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数としては減っているとはいえ、専業主婦(男性版で言えば専業主夫)という生き方が今も支持される理由はなんでしょうか。
単純に家に専門の人を一名置いた方が、仕事も家事も効率が良いという話なのか。
それとも専業主婦が多かった時代が高度経済成長期や戦後復興時代に重なり成功体験でもあるのか。

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A 回答 (14件中1~10件)

>社会学を環境要因とするならば私はそれを性差とは呼ばないでしょう。


性差ではなく後付けです。

理解はできましたが、その認識には賛同できません。なぜなら、質問者様の認識だと「性差」という言葉は生物学的なものに終始するからです。
 それはあまりにも理解が狭いと思います。

人間は「社会」の中で暮らしている動物であり、大脳新皮質を発展させた社会的動物であり、生物学的な差があるにしても社会学的な差のほうが大きいと考えるからです。


>ですから「専業主婦や介護が女性に向いているわけでも、労働が男性に向いているわけでもないと思います。」というのはこれです。

「向いている」という言葉の意味も吟味する必要性がありますね。個人的には生産性とか、その仕事に従事する期間の差について男女差があるなら「向いている・向いていない」と言えると考えます。

>上記役割に生物的な得意不得意が存在する可能性はかなり低い、と考えます。
生物学的な特異不得意ならその通り、特に差は存在しないでしょう。しかし「よろこんでそれを行う」とか「ストレスを感じずに継続的に行う」という点においては差が生じると考えています。

>介護を女性ばかりに熟練させるか、介護を男性ばかりに熟練させるかで結果が異なるわけです。

この点においては、北欧のように男女平等が進み「職業選択において男女差が出ないように教育段階から配慮している」国において《職業選択の自由が普遍的になればなるほど、女性の進出分野のバイアスが顕著になる》のは「性差」を示していると私は考えます。

>なお保護については性別ではなくて出来るだけ個人差で考えるべきだと思います。重いものは年齢性別に関わらず持てる人が持ったらいいでしょう。

その通りだと思いますが、そのような判断基準になっていないから専業主婦が支持されるわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
後は「性差」の定義の問題にはなりますね。
社会が時代や国で変われば、また地域差で変われば「プログラマーは男性の仕事」「いや、女性の仕事」のように変化していくものを「性差」と呼ぶのかというところでしょうか

お礼日時:2024/05/09 21:08

専業主婦って女性の最高の仕事ですよ。


家事に専念できて生活も安泰。
ある意味富の象徴ですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/05/06 00:42

#11です。

お礼ありがとうございます。

>私のアプローチの場合ですが現在の比率でみるのではなくて、男女の得意不得意や適性に影響を与える要素が科学的に発見されているかで判断しています。

「科学的」という言葉の意味が不明ですが、社会学を含めていいなら「男女の社会的地位は環境に左右される」ことが明らかになっています。

それが#11に書いた「北欧は男女平等が進んだ結果、女性の社会進出が一定の分野に偏る」という点で、実はこれには反対側の結果があってそれは「イスラム教文化のように女性の社会的地位が制限的な社会では女性は成績にバイアスがかかりにくい理系に進出する傾向が強い」というものです。

ですので「男女の得意・不得意分野いぇの影響や適性に影響をあたえるもの」はすでに抽出されています。

>ですから、保育や介護や家事代行について影響を与える要素が発見されていなければ全ては社会的なものと思います。

男女の社会的地位というバイアスがかかりにくい「自由選択が可能な社会」では《女性は保育や育児、家事などの分野に偏る》というのが社会学的な結果です。

>ただし今後の研究でですが、現在神経神話とみなされているものが実は正当なものであったとか、女性特有の母性が発見された場合にはひっくり返る事があるでしょう。

神経神話が生まれる下地を考慮すべきだと思います。それは「女性特有の出産と育児(特に乳幼児期)に伴う女性の社会的保護」という要素です。

個人的にはこの「女性を社会的に保護する」制度の在り方が社会によって異なり、それが西洋では男女共同参画社会を指向し、日本ではいまだに専業主婦を希望する結果につながっていると考えています。

この点において、質問者様は「女性を保護すること」を《当たり前》と考えておられるでしょうか?
 もしそれが当たり前だとしたら《保護には権利制限が伴う》という点はどうお考えでしょうか?

男女の社会的地位の差は、まさに「保護される側か?保護する側か?」の違いであり、社会的には「保護の在り方の違い」が専業主婦を希望する価値観と忌避する価値観の違いになっていると考えています。

>肉体労働については科学的には性差は確かにありうるとは思います。

これについても全く同じで「保護が必要なのか?」です。
もし肉体労働について、たとえば重い物を運ぶのに重量制限が無いなら、男性のほうが有利であるし、性差がでるのは当然です。

肉体の優劣を競うスポーツでトランスジェンダー元男性が女性競技に参加して不公平な結果を生じさせていることも同じです。

しかしたとえば日本の労働法では女性は重量物運搬で20kgまで、男性は55kgまで(ただし自己体重の40%以下)と定められていて、20代女性の平均体重は約50キロなので、同程度の体重の男性も実は20kgまでしか運搬できません。

このような保護による制限を加えるなら、男女の労働価値はほぼ同じで性差がない、ということになります。

またもっと過酷な軍隊のような場合、女性兵士が多数犠牲になることは次世代を産む母体の絶対数の減少につながるので国家的な損失だといえます。
 したがって兵士で特に消耗が多い前線に女性兵士を配置することはどのような社会であってもありえないでしょう。
(実際にウクライナは男性は徴兵しても女性は徴兵していません)

このような差は「女性の保護」に通じる内容であり、本質的・肉体的価値は「男女は同じではない」のです。

しかし、それをどのように社会的地位に反映させるのか?がご質問の主題に関わる内容であり、
・ヨーロッパ社会はローマ時代から女性保護のために女性の権利制限を行い、それに不満をもった女性達が《保護される主婦=権利制限を受ける立場》を捨てて男女平等を求めた
・日本社会は律令時代から権利平等であったが、武士の時代になると女性保護と権利平等を両立させるために男女の社会的役割を分割し、その結果日本の専業主婦は女性の保護と女性の権利を両立する制度になった
という違いがあると考えています。

その結果、欧米女性は主婦を希望しないのに対して、日本では一定数の専業主婦を希望する女性達が根強く残っている、と考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
捕捉します。

>「科学的」という言葉の意味が不明ですが、社会学を含めていいなら「男女の社会的地位は環境に左右される」ことが明らかになっています。

社会学を環境要因とするならば私はそれを性差とは呼ばないでしょう。
性差ではなく後付けです。
ですから「専業主婦や介護が女性に向いているわけでも、労働が男性に向いているわけでもないと思います。」というのはこれです。
上記役割に生物的な得意不得意が存在する可能性はかなり低い、と考えます。
介護を女性ばかりに熟練させるか、介護を男性ばかりに熟練させるかで結果が異なるわけです。

なお保護については性別ではなくて出来るだけ個人差で考えるべきだと思います。
重いものは年齢性別に関わらず持てる人が持ったらいいでしょう

お礼日時:2024/05/06 00:42

#10です。

他の方へのお礼の内容について、補足します。

>専業主婦や介護が女性に向いているわけでも、労働が男性に向いているわけでもないと思います。

「労働」は男性だけが向いているものではなく、女性もパフォーマンスを発揮できます。ただし、肉体労働や危険を伴う労働に女性はほとんど居ないし、逆に家政婦や乳母(保育士)、介護には男性は少ないです。
 これは男女平等が進んだ北欧でむしろ顕著になっていますので「個人の自由選択」であるなら「男女で得意分野は違う」のは明らかでしょう。

>ちなみに甲斐性ということですが、夫が家計を支える時代よりも夫婦共働きの方が時代としては長いですよ。専業主婦の歴史は100年もないとか言いますよね。

「共働き」という言葉が「両方とも正社員」なら専業主婦の時代よりも短いでしょう。しかし「農業や商業などの家業で夫婦2馬力だった」というならその通りです。

>夫一人の収入で生活というのはあくまでも都市部中心の話であり、農村では夫婦共働きが昔から多いですよ。

これもその通りですが、日本は室町時代には「妻が家計を管理する」のが一般的になっています。日本の専業主婦の特殊性である《夫の給料を妻が管理できる》という伝統が構築されたのはこの時代であったといえます。

また女性は集落の中でも、男性と対等な集団として存在し、現在でも村落などに残る「婦人部・女性部」はこの時代から存在しました。

日本では「妻であること」は社会において高い地位であったといえます。

>自分の稼ぎで妻を養うことが男の甲斐性だったら、現代に限らず日本の歴史は甲斐性のない男ばかりです。

その通りです。この点日本の男は非常に情けない、というか日本の女性達が優秀過ぎる、といえます。

ただし日本の伝統的な男性の役割は「家を存続させること(家業を子々孫々に伝えること」であり、そのための政治的役割(外に向かって家を代表すること)であったといえます。

なので労働そのものは(役割分担があるとはいえ)男女でそれほど差がなく、むしろ戦後のサラリーマン時代のほうが特殊です。
 当時の男性の役割は、労働以外で「家を代表して社会に対して自己主張すること」であり、家の田畑などの権利を維持するために徴兵に応じた、ともいえます。
 また町民に関しては、集落の自治に参加するなど公的な部分を担ったのが男性であり「主人」というのは《家を代表する公人》という意味合いが強かったと言えます。

妻は家庭内の一切の権限を握り、年貢や治水などの公共的な部分は主人である夫が、家庭を維持する仕事は妻が担う男女分業が日本の家庭の伝統であったわけです。

このような分業体制は室町時代には一般的になり、同時に「妻の地位」も男性の地位と社会的な同等性を持っていたので、西洋社会のような「女性は家父長に従うべきもの」という隷属的な地位とは全く異なっていたといえます。

この違いが、日本における伝統的な「専業主婦への支持の多さ」につながっているのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私のアプローチの場合ですが現在の比率でみるのではなくて、男女の得意不得意や適性に影響を与える要素が科学的に発見されているかで判断しています。
ですから、保育や介護や家事代行について影響を与える要素が発見されていなければ全ては社会的なものと思います。
プログラマーについても男性が多いとかの前に計算手は女性職場だった時代もあったわけですから比率は絶対とは考えていません。
ただし今後の研究でですが、現在神経神話とみなされているものが実は正当なものであったとか、女性特有の母性が発見された場合にはひっくり返る事があるでしょう。
私のアプローチの場合はというところではあるのですが・・
肉体労働については科学的には性差は確かにありうるとは思います。

お礼日時:2024/04/29 18:19

>数としては減っているとはいえ、専業主婦(男性版で言えば専業主夫)という生き方が今も支持される理由はなんでしょうか。



世界で比べてみましょう。日本の特殊性が見えてくると思います。
まず欧米では基本的に「専業主婦(主夫)を支持する人はほとんどいない」です。もちろん大金持ちの妻などは別ですが、一般的な収入で専業主婦を希望する人たちはほとんどいません。

逆にイスラム教国では根強く専業主婦の需要があります。戒律で女性が社会進出しにくいという、という環境もありますが欧米のように女性解放運動が盛り上がってはいません。

この違いは何か?というと「女性は男性によって守られるべきかどうか?」です。

キリスト教は旧約聖書のアダムとイブの話で「女性は劣った存在」ということ以外、特に新約聖書にはこの点には言及しておらず、キリスト教以前の古代ローマ時代から女性には財産権や契約権をあたえず《家父長に従う》家父長制を敷いてきて、その不自由さを問題視した西洋女性達が起こしたのが女性解放、ただしこれには奴隷解放などの啓蒙的思想も関係しています。


逆にイスラム教では、旧約聖書の「女性は劣った存在」という記述と共に「戒律の範囲内で権利を認める」としています。

なのでイスラム教での女性観は「男性が保護する必要があるが、しかし権利は認める必要がある」というものになっています。
 
この違いは「家父長制」においても《夫に隷属的に従う妻》という認識をもつキリスト教と《夫に従うが一定の地位を確保できる妻》という違いにあらわれていて、これが「隷属的に従っても何もメリットが無いから男女平等を求める」という西洋女性の価値感と、「隷属するがそれは保護されていることであり、安心の中に一定の地位が保証されているからよい」とするイスラム女性の違いになっているのです。

この違いをみると「男女平等とは女性の地位保全の行動」であり《男性と権利平等になり行動や選択の自由を確保することが女性達の地位保全につながる》というのがいわゆるフェミニズムの原点であることが理解できると思います。

実際に世界的なフェミニズム団体に共通する目標は「家父長制の廃止」です。
参考 https://swashweb.net/2021/07/12/post-906/

逆にイスラム女性は「家父長は女性を守ってくれるので女性にもメリットがある。その上で家庭内で一定の地位があるので問題ないし、戒律に従うことになるからよい」と考えていると言えます。

ということは「日本で女性が専業主婦を希望するのは、何らかのメリットがあるから」ということにほかなりません。

そのメリットは何か、といえば明らかに《夫の給料を自分の管理下において、家庭内で権力者になれること》です。

諸外国特に欧米各国に比べて、日本は専業主婦希望者が明らかに多い理由はこれしか見当たりません。

自分が働かなくてもお金を自由に支出し、家庭内においては子供を躾けるのと同様に《夫を躾ける》権限をもっているなら、専業主婦を希望する人が多数いるのは当然です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/28 17:41

専業主婦は子供5人10人産んでた時の話だよ


1人2人しか生まないと専業は効率が悪い
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/28 08:29

子どもがいる場合、育児をメインで受け持ってくれる人がいるに越したことはないです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/28 08:29

支持されているとは思えないけどな…。



専業主婦って意外と1日中バタバタ。
やる事が多くて一向に終わらないし終わりがない。
私の要領が悪いのだろうけど、夕食の後片付けの頃にはもうぐったり。

外でお仕事をバリバリされて家の中の事もバリバリこなす方はどんなに凄いSuperWomanなのだろうかーといつもリスペクト!思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/28 08:29

多様性でしょう。

バリバリ働くのが向いてる人がいるように、家庭に入り家事するのが向いてる人もいるでしょうから。これは男女問わずの話で、別に奥さんがバリバリ働いて旦那さんが家事に専念してもいいわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/28 08:28

単に適所適材の分業しているだけのこと。

旦那一人で家族を充分養っていける収入があれば共働きしなくても良いし両親の介護などを任せる事も出来ます。自分の稼ぎで好きな女の一人も満足にせいかつさせてやれない甲斐性なしの男が増えた気がします
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この回答へのお礼

ありがとうございます。適所適材では説明がつかないと思います。
専業主婦や介護が女性に向いているわけでも、労働が男性に向いているわけでもないと思います。
ちなみに甲斐性ということですが、夫が家計を支える時代よりも夫婦共働きの方が時代としては長いですよ。専業主婦の歴史は100年もないとか言いますよね。
夫一人の収入で生活というのはあくまでも都市部中心の話であり、農村では夫婦共働きが昔から多いですよ。
自分の稼ぎで妻を養うことが男の甲斐性だったら、現代に限らず日本の歴史は甲斐性のない男ばかりです。

お礼日時:2024/04/28 08:28

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