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例えば、
A先生の授業中に生徒BとCが喋っていた時、
A先生がそれを見つけ、「BとC、授業中喋るな、マイナス5点」といって次のテストの点数から5点引き、それに基づいた成績を出したとしたら・・・・

この行為は
1.教師の「成績評価をすることができる権利」の正当な行使になる
2.その権利の濫用になる
3.どちらにも当てはまらない

皆さんはどれになると思いますか。
主観的なものでももちろん結構ですので、ぜひ皆さんのご意見を聴かせてください。お願いします。

A 回答 (10件)

 授業中態度を成績に反映させることは間違っていないと思います。

ただし、授業中の私語は原因があるはずです。授業がつまらなくて、関係のない話をしているのか?もしくは授業に生徒がのってきて、生徒間で教材に関係した話をしているのか?教師は考えなくてはいけないと思います。私だったら私語をしていたら、生徒を責めるより、自分を責めます。
 私語をしていなければ、いいのか?では寝ているほうがよいのか?私だったら、ねているほうが残念に思います。
 質問のように、生徒を脅迫する道具に成績を使う事は2にあたると思います。私だったら、熱心に質問をするとか、私語やヤジでも授業に関係していることでしたら、プラス評価の対象にします。
 実際にこんな教師はいるのでしょうか?
 
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>「勉強に取り組む姿勢も評価に加ていい」とありますがこれは曖昧で公正な成績評価にならないと思うのですがいかがでしょうか。

よろしければまたご意見をお聞かせ下さい。

他の方のコメントですが、やはり、「成績」そのものが、何の成績か、ということでしょう。
「数学が40点」の生徒と、「数学が70点」の生徒と、「違いは数学の理解度である」ということならば、それは正しくないことになります。「数学の授業に取り組む姿勢の評価も含めてである」というなら、まあ、それもあります。
評価するほうは何で評価しようと自由(このラーメンはうまい、という評価みたいなもの)だと思いますが、それが、「学力の判定資料」となるならば、「間違った資料」です。
ただ、単に、期末テストの点数がどうの、というならば、別にそれを気にしなければどういうことはない問題だと思います。
それが入試にかかわるようなことが横行しているとしたら、それを承知で、内申重視するような高校を選ばず、入試重視の高校を選べばいいと思います。
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質問のタイトルに対して私見を述べれば「まったく正当」だと思います。

本文に示されている例に対しては、「不当である」と考えます。つまり、2です。

「きちんと前向きに授業に取り組んでいる生徒との差をつけるため」に授業態度を評価にいれるのならば頷けますが、質問に示されている例で、教師の「しゃべらせないために減点を振りかざす姿勢」は(一般企業においては正当なものでしょうが)学校においてはいかがなものかと思います。相手はそういった権威的な姿勢に反抗心を持ちがちな年齢といえるでしょうし、人間性育成の観点からもしてほしくない評価法です。児童生徒が思春期に出会う「大人」としても著しく資格を欠いているように思われます。報復的なところも気になります。大人げないですよね。法的には「濫用にはならない(かも知れない)」のですが、教師の人間性として、問題を感じます。

「授業規律を守るため」だったり「集団のルールを指導するため」にとる方法としてもなんか違うように感じます。根本的な解決にならないと思います。その私語がどれだけひどい状況かにかかわらず、です。

質問の主旨とはずれますが「点数を第一の資料として評価すればいい。」という立場にそもそも反対です。私はむしろ試験の点数よりも授業態度を大きく評価するべきという考えを持っています。ただしこれを数値として出すためには、児童生徒や保護者に信頼される、教師の資質が必要なのでしょうが。評価がまったく客観的には出来ないものであるとすれば、する側とされる側の信頼関係に基づくところが大きいと思います。
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長くなります。

あらかじめお詫びしておきます。

以前何かの番組で、「偏差値を考えた人たち」というようなドキュメントをやっていました。残念ながら見られなかったのですが、学業などの優劣を、最も客観的・公平・公正にわかるようにするために考え出された一つの方法ということです。

一つの方法として、私はこれに大いに賛成します。

成績など、本当に公平で不平等なく評定しようとしたら、偏差値でよいのではないかと思います。もともと成績など、『現時点での到達点を示すもの』であり、将来それがどのように変わるかにまで、言及する責任などないのですから。

ところが残念なことに、その辺に対する理解に乏しい方が、実に多い。

「偏差値だけで、その子の全てを決めないでほしい。」じゃあ、ほかにどんな評価の仕方に、客観性、公平公正なものがあるというのだ?みんな、評価は、公平であってほしいと願っているのではないのか?

「こんな成績をつけられて、この子には才能がないということですか?あんなに一生懸命授業で頑張ったのに、この子はこんな成績を見たら、自分はだめだと思ってしまうのではないでしょうか?それに比べてあっちの子は、授業を妨害するだけしておいて、サボってばかりいたのに、テストの偏差値がよいというだけで評価が高いなんて。こんなことが許されてもいいんですか?」
だから、現時点の到達度だと言っているでしょう?頑張ったからって、知識、理解、考え方が伸びなければ偏差値は低くなりますよ。それだけです。これから伸びるかどうかなんて、わからないんですから。


………さて。

しかし、本当は、ある程度、将来もわかるんです。
学業がその人にとって本物になるかどうかの鍵は、実は、その人の人間性にあるということを、私ども(恥ずかしながら教師です)は疑っておりません。
それは、よい意味での謙虚さであり、素直さであり、意欲であります。
現在多くの通知表で、観点評価の一番上に、「意欲・関心」という欄があります。一番上ということは、そこが一番大切ということです。

例えば将来大人になって学校で学ばなくなっても、その教科のことが好きで、身の回りにその手の話題が出てきたら追究しようとする人。そういう人こそが、真に学問の道に入った人であり、力の伸びる可能性はそれだけ高くなります。

学校という場で、学習態度を重視する理由には、社会性なども大きいですが、今述べたように、学力を真に向上させていけそうな人かどうか、ということを判断することもできるからだと思っております。オリンピックなどで世界的にすごい成績を収める人って、やっぱり共通する人間性がありますよね。

ところが、これを客観的に判断する方法は非常に難しい。不可能といってもよい。
で、ぶっちゃけた話、できるだけ客観的に見ようと努力した「教師の主観」が入ってきます。もちろん教師に力があるほど、客観的にも納得のいく評価をつけることができます。

あなたが例にあげたようなことが実際にあったとしたら、その教師が授業に工夫をしないなど、教師としての力が足りないか。もし教師としての力がある人だったならば、よっぽどその生徒たちの態度が腹に据えかねて、「いつもこんな態度で学ぶ者に、真の学力が伸びる可能性はゼロだな。」と教師が判断したものか。どちらかではないかと思われます。
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この回答へのお礼

お答えを見て思ったことを書かせて頂きます。
「偏差値だけで、全てを決めるべきではない、よって偏差値を出すべきでない」といった類の意見をよく聞きますが、これは前半は正しく、後半は間違いだと思います。
偏差値は「極めて公正な基準」だと思います。問題は偏差値を「人間性」や「才能」
を成績や偏差値と混同していることだと思います。

ありがとうございました。



今回の質問を通して私が思ったことを書かせて頂きます。

私の中の勝手な結論としては「授業態度は成績に反映させるべきではない」ということです。
学校の成績は「学業」を評価する物であって「人間性」や「才能」を表す物ではないと思います。だからテストの点などの客観的に数字で出てくるもの以外で成績評価はすべきでないと思います。
もちろん授業中に喋るのは良くないことだと思います。しかしそれを成績として評価するのは間違いだと思います。「喋るのは良くない」と思うならそう指導するべきであってそれを「学業の評価のマイナス」とするのは全くのお門違いだと思います。

「公正な成績評価」は議論の余地がまだまだあると思います。
みなさんありがとうございました。

お礼日時:2001/09/24 13:50

わたしは『3』派です。


テストの点数と普段の素行をあわせて評価するのは、『重さと長さを足すようなもの』で合理性がありません。つまり、件の教師はバカなだけでしょう。
進級の規定にテストの点数と出席を含めた普段の素行点をあわせて勘案することについては(個人的には反対だけれど)それなりの理由がわかるので仕方なしと思っています(成績だけでいいなら、塾に通って誰も授業に出席しないでしょうからね。ちょっとかわいそうでしょ。)ただし契約の観点からいえば、学期が始まった当初、あるいは学生が講義を選択する時点でこの採点基準は公に明らかにされていないといけないものだと思います。「出席は問わないけれど成績の下から3割はどんなに成績が良くても不可」だとか…試験官の勝手だと思います。これが必須科目だと地獄ですが(笑)。
私は『退席を命じる』という意見に賛成です(当然、出席しなかったものとします)。これは成績評定のためでなく、社会常識を指導するためとしてです。
寝てる生徒を叱るのはどうなのか…邪魔をしていないのだから、叱るべきではないでしょう。ただ、出席を取り消すことはできるでしょう(参加していないのですから)。
学生時代、自分より明らかに頭の悪い教師に指導されるのって苦痛じゃありませんでしたか?
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この回答へのお礼

「件の教師はバカなだけでしょう」・・・・私もそう思うのですが現在の教育制度ではそんな教師でも何の問題もなく仕事をしているのが現状だと思います。
悪い教師を淘汰できる制度が必要なのではないかと思います。

「採点基準は公に明らかにされていないといけないもの」という所に私も賛成です。教師の気分次第で成績の基準を決めるのは公正でないと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/24 12:51

質問のタイトル「授業態度を成績に反映させるのは正当か」ということに関していえば「正当だ」と答えるのですが、例としてあげているようなやり方には賛成できません。

なので1~3でいうなら2か3でしょうか。
授業評価が公平であるべきなのは言うまでもありませんが、BとCが授業中に私話をしていた場合、責任は両方に同じだけあるとおもいます。しかし、BとCのテストの点が同じでない限り、マイナスされた5点の重みが違ってきます。また他の子達が同様に私話をしていた場合に同じように5点をひくのならばそこでもひずみが生じます。それに、日常的に私話をして授業進行の妨げになっているのならともかく、何の用で会話をしていたのかもわからないのに、「私話をしている」という単一の状況に対して常に同じペナルティーを与えるというのも問題があります。
授業評価というのはいかに授業にまじめに積極的に取り組んでいるのかを評価するためのものだと思います。ある事柄に対する各自の考えを求められた場合に積極的に挙手して発表するとか、実験などの作業に率先して取り掛かるとか、そういったことを評価すべきです。
授業評価の方法には各先生のやり方があるというのも理解できますが、できればテストの点9割に授業評価を1割として成績を決める、などといったやり方をしてもらいたいものです。

ちなみに私が高校生の頃、とある先生は授業評価をまったくしていませんでした。つまり定期テストの点だけが成績を決めるファクターでした。そのため、授業中にやたらと騒いでうるさい奴にも何のペナルティーもなく、反対に化学実験の準備や片付け、授業中の発表にも積極的だった者が定期テストのときに体調を崩して休んでも何の温情もないというありさまでした。
こんなことでは生徒のやる気も失せ、ひいては授業の崩壊につながってしまいます。やはり、きちんとした授業評価というものが必須だと私は思います。
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この回答へのお礼

成績評価というものは教師個人の価値観だけで決められているのが現状だと思うのでもっと議論されきちんとした基準を示してもらいたいと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/24 12:34

医学部と薬学部と医療系専門学校で教えているので、専門家ということで‥


先週採点し終わったばかりの医療系専門学校の指導要綱の中の採点基準が手元にあります。
試験素点(定期試験及び小テストを含む);70%
出席評価点;20%
平常評価点(レポート、授業態度、ノート等);10%
以上の配分で採点することが決められています。
試験素点が100点でも70点として、残りに評価点を加算する方式です。
この場合は、その評価点配分内であれば、減点は問題ありませんネ(でも、私の場合は、指導要綱を無視して素点をそのまま最終評価にすることが多いですが‥)。
大学の採点のときは、レポート点は平常評価に加味しますが、態度そのものは評価に入れていません。
学生さんが私語をしたり、サボったりしたくなるような講義をしなければよいのですからネ。
ご質問のケースでは、指導要綱の中の採点基準がどのように設定されているかによって、回答は異なってくるでしょう。ケースバイケースということですネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

学校の規則によっては授業態度は成績評価に含めるということでしょうか。
でも平等に授業態度を評価できないなら貴方のされているように素点をそのまま評価とするのが公正だと思いました。

現場の人の貴重なお答え、参考にさせて頂きました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/24 12:18

そもそも、成績とは何か、という問題になると思います。


その科目の理解度を確認するための目的であれば、態度で点数が変わったのでは、目的に反しますので意味がありません。
たとえば、高校入試の「内申」に使うのに、「この生徒は他の生徒の邪魔になるようなおしゃべりをするから、入学させるのは考えものですよ」という考えはアルカも知れませんが、それは、高校の側が判断することであって、科目の得点とは別だと思います。
最近の成績表には「関心・意欲・態度」の覧があるので、そこの評価は下がるでしょうが。

生徒のほうも、もらった成績表で、点数に一喜一憂するのでなければ、そういう原点は気にする必要はなく、自分はこれだけの実力があると確認すればそれでいいのではないでしょうか。
点数を気にする生徒に、減点するぞ、というおどしになるだけで、成績評価には関係ないと思います。

「成績評価をする権利」なんてものが、そもそも存在しないのでは?

もし、そういう成績によって、高校入試に落ちたら、損害賠償、というのも考えられますが、入試本番でちゃんと実力が示せたら、それでおちることはないでしょう。自分の入試より内申のほうを信用する高校なら、どうせ、入学しても、そういう授業態度では、つとまりませんから。
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この回答へのお礼

『成績表には「関心・意欲・態度」の覧がある』のを知りませんでした。
「学業の評価」以上のことを含むのが現在の学校の成績なのでしょうかね。
お答えを見て『「関心・意欲・態度」などという抽象的な物をどう評価しているのか、もし教師個人の感覚的な物だけが基準だとしたら不平等があるのではないか。』と思いました。
いろいろと問題は絶えないようです。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/23 23:26

教科の成績というのは、本来、その教科の能力で評価すべきですよね。


だから、2だと思います。
授業を妨害する生徒は、減点ではなく教室から追い出すべきです。

自分が生徒だったときは、授業態度を勘案して成績をつけるというのに疑問をあまり感じていなかったけど、今考えるとおかしいですよね。

大学でも出席回数などを点数に入れるというのはよくありますね。
なぜそうなってしまっているのか、というと、教師側に生徒の能力を客観的に評価する能力も時間も手段もないからだと思います。
筆記試験だけで評価すると、どうしても試験結果に現れない能力を評価もれしてしまうし、なるべくあらゆる能力を評価できるように試験問題を作るには教師側に相当な能力が必要だと思います。
上記のような実態をごまかすために、
「授業をまじめに受けている=成績が良くなるはず」
と勝手に決めつけて、授業態度を成績に加味しているのでしょう。
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この回答へのお礼

お答えを拝見して、「成績は教科の能力で評価すべき」というのはもっともだと思いました。それと授業態度が悪いことは直すべきだと思いますがそれを成績に反映するのは確かにおかしいと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/23 23:17

「学校の成績」=「テストの点数」なのかどうか、という所でしょうか?


よく、学校と塾の違い、といった議論が行われますが、それと同じ事なんでしょうね。
学校が勉強だけ教える場であれば、それでもいいでしょうが、個人的には、勉強に取り組む姿勢も評価に加えていいのではないかと思っています。
自分の小学校の低学年の通知票は「よく頑張りました」「もっと努力しましょう」といった表現だったと思います。そういった意味合いも含めた成績で良いのではないでしょうか
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この回答へのお礼

お答え頂きありがとうございます。

「勉強に取り組む姿勢も評価に加ていい」とありますがこれは曖昧で公正な成績評価にならないと思うのですがいかがでしょうか。よろしければまたご意見をお聞かせ下さい。

お礼日時:2001/09/23 12:21

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