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織田信長の美濃攻略後からの領土拡大速度は異常な速さですが何故ですか?
明智光秀が加入し秀吉が頭角を現しはじめたから?

A 回答 (4件)

財力と情報収取能力が有ったからです。


濃尾平野は関東平野の次に広い平野です。
織田信長の財源は、年貢の他に、熱田神宮と海の幸からが主でした。
そこに、美濃国は実りの豊かな土地が加わったのです。
織田の軍団は、全員プロの戦う集団なのです、他国の軍は普段は農業を
していて戦の時に馳せ参じる方式でした、織田軍団は普段から武闘訓練
をしていました、財力が有ったからです。

桶狭間合戦での一番手柄は情報通の梁田正綱でした、信長は情報を
重視していました、その中心は滝川一益で本人自身が忍者だったの
説があります、木下藤吉郎も情報収集に長けていました。

信長は足軽の乱妨取りを禁止していたので、占領した住民は、織田に
敵対せず、すぐに協力的なったのも、見逃せない事柄です。
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武田信玄の財源は甲斐国の金鉱で情報は望月千代女を頭領とする、
くノ一軍です、三方ヶ原の戦いの作戦は詳細な情報がなければ、
為し得ない事です。

伊勢新九郎(北条早雲)は、関西生まれの、よそ者で有りながら、
関東の雄に成ったのは、風魔小太郎の情報網と信長が生まれる
以前から、楽市楽座を行って商業を活性化させた収入源が、
有ったからです。
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美濃攻略に成功して、俺はやれる、


天下を目指せる、と
考えたのでしょう。

なんと言っても、京都に近いですからね。

地政学的条件を満たした訳です。
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なんだかんだ言っても、美濃の斎藤家が強敵だったので美濃攻略に手間取った。


美濃を入手することで、兵糧の心配がなくなった。楽市楽座で武器なども入手、兵農分離で常備軍確保、そして美濃の西側には強敵無し。と追い風モード。
光秀、秀吉も、フィクションでは活躍してますが、この二人がいなくても、他に人材多数で、それほど影響はないかも。
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足利義昭を奉じて上洛した事が最大の要因です


これにより信長は、足利義昭を将軍にしようと言う勢力(松永久秀、毛利輝元、などなど)の一員(筆頭格)になれたので、反対勢力(三好三人衆など)の領地(畿内など)を挟撃する態勢が整いました。
特に、毛利に領地である四国を脅かされることになった三好は、兵を四国へ移動させざるをえなくなり、手薄となった京都を信長は難なく攻略できたのです
その後も、信長軍は将軍の軍隊だと言うお墨付きが背景にあるので
これは、戦いにプラスに働く場面が多々ありました。(諸勢力が将軍派の信長の味方に付く、と言う事が多々ありました)
しかし、これも信長と足利義昭の手切れまででした
手切れの当初、足利義昭の敵となった信長は、浅井、朝倉、武田信玄…などなどの包囲網に苦しめられ、危機に陥りますが、武田信玄が病死すると、信長は盛り返し、浅井朝倉などを撃破したのはご存知の通りです
この後は、領地がとても大きくなりましたので、兵力が強くなり
領地拡大の速度が上がっていく分けです
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