
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
プライドと言うか・・「切り捨て御免」ですからね。
だから、日本人が侍ジャパンとか喜んで応援してるのがアホっぽく見える。
数%の特権階級に我々の先祖は「切り捨て御免」されてきた訳で・・・
自分の国の代表チームを過去の特権階級になぞらえて呼ぶ国があるとしたら、専制国家とか王族しかないと思うんですけどね。
No.4
- 回答日時:
江戸時代は身分制社会ですから、身分が違えば挨拶や服装なども変わります。
ただ、庶民から下級武士への移動は結構あることなので、下級武士だからといってふんぞり返っていることは無いと思われます。ウチの先祖は、江戸時代はずっと百姓身分でしたが、元武士で本家が持っている室町時代の安堵状や軍忠状などの古文書は県史にも「○×家文書」として載っています。
逆に今どき、「世が世なら・・・」と言ってると嫌われますよ。お仕事で、さる旧大名家の近代以降にできた分家の方とお付き合いがありますが、非常に物腰柔らかで腰が低く丁寧に対応してくださる方です。呑んでも全く乱れずに穏やかに笑顔を絶やさぬ方です。
No.3
- 回答日時:
足軽は歩兵で 江戸時代は武士の身分です
明治の戸籍が出来たときは 平民扱いになり士族の証明をもらえないと不平を言う人も多くいたそうです。平民=農民=低い地位と思う人もいたと思います
プライドはありました
明治維新の時にお国のために闘ってきたのですから
錦の御旗の後をついて町人や 承認が西郷隆盛の軍に加わって一緒に戦ったという人も多くいますが そういう人はやはり町民として祀られています
東福寺にある即宗院の西郷が残した慰霊碑には 参加して死んだ人の名前が書き記されていますが そこに足軽 歩兵部隊などとして書かれている者もいます。
No.2
- 回答日時:
下層武家の記録は残っていないので個人の勝手な推察です。
敵が攻めて来たら戦って防衛するのが武家の役目ですから、武家の
末端に名を連ねる足軽は武家のプライドを、持っていたでしょう
郷士は、這い上がりたい野心があるので、プライドの意味合いが違う
かも知れません。
明治になって、武家だけでは国防の人数が足りないので、国民皆兵の
政策をとりました、国防と納税の両方の義務を負わされたら平民から
不満が噴出しますので、平民にも名字を名乗らす事を許可して、士族
と平民の垣根を取り払ったのです。
欧州では国防の役目は貴族が担い農民などの平民は、国防の任は、
無かった時代です。
No.1
- 回答日時:
家系に対する誇りをもって事に当たる。
と、言うのが武士の家系慣習です。平民より上とか下とかの問題ではありません。恥じを知る。これが基本認識としてあります。したがいまして、平民の上とか下とかの比較なんてすること自体が恥なのです。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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