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日本の場合、靖国問題で宗教の自由とか政教分離が問題になりますね。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%A4%B …

 アメリカ合衆国の場合、大統領の就任式や裁判の証言の時など聖書に手を置いて宣誓することがあったり、兵士の国立墓地に十字架の墓標が並んでいる光景を見かけますね。
 でも、式典からキリスト教食を無くせとか、亡くなった兵士が仏教徒だから仏教の様式の墓標を使えとか言う問題が起きているってことは聞きませんね。 

 これって、どんな宗教を信じるかは自由だけど、国家的儀式はキリスト教に準じて行う。それは宗教の自由に反しないとかの規定があるんですか 

 でも、最近のドラマなど見ていると聖書に手を置いて宣誓というケースは減っているのかな

A 回答 (9件)

アメリカの帰国子女です。



ご質問の内容を日本人が理解するためには、まず「日本以外の国では、宗教=道徳律である」ということを知っておく必要があります。

日本人は「道徳」と「宗教」が別のものだと思っているので、学校で宗教を教えることは禁止しても「道徳」という授業は存在しています。

しかし、ほとんどの宗教では宗教の教え(戒律)がそのまま「道徳」なので、学校で道徳を教えることはそのまま「宗教戒律を守らせること」になり、政教分離に反するとされています。

たとえば、最近フランスの学校で「ブルカを被るのは宗教的行為なので、学校生活では禁止する」という法律を作ったのに対して「学校が宗教的行為に介入すること自体が政教分離に反する」という意見もあるぐらいです。

このぐらい、特に欧米では「宗教とは《個人の心の在り様》だ」しているわけです。

しかし、同様に人間には「宣言・宣誓」という行為が必要になります。大統領になる人が《自分の良心に従って、大統領の職務を全うします》と宣誓するし、裁判でも《自分の良心に従って、真実を証言します》と宣誓したりします。

この時の「自分の良心」とは日本人なら「天に誓って」というような割と曖昧な言い方か「家族や世間に誓って」というような人治的な言い方になるわけですが、ほとんどの国の人にとって「自分の良心」とは《自分が信じる宗教の神に誓って》という意味になるわけです。

裁判の場合の宣誓は、必ずしも神に向かって「良心の宣誓」する必要はありません。法律や法廷というのは、人間が作ったもので国によって法律が変わるからです。
 だからあくまでも「自分が今所属している国家の法」に従う、と宣言すればよく、その上で「聖書に誓いたい」ならそれも許容される、ということです。

しかし、大統領のように「人々の嘱託を受ける仕事」の場合は難しいです。なぜなら、大統領にしても国王にしても「必ずしも彼(彼女)がその仕事をすることを望んでない人もいる」からです。
 たとえば今回のトランプ大統領就任に関して、ハリスを応援してきた人たちは決して納得しているわけではないでしょう。

という事は、大統領が誓う相手は「人間達または人間社会」ではちょっと物足りません。なぜなら「人間達」は《自分に投票してくれた人たちのみ》かもしれないし、人間社会も《自分に投票してくれた人たちだけを考えて、反対意見の人たちは排除する》という意味かもしれないからです。

そこで登場するのが「普遍的な道徳心としての宗教」です。
この点においてアメリカ大統領がコーランに誓っても仏教経典に誓ってもいいのですが、あくまでも誓うのは「私はアメリカ大統領として、アメリカという国家のために働きます」という内容で「アメリカという国の維持発展のために公明正大に働くことを、自分が信じる宗教の神に誓う」わけです。

なので、国民が様々な宗教を信じていても、みんなが「宗教=道徳」であるという常識を持ち合わせているなら「大統領は自分が信じる神に誓うことで、道徳的に国民のことを考えて国家運営を行うことを誓ったのだ」と信じることができるわけです。

この点において、世界標準の考え方と日本人の考え方はすごく乖離していて、日本人はすぐに「わたしは無宗教」と言ってしまう事です。これは世界のほとんどの国の人からみて「私は自分を律するための道徳心を持っていない」という意味になるのです。

国立墓地における墓碑の十字架はあくまでも「個人の信じる宗教」でしかありません。アーリントン墓地などの国営墓地は「国家が運営する無宗教の施設」です。
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別にいいのでは。



そもそも政治というのは
宗教観が具現化したもので、その目的は弱者保護
重婚の禁止であればイケメンばっかり結婚できるのをブサイクにもチャンスを広げるとかね
アメリカってキリスト教が実質的な国教でしょ
日本だと神道が国教と明言されてるはず

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国教
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学校の歴史で習ったと思いますが、そもそもアメリカ自体がある意味「キリスト教を信仰するために作られた」と言うものですから「大統領就任式で聖書を用いる」と言うのは極めて自然でしょう。

そもそもクリスチャンでなければアメリカ大統領になれないわけではないので「政教分離には抵触しない」と考えて差し支えないはずです。
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アメリカ合衆国憲法の修正第1条には、「連邦議会は宗教の確立を禁止する法律、または自由な信仰の行使を禁止する法律を制定してはならない」と明記されています。

これは2つの側面から理解できます。

確立条項(Establishment Clause)
→ 国家が特定の宗教を公認したり、支援したりすることを禁じています。
自由行使条項(Free Exercise Clause)
→ 個人が自由に宗教を信仰し、その教義を実践する権利を保障しています。

アメリカの国家的儀式で見られるキリスト教的要素(例:大統領の宣誓で聖書に手を置く、国立墓地の十字架の墓標)は、法的に義務づけられているわけではありません。むしろ、慣習(カスタム)や文化的背景に基づいています。

聖書を使うのは伝統ですが、使用は必須ではありません。実際、セオドア・ルーズベルトは聖書なしで宣誓を行い、ジョン・クインシー・アダムズは法典に手を置いて宣誓しました。最近では、聖書以外の宗教書を使用する政治家も増えています(例:ムスリムの議員がコーランに手を置いて宣誓)。

聖書に手を置くことも慣例ですが、代わりに「誓約(Affirmation)」という形で、宗教に関係なく宣誓することも可能です。これは無宗教の人や、特定の宗教的信条を持たない人々のために用意された選択肢です。

アーリントン国立墓地などの軍の墓地では、兵士の宗教に応じたシンボルが墓石に刻まれます。実際、キリスト教の十字架だけでなく、ユダヤ教のダビデの星や仏教のシンボル、無宗教を示すマークも存在します。38種類以上のシンボルが公式に認められています。

アメリカでは、政教分離の原則がありつつも、宗教的シンボルが公共の場で使われること自体が直ちに違憲とされるわけではありません。問題となるのは、国家が特定の宗教を優遇する場合です。例えば:

公立学校での強制的な祈祷は違憲とされています(Engel v. Vitale判決)。
公共の場に特定の宗教的モニュメントを設置し、他の宗教を排除する行為も問題になります。

宗教的表現が歴史的・文化的背景として存在する場合、違憲とはされにくいです。
複数の宗教シンボルを同時に認めることで、政教分離の原則が守られていると解釈されることもあります。

近年、アメリカでは多様な宗教観や価値観の広がりに伴い、宗教色を控えた形式が増えてきているのも事実です。ドラマや現実の場面でも、宗教に依存しない誓約形式が使われるケースが増えています。これも多様性の尊重の一環と言えますね。

まとめとして、
アメリカでは宗教の自由が保障されつつも、キリスト教文化に基づく慣習が多く残っている。
国家的儀式での宗教的要素は任意であり、法律で強制されているわけではない。
最近は多様な宗教や無宗教を尊重する動きも見られ、柔軟な対応が増えている。

日本の靖国問題との違いは、アメリカでは「宗教の自由をいかに公平に扱うか」が常に議論の焦点になる点かもしれません。
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ただの儀式だから気にするなと言うことでしょう。



日本の場合、天皇が首相を任命します。
しかし、天皇というのは神道の現人神なので、日本でも宗教が絡んでいることになります。


そもそも政教分離とは信仰の自由を守るためのもので、政治でどっかの宗教を儲けさせるとか、どこかの宗教だけ信者を増やすようなことはするなということです。

例えば、昔踏み絵というものがありましたが、あのように特定の宗教ができないような法律を作るのはだめだとか、戦時中のように神社への参拝を強制するようなことはだめだということです。

なので、クリスマスはキリストの誕生日を祝う日なのに祝日にするのはおかしいとか、天皇の誕生日(建国記念の日は神武天皇)を祝日にするのはおかしいと、国を訴える人がでれば、違憲となる可能性があります。
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アメリカ合衆国って、その成り立ちからして、国教会を強制するジェームズ1世の迫害から逃れたピューリタン(清教徒)が、メイフラワー号に乗って北アメリカに渡ったところから始まりますよね。


アメリカの独立宣言時に参加していた方たちの服装とか、1ドル紙幣、首都デザインをみると、フリーメーソンの思想を感じさせられます。

ですから、アメリカが宗教国家としてスタートしているのは間違いないと思いますし、その影響が強い宗派は、ユダヤ教とキリスト教でしょう。

ただ、仏教徒など、異教徒に対して、昔のように「キリスト教に改宗しないと地獄行きだぞ!」的な言い方をしないのと同じく、「宗教の自由」ってことで、あまり他宗教にはいちゃもんつけないようになっているのだと思います。

ちなみに、イスラム教徒は、敵対しているように見えるキリスト教徒よりも、「俺は日本人で無宗教だ!」という人にたいするほうが敵意を持つみたいです。それは「神を信じないのは人間じゃあねえ、獣と同じだぜ!!」って理由からだそうです。
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墓地に関してですが


『兵士の国立墓地に十字架の墓標が並んでいる光景を見かけますね』
それは古い時代の墓標をイメージしているのでは無いでしょうか?

例えば、ノルマンディー作戦における英米の戦没者のための墓地は、確かに十字架が整然と並んでいます
こんな感じ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB …

ですが、最近のアーリントン国立墓地では平たい石板が並んでいる感じです
その石板に、故人の名前などと一緒に十字架などの宗教的なシンボルが刻まれている
こんな感じで
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC …

宗教が違ってもその違いを受け入れられる形式に穏やかに変化している
という感じではないですかね

例えば、裁判などに於ける宣誓の場合も、右手を挙げて宣誓しますね
あれでキリスト教色はだいぶ薄まっているのでは?
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宗教が自由なら大統領がなにしようが、日本の政治家がどこを参拝しようが自由なのでは?



これで政治家が国民に靖国を参拝しろと法律を作れば自由の侵害と言えますが。

規定では無く形式があるだけかと。
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アメリカ合衆国における宗教と国家の関係は、憲法で保障されていますが、そのバランスは時に議論を呼ぶことがあります。



特に、憲法修正第1条にある「信教の自由」の保障が重要で、政府が特定の宗教を支持したり、強制したりすることを禁じています。

つまり、誰もが自分の信じる宗教を選ぶ自由を持っており、国家が特定の宗教を強要することは許されません。

それでも、アメリカでは歴史的にキリスト教が広く浸透しており、その影響が強く反映された儀式や慣習が多数存在します。

例えば、大統領の就任式で聖書に手を置いて誓う、または兵士の墓標に十字架が使われるのは、キリスト教の影響が強いためです。

しかし、こうした儀式が宗教の自由に反しない理由として、「宗教的なシンボルが文化的・歴史的な象徴」として認識されている点が挙げられます。

国家的儀式において、宗教的なシンボルや慣習が使われることは、単に国の伝統として捉えられることが多いです。

これは「宗教的な儀式」というよりも、むしろ「文化的な行事」として行われるという理解が広まっています。

そのため、キリスト教のシンボルや儀式があっても、それが直接的に信教の自由を侵害しているとは見なされないことが多いです。

要するに、国家的儀式がキリスト教的な儀式に準じることが多いのは、アメリカの歴史的・文化的背景に基づくものであり、個人の信教の自由が損なわれないよう配慮されている場合がほとんどです。
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