
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
寒冷化が稲作をもたらしました。
地球の気候は一定ではなく寒冷期と温暖期のサイクルを繰り返していますが、そのサイクルが人々の生活に大きな影響を与えて来ました。例えば一万年以上前の「ヤンガードリアス寒冷期」では、気候の寒冷化によって狩猟・採集による生活ができなくなってしまった為、代わりに農業が始まったと考えられています。
その次の温暖期に日本で狩猟・採集や原始的な農耕が発達、そのまた次の寒冷期(紀元前1500年頃)に狩猟・採集が難しくなり農業生活に移っていきました。
水稲耕作は、秦の始皇帝の圧政や楚漢の動乱から逃れ日本列島に流入した「渡来系弥生人」によってもたらされた、という見方があります。 寒冷化が中国の動乱を生み出し、それを機会に日本に水稲耕作が伝わり、日本は縄文時代から弥生時代へと移行していったのです。
稲作が日本列島に伝わったルートは諸説ありますが、考古学や植物学などの分野では「中国・江南地方説」が有力視されています。
稲作の起源は現在の中国・雲南省とされていますが、そこから朝鮮半島は経由せずに海を渡って来たと考えられています。
また、当時の中国大陸は戦乱の真っただ中だった為、戦乱を避ける為に対馬海流に乗って海を渡ったという説もあります。
早速のご回答ありがとうございました。
<寒冷化が稲作をもたらし>たのですね。
この寒冷化に関しては
1.動乱による中国人がきた。
2.寒冷期(ここでは時期は棚上げにしますが)のせいで狩猟・採集が難しくなり農業生活に移っていきました、ですね。
No.7
- 回答日時:
> 日本で水田稲作が始まったのは
縄文時代中期だそうです。
https://www.joumon.jp/%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%9 …
縄文中期は温暖期とされていますが、寒冷化が始まったことが稲作を促進した可能性をいっている人もいます。
https://agrmet.jp/wp-content/uploads/2023-A-1.pdf
でも、寒冷化も、温暖化も関係がほとんどなく、大陸から移動して来た人たちが稲作を食糧確保の重要な方法にしていたことが原因で、稲作がたまたま可能だったことと、稲作が他の方法よりも確かな食糧確保の方法だったということでしょう。当時の列島の多くでは、気候が寒冷化して栗や椎、胡桃などの堅果類の生育に不向きになり堅果や漁猟、狩猟では充分に食糧が確保できなくなって、逆に、日向水を利用する水稲が好都合だったということもあるかもしれません。
早速のご回答ありがとうございます。
<気候が寒冷化して><堅果や漁猟、狩猟では充分に食糧が確保できなくなって><稲作を食糧確保の重要な方法>になったのですね。
No.6
- 回答日時:
日本には稲作は伝わってきたものなので、気候はあまり関係ないというのが本当ではないかと思うのですが、関係あると考えるとするなら寒冷化したからとなります。
縄文海進といって縄文時代には今より海の水位が高く今より内陸まで海が入り込んでいましたが、これは世界的に温暖であったためと考えられています。
すこし時計の針を巻き戻して1万4千年前の最終氷期が終わったあたりからの話をすると、氷期が終わり間氷期となって暖かくなり狩猟採取をしていた人類も増えていったのですが、8千年前くらいに米国大陸のアメリカ大陸の氷河湖が決壊し大量の真水が海に流れ込んだため、海洋循環が止まり一部の地域がまた寒冷化したと考えられています。このとき狩猟採取していた人類にとって、今まで取れていた木の実が取れなくなった、今まで獲れていた獲物が獲れなくなった、といったことから、自分で種をつける植物を育てる、自分で肉となる動物を飼う、といったことをやり始めて、これが農耕と牧畜の始めと考えられています。
話を日本にもどして、縄文時代の終わりごろに人口が 1/5 くらいになったのですが、これが寒冷化のためだと考えられています。それまで狩猟採取で十分に養えていたものが出来なくなったので、いわば仕方なく取り入れたのが農耕、つまり稲作だったとも言えるでしょう。実際に多くの種類を食べていた縄文人のほうが、米に依存した弥生人より栄養バランスは良かったようです。それはともかく、おそらく寒冷化のために人口が激減し、背に腹は代えられぬと取り入れたのが稲作などの農耕であったようです。
早速のご回答ありがとうございました。
多くの種類を食べていが、寒冷化のせいで狩猟採取だけでは生存できなくなり、<仕方なく取り入れたのが農耕、つまり稲作だった>といえるのですね。
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