これ何て呼びますか

過去のトラウマ(親から受けた傷)や執着について、手放したはずが、暇さえあれば思い出してトラウマについて1人で語ったり、整理したりしています。
せっかく晴れた気分になれたのにまた一日の中で頭によぎり気がつくとドツボにハマって脳内再生したり、結びつけてしまいます。なぜでしょうか?
相当なストレスホルモンが出ていてバセドウ病と診断された事もありました。考えるのを辞めたいのに、気がつくとトラウマについてイライラしたり、考えたりしてます。もっとこうなったらとか空想にふけてたはずがイライラしたポイントにまたたどり着いたり、自分でトラウマを振り返してすまいます。
どうなっていて、どうすればなおりますか?

A 回答 (4件)

トラウマとは言えないかも知れませんが、14歳頃に死に付いて考えた事があります、それは命あるものは全てが死刑囚では無いのか?という事です。



従って自分自身も死ぬ事が決まっていると云った事実でした。死は誰であっても避ける事が出来ない事が分かってからは、何時も死が頭の中に広がって行って、気が付く時には死と云ったものに頭の中が占領されていました。

余りの息苦しさに、或いは死の淵をのぞき込む生き難で、気が変になったのかとさえもして苦しんだ事があります。

何とか26歳になっていました、結婚したい人が出来て結婚したのですが、長男が出来た頃から、先の生き難さがまたもや出て来て、苦しんでいたのですが、本屋さんに入っていた時に、鈴木知準先生の書いた、『不安の解決』だったと思いましたが見付けまして読みましたが、早速妻とも相談しまして、東京の鈴木知準診療所で会う事が出来ました。

始めに先生は『いいかね,〇〇君人間は見ようとすると見えなくなるんだよ』と云って一本の鉛筆を差し出しました。死ぬのが恐いとは言えなかったと思っています、しかも死ぬのが恐くなくなるとも持っても居ませんでした、死ぬのが恐くならないとは思いませんでしたが、余りの生き難さの為の緊急避難と云ったものだったと思います。

2から3か月間の入院治療を受ける事にしました、入院時では講話と云った時間がありました、その時間に沢山の本を読んで頂きましたが、その内容は剣術に於いての免許皆伝の話とか、弓道の話とかが多かったと思います。

時折『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』とも云っていましたが、何もかもがチンプンカンでした。

2カ月が過ぎた頃、妻から長男の写真が送られて来ました。その写真を見た時に里心が付きまして、早速退院の許可を貰いまして退院しました。

入院森田療法での学びは『症状が出たとしても出なかったとしても、症状の事は口にしない』と云った生活態度の醸成、と云った生活態度を学ぶ事です。

退院してから、5年後の事でしたが、玄関で靴を揃えていた時の事『自分の意識が自分の”無意識の意識”と出会う』と云った体験がありました。

その日を境に『死』を怖く思う事が無くなりました。又その出会いの時に『身体中に入っていた力が抜け落ちた』感覚がありました。

診療所にいた時廊下の本棚には、『鈴木大拙全集』と云ったものが約40巻ほど置いてありましたので、家に帰ってからは、買い始めて学んでおりました、又道元や禅問答などの本も買って読んでいたものですので、道元が悟りを開いた瞬間の言葉『身心脱落、脱落心身』が自分の身に起きた事です。

死にたくない一心から、身体中に力が入っていたものと思われます。身体中から力が一瞬に抜け落ちた感じでした。

それからはノイローゼになっていた事も、治った事も忘れ果てて過ごした44年間でした、今は76歳になりました。

この体験を禅では『生死の問題が解決する』と表現しています。鈴木知準先生がノイローゼは悟りを開かないと治らないと云っていましたが、まさにその通りと思います。

トラウマと云った処で、死ぬのが恐いと云った処で、全てはストレスという意味です。神経症の場合では症状と云っています。吃音とか書痙とか様々な症状が在ります。

こう云った症状は、自分が受け入れられない事柄という意味です。こう云った受け入れられない事柄を受容した時に神経症(ノイローゼ)は治るという事を先生は語っていました。

貴方が自分でトラウマを振り返してすまいます。どうなっていて、どうすればなおりますか?

の答えは、貴方が受容した時点で全てが終わります。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

貴重な体験談ありがとうございます。私は親孝行をすると苦しく過去を思い出すので自分と会議したり本を読み漁ったりここに相談した後、家族全員と縁を切りました。縁を切ると言っても果たし状を出すわけでも報告するわけでもなく連絡先を着拒そしてツールも全て拒否しました。のちに番号を変える予定です。
投稿してから4日が経つのですね、それらの症状は一気になくなりました。
私にとっての癌を取り除いたような気持ちでスッキリしています。主人がいるから出来たことだと思いますが、主人が外出中などにもしかしたらまた不安が襲ってくるかも知れませんが、「症状について話さない」おっしゃる通りだとおと思いました。
カウンセリング等で本当はその段階はとうにすぎているのにも関わらず(良くなっている)のに何日にも渡って嫌だった事などを話さなくてはならない時がありました。死ぬかと思いました。するとカウンセラーは、辛いならまだ治っていないなどいって四日間に渡りました。私は慰めて欲しいわけではもうないので無意味な気がしていたので「やめたい」と言ったら、治療のためと言われたことがあります。
何でもかんでも話せば良いという事ではないというのも学びました。こういう話って1番理解してほしい身内の友人が最も理解しづらいようにも感じました。「何があったの?」と聞いてくる割に全く理解しない(仕方がない)そしてKY発言をするのでまた、なんでも話すもんでもないと思っていました。私と似たような症状が後輩にもいて最近気づき心療内科に通っているようで多少励ましやコツ、おすすめの本等伝えましたが、もうこれについて話題にしない事が近道なのかとおもいました。ダメな男と付き合って別れる時に似ていると思いました。

しかし貴方様は、死ぬのが怖いとの事ですが家庭問題はやはりありましたか?ある、ないだけで結構です。
火だるま式にノイローゼの用になるのですね、私も今年はノイローゼでした。妊娠について考えただけでそれが悪化しました。貴方様と同じだと思います。
自分を受け入れ新しい命ができたらやっていく覚悟ができたのも縁切りしたからです。
自分と未来の子供を選ぶか、
偽善を選ぶかで迷っている最中はノイローゼでした。
もともと書道を習っていたのでその本、読んでみたいです

お礼日時:2024/10/19 12:59

死に対しての恐怖症に苦しんだ過去と、治る体験談でした。

死を避けようとしている間は苦しみが続いたと云った話で、死は避ける事が出来ないという事を心の底から了承した体験です。

家族関係ではトラブルはありませんでしたが、嫁の実家とは、少しありました、次男が結婚をして、もう20年以上経ちますが、年数が経ちますと何かとトラブルになりがちですので、今は余り関わり合いにならない事だと感じています。

親類だからと無理をするようなら。拘わらないと云った選択肢もあると思います。
    • good
    • 0

めっちゃ分かりますよ!俺の場合は過去じゃなくて現在進行形ですから笑



それが脳裏にこびりついて離れなくなっているのでしょう。ノイローゼになりそうなぐらい


俺は昨日、医者から鬱だと言われました

全て親が悪いんです。自分で努力できるのは勉強までです環境までは変えれないです。

離れるしかないですよ。俺も親が互いにしばきあって喧嘩してる時は、公園一人ぽつねんといますよ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

大丈夫ですか?専門学生なんですね、こちらはもうおばさんです。それでも元凶に気づかずこんなに苦しめられるので早いとこ縁切りして自立される事を祈ってます。
大人になると悪化するのでご自愛ください。
応援してます。

お礼日時:2024/10/16 23:51

私の場合は親はもういません。


トラウマということは毒親ですか。
でもいい面もあって今でも夢に出てきます。
よく生前、旅行に連れてくれて
夢の中で一緒に旅行に行って
でももう死んで過去の人ということで
夢の中でいつのまにかはぐれてしまう。
探している最中に夢が覚める。

別居していて実家で亡くなった面もあり、実家まで尋ねて行って
実家の家の中でいなくなる。そして夢が覚める。
実家もかなり前の状態とは違っている。
まあこんな調子です。

忘れるのは無理。
それはみな同じ。
あなたみたいな病気だとなおさらでしょうね。
考えないようにするしかない。
ほかのことに目を向ける訓練をしましょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます!
本当の意味での親離れは難しいのでしょうか。
家族とは根深いですね
貴方様の親は何年前に亡くなられたのでしょうか

お礼日時:2024/10/16 00:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A