不良生徒に川に突き落とされたりしてました、が、不登校とか自殺とかなかったです。


ダウンタウンの浜ちゃんが行ってた高校などは便器を手で掃除させられてたそうです、今じゃありえませんよね。
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この回答へのお礼

メンタルの強さでは昔の人々のほうが鍛えられているような印象があります。

昔と今ではいろいろ変わりましたね。
昔があるから今があるのですね。

お礼日時:2024/03/04 13:30

今では適切な水分補給は運動開始30分前に300~500mL、運動中は1時間に3~4回、1回2~300mL程度と適切な補給の仕方が分かり、その範囲で適切に補給できますが、昔はそんな基準が分からなかったので、運動して疲れたあとに喉がカラカラになった状態でガブ飲みしていたので悪影響の方が大きかったので、「水を飲むな」と言っていたと思います。



そうした時代の流れと、これまで幾多の先人達が苦労を重ねながら反省や研究などを積み上げた結果、現在の基準も分かってきたわけであり、単に精神論と片付けるのは検証の足りない浅はかな考え方です。
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この回答へのお礼

がぶ飲み防止の意味合いもあったのですか…
正常な人なら、喉が渇いたらすぐに飲み物を飲もうとするはずですが、当時はその辺りを基準だけで考えようとしていたのでしょうか。

お礼日時:2024/03/04 13:39

おそらく神道や仏教の修行に由来するのでしょう。

辛い思いすることで何かが得られるという考え方は根強くあります。わざわざ真冬に冷たい滝に打たれてみたり、願掛けで何かを我慢したり、たくさんある階段を登り降りしてみたり。
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この回答へのお礼

なるほどですね。
確かにそういう考え方は今の人々の考え方の根底にも根付いているように感じられます。

お礼日時:2024/03/04 13:41

> このような精神論には当時それなりの考え方や思想というものがあったのではないか?



2点ほど挙げてみます。

(1) 精神論というより精神病

「水を飲むな」という教育は頭がおかしい。そして、集団発狂といえば戦時中の日本である。
国民的作家の司馬遼太郎も、(水の件はともかく)そんなことを指摘していた。彼は保守派で日本の伝統を愛するのだが、保守派にもハード、ソフトの二通りがあって、司馬はソフトな保守派だった。学徒出陣して苛烈な戦争体験があり、「日本人は日本を丸ごと賭場に投げ込んだようなものだ」と言って、戦時中の日本は愛さなかった。

一方、ハードな保守派は、日本の伝統は何でも正しいと思ってる。
しかし、伝統の柱として神道があるが、神道には教義がなかった。教義らしきものは、仏教や儒教や、果ては道教からも取り入れたものだ(たとえば皇室神道は意外と道教の影響を受けている)。道教って中国の民間信仰じゃん。
また、小耳に挟んだところでは、江戸時代後期の国学者「平田篤胤」が、神道にオカルトの要素を取り入れちゃったらしいよ。彼の「平田神学」は、明治以降も愛国教育などに悪影響を及ぼして、昭和前期の日本人集団発狂の一因になったんだって。

「水を飲むな」についても、戦時中の狂気のなごりを感じる。今ではそれが否定され、ようやく戦後は終わった。「戦後は終わった」という表現は、早くも1956年(昭和31年)の『経済白書』に見られるのだが、そんなにすぐは終わらなかった。

(2) 水中毒

水中毒なんて聞いたこともない、とおっしゃるかも知れないが、専門書には載っている。短時間に何リットルも飲むと、体調が悪くなる。それでも癖になって繰り返してると、死ぬ場合さえある。
つまり、水は飲み足りなくても飲み過ぎても危険なのだ。
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水を飲まない思想が生まれたのは第二次世界大戦時であり、当時東南アジアなどに遠征した兵士が生水を飲んでしまい、下痢などの中毒に襲われたのがきっかけだと言われています。



それが曲解されて、安全な水も飲んではいけないとされてしまったようです。
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精神論は戦時中の軍隊から来ている考えです


その昔は戦国時代の「心頭滅却すれば火もまた涼し」

天皇は神、日本の兵隊は皇軍で世界の中心

右翼的な考え方です
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そもそも昔の夏は今の夏ほど厳しくありませんでした。


今は「危険な暑さ…」を通り越して「殺人的な暑さ…」と言われるほどです。

また水分補給がいつでもできないことを想定して、次の水分補給タイムまで体を保たせるための自己管理もあると思いますよ。
練習の最初から最後まで水分を一切摂るな…ではないでしょうから。
昭和と言えばやかんの麦茶の用意ですし。

ただやはり昨今の暑さは生命の危機もあり得るので、「水を飲むな」は向かないでしょうけど。
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