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ある意識に写った、本人が現実だと思ったことは、世界の捉え方の一つであり、
世界の捉え方の一つであることから、一つの幻想でもあることから、
意識は幻想ということもあり得ると思いますか。
本人が現実だと思っている幻想。
そして、意識を意識として感じるそれも幻想なのでしょうか。
確実なものではない。
おぼろげなもの。
おぼろげな幻想を現実と思っていて、あると思っているのは、実は錯覚なのであるのでしょうか。

質問者からの補足コメント

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    皆様、ありがとうございました。

      補足日時:2024/11/24 13:00

A 回答 (5件)

ある人が認識したことは、まずは主観の中に存在していると言えます。


それが客観的事実なのかどうかは、科学の方法によって証明することができます。証明できないものは、幻想である場合と、幻想であるとも言い切れない場合があるでしょう。

簡単に言えば、そうなると思いますが、問題は科学で証明されたことが本当に「真実」なのかどうかということです。それが、単に世界の一つの捉え方に過ぎないかも知れないという可能性は、本当に否定できるのか?

哲学の根本的に重要な問題はそこにあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/11/24 12:56

唯心論にはほぼその通りだと思われます。


ただ、それが幻想・錯覚で真実ではないとは断定できないでしょう。
観方が変われば、真実も変わる。そういうことかと思います。
真実はヒトの数だけある訳ですが、同じヒトの中でも真実はいくつもある。そういうことかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/11/24 12:56

意識を働かせるその理由それは不明瞭なものを明瞭に、明瞭なものをより明瞭にするため


それを踏まえて言えば
対象の状態を明瞭な状態やより明瞭な状態にしたその瞬間にそれに応じる脳の特定の部位が明瞭にさせた状態やより明瞭にさせた状態となります
端的に言えば一方の状態を決めたその瞬間にもう一方の状態が決まるということ。このような物理現象それが量子もつれなので意識とは量子もつれ的なもつれの事。つまり物理現象だということです
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/11/24 12:56

そもそも、私達は物質、原子から構成されているわけで、この原子がここに存在しているかどうかは厳密には確率でしか表せせないわけで、その物質の寄せ集めで脳細胞はできています。

ですので、厳密な意味で言えば本当に存在しているかどうかすら怪しいかと。ただ、日常的経験則、ニュートン力学的な話なら存在しています。ただ、最近のAI研究を見ている、上記のような物質の本質的な話ではなく、もっと身近な脳細胞の活動に於いてそもそも意識や思考力は何かということを考えさせられます。特にAIはしょっちゅう幻覚を起こしますがAIとしては間違いないと統計的に導き出しているわけですし、AIと人が見ている景色は多分違うでしょうね。動物などと人が見ている景色(色がある、無いとか物理的にも入力される情報が異なりますし。)もおそらく異なるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/11/24 12:56

この問題は、主観と客観の違いだと思います。


人は主観で世界を観ています。
でも、それを他人と共有するには、映像、音、文字、数字、など五感を通してしかできません。

人の五感は、バラバラです。
りんごを思い浮かべて絵に描いてもらっても、似たような絵はあるけれども、全く同じ絵はありません。

人が他人ともっとも共有できる方法は、数学と物理法則です。
誰がしても、同じになります。
数学や物理法則で表すことができるものは、他人と共有できます。
客観です。 

この世界は、ほとんどが主観なのですけれども、僅かな客観も存在します。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/11/24 12:56

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