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【歴史・日本史の日本語】謹賀新年と恐々謹言(きょうきょうきんげん)と謹言の恐々謹言とは、昔の日本語では目下の者が目上に送る言葉で、謹言は目上の者が目下に送る言葉でした。

ということは年賀状の謹賀新年という言葉は本来は目上の者が目下の者に送る言葉だったのでは?

目下の者が目上の者に送る年賀状は恐々謹賀新年と書くべきなのでは?

もともとの年賀状は目下の者が目上の者に送る者ではなく、目上の者が目下に送る物が年賀状だったのでは?

年賀状が衰退したのは若者(目下)の怠慢ではなく、高齢者側の目上の怠慢で衰退したという認識が正しい気がして来ました。

目下の若者も年賀状離れと言えども、目上の高齢者から年賀状が届けば御礼状を送り返す。年賀状文化の衰退は若者ではなく高齢者が原因だった説。

どう思いますか?

A 回答 (4件)

漢文をやっていればわかると思いますが、


「謹んで新年を賀ぶ」という意味です。

謹むという意味には「畏まる」という意味合いがありますが、それだけで畏れ敬うことになるので、「恐々」をつけるのは二重表現になって仰々しいです。

あなたが直接天皇陛下に手紙を出すのであれば「アリ」かと思いますが、上司に出す上では大げさです。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2024/05/23 17:05

年賀状が減少したのは、Eメールで済ます人が多くなって来ただけだと


思いますが。
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そういうのは社会的な共通認識でそうすべきとなっていただけのものです。


今でも「謹んで初春の~」などと言っても、実際には何も謹んでいなかったりするわけですw
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「謹言は目上の者が目下に送る言葉でした」


この前提が間違い

「謹言」は文字通り「謹んで言上仕る」の意味なので、目下から目上に対して「上奏する」こと

前提が違うので、誤った前提からの推論で導かれた仮説もまた間違い
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