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戦国時代の江戸についてです。
「江戸はかつては土壌の貧しい湿地帯で、未開の地であった。」というのはよく言われる事かとは思いますが、
対して「江戸は各地から物資が集積する経済上の要地で、交通の要所だった。」というのを最近耳にしました。
両者とも決定的な証拠がない、ということでしょうが、有力さで言えば、どちらも同等ですか?

A 回答 (14件中11~14件)

戦国時代の江戸は人口数万人以下です。


この人数で要地と言えるかどうか微妙な気がします。
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地図で見るように、江戸は湾の最も奥にあることから、高波などのリスクが少なく天然の港と呼べるものでした。



しかし利根川などの河川が多く、氾濫も多かったことで湿地帯でもありました。

そこで家康は、利根川の流路を江戸ではなく銚子に変える大工事を行い、江戸の土地改良を進めました。
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太田道灌が江戸城を建てた室町時代から要地で、扇谷上杉が衰退し、北条が仕切り、徳川が埋め立てた。

両者の積み重ねによって、江戸は成り立っている。
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江戸は各地から物資が集積する経済上の要地


これは戦国時代ではなく、徳川幕府が誕生して安定してからではないですか。
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