「平成」を感じるもの

昔作られた球場(今は廃止も含む)は甲子園を除いて、ほとんど今の規格から見て狭いですよね。平和台球場、川崎球場、後楽園球場、神宮球場etc.これは設計当初からこのサイズでいいのだという意図で作られたものであって、用地の限界とかそういう理由ではなかったのではないでしょうか?甲子園を除いてみなほとんど一様の規格だからです。逆になぜか甲子園は大きく作ったのはまたなぜなのでしょうか?

A 回答 (4件)

それらの球場の中で最も古いのは1924年竣工の甲子園球場。


個人的な予想ですが、日本初の本格的な球場という事で、アメリカの球場を参考に作られたであろうことは、容易に想像できます。

戦前の野球で、甲子園では平均すると15.9試合に1本と極端にホームランが出なかった。
甲子園に次いで1936年後楽園が竣工しますが、その際、興味深い逸話が残っています。

【以下抜粋】
本塁から両翼まで78メートル、中堅まで120.5メートル。1924年に開場した甲子園球場(両翼91.4メートル、中堅118.9メートル)と比べると、両翼までの距離が13メートル以上も短く作られました。1934年にベーブ・ルース一行とともに来日した、大リーグ選抜総監督のコニー・マックが「ヤンキー・スタジアムやその他の米国のグラウンドは、たいてい右翼と左翼が近くなっていて、そこにホームランを叩き込めるようにしてある。こういうグラウンドの構成は、ホームランを出すばかりではなく、打撃とピッチングの進歩に大いに貢献する」と、球場建設に対し助言。設計者がそのアドバイスを忠実に取り入れたのです。
【抜粋終わり】

つまり、ホームランが出やすい球場を作った方が良い、との発想があった模様です。
それにしても、当時の後楽園、両翼78mとは、これまた極端に短い球場ですが・・・。
その後、後楽園の両翼は90に広げられ、更に後年、各地に球場が建造されていくわけですが、恐らくどの球場も「ホームランが出やすい球場を。その方が面白い」と言う視点はあったのではないかと予想します。

ただ、はっきり言うと、プロ野球と言えども、遠く迄ボールを飛ばせる選手も、当時はそれほど多くはなかったはずで、狭い球場でもそれはそれでよかったのでしょうが、ボール、バット、選手の技術の進歩で、年々ホームランを量産できるようになったという事でしょう。

参考までに各球場のサイズを。
あくまでも公式にアナウンスされているサイズですので、実測の距離とは差があるかもしれませんが。

・甲子園 両翼95 中堅118 左右中間118
・平和台 両翼92 中堅122 左右中間???
・川崎  両翼89 中堅118 左右中間105
・後楽園 両翼90 中堅120 左右中間110
・神宮  両翼97.5中堅120 左右中間112

両翼だけで言うと、甲子園が飛びぬけて長く、他の球場が極端に短いわけではない言いう事がわかります。
むしろ神宮などは甲子園より長い。

ではなぜ、甲子園ではホームランが出にくく「広い」と言われるのか。

左右中間が非常に広く、円形に近い形状をしている事。
フェンスオーバーすればホームラン、ではありますが、実際のところポール際へのホームランと言うのは、各球場それほど多いものではありません。
やはり左右中間へのフェンスオーバーが多いものですから、単純に両翼の長さだけで「広い=ホームランが出にくい」「狭い=ホームランが出やすい」とも言えないわけです
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この回答へのお礼

>アメリカの球場を参考に作られたであろうことは、容易に想像できます。
でしょうね。アメリカンサイズですから日本人はホームランを打てない。
>こういうグラウンドの構成は、ホームランを出すばかりではなく、打撃とピッチングの進歩に大いに貢献する
この意図がよくわからないですね。両翼に打ち分ける技術がバッティング技術を向上させまたそれを阻止するピッチング技術を向上させるのでしょうか?
>「ホームランが出やすい球場を。その方が面白い」
甲子園では日本人は無理だと分かったからでしょう。
>・神宮  両翼97.5
これは初めて知りました!
甲子園はファールグランドも含めてグランド面積が最大なのでしょうね。

お礼日時:2024/08/01 07:11

後出しじゃんけんさんは、知らないでしょうね、甲子園球場にラッキーゾーンがあったことを。

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この回答へのお礼

知ってますよ。この質問とは何ら関係ないことです。

お礼日時:2024/08/01 07:04

競技・道具の進歩もですが、食肉で日本人が変わったんだから仕方ない。


50年もすれば、今ある最新の球場も狭いとか言われるかもよ。

甲子園にしても、プロ化で新球場出来始めた後にラッキーゾーン設けたし。
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この回答へのお礼

これでしょうね。当時のスタンド席の狭さはよくあれで座れたなと思いますね。あのサイズで後楽園は甲子園より観客席が多かった。

お礼日時:2024/08/01 07:05

昔造られた野球場は、当時の日本人のサイズに合わせて小さめに造っていたのです。

正に「倭人」の野球場だから、小さめに造ったのです。

甲子園は、最初から野球専用ではなく、他の球技や陸上競技なども開催できるように設計された。だから、甲子園は当時の野球場としては大きく設計された。
現在もアメフトの甲子園ボウルが毎年開催されています。
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この回答へのお礼

「倭人」とはすばらしい表現です!甲子園は野球専門じゃないのですね。それが理由でしょうね。

お礼日時:2024/08/01 07:06

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