14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

文章を上手くする訓練について教えてください。
蛇の目ミシン工業社長の嶋田卓弥先生が「文章を訓練するときは自分が読んだ小説でもエッセイでも新聞記事のコラムでも何でも良いからこれ上手い文章だな、と思ったらそこをキリトリして少し自分なりに変えて文章を作ってみなさい。例えば「私は山田太郎です」という文章をキリトリしたら「あたいは、佐藤花子ってんだよ」と自分なりに変えてみる。これを色々やってると文章も上手くなります」とアドバイスくださったのでそれをやってます。

あとは本多勝一先生の「日本語の作文技術」という著書の中で「修飾する語が複数ある場合は長い修飾する言葉を先にして短い修飾なし言葉を後ろに持ってくる。逆順にするときに読点をつける」という原則が書かれていたのでそれをやってます。

他にあれば色々教えてください。

A 回答 (6件)

模倣参照



自叙伝ですと、自分の事を「おいら」と呼称してるならば
それを、使えば著者本人であると直ぐ分かっちゃう。

そんなのだと、ビートたけしですね。

オイラって何だろう?

ピーンと、来る人は「オラ」だな。

オレ・オラ・オイどん・オデ

昔だと、女性も多く自分の呼称として使ってた。

それに、「ら」がくっつく。

複数形なので、私達・俺達・そう言う者たち

そのような適当・雑なやからの一人ですよ。

オイラ

相手に対して、実はへりくだりが有る。

オイラを、失礼な言葉扱いする人が失礼かもしれないね。

オレとかワレは、失礼な感じするね。

現代で、他人様相手に自分の事をそう述べる為らば
相応に、自分勝手かワガママな人間なのだろうと理解認識する。

キャラ付けするとして、使う言葉にはそれなりに意味があるので
質問者さんの方法で、文章を整えてく模倣参照の鍛錬は実用的です。

そこに、一つ一つの言葉に関しての深堀りしてみる。

そうすると、そこには淀みの少ない予定調和が生まれる。

原理原則は、時代によって書物に合わせて適当不適当な事があります。

ちなみに、自分の事を「オイ」と述べてる人を相手にして
不快感とか、個人的には何もなかったり「オレ」でも気にしない。
「ワレ」は、今どき珍しい言葉なのでちょっとびっくりするかな。

あたいを、使うのは昭和な人のイメージですね。
その中で、まだ言葉足らずな頃だと「あたち」です。
3歳過ぎた頃に、舌っ足らずで自分を口にする時。

「ってんだよ」前後合わせて、気っ風と書いて
すっきりとした性格を、思わせますね。

山田太郎さんは、何とも言えない印象なので後々に
何かしらの色や形が、垣間見えるセリフとか行いで
味付けされて行くのか、その花子さんが主人公で
太郎さんは、その場限りの脇役だったらそのセリフで良いのかな。

前提に、花子さん前もっての片思いで初めての挨拶で
何度も何度も「私は山田太郎です」これを猛烈に何百回も
自宅裏の森で、練習してのそのセリフだと?

これはもう太郎さん良くやったと、読者は褒めちゃう訳です。

そこは、褒めるけど花子さんはそう言う畏まって丁寧な人は
好かないので、そりゃ悪手だろって読者は考えさせる事が出来る。

全ては、作者の掌。

読書好きな読者だと、そこが前フリで関係をそこから
進展させるには、丁度良い序章と言うもの。

色恋だと、そうなるのですが別の立場で違うやり取りさせる場合に
どのような言葉選びが、文章として適するでしょうね。

白飯だけの弁当食べてる山田太郎(ドカベン)さんだと?

芸名だと、歌手の山田太郎さんだけど本名は西川さんとか。

上手な文章を、組み立てる事が出来ても面白い文章に出来るかは
作者の腕次第となるものです。

取説のような文面と、小説とか論文は違います。
余計な部分を、取り除いたり足したりでしょうか。

自分の想いを、全部捨てて必要な情報だけ淡々と綴る。
自分の事を、ワザと他人視点で記す手法。

これは、作中の登場人物自身もそうした事させると
作品に、色彩を与えます。(色調のが読み物っぽいのかな?)

例えば、花子さんに犬のマネごとさせるのだけど
どうにも犬と言うのは、不適当なクマのようである。

だが、本人相手に山田太郎さんは言えるのだろうか。
言わせてしまって、花子さん恥ずかしがるか凹むか怒るか。
分かり易いパターンですね。

山田太郎さんが、思ってもない方向で「私の(亡き)母のようだ」
こう述べた場合に、花子さんは何を思うだろう。

山田太郎さんの母って、こんな犬みたいな感じなんだろうか?
犬のマネが、山田母と似てたのだろうか。

事実は、クマである。

互いのやり取り次第で、読者には一連の出来事分かってても
登場する人物等は、ボタンの掛け違いしている。

文章上手になるのに、作品そのものの出来栄えを引っ括めて
扱うならば、面白い話を考えられること。

単に、国語としての法則を違えずに整える技量だけを
磨いた者が、何か書くとしてそれは学校の教科書読むような
そんなモノになるのかな~。

様々な書物を、読む時に自分の好む文面とは
真逆に、酷くつまらない文面も注目する。

そうしますと、バランス取れるかと。

どちらも関心なのです。

自分個人が、つまらないと思うそれは注目に相対する。
好きなことと、真逆だけど大きな力に違いないのです。
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作家とか文章専門の人のアドバイスを受けましょう。

ミシン屋やバイク屋に聞いても分かるはず無いです。
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と言うか、文章の練習をしたいのなら、回答者に対し、お礼くらいはちゃんと書いたら如何でしょうか?



文章が上手くなりたい理由は、誰かに読んでもらいたいからでしょう?
ならば自分が如何に他者の関心や興味や心をそそる文章が書けているかどうかを知る方法としては、他者との文章のやり取りがかなりの勉強になる筈ですよ。

さぞや他者との文章のやり取りを楽しんでらっしゃるお方と思い、プロフを見たらまさかのお礼ゼロ。

ノウハウをあれこれ読むのもいいですが、文章のやり取りの実践も、かなりの勉強になりますよ。
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この本がおすすめです!


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それがベストです。

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どんな文章をターゲットにしていますか?


物語の執筆?
ビジネスの文章?
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