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仏教の考えがよく分かりません。
なんで悩みや苦しみを感じないようにならないといけないのですか?
個人的には人生は楽しい事の方が多いから悩みや苦しみがあってもそれでいいのですが。
それとも僕の仏教に対する理解がずれてるんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 仏教で悟りは真理を知るとか悩みや苦しみから解放される事であるみたいに書いてあったのですが、
    悩みや苦しみに関しては上の通りですし、真理については書いたように個人的には人生楽しい事の方が多いので別に真理なんて求めてないです。

    僕に仏教は向いてないですか?

      補足日時:2025/04/09 22:04
  • 自分は悩んだり苦しむ事があっても、そんな自分の弱さが大好きです。
    単純に自分に甘いだけかもしれませんが、
    ありのままの自分を愛そうよ。みたいに思います。

      補足日時:2025/04/09 22:30
  • すみません。
    ベストアンサー以外にお礼をつけるのはなんか嫌味に感じますし、
    ベストアンサーってだけでお礼みたいな物だと思ってました。
    不快にさせて申し訳ありません。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/04/09 22:50
  • 自分の場合、お礼自体気にしてませんでした。
    気を付けます。

      補足日時:2025/04/09 22:55
  • 少しずれてしまいましたが、悟りを求めるよりも「まあいいか」みたいな自分を許す教えの方が皆救われませんか?
    なんというか自分の周りだと変に自分を納得させようとする人って自分を追い込んでしまう気がします。

      補足日時:2025/04/09 23:00
  • あと仏教とキリスト教はよく対比されますが、個人的にはキリスト教の教えの方が納得できます。
    それに過去の歴史でよく叩かれますけど正直仏教の教えよりキリスト教の教えの方が好きです。
    私は無宗教ですが、どっちかを必ず信仰しろと言われたら、
    私はキリスト教を信仰する気がします。

      補足日時:2025/04/09 23:08
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A 回答 (13件中1~10件)

苦しみはないほうがいい。


短絡的に苦しませあいの応酬では悪循環の地滑りになるだけ。
だから、ある程度のことは hold on して
改善を模索していくくさびにする。

そういう考え方の
修行中の目標みたいなものなんだろうと思います。
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人間には多様な考え方とか、そう云った心境になる事は長い人生においてはなる事があるのかも知れません。



仏教の根本は人間の心は如何して精神疾患になるのかがテーマです、その題目が『一切皆苦』に現れています。

一切皆苦とは『意識地獄』を意味しています。極楽とか天国と表現していますが、貴方の場合では極楽しか体験していないと云った意味があるのかも知れません。

処が貴方は考えた事が無いのかも知れませんが、貴方は死刑執行日が決まっていないだけの死刑囚と云った意味が在ります。是は今生きている人間全てが背負っている荷物です。

生きている人間は全て死ぬ運命を持っています。この事を真剣に考えた人が宗教家と思います、釈迦でありキリストでありマホメットという意味が在ります。

貴方に死刑宣告の日が来ない事を祈っています。
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> なんというか自分の周りだと変に自分を納得させようとする人って自分を追い込んでしまう気がします。



ご自身は「自分を納得させようと」という動機で、この質問を投稿したのではないのでですか。
《仏教の考えがよく分かりません。》
《なんで悩みや苦しみを感じないようにならないといけないのですか?》

> 仏教で悟りは真理を知るとか悩みや苦しみから解放される事であるみたいに書いてあったのですが、悩みや苦しみに関しては上の通りですし、真理については書いたように個人的には人生楽しい事の方が多いので別に真理なんて求めてないです。

何を仏教であると認定されていらっしゃるのかがわかりませんが、中高では法然、親鸞、日蓮とかを簡単に学習するでしょう。日本史の授業などでは、仏教・鎮護国家という説明もあります。 江戸時代には宗門人別とか、菩提寺・檀信徒とかもでてきます。 お伊勢参りや巡礼、七福神も、病気からの回復願いもあります。祈祷・祈願寺も多いです。 
諸事の疲れや憂さを、酒・博打・趣味・喧嘩や争い事を起こして解消を図るのも多く見られる行動です。
《仏教で悟りは真理を知るとか悩みや苦しみから解放される事であるみたいに書いてあったのですが》 そのような説がポピュラーにあるとは、思ってませんでした。
○○教で、「不幸を避けるには、寄付・喜捨が大事です」と、私にはとても巨額にしか感じられない寄付を勧めるところがあって、多くの信者もいるし、そういうのが消えることなく続くようです。 しかし、そのような○○教の信者が、日本で100万人(成人人口の5%)以上に増えるということはないでしょう。
文化庁の宗教年鑑によれば、令和4年末の仏教信者数は7000万人だそうです。実は1/10であると仮定しても、700万人もの仏教信者がいることになります。「悩みや苦しみから解放されたい」と《日頃思う人》の数でさえも、そういる訳がないです。まして、「悩みや苦しみから解放されるという目的のために、真理を知りたい、私は悟りたい!」と方針を固めるひとなど、多くいるわけがないです。
ご自身のご家族、あるいは学友、友人、仲間、ご近所、親戚を探しても、そういう人は少ないでしょう。

> どっちかを必ず信仰しろと言われたら、

「キリスト教or仏教、必ず、どちらかを選べ」などと、今の日本で言われることは、まずないです。

> 私は無宗教ですが、

創唱宗教という概念がありますが、その他にも自然宗教という概念もあります。 宗教という言葉で示すものは何かを厳密にいうのは難しいのです。
神社に観光に行っても、神社式の礼拝をしたり、知人・親戚の葬儀で焼香したり、キリスト教スタイルの結婚式に参列するのでも、一応「宗教」と言っておかしくないのです。 「無宗教」というのではなく、「ときと場合で使い分ける多彩な有宗教」です。

> 悟りを求めるよりも「まあいいか」みたいな自分を許す教えの方が皆救われませんか?

多くの人が、日本人でも、中国人でも、アメリカ人、イタリア人、ドイツ人、フランス人、たぶん、国籍や地域、政治的信条、宗教心のどれで調べても、《まあいいか》みたいな状況のまま自分でも、他人でも、適当に折り合いをつけてやり過ごすのだと思います。 頑固に固執する人は、ごく少数」です。 悟り≒迷いや懊悩から離脱できてる状態 と考えて、「過去あるいは現状で、自分が迷っていて先に進めない、うつうつとした状態なので、もうそういう状態になりたくない」という動機がある人の希求が「悟りを求める」ということだとします。 現代の日本ならば、精神科、心理療法、コンサルタント、カウンセラー、薬物療法、ゲームや趣味、スポーツ、ストレスコーピングなどに向かうでしょう。 
仕事に気を集中する方が、まともな対応で、効果も高いでしょう。

信仰や宗教のことを、専門的に調査研究したいのいであれば、こういうサイトではなくて、しっかり目標を定めて、攻めるべきです。
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向いていないとは思いませんよ。



それは、よくある自然な疑問だと思います。そして多くの場合、納得に至るための情報や視点がまだ十分でないことから生じるものです。

ここでは、仏教的な「知識」、特に以下の記載が正しいという前提に立った場合のお話としてお伝えします。

その辺は信仰の危険性も入り込む余地があり情報の成否も検討する必要があると思います

たとえば――
今の私たちの人間としての幸福や、許容できる程度の苦しみというのは、仏教の教えにおいては「特別な環境」にすぎません。本来の輪廻転生の大部分は、飢えと乾きに苦しむ餓鬼の生、争いや恐怖に満ちた動物の生、あるいは想像を絶する苦しみの地獄など、「苦しみが支配する世界」が多数を占めています。

また、智恵や悟りといったものは、単なる抽象的な概念ではなく、日々の苦楽に深く関わる「現実的な力」でもあります。それが深く心に根ざせば、今生における安らぎや、未来の生における苦しみからの解放に確かに役立ちます。

例えるなら、今の日本のような比較的平和で豊かな生活を「当たり前」と感じる感覚は、長い歴史の中で戦乱や混乱を経験してきた現実を見落としているのと似ています。輪廻の視点で見れば、今の人間の生もまた、例外的な恵まれた状態だと言えるのです。

そしてもし智恵がなければ、自分でも気づかぬうちに、さらなる苦しみを生み出してしまいます。そうなれば、「苦しみがあってもいい」などとは到底言っていられないような現実が訪れることもあるでしょう。

だからこそ仏教は、「少しの苦しみならあってもいい」という考えではなく、「どうしても避けたい苦しみ」から本質的に自由になることを目指しているのです。

つまり、今の生活は、まるで嵐の中に一瞬だけ訪れた穏やかな空間――エアポケットのような、「特別に恵まれた状態」と言えるでしょう。
そして、今の私たちが持っている知恵や能力は、確かにこの平穏な状況の中では十分に役立つかもしれません。

しかし、輪廻転生の視点に立てば、苦楽の多くは想像以上に厳しく、余裕など持てないような環境が主であるとされます。
その中で、本当の意味で役立つのは、短期的な幸福や対処法ではなく、真理を悟ることによって得られる深い智慧や心の力――それは、長い時間の流れの中でこそ、真価を発揮するものなのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/11 20:38

仏教の考えを本当に理解していると言える人は、実はとても少ないようであり、それは、あなただけではありません



たとえばダライ・ラマ法王ご自身も、あるインタビューの中で「仏教とは何か、よくわからない」とおっしゃっていたことがあります

けれども、あなたが「まずいかもしれない」とご自身の状態を正確に認識し、言葉にされている姿勢には、仏教でいうところの「慚愧(ざんぎ)」という状態がうかがえますし!その点で、あなたはすでに仏教的に肯定される状態になっているのではないかと感じます

また、悩みや苦しみを「感じないようにならないといけない」と思う必要はないと思います

むしろ、それらを感じるからこそ、「この苦しみから解放され、幸せになりたい」と願う心が生まれます

仏教に対する理解は、多くの人にとって実はズレていることがあると思います

たとえば、「人生は楽しいことのほうが多いから、悩みや苦しみがあってもそれでいい」という考え方は、仏教の教えに照らすと「天界への転生」に近いかもしれません

もしくは人間に生まれ変わることが、最も仏教の実践に適しているとされる内容に合致していると思います

これは、輪廻の中で欲望を持ちながらも善行によって天界に生まれ、長寿と快楽に満たされている状態であり、しかしその一方で、快楽に溺れ、苦しみや修行の必要性を忘れてしまい、やがてその天界から離れて、より苦しみの多い世界へと生まれ変わってしまうとも説かれています

人間は、仏教の実践をする能力は持ちつつ、苦しみを認識できる最高の生だとされています

ただし、あなたが「自分の考えは少しズレているかも?」と疑問を持たれているということ自体が、仏教的な目覚めの兆しであり、それは決してズレているとは思いません

本当に仏教の考えからズレていない人は、ごくわずかな聖者のような存在だと思います

しかし、あなたが「これはまずいかもしれない」と気づいておられるその感覚こそが、まさに本質をとらえているのだと感じます
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/11 20:40

普通に考えれば「悩みや苦しみなんてない方がいい」と言う方が自然な考え方だと思いますが。



それから補足に書いてあった「まあいいか」みたいな考え方は単なる妥協であって「救われている」と言うものとは違います。
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人間はいつかは死ぬと解って居ても死への恐怖は拭い去れません。


仏教は死後の世界に導いてくれる宗教なのです。

浅学の頭で歴史を鑑みると世の中が乱れ明日をも知れず飢えなどの
困難に苦しんでいる時に生まれるのが宗教と思っています
飛鳥時代に仏教が日本に伝わりましたが、朝廷や公家の御用達でした。
平安時代は学問の仏教で庶民には縁の無い物でした。
法然と親鸞が庶民に布教しました、阿弥陀如来を信じれば、浄土に
阿弥陀様が導いて下さるので死への恐怖心は捨てなさいでした。
戦国時代の荒れ果てた世の中になり、庶民は毎日、飢えと死の恐怖
に苦しんでいました時に浄土真宗が広まりました。
信者同士の結びつきにより死の恐怖は小さくなり心が癒えたのです。
豊食と平和ボケしている、令和の御世では、広まらないと思います

一神教のキリスト教は如何なんでしょう?
アダムとイヴの子孫を残す行為が原罪だなんて破綻した教義と
思いませんか。
マザー・テレサの死後に日記が見つかり内容がタイムスで発表
されました。
「私は一日たりとも心の安らぎは有りませんでした」世界中に
衝撃が走りました。
カソリックとプロテスタントは宗教戦争で50年間以上、殺し合い
を繰り広げました。
ユダヤ教はヤハウエー、キリスト教はゴッド、イスラム教はアッラー
呼び名は違えど同じ神です。

フランシスコ・ザビエルは薩摩に上陸した時に、農民から質問攻め
され、いくつか回答出来なかったと書かれたバチカンに送った書簡が
残って居ます。

改宗しなければ地獄に落ちると言う、俺達の御先祖は、どうなるのだ
しかも一度、地獄に落ちれば上がる事が出来ないのなら慈悲も情けも
無い神様ではないか。
デウスが全知全能の神様なのに悪魔なんて物をなぜ作った等々で、
彼らが納得する回答が出来なかった事が綴られています。
仏教の僧でなく最下層の農民が質問してきた事に驚いた様です。
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個人的には人生は楽しい事の方が多いから


悩みや苦しみがあってもそれでいいのですが。
 ↑
古代インドですよ。

最近まで餓死者累々の
国でした。

苦しみてのは、そんな甘いものでは
ありません。

飢えて、人肉を食らう、という
苦しみです。

そうした中から生まれた宗教です。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/11 20:39

悩みや苦しみが無い人は無理に仏教を実践しなくてもよいのだよ


それは仏教の成立した時代の影響が大きいとしかいいようがない

古代インドのバラモン教は、金持ちのバラモンだけがいい暮らしをしていて、他の市民は皆貧乏で苦しい生活をしていたのだよ
そしてバラモン教では、生まれによってすべてが決まってしまうので、貧乏な家に生まれたら一生貧乏で、その子どもも孫も皆貧乏なのだ
そんな中で、お釈迦様が説いた教えは「仏教に消えして正しい道を進めば(生まれに関係なく)だれでも涅槃寂静の境地に達することができ、苦しみから開放される(解脱できる)」というものだったから、特に苦しい生活をしていた虐げられた人々に広がったんだね

でも今の日本の仏教は、お葬式とお墓の管理(と金儲け)しかしないから、本来の仏教とはかなりかけ離れた別物の宗教だと思ったほうがいいよ
日本の仏教は教義やお教の意味も教えようとしないし、ただ単にお葬式や法事で呪文のようにお教を読むだけだからまったく無意味だよね
教義について説明しないしお葬式しかやらない宗教なんて、世界中さがしても日本の仏教くらいしかないだろうね
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/11 20:38

感じないようにするのではない。

手放すように推奨しているのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/04/09 23:01

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