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上に同じ

A 回答 (14件中1~10件)

 再投稿です。



 初回の投稿での私の結論「宗教教団は芸術作品だ」と云うのは、矢張りおかしいとの思いを当然持っていたので、即席知識を辞書に頼りました。

 それに依って芸術は“鑑賞の対象”となるもの、としてみました。
 そうすれば宗教教団は鑑賞の対象とは言えないので“芸術”とは言えません。

 浅薄な結論ですが、これでなんとなく安堵しました。
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念のため集合論的に確認すると、


「〈宗教〉とは〈芸術〉です」と言ったとき、
〈芸術〉の中に〈宗教〉がまるまる入ることになる。
〈宗教〉の要素のすべてが入るのであって、〈宗教〉の要素の部分が入るのではない。

〈芸術〉の要素を調べ出せば長く険しく広範できりがないけれども、
〈宗教〉の要素には、〈芸術〉からはずれるところはないのだろうか?
ないとしたら、それは皮肉なんじゃないのかな?
理念の実践において、真善美を喪失して自己目的的?
志向的であるほど理想から遠ざからねばならないという捩じれたありよう?
実証的でないのに価値創造的、とか。

〈芸術〉は、志向するところに信をおくけれども、自己の行為に対して、疑うんだね。だから発展していくのだと思う。
それにくらべて〈宗教〉は、自己の行為に信をおいているのかもしれませんね。
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美術も音楽も起源は原始宗教の一部でした。


それらが後に分化し、独立した営み、文化となって現代に至ります。

古代より、宗教は死の超克と人々を束ねる役割を担っていました。
祭儀の際にやはり、舞踏や音楽、美術品のようなものが演出として使われていました。

現代の新興宗教は「ごりえき宗教」なので市場経済の中で巧みに人々の損得勘定に付け込んで存在していますが、孤独を回避して集団化を促し、人々の不安を遠ざけれるものとして重宝されています。

音楽や美術がそれ自体、人々の心の安らぎもたらす点で、
宗教と芸術の機能はよく似ています。
多くの人々が忘れている、あるいは芸大出の人やプロのミュージシャンや画家も知らないのは、
宗教が先ずあったということで、その逆ではありません。
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なぜ貴方がそういった疑問を持たれたのか(もたれたのですよね?)という仔細が分からないのでなんともお答えのしようがないのですが、このような”めずらしい”設問に多くの回答がつけられたことで、われわれに考えるチャンスを与えてくれたという一定の評価はあるのかもしれません。



一般的には宗教は神を絶対とすることでの思考停止が特徴であり、芸術は美(あるいは自然そのもの)というものを絶対神とする宗教であると考えれば共通点はあるかもしれません。
しかしそれをもって宗教が芸術に含まれるとするのは大雑把過ぎますし、そういったシノニムを考えることから発展できる思想はほぼないといっていいと思います。そう考えるまえに、現存宗教はその思考停止によって芸術の持つ自由さを持たないという本質的な欠陥があることを考えるべきです。

宗教と芸術との(発生段階での)共通点はやはり人間性のめざめというところにあるのですが、現状ではおたがいにはるか離れたものになってしまっていると考えられます。原理主義(キリスト教。イスラム教それぞれに)という怪物的なものを生み出す宗教を悪しき教条主義から一旦真に本質的な原点に、その真の発生地点へ戻ることが人間は必要であり、ご質問にあわせるならばそこに芸術との親和性を見出すべきではないか、と私は思います。
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エロ本が芸術作品だと言うなら宗教も芸術だ。


マスタベーションだよ。
好んで猥褻物陳列罪で逮捕されるのが聖職者だ。
おめでとう。
君の志こそ犯罪行為だ。
何故なら君は、聖職者と言う犯罪組織に金を払い、需要を作っている。
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この回答へのお礼

後半部の断定的な主張の根拠は何ですか。

お礼日時:2014/09/13 09:11

芸術とは、自分の内なる感性を信じる事(自律)。


宗教とは、外なる第一原因を信じる事(他律)。
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「~的」を、それぞれに付けて、例文を作文してみましょう。


すると、何かが見えてきます。
+++++
+++++
1:宗教的価値観の・・・
  ↓
2:芸術的「価値観の・・・」
+++++
1:芸術的才能の・・・
  ↓
2:宗教的「才能の・・・」
+++++
1:宗教的対立が・・・
  ↓
2:芸術的「対立が・・・」
+++++
1:芸術的な策士だ
  ↓
2:宗教的「な策士だ」
+++++
=====

+++++
1:宗教的伝統を重んじる・・・
  ↓
2:芸術的「伝統を重んじる・・・」
+++++
1:芸術的感性を以てすれば・・・
  ↓
2:宗教的「感性を以てすれば・・・」
+++++

◎まとめ:
上の方の3つは、明らかに不自然だよね。
下の2つは、わりと自然。でも、何かがひっかかる。
◎結論:
上の3つは【短期的な話題】で、下の2つは【長期的な話題】だ。
さらに換言してみよう。
【短期的なテーマでの『宗教・芸術』は同じに扱えない】が、【長期的な話題テーマでの『宗教・芸術』は同じような感じに扱え、それは『伝統的信仰や集団幻想』とも言える。それはまるで『金属や紙やデータ = 利益そのもの』と我々が信じて疑わないように・・・】。つまり公益を損ねる『伝統的信仰や集団幻想』が仮にあれば、強く管理すればそれで済む。
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これは、


「自動車はタイヤ」というようなものです。

宗教は、芸術的な要素や特徴が有していますが、
だからと言って、
宗教を芸術と言うことはできません。

また同時に、
「タイヤは自動車(である)」と言えないように、
「芸術は宗教(である)」も成立しません。
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natural ←→ artificial




?
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 考えていることを言葉を使って“主張”という形にまで文章化しようとする行為は、芸の術と云って良いかと思います。


 その出来上がった文章を通して“主張”を読み手に伝えるだけでなく、感動させることが出来れば感動させられた人にとってその文章は「芸術」と云えるでしょう。この感動を万人に与えることが出来れば一般に云う処の芸術作品となると思います。

 工芸はもとより、音楽や舞踏なども“思い・主張”の表現なので芸の術、と云えます。

 こんなことから「宗教」を考えてみると・・・
 宗教の捉え方で違いが有るように思います。

 原始的に不可思議な事柄に畏れ、そして敬う宗教的精神のそれは“主張”ではなく作品でもないので、当然「芸の術」とは言えません。
 現代も真理を求めようと云う心は探求心であって、思いの表現はそこにはないのでこれも「芸術」とは言えません。

 でも既成の宗教教団は、“教え”を通して人の心を掴み、感動させ、信じ込ませて、財産さえ提供させる力がある事を思うと、これは芸の術であるとしか思えません。

 依って、教団なる組織は立派な『芸術作品』である、との結論になりました。

 ☆ 思索の参考にしてください。
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