重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

ありのままの自分を受け入れることを諦めても、幸せになることはできますか。

A 回答 (10件)

逆です。

ありのままの自分を拒否することで、人はかろうじて幸せになれます。
    • good
    • 0

人間の幸福の状態を『天国』と聖書は書いています。

その天国に一番近い存在は幼子とも書いています。

この意味が分かるなら貴方は幸福になりますが『ありのままの自分を受け入れることを諦めても』はその反対の意味になりますので大変に難しいと思います。

幼子には選択肢がなくて、目の前の世界が全てで、出来ています、ですから総てを受け入れる他に選択肢がない状態を幼子と云っています。

この意味を書いてみますので読んで見て下さい。

人間の頭の中には自意識ともう一つ意識が在ります、その意識を自覚する事は多分不可能に近いかも知れません、何故ならばその意識は自分の無意識を司どっている意識だからです。

人間の心は絶えず意識する自分(自意識)と、意識していない時の自分で構成されていて、この二つの意識の交替制に拠って人間の恙無い毎日が出来上がっています。

確認のために人間の脳の構造をウイキぺデアの記事で御紹介しますので見て下さい。

是はてんかんの治療一環として左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の、沢山の脳梁の切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この状態を脳卒中になった為に左脳の自我意識の状態と右脳の意識に代わって支配された状態を交互に感じて表現している動画を載せてみますが、その間には悟りの状態と言ったら良いと云った『心安らかなる状態=涅槃と云った境涯も説明している様です。





この動画の中で、右脳の自分として感じている者は『自分の無意識を司っている意識です。』仏性と云った方が分かり易いかも知れません、は無意識を司っている意識ですので、左右の脳の意識同士は絶えず切り替わっていると云った処で、出会う事はほとんど不可能に近い事です。

此処で始めに戻ります、幼子の心は生れ付いた瞬間から全てが備わっています、その理由は東洋では仏性が脳の中に組み込まれているからです、又西洋では神と呼ばれる者が脳の機能に組み込まれているからです。

仏性も神も同じ者です。その意味は言葉にするなら『人間の生命の発生装置兼生命維持機能と云った働きをする機能という意味です。』禅の中で語られている通りです。『人間そのものを働かせる働きそのものの意思』という程の意味です。

人間の自意識は『左脳に存在している機能』の事ですが、説明する必要さえも無いかも知れません、処が左脳の機能は左脳だけで完結していると云った浅はかさに拠って、精神疾患とか苦しみとか不幸が起きています。

今の精神医学は昔から比べるならば、進化しているような気がしているかも知れませんが、釈迦の時代よりも退化しているのかも知れません、その理由は『人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?や人間の苦しみは何処からやって来るのか?』さえも理解していないからです。

神経症の原因でさえも、精神医学の立場に立つならば『原因は分っていません。』と説明にならない説明になっていますが、仏教ではしっかりと説明が出来ています。

その理由は『無明の故』となっています。この意味は自分が自分を苦しめている事が分かっていないからと云っています。

簡単な話で説明するならストレスと云う言葉を説明するだけで分かるかも知れません。ストレスを感じるという場合ではそのストレスは感じている人が自分の頭の中に作り出して、自分が作り出したものに自分が不安を感じているという意味が在ります。

こう云った場合のストレスを感じて苦しんでいる事を無明の故と説明しています。

自意識は赤ん坊の時は未熟の為に、大抵が右脳に任せて生きていまが、が思春期を迎える頃になると、二つの意識の力関係が拮抗するようになって来ます、この様子を聖書では失楽園として人間の苦しみが始まると書いていますが、それは脳科学的に説明すると分かり易い話です。

思春期頃に左右の脳の機能が完成に近づく事に拠って、心の矛盾とか対立とか分裂として、人間の心が多いに悩まされ始める事を意味しています。

子供とか幼子とかの時代では『心が一つの者として働いていました』が見る者として或いは見られる者として二つになってしまった心同士が争い始める事になります。

その矛盾の結果が神経症の症状とか心を病むと云った場合での症状として表われる事を意味します。この状態を説明するなら、貴方が思っている事の無謀さに気が付くかも知れません。

右脳の機能とは目の前の状態とか今の状態の全てを総合的に見て、『今何が大事なのか』と云った情報として教えています。視覚的には高いと云った情報でも狭いと云った情報でも、或いは納期が迫っているとか試験日が迫っているとかの情報などです。せかせかとせわしない気分と共に自意識に教えています。

こう云った右脳からの情報を選り好みして着信拒否をする場合では『高いと云った情報なら高所恐怖症、狭いと云う情報なら閉所恐怖症、人を見分ける機能なら対人恐怖症、異性を見分ける機能なら異性恐怖症と云う具合です。

小さな不安でさえも着信拒否をする場合では、恐怖症となりますが、こう云った恐怖感でさえも着信拒否をする場合では、そう云った情報を送っている者は着信拒否をされた事が分かる事から今度は『もっと大ききして、再送を掛けるようにしています。小さな不安は恐怖感にして、恐怖感ならパニックになる程の大きさにして再送しています。

不安障害とか恐怖症とかパニック障害とかの症状にしてしまって、先ほどのストレスと同じで自分が脳内で作り出していて、自分が味わっていると云ったジレンマに陥ってしまっています。

右脳からの小さな不安を幼子ではしっかりと受け止めていますが、大人になった脳では弾き返しています、その結果不安症の症状とか恐怖症の症状とかに自分が造り返してしまって、自分で味わう羽目に陥っています。

神経症の治療方法の一つである、森田療法にもある様に、神経症の治った姿は『目の前の全てをあるがままに受け入れる事』とも書いています。

神経症の治った姿は、症状別な治し方が在る訳ではありません。どんな症状であったとしても、例え死に対する恐怖症であったとしても、そう云った症状を受容する以外はありません。

例えば『ありのままの自分を受け入れることを諦めても』という場合では、その苦しみとかの有効期限は、何時までも続く事を意味します。』

その長さは、『ありのままの自分を受け入れることが出来るまで、続く事になります。』逆に言うならば若い頃に受け入れる事が出来るなら、安心して生きて行く期間が長くなる事を意味します。
    • good
    • 1

ありのままの自分を受け入れることと、幸せになることは、全く別物です。


ありのままの自分を受け入れることが、不幸につながることはよくある話です。
    • good
    • 1

出来ます。




幸せ、というのは人生における
満足を意味します。

だから、自分の受け入れを諦めても
一生懸命に生きていれば
幸せになれます。
    • good
    • 0

No.2...です。



気持ち悪い、だけが理由なら、
慣れれば気持ち悪く無くなることも、あり得ます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ダメです、そんな自分は許しません

お礼日時:2025/01/24 19:29

自己の欲望に対する気持ちは非常に個人的なものです。

自分自身をどう受け入れるかは、どれだけ自分の本音と向き合い、無理なく自分らしく生きるかに大きく関わります。欲求や傾向をどう捉えるか、どう扱うかは、それぞれの人の考え方や価値観によります。

「ありのままの自分を受け入れること」を諦めるという選択をすることで、他者や社会からの期待や制約に応えようとすることがあるかもしれません。その結果、一定の安心感や平穏を感じることができる一方で、自分の本来の欲求や願望を抑えることで心に不満を感じたり、自己評価が低くなることもあります。

しかし、最終的には「自分らしさ」をどう形にするかが大切です。欲望や本能をどう表現するか、そのバランスを取ることが、自分が幸せを感じるために重要です。時には自分を受け入れることを諦めたとしても、それを他の方法で満たすことができると感じるなら、それも一つの方法です。

大切なのは、自分が自分に対して優しく、他人との関係も大切にしながら、自分が心地よく感じられる生活を選ぶことです。自分を知り、無理をせず、他者との調和を大切にすることで、幸せな人生を送ることは十分に可能です。
    • good
    • 1

なんだか変ですね。


幸せかそうでないかを判定するのはあなたですよ。

回答者としましてはね、あなたがあなたの幸せ基準を私らに示して頂けるのなら、事務的に「なれる」「なれない」を決めてお知らせすることは出来るかも知れません。

かも知れません、といたって消極的なのは基準に照らすべきあなたのデータを私たちはナニも持っていないからです。
ですから私たちが事務的に行う決め方は「阿弥陀くじ」に横棒を一二本追加することです。

質問と回答なんてそんなものです。
過度な期待はがっかりの元です。
    • good
    • 0

幸せって、なるもんじゃなく見つけるものなんです。


平凡な日常の中でも、小さな幸せを見つけられるはずです
    • good
    • 0

本来、諦めるのは良いことではありません。


ただ、そうも行かないことも、あるでしょう。

そんな時は、
自分は、ありのままの自分を受け入れることが出来ない、
ということを受け入れれば、
幸せに近づける、と思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

受け入れることが気持ち悪いので嫌です

お礼日時:2025/01/24 18:27

> 自分を受け入れることを諦めて


これは自分を認めない、と言う事になるかと思います。
そうなれば生きてはいけず、生きていてもつらいだけ、
幸せになることはできません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そこをどうにかできませんか

お礼日時:2025/01/25 16:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A