No.13
- 回答日時:
今度は、意思無き超人ですか。
いよいよ論理が破綻してきました。というか、最初から意思無き思い付きばかりだったということですね。納得しました。ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
>環境によって幸不幸感が生起するに決まっている。
環境が幸不幸感を決める大きな要素であるのは当たり前の話。
問題はそこにあるのではなく、
”「幸せか不幸かは自分で決める」っていうのはなにかの宗教ですか?”
というあたなの命題でしょう。
私は
”「幸せか不幸かは自分で決める」って説は、個人個人が自由に幸福感や不幸感の対象を選択・選定できるのですから、宗教とは違うでしょう。”
と回答したわけです。
すると、あなたは
”なんで個人個人が幸不幸感の対象を選択選定できんのよ?”
と反論?なさったので、私自身は勿論、私の周りの多くの人が、自身で選択選定してきたし、今後もそうするだろう。と回答しました。
あなたは、次に当たり前の要素である環境を持ち込んできたわけですね。
あなたは同じ環境なら皆が同じ幸不幸感を押し付けられるとでも思っているのですか?
それは違うでしょう。現実に同じ環境に居ても、幸せな人もいれば不幸と思う人もいる。だから、環境は大きな要素ではあるけれど、幸不幸を決定するのは最終的には個人個人の問題であり、個人個人の意志が幸不幸を決定している。そういうことになるのです。
あなたは、相変わらず思考回路が教条的で柔軟さに欠け、至って固定的に感じられます。あなたと同じ環境で育ったからと言って、全員があなたと同じ幸不幸感を持つわけじゃない。ヒトはそれほど単純な生物ではなく、至って多様で懐が深いのです。
なお、私が発した以下の質問には、一部しか返信がないようです。
できましたら、あなたの所感をお聞かせいただけますと幸いです。
↓
「それでは、あなたの幸不幸感は、誰が決めたのですか?何が決めたのですか?そして、あなたは何の疑問も持たずにそれをそのまま受け入れたのですか。さらに、一度受け入れたら、その後見直すことがなく、そのまま固定されてきたのですか。」
No.10
- 回答日時:
>なんで個人個人が幸不幸感の対象を選択選定できんのよ?子供では無理だ。
驚きました。
私自身は幸不幸感の対象を自分で選択選定してきましたし、多くの他人も私と同じように自分自身で選択選定していることを知っています。
もちろん、様々な人からや、文学作品、ニュース、映画やドラマなどから幸不幸感の対象を見聞きしてその影響も多数受けてきましたが、最終的に自分自身の幸不幸感をどのように形成してきたかは、私自身の感性に基づいた判断、決断であることは自明のことです。もちろん、私自身の考えが変化して幸不幸感が変化したことは度々ありますし、今後も変化し続けるでしょう。
あなたは、そうではないのですか。
それでは、あなたの幸不幸感は、誰が決めたのですか?何が決めたのですか?そして、あなたは何の疑問も持たずにそれをそのまま受け入れたのですか。さらに、一度受け入れたら、その後見直すことがなく、そのまま固定されてきたのですか。
それとそういう価値観の変化は、子供時代も激しいものがあります。特に思春期を迎えた後は劇的に幸不幸感が変化する人が珍しくないと思います。
No.6
- 回答日時:
「幸せか不幸かは自分で決める」は、単なる「真理」でしょう。
「幸せ」も「不幸」も、非常に相対的な言葉で、普遍性を
持ちません。
美人に、微笑んでもらって、「幸せ」を「感じる」人もいれば、
政府の交付金をもらっても、不平たらたらの、「不幸」な
大金持ちもいるでしょう。
重要なのは、「幸不幸」、「平和」、などという言葉は、
その個人、時代、国によって、「感受性」が異なるので、
「普遍性はない」ということです。
ノー天気に、平和な日本で、不満たらたらな連中もいれば、
「今日も生き延びた。」と幸せを感じる戦場の人もいる。
普遍的で、絶対的でない価値観ならば、その状態は、
「自分で認識」するしかない。
宗教とは、全く関係がない。
この回答へのお礼
お礼日時:2024/07/20 08:27
言ってることが破綻してますけど?
>「幸せか不幸かは自分で決める」は、単なる「真理」でしょう。
と言いながら
>ノー天気に、平和な日本で、不満たらたらな連中もいれば、
「今日も生き延びた。」と幸せを感じる戦場の人もいる。
多分に環境的だと言ってる。
No.5
- 回答日時:
本気にって・・・、私は第三志望の地方の四流非進学高校に入学しました。
入学直後の◯文社の模擬テスト242人中、242番、学年最下位でした。その実力を3年間維持していたため、3年間定期考査は、常に赤点との闘いでした。他にも生活指導上で、補導されたり、親が学校に呼び出されたりしました。部活も、勉強も、何から何まで、何をやっても、常に最低の結果。よく卒業出来たと思います。ドン底の高校3年間を経験し、卒業間際に、これでは、就職はもちろん、生きて行くことも無理だと、やっと悟りました。母子家庭の四人兄弟でしたが、上京させてもらい、某マンモス予備校に通わせてもらいました。予備校への入学当初、漢字は書けない、英単語はろくに知らない、かけ算九九は言えない、そんなレベルでした。願書を出した、筑波大学や横浜市立大学などでは、高校からの報告書(内申書)が悪過ぎ、足切りに遭い、受験料のタダ取り。受験させてもらえませんでした。
でも、最終的には、W大学や都内の国立大学などに、合格しました。
就職もいわゆる大手、海外勤務や管理職も経験しました。他のことも含め、人生、まさに大逆転の様相です。
自分の人生は、自分がつくる・・・ということと、相田みつをさんの
「しあわせは いつも
じぶんの こころがきめる」
は、まさに、真理だと言うことを自らの経験を通して、本気で、理解できました。
人生なんて、自分自身の気持ちだけで、本気の気持ちになれば、どうにでもなるようなものだという感覚も、感じています。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報