性格悪い人が優勝

中国にとって天皇は皇帝と同じ意味です。そして、何故中国に皇帝が必要かと言うと、皇帝が居る事で中国は最強な国に成ると信じていたからです。

ですから、中国は皇帝と同格の天皇が居る日本には攻め込まなかったのです。つまり、天皇という名前に恐れをなして、日本には攻め込まなかったのですよね?

もし日本天皇が、日本国王という名前だったら、中国は日本国王を馬鹿にして、日本に攻め込んでいましたよね?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    まず、日本天皇が、天皇を名乗っている事は、中国の皇帝も良く知っていました。それで、中国の皇帝は何の抗議もしていないのですから、日本天皇は中国皇帝から認められていたと言って良いでしょう。

    日本天皇が天皇を名乗り始めの、則天武后の頃です。つまり、則天武后は日本天皇を認めていたのです。日本からは則天武后に使節が派遣されています。

    中国の皇帝はモンゴル軍に滅ぼされましたが、モンゴル軍は中国軍ではないので仕方ありません。モンゴル軍に日本が攻められたのも同じ事です。

    中国の皇帝が日本天皇を攻めなかったのは、皇帝が皇帝を攻める事に成るからです。中国の皇帝は皇帝を攻めてはいけないと、自国民を教育しているのに、その皇帝が日本天皇を攻めては、言ってる事と矛盾するからです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/24 11:36
  • 中国の長い歴史を通じて、そのほとんどの期間、中国には皇帝が居ましたが、現在は居ません。しかし、日本には天皇が居ます。その事で中国は劣等感を持っているに違いありません。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/24 14:08
  • へこむわー

    日本の参議院を見て下さい。
    _______________
    参議院の請願

    件名 日本を戦争できる国にしないため憲法を守ることに関する請願
    https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kous...

    要旨  平和のうちに人間らしく生き働くことは国民共通の願いであり、日本国憲法はその願いを明文にした国民からの政府への命令書である。

    その命令書を書き換える改憲の動きが急であり、二〇一二年四月の自由民主党「日本国憲法改正草案」はその象徴的なものである。

    そこでは、憲法前文の全面的な書換えで不戦の誓いと全ての基本的人権の基礎である平和的生存権という日本国憲法の原点を消し去っている。

    (中略)

     ついては、次の事項について実現を図られたい。

    一、憲法を守り、日本を戦争できる国にしないこと。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/24 16:11
  • 元寇や刀伊の入寇は、中国語を話す民族のやった事ではないのでしょうがないです。つまり、「天皇? 何? それ?」というような民族、中国人に言わせれば野蛮人ですね。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/24 17:51
  • HAPPY

    >歴史を捻じ曲げるな。


    則天武后

    改称・改変好き
    称号や尊号、都市の名前など、人や事物に対して、伝統的に使用されてきた呼称に改変を加えることを非常に好んだとされる。顕慶4年(660年)[要出典]には皇帝と皇后をそれぞれ天皇と天后とした。この改称の狙いは、天皇と天后という相互に比肩する字義を持つ組み合わせへと尊号を改めさせることで「皇后が国政に介入しているに過ぎない状況」を「天后が正統かつ正当な支配権を行使している状況」へと変貌させ、現状における自己の政治への介入状況を追認させることにあったと言われる。

    衝撃!女帝・則天武后は日本の真似をした!?

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/25 09:59
  • HAPPY

    武后と日本…武后の夫は「天皇」、武后は「天后」と自称した。

    「日本」号を最初に承認したのは武后だった。

    日本の貴族・粟田真人は大宝2年(702年)「遣唐使」として中国に出発した。当時は「武周」だった。日本にとっては663年の白村江の戦い以来初の本格的な使節派遣であった。武后は「日本」という新しい国号を承認

    武則天は粟田真人を「司膳員外郎」に任じた。唐人は粟田真人を「好く経史を読み、属文を解し、容止温雅なり」と評した。

      補足日時:2024/07/25 10:21
  • HAPPY

    唐の張守節が開元24年(736年)に記した『史記正義』虞舜篇には「武后改倭國爲日本國(武后が倭国を改めて日本国と為す)」、

    夏禹篇には「倭國武皇后改曰日本國(倭国は武皇后が改めて日本国と曰う)」とある。

    北宋の王溥が建隆2年(961年)に記した『唐会要』には「咸亨元年三月、遣使賀平髙麗、爾後繼来朝貢則天時、自言其國近日所出、故號日本國(咸亨元年(670年)三月、使を遣わし、高麗を平ぐるを賀し、爾後継いで来たりて朝貢す。則天の時、自ら言う「其の国、日の出づる所に近し、故に日本国と号す」と)」とある。

      補足日時:2024/07/25 10:29
  • HAPPY

    >「天皇が居たから、中国が日本に忖度した」みたいな史実を出してみ?
    無いから。


    有りますよ。
    【1分間でわかる】あれ?遣隋使の小野妹子って男?女?

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/25 13:29
  • >歴史に「IF」はないのよ。


    それは歴史の何たるかを知らない愚か者が言った言葉だと知らんのか?

    「歴史とは現在と過去との対話である」という言葉は、イギリスの歴史家であるE.H.カー(1892〜1982年)が1961年にケインブリッジ大学で行った6回の講義を基にした岩波書店の『歴史とは何か』に由来しています。カーは、現在を生きる私たちは過去を主体的に捉えることなくして未来への展望を立てることができないと述べています。

    つまり、対話であるからには、IFの連続でなければならない。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/25 18:23
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A 回答 (24件中21~24件)

今の天皇は親中の小和田一家ですからね

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日本には近代まで派遣を取るうえでの地政学的なメリットがなかったからにすぎません。

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この回答へのお礼

そのコストを考えたら、台湾だって、占領するメリットはないです。

お礼日時:2024/07/24 14:12

貴君は、天皇家に幻想を持っているようです。


南北朝時代というのは聞いたことがありますか?
日本に天皇が2人いた時代です。
混乱して、誰が日本全体を統治しているのか、不明だった時代です。
それに乗じて、天皇家の家来であるはずの武家が実質的な権力の頂点についた時代です。
中国は、アジアの大国として、漢の時代から長いこと冊封体制を選んでいました。
これは、中国自身が侵攻、支配するのではなくて、中国が世界の中心であるとの中華思想の元で、中国の皇帝に周辺国の支配者が支配権を認めてもらう代わりに、貢物をするという関係です。朝貢貿易と言われて、今のEUのような事実上の交易経済圏になっていました。
室町時代、時の中国政府の明朝は、日本の実質的支配者は武家の足利家だと見抜き、足利義満と冊封しました。
貴方が持っている天皇家の幻想は、明治以降に、一定の目的を持って作られたものなのです。
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この回答へのお礼

冊封国に天皇が居るわけないでしょう。

お礼日時:2024/07/24 14:13

中国王朝の興亡史を見ていくと、皇帝を頂く王朝が当たり前のように攻め滅ぼされている。


また伝統的中華思想では日本を対等な存在としてみていないので、天皇が中国の皇帝と同格だという主張には疑問符が付く。

その程度の反証で「天皇という名前に恐れをなして、日本には攻め込まなかった」という説は十分否定できるんじゃないかな。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

まず、日本天皇が、天皇を名乗っている事は、中国の皇帝も良く知っていました。それで、中国の皇帝は何の抗議もしていないのですから、日本天皇は中国皇帝から認められていたと言って良いでしょう。

日本天皇が天皇を名乗り始めの、則天武后の頃です。つまり、則天武后は日本天皇を認めていたのです。日本からは則天武后に使節が派遣されています。

中国の皇帝はモンゴル軍に滅ぼされましたが、モンゴル軍は中国軍ではないので仕方ありません。モンゴル軍に日本が攻められたのも同じ事です。

中国の皇帝が日本天皇を攻めなかったのは、皇帝が皇帝を攻める事に成るからです。中国の皇帝は皇帝を攻めてはいけないと、自国民を教育しているのに、その皇帝が日本天皇を攻めては、言ってる事と矛盾するからです。

お礼日時:2024/07/24 11:35

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