これ何て呼びますか

性格が本当に悪くて悩んでいます、アドバイスお願いします…

人の行動や言動を全部嫌味な感じに捉えてしまいます。

人気者な人を見ると嫉妬で嫌いになってしまいまうし、
何かやってもらった時も「何?いい奴アピール?笑」ってイライラしちゃうし、
急に話しかけられただけで謎に苛立って嫌な反応をしてしまう事もあります…

こんな感じで、普通の人なら何も感じなかったり、むしろ「ありがとう!」と言えるところですぐにイライラしてしまいます…本当に自己中なんです、
しかも、イライラした時それを隠せなくて…むしろ「苛立っているのに気づかせたい」みたいな気持ちになってしまって、逆効果?なのにめちゃくちゃ嫌な態度で接してしまいます、睨んだりとか


仲が良くなければ「これから好かれたい!」って気持ちで優しく接することができるのですが、ある程度仲良くなってきたり、付き合ったりとかするとこの素の性格がでてしまって常にイライラしています…相手もだんだん私のことが嫌になってきているのがわかって、寂しいのにイライラが抑えられません!なので家族からとか、本当に嫌われています。
完全に自分のせいなのですが、「なんでみんなわかってくれないの」って考えちゃって辛くなります。これも自己中さ故の悩みですよね、本当にどうしたらいいでしょうか…


こんなかんじで、本当に性格が悪いんです、どうにか考え方?を根本からかえるというか、性格を改善する方法ってありますか?

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A 回答 (15件中1~10件)

おそらく勘違いがあると思います。

まずは皆さんが憧れる「良い性格」と言うものは実在しないと言ってよいでしょう。感じたままに外に出せば人の道を外れるのは鉄板です。我慢しないと行けないんです。道徳を意識して自分を抑え込み「この様にふるまうべき」という規範に沿って行動するものです。これを嫌がってサボってしまえば他人に嫌われても仕方ないでしょう。自業自得と言うわけです。

以下は長いので興味があればお読みください。

「心の赴くままに振舞って人の道を外れなくなったのは
 70歳すぎてからだ。僕は73歳で死んじゃうんだけ
 どね。自然にふるまって道徳の道を外れないなんてあ
 ってたまるか。一生無理だってことだよ」

これは道徳の開祖である孔子が残したらしい有名な言葉「子曰く、吾十有五にして学に・・・」で述べられている話です。道徳の開祖ですら「実は僕、感じたままに行動すると人の道を外れるんだよねえ」と思いながら70歳まで生きてきたという事です。やっと自分を好きになれると思ったら73歳で寿命となってしまったというわけです。孔子ですらそうなんです。良い性格の人が居るわけが無いでしょう。

「肛門が緩んで良い香りを出す人間などいない。誰もが
 命がけで肛門を締め上げているんだ。中にはそれを面
 倒くさがって、こっそり緩める奴がいる。そしてバレ
 た後に居直って反撃する。それをやりすぎて他人に嫌
 われる。そうなって初めて反省する。しかし肛門を緩
 めるのを辞めなさいと言っても、それだけは勘弁して
 くれというんだ。そいつが言う事は決まっている。尻
 から良い香りを出す人間になるにはどうしたらいいか
 と聞くんだ。そういう人間になれば肛門を締め上げな
 いでも良いと思うからだ」

「そこまでして肛門を締め上げるのが嫌なんですかね?」

「命がけでやり切れば自然に慣れて辛くなくなるものだ。
 しかし、自分を甘やかしていると、肛門に力を入れた
 だけで体力がなくなる人もいる」

「肛門閉める体力無くなっただけなんすか?」

「そうだよ」

という事で厳しい言い方になりますが「甘えている」のだと自覚が必要です。他の人も同じような気持ちになることがあります。しかし「それを外に出すのは人まえで屁を垂れて居直るのと同じ」と思います。万一漏れたときは赤面して一生の恥と感じるのが正常でしょう。「臭くて何が悪い?」みたいに言い返すようになったら「この人は助からない」と思いませんか?

「許されるとしているあたりが可笑しくないか?」

私は「性格の問題で悩む人」に分かり易い例えとして「トイレの話」を良くします。「トイレ教育」というのは難題ですよ。誰もが生まれたときから上手に出来たわけじゃないでしょう。漏らしちゃダメと言われた時は「無理難題を言われている」と思ったはずです。また「頑張ったのに漏らした時は不条理だと感じた」はずです。それでも乗り越えられたわけです。

そういう人が「性格に関しては・・・」と言い訳する。トイレ教育と言う「不可能を可能にした人」が言う。流石に嘘に決まっています。トイレ教育を乗り越えた覚悟を持てば出来るはずです。

そこで一つ確認をしてみましょう。

「人前で大便を漏らしても自分を許せるのはどんな時?
 どんな時は仕方ないと思う?」

「えっとね・・・」

「待ってね。適当に答えたら本当にやらせるよ?」

「ま、まじか。わかった真剣に答える」

「では、次から選んでね」

1.動物として自然な行為だから無理は良くない。
 我慢できないと思ったら所かまわず開放する。

2.優しい人の前なら大丈夫と考える。

3.友人とか気心が知れた間柄なら大丈夫と考える。

4.他人の前では駄目。だけど家族ならOKでしょ?

5.うるせえ。死んでも嫌だ。我慢できないじゃねえ。
  我慢するんだよ。漏らしていいわけがねえ。そこ
  に条件づけなんてあり得ねえ。

「本当にやらせるのね?」

「そう」

「どう考えても5だろう?」

「うん。私も5だよ」

私は5です。他の方は違うんでしょうか?

自分も5だと自信を持って言える人は「トイレ教育」から卒業して「幼い子供=動物に近い」じゃなくなったという事です。この関門は意外と難題でしょう。なのにほとんどの人がクリアしていると思えます。

「自分の中には大便みたいな物がある。そして心に中
 にも似たようなものがある。綺麗じゃないと誰もが
 知っている。そういうものがある不条理にも悩んで
 いる。しかし大便の時は受け入れて考えないように
 したのだろう? その上で綺麗に処理する事を覚え
 たのだろう? しかし一生終わる事のない繰り返し
 だ。それでも今は不平を言わなくなったのだろう?
 じゃあどうして心の中にある便については人前で漏
 らして良いと考えたんだ?」

つまり「心の中にある悪感情は体の中にある便みたいなものだ」というわけです。それを他人に見せてよいとするか否かです。死んでも嫌だと思えれば「トイレ教育」と同じくらいに「自分の精神」も成長しているという事です。「たまには漏らしてもいいよね?」と思っているならば「トイレ教育」レベルまでに達していないという事です。

孔子は、

「気が付くとトイレでしゃがんでいるようになった。
 それが出来るようになったのは70歳すぎてからだ」

と感慨深く話したと捉えられます。心の赴くままに隙を作ると「大概の場合は粗相をしていた」と若い時を振り返っていたのでしょう。

では普通の人はどうするべきか?

「肛門を鍛えるのと鋼の精神を手に入れて便意に耐え
 る自分を作る?」

「ほんとうにやらせるぞ?」

トイレの時を考えると「我慢力を鍛えたわけじゃない」ですよね。「そろそろやばい」「腹の調子が良くないので早めの対処を」「今日は人と合わない方がいい。家でおとなしくした方がいい」と頭で考えて対処するようになっただけです。

「あ・・・と思うともう我慢できないんです。それで
 仕方なく・・・そういう自分が嫌いです」

「そういう考え方でいいのか? あ・・・と思うとで
 はないだろう? 今日は不味いとかそろそろヤバい
 とか早めに考えて動くものじゃないのか? 何も考
 えないで暴発を防げると本当に思ってるのか?
 どこかでそういう自分を許し過ぎてないか? 解放
 する快感を味わって忘れられなくなってないか?」

「そういえば。後で気持ち悪いと思うのは分かってい
 るんですが。最中は割と快感です」

「それだ。それを反芻したいという人が人並みに何か
 悩んでいるように語るのが嘘くさい」

この様に例えると「性格のほうは便じゃないからOKだよね?」と甘えている自分が必ずいるはずです。「大便と同じ」と捉えて「死んでも人前で晒すものか」と覚悟を決めていないのではないでしょうか。

そしてもう一度問うてみましょう。

「自分の嫌なところはどういう理由があれば人前に
 晒してよいと思う? 仕方ないと思う?」

1.人間として自然な行為だから無理は良くない。
 我慢できないと思ったら所かまわず開放する。

2.優しい人の前なら大丈夫と考える。

3.友人とか気心が知れた間柄なら大丈夫と考える。

4.他人の前では駄目。だけど家族ならOKでしょ?

5.うるせえ。死んでも嫌だ。我慢できないじゃねえ。
  我慢するんだよ。漏らしていいわけがねえ。そこ
  に条件づけなんてあり得ねえ。

自分は何番をやっているのか。改めて考えてみましょう。そしてこれは質問者さんだけではなく、他の方も何番なのか考えてみるべきです。また自分が知り合う人に対しても「この人は何番なのか?」見極めるべきでしょう。

1番を選ぶ人は人間扱いされないでしょう。動物に近いとして嫌われるでしょう。2番を選らぶ人は子供だと思われるでしょう。3番を選ぶ人は偽善者だと思われるでしょう。二面性があるとして嫌われるでしょう。4番を選ぶ人は家族になった後で不和を引き起こすでしょう。離婚問題などを抱えることになるでしょう。

5番を選ぶ人は新しい家族を作っても大丈夫でしょう。それ以外の人は他人と接する時間が長ければ長いほど確実に不幸になるという事です。

「え? 5番って聖人とかがやるんじゃないの?
 普通の人は3番目くらいで。私は4番目を選ぶから
 他の人より優れているはずだよ」

「いや。凡人レベルで5番目。何のとりえもない雑魚
 だって人前で大便漏らすのを良しとしない。それく
 らいの気持ちで自分の汚い心の動きを他人にサトラ
 れまいとして命がけだよ。雑魚だって5番が基本」

という事で「匂いすら感じさせてはいけない」と誰もが神経質になっているのに「親しい間柄なら許されるよね?」とやっていれば大変なことになります。そのくらい普通の人は頑張るのだと知っていれば「自分が嫌われるのも不思議じゃない」と思うでしょ。

「親しい間柄なら大便漏らしても許してもらえるべき」と考えている人と親しくなりたい人などいないという事です。

このあたりの感覚の違いを治せば治りますよ。

「良い性格になりたい」と俗に言いますが実態は無いですよ。孔子も諦めたというのが真実。人類史上居ないと思います。しかし「自分の中にある便は浄化できないが、人前で漏らすのだけは死んでも嫌だ」と考えることはできますね。これを物臭している人が何か悩んでいるように語るのは甘えすぎでしょう。

「漏らしても良い条件」

を自分に設定しているあたりが原因です。死んでも嫌だとなれば治ります。

以上、ご参考になれば。
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多くのそのような性格の方はあなたのように反省はしないのに、反省しているだけ上出来です。


直そうなどという大それたことを考えるのではなく、目立たないようにしましょう。そのためには、まずあなた自身の良い点を認めて伸ばすことです。あなた自身の良い点はいくらでもあるはずです。そういう自分を誉めて、欠点には目をつぶりましょう。欠点は気になってるだけで十分じゃないですか。
もし本気でより完璧な人間を目指すのならば、修行するしかありません。
完璧な人間=仏と言います。
正しい修行はこちら➡https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/practice.html
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そこまで分析しなくても大丈夫ですよ。


多かれ少なかれみなさん同じです。
きづいていないかたもおおいですよ。
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自分で自覚してるんだから自分で何とかしなよ。

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性格と簡単に言うけど、あなたがご自分の性格をどんな風に分析しても、実は何の問題にもなりません。

実際に周りの人があなたをどんな風に思っていらっしゃるのか、私共は実際に見ていないし、あなたが周りの人の気持ちを正しく把握しているとは言いきれないわ。

私からの提案があります。これからは性格ではなく他人に対しての言葉つまり「言い方」と「行動」(どんな風に振る舞うか)に注意してみてください。性格を改めるとは考えず、行動(言葉も含めて)だけを問題にしなさいということです。

あなたが心で思うことは問いません。思うことは自由だけど、と言ってあげましょう。個人的に。

例えば、人から何かしてもらったり気遣ってもらえたと感じたなら、腹の中で思うことと別にして、言葉だけは「ありがとうございます。」「助かりました」と言います。

腹の中はあなたのままでもいいから、とにかく外に出す「言葉」と「行動」には毒を出さないように、それだけを心がけます。言葉も行動も広く言えばその人の習慣のひとつです。
21日間繰り返せばその人の習慣になる、という説もあります。

劣等感や罪悪感の手当てはかなり困難です。

自分を変えなくちゃと思うと辛くなります。

言葉と行動をあなたの気持ちから切り離して、別人格のものにしてみましょう。言葉と行動でもう1人の自分を演じる、演じているうちに演じている言動が習慣になり、あなたの印象が変わる。

私は、そんな風に思っています。

好かれる人ならどう言うか、どう行動するか、それは難しいと言われそうですが、

痩せたい人が痩せる生活をしている人の真似をしたら、少しは痩せられます。行動と言葉をコントロールすることもそれと、似ているとは思いませんか?

質問の答えになっていないと思われたら、ごめんなさい。
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幼少期からの成長過程において何かあったと思料されます。

自分に対しての劣等感がかなり強く現れてますね。それと相手の気持ちを思いやることが出来ないんなら又別の問題ですけど、ただ単に自己中なだけとは違いますね。性格を変えるって事は中々難しいですね。
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それ、ホルモンバランスと関係ありませんか。

婦人科に行ってみて、更年期障害と診断されたら、健康保険適用でプラセンタ注射が打てますよ。イライラするって素晴らしい。うらやましい。
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性格が悪いのは、その人の見かたで変わるので、そんなに自分を責めなくてもいいです。


その人の中では、自分は悪くなくいい人と思っているかもわかりませんが。
違う人から見ると、なんて思いやりや礼儀のかけらもない人とか。
おかしい考え方してるなあと思うこといろいろありました。
指摘とかしないで、黙ってました。
言っても解らないと思いました。
肩の力をましょう!
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えー心の中ではみんなそんなかんじなんじゃ!?と思った私は少数派なのかな、、^_^


我が家はけっこう家で本音をぶちまけるスタイルで、夫も子供も外での愚痴を言ってます。
家の中で出すことで、
外でまた頑張れるようです^_^
自分のこと性格悪いから治したいって思ってる時点で、すごくいい子なんじゃ!?と思いますけどね。
カウンセリング受けてみてはどうですか??^_^
カウンセリングではどんなあなたでも受け入れてくれます。
どんな話も聞いてくれますよ^_^おすすめです。
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あなたも私と似ていて、人間嫌いの天邪鬼かなぁと感じました。



幼児は思ったまんまを口に出したり、露骨に態度に出したりします。
けれど、大人という嘘つきのプロになると、自分を守るために、また相手とケンカにならないように本音を隠し通しますね。

分かりやすく言えば、そういうことになります。

本音で正直に生きることは大切なことですが、それは成熟した分別のある大人に限ります。

あなたや私のように精神的に幼稚で自己中な人間は、思っていることの反対の行動を取らないと社会から排除されます。
「この仕事・・嫌だな~」と感じても「はい、喜んでやります!」と言わないと仕事が無くなります。
「この人・・嫌い!」と感じても「いつもお世話になりまして有り難うございます♪」と言わないとケンカになり、やがて孤独になります。

ご質門から、あなたもこれだけご自分を理解できておられるのですから、簡単なことと思います。
それで上手く生きて行けるのでしたら、楽勝ではありませんか?
あまり難しく考えたところで、人生に大差はありません。
また、血のにじむような努力も必要ありません、疲れますからね。

そして、今のままでも必ず誰かの役には立っているはずですし、自分では「この性格、嫌だなぁ」と思っているかもしれませんが、意外な場面で功を奏することもありますから。

それでは!
仲良くするための嘘やトラブルを避けるための嘘は「方便」と言いますね。
その「方便」を使うことです。
それが見え見えの嘘であっても、相手には気遣いや思いやりとして伝わりますから。

人生エンジョイしましょ♪
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