昨日見た夢を教えて下さい

努力家の人が一番辛いのは、努力出来なくなることですか?

A 回答 (5件)

努力を周りが認めないこと

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この歌の世界が現状ですよ。
本日も雨の中を走りました。
生きていくのは大変です。

天から金が降る仕事は天候に左右される。
風任せ。

努力を回りが認めず、横やりばかり入る。
人生は艱難辛苦。寄り道だらけ。
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努力家が、自らを努力家であると自称してる場合。



その努力家を、別の人間が努力家なのだと思い込みたい場合。

その人物が、努力家であると周囲複数の人間の総合的な認識
情報共有の評価が、定着・確定してる場合の集団から見た
その努力家の称号を、与えられてる人間が努力出来ない状態。

こうなった場合に、集団にとって好き勝手に1番決めて
努力出来ない事が、その努力家の称号を勝手に与えられた
人間の苦悩であるのだと、そう思い込みたい思わせて欲しい
集団の希望願望要望。

そう言う相場があると、その群れにとっては程よい落とし所。

精神の安定に繋がる諸々の自浄メンタル相互ケアの意図する道のり。
無意識での防衛プログラムの構築であり備えの一環。

努力家が、自らを努力家だ等と烏滸がましい考えを抱く事とは?
申し訳ない謙虚な気持ちに、為る者も居るのでは無かろうか。

己は、努力家では無いのだが仮にその努力家が
努力出来なくなる事に関して、1番辛いと思う場合
その時に、コチラは何を思えば良いだろう自問自答。

持論は、「努力」と言う言葉は深く知る程に人間の業と
向き合ってしまうので、好き嫌いなモノを奴隷に貶めて
使役する側になるってのは、冷酷であらねば為らない。

そして、何時の日か己や何世代か後の子や孫らが
奴隷として、使役してたナニカに反逆され下剋上される事を
覚悟させるべき家訓・遺言・後世の予言を何かで残すべきと考える。

これが、努力とやら扱い方の1つ。

自戒と自壊を、持って切実に思う人の宿業。

子々孫々が、それを忘れた頃に思わぬ形で努力の者に
復讐され蹂躙され滅ぼされる。

因果応報とやらか。

互いに、因果として背後関係知らずに人同士なのだから
確率で、争い合う日も来るだろう。
共に、肩貸し合い背を預け合うような関わりも有るだろう。
そして、意図して意図せずに勘違いからか。気分の変化で裏切り騙す。

努力の前に、人の力でしかない。

人の出来る事は、やれる時に成功するし
やれても確率で失敗する。

ポットから湯を、零さずコップに注ぎ入れる1万回の成功目指す。
とても注意警戒して、慎重に慎重に9999回成功させ続けた。
最後の1万回で、小さな羽虫が鼻の中へ。

急で、驚いたか笑ったか呆れたか怒ったか動揺なのか焦ったのか
精神穏やかなのか。

どんな状況で、↑たどり着いて思うのだろう。
どんなでも構わない感情でも構わない。

つまらない長文から一瞬で、どう感じたか。

人が、劇的に感情を震わせる瞬間と言うのは人生の
様々な場面で起こる。

それは、努力とやらの賜物な事も有れば怠けてても
大多数が、挑戦して成功出来ない何かを成功させる事もある。

確率や割合の話だ。

オリンピックで、100mを9秒付近のタイム出せば
間違えなくその競技で、世界1位とされるだろう。

オリンピックのタイムならばだ。

野に埋もれて、その競技に参加しない者のが真実では
一番かもしれない。

計測出来なければ、それは存在しないモノとする。

見え聞こえ感じられる範疇の物差しで、人は何かを評価する。
直接や間接的なのです。

人は、100m 5秒前後でも走破出来るのだ。

書物漫画やアニメや映画の影響ですな。

現実の努力とやらは、思い込みの激しい人に通用しない事もある。
人間に、不可能な事だが。出来なければ、努力が足らないモノなのだ。
己の事は、同じ物差しで評価させない理不尽不条理。

大災害の時に、やたらと動き回る者あんまり延命出来はしない。
余計に動かずに、必要そうな動きを最低限やる者のが助かる確率
これは、状況によるが特定ケースでは長生きする。

現状で、ダイエットとやらでガリガリの人間はそう言う時に
体が弱く脆いので、真っ先に亡くなる。
己の命を、削り捧げ得られた細身に如何程の価値があろうか。

普段激しく動き回り毎日3食食べる真面目で良く働く人間。
これは、そう言う災害時に飲み食い難しい時。
その飢餓は、普段1日1食で食べない時間の長い人間と比べて
何倍も苦しいものになる。(人食い盗み食いもコレらがやる確率ある)

普段の物差しで、良しとされる努力してた者。
普段の物差しで、悪いとされる努力して無い者。

これは、ライフラインの確保がある程度確保されてれば
その状況は、反転する。

普段動いて、体力気力充実してる者が衣食住さえ確保出来れば
普段動かない省エネ人間にとって、その時の肉体労働は過酷であり
今度は、そっちが地獄を味わう。
コミュ力無いのも拍車をかける訳だ。

相互関係と言うものかな。

努力とやらを、如何に眺め取り扱うのか。

幼い頃は、周囲の連中が平気で気軽に使う「努力」と言う言葉。
歳を重ねれば、そんな言葉。他の人へ気軽に、言える訳が無い。

努力や頑張れは、病人とかその既にその状態に有る
大半の者に対しての呪いである。

大半なのであって、少数はそう述べられて安心するし元気出る。
バネに使える。

その人間次第で、ありますな。
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努力家じゃないんで本当に勝手な憶測ですが。


努力家の人って、「こうしなきゃいけない」「これを得なきゃいけない」という自分の勝手な一存で動かされてるんだと思うのです。誰もその人に何かを強いたわけではない。
そこで致命的な問題で「努力」出来なくなり、その人の様々な目標が断たれたとします。そうなるとその人を縛っていた「しなきゃいけない」というプレッシャーから解放されラクになるということもあるんじゃないでしょうか。大抵はそれが出来ないからといって他人に迷惑かかるようなことではないと思いますので、全ては自分の気持ちだけの問題だけなのではないでしょうか。
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努力を続けることで達成可能となる目標が無くなることです。


いわゆる、努力が無駄となる、ということです。
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