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理解するというのはどういうことなのでしょう? 最も適切な定義を教えてください。

A 回答 (9件)

物事の道理をさとり知ること。


意味をのみこむこと。
物事がわかること。
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「理解」とは、理解の対象があり、その対象についての概念モデルが構築され、この概念モデルに基づき当該対象を十分説明できることです。

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この質問は難しいですね。

気が遠くなります(笑)。
理解するというのはみんな漠然とわかっていることなのに、説明しろといわれると一筋縄ではいかないですよね。
ボクは素人なんで自分の考えてることしか言えませんが、面白そうだったのでそれを書かせていただきます。
理解するというのはその場面に応じてはっきり言って変わります。
たとえば学校の授業で出てくる問題や課題について、先生が「わかりましたか?」といったときの理解と、社会で問題が発生したときにそれに対処する方法がわかるという理解は、質的な違いがあると思うんです。
学校の授業ではわかるというのは、たとえばある言葉の意味がわかる。「客観的」とはどういう意味なのかを先生が黒板に書きながら説明する。生徒はどういうことなのか考える。それに対して社会の中では、実際に効果を上げる方法を考える。このとき客観的という言葉なんて微塵も使わないじゃないですか。使えたとしてそれが直接利益にはつながらない。議論をしているときにみんなが主観的な意見を出しているときに、それだけじゃだめだ。客観的な視点に立たないといけない。と思って客観的に考える。そうすると初めて議論が前に進む。社会ではこのとき初めて客観的とは何かわかったことになる。
つまり理解するというのにもいろいろあって、今とった例でも「どういう意味か事例を挙げられる」「実際にどうすれば言いか現場で考えられる」の少なくとも2つは考えられるわけです。
なんだか哲学の話になっちゃってますけど、これに似たことは哲学の世界でよく取り上げられているんです。それは真実とは何か、です。繰り返し素人であることを確認しつつ話を進めさせていただきます。
真実とは、はじめは「事実に対応したもの」と考えられていました。つまり、日照り続きの夏の昼下がりに「今日は暑い」というと、これは正しいことを言っているので真実だということになります。これに基づくと理解とは事実に対応した発言ができること、になります。
しかしそれだと説明できないことがあることに気づきました。たとえば裁判を考えてほしいのですが、被告人の有罪を証明するときに、検事はさまざまな物的証拠(たとえば凶器のナイフ、犯行時刻のアリバイがないなど)を掲げると思います。でも実際に検事が、犯人がナイフを使って被害者を殺害したところを見たかというとそうではありません。ただ、さまざまな証拠がその事実を浮き彫りにするかのように存在しているだけです。しかしおそらく被告人の有罪を誰も疑わないと思います。こういった真実は「事実との整合性がある」「つじつまが合う」真実と言えます。この場合は理解とはきちんとした推論ができることになります。
しかし近代に入ってからプラグマティズム、道具主義と言う考え方をする哲学者が現れました。この人たちが言うには、真実とは「役に立つこと」なのだそうです。
たとえを出します。
野球選手がバットを握るとき、傘を持つような感じで持て、とか、一度片手で振ってから握って見なさい、とか言うそうです。これは本人の体に染み付いた自然なフォームを引き出すためにこういう言い方をするそうです。
このとき「自然に持てばいいだろ」と言ったところで、選手は「その自然さがワカランのです」と返答してくることでしょう。だからこそ困っているのですから。あえて傘を持つ、振ってから握る、といったぼかした表現をとることで初めて相手は自然なフォームをとることができます。
このとき、監督の発言のどちらが真実でしょうか。どちらの発言が、本当に野球を理解していると言えるでしょうか。「傘」でしょうか「自然に持て」でしょうか。
このとき理解するとは、「こうするとうまくいくと知っている」ことになります。
このように考えると理解すると言ってもたくさんの定義の仕方があるということになります。その状況に応じた「理解」とは何か知り、それをするように努めること、その行為そのものが一番大切なことなのか、とその哲学の解説書を読んだとき感じました。
これで少しは参考になったでしょうか?適切な定義ができなくてすいません。でもいろいろ考えられると言うことはわかったんじゃないかなと思います。
重ねて、もしも今まで話したことがすでに周知の事実だったりほしい答えじゃなかったらゴメンナサイ。理解するということをきちんと考えたいと言う意味だったら、お役に立てたんじゃないかなと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。まだ一度しか読ませていただいてないので、「理解」できていないと思いますので、ここでちょっと今回の質問にいたったわけを書かせていただきます。

きっかけは母親に電話機の使い方を教えていたときです。機械が苦手なので、
(1)名前と電話番号の登録のしかた

(2)電話をかけるときその登録した人の電話番号を呼び出す方法
を教えました。教えるとそのときは、次はどうすると言ってあげるとできます。しかし、しばらく使っていないと、できないのです。ぼくにすれば、簡単な操作なのに、どうして、できないのだろう、どうして、こんなことすら理解できないのだろうと不思議に思いました。記憶力の問題かとも思いましたが、機械操作以外の記憶力はふつうにあります。

たとえば、(1)では最初に「機能」というボタンを押します。(2)では「電話帳」というボタンを押します。ところが、一人でやらせてみると、登録をするのに(2)の操作をしています。
ようするに、どうしてそのような操作をするのか、ということが理解できてないのでは? と思ったのです。理解できないから、ただ覚えようとする、覚えているだけだから、すぐに忘れてしまうのではないかと。
以上のようなきっかけで、今回の質問をさせていただきました。もう少し回答いただけるまで、この質問を置いておきます。

お礼日時:2005/07/04 05:04

お母様のお気持ちは大変よくわかりますよ。

私も携帯を持っていてインターネット・アクセスはガンガンやりますが、アドレス帳は「理解」できなっかたので、使ってませんでした。それで今回良い機会なので、auサポートセンタに電話して使い方を聞きました。その結果、何故「理解」できなかったがわかりました。その理由は、お母様と全く同じなのです。

登録するのに「電話帳」を押す。これが素直な発想だからです。「電話帳」に登録するのに「電話帳」ボタンでなく、「機能」ボタンなどという何の機能かわからないボタンを押すのは、あきらかに素直でない発想です。

我々は新しいものを理解しようとするとき、まず、過去に使い慣れたものや考え方をベースにそれとのアナロジーで新しいものを捕らえようとします。「電話帳」は、我々の生活の中に古くからある(紙ベース)ものですから、携帯の「電話帳」もまずは、紙ベースのものと同じようなものと考えるのが普通です。紙ベースの「電話帳」は、登録する(書き込む)ときも、電話をかけるときも全く同じように、「電話帳」を開きますよね。だから、お母様が「電話帳」に登録するとき、「電話帳」ボタンを押そうとするのは、非常に理にかなった当然のことなわけです。「電話帳」に登録するとき、「機能」ボタンを押すというのは、紙ベースの「電話帳」に新しく書き込みたいときに、「電話帳」を開かないで、トイレのドアを開けなさいというようなとんでもないことなのです。だから、何故「電話帳」に登録するときに「機能」ボタンを押さなければならないか、全く理解できないわけです。

では、何故、若い人は、お母様のような問題を感じないのでしょうか?それには2つ理由があります。

(1)言語能力に代表される、理由なく「ただスポンと覚えてしまう」能力は、ある一定の年齢を超えるとどんどん低減します。年をとると何かを覚えるのに「理由」や「理屈」が必要になります。若い人が「理解」したと思っていることには、実は「ただスポンと覚えてしまっている」ことが意外に多いのです。ただ、、本人は必ずしもそういう能力に気づいてないようです。

(2)「携帯」的なものに対する体験の蓄積の違い。若い人は、PCや携帯やゲーム機などは生まれた頃から身の回りにあり、それがどういう振る舞いをするかは考えるまでもなく体に染み付いて体得しています。年を取った人は、若い頃には、携帯もないし、PCだってそんなに身近にあったわけではないです。この差は大きいです。

今の携帯は、人間の理解プロセスを理解せずに設計されている面が大きいです。恐らく若い方が設計されているのでしょう。ただ、PCでもアップルのマッキントッシュが出てきて、今のWindowsのような実世界とのアナロジーをベースにした設計に変わって初めて大普及したわけですから、携帯もこれから大きく変わることを期待します。

というわけで、お母様には、携帯の世界では「電話帳」に登録するとき「電話帳」を開けずに、「トイレのドア」を開けなければならないことを教えてあげてください。
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この回答へのお礼

大変興味深い考察をありがとうございました。電話帳の件は、そういわれてみればその通りです。まだまだユーザー・フレンドリーにはできていないので、改良の余地はあるということだと思います。人は新しい事態を理解しようとするとき、どうしても、今までのことをモデルにして、当てはめて理解しますから。
しかし、やはり今までとは違う新しいモデルを受け入れなければいけないときもあるわけで、と思うのですが、そうしてもらうためにはなかなか骨が折れます。
教え方も悪かったのでは、と反省もしています。取り急ぎ、回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/05 10:25

 こんばんは。

難しい質問なので、出来るだけ簡単に答えてみたいと思います。

 私が考える理解とは、”消化・吸収して、自分の物にする”です。理解したと意識しないでその事が自分の行動、考え方に出る状態だと思っています。

 私も母親に、PCやらデジカメやらDVDレコーダーの使用方法を教えているのですが、ぶっちゃけ無理です。何遍教えても、次には出来ません。その場で教えて、最初から自分でさせてみて、しかも疑問点があるか確認するのですが、”分からない所が分からない”みたいな感じです。

 うちのおかんに関して言えば、はっきり言って私からしたら努力不足だと思っています。最悪、息子にさせればいいや!みたいな。 例えば、人の話を聞いただけで理解するってそんなに簡単じゃないですよね?だから、普段から私はメモを取る習慣を付けています。特に忘れそうな所、間違えやすいと思われる所は、色ペンを使ったり、シールを貼ったりして強調したりします。 そして、自分が確実に出来るまで(理解するまで)動作を繰り返したり、自分なりの考え方の道筋を作っていきます。

 やはり私たちの親の世代だと、そうした論理思考を日常生活に用いるのは、”ウザい”のでしょうか?(親は60歳手前です。)どう考えても、私には真剣に人の話を聞いているように思えなく、怒鳴りまくっています。
 
 とりあえず、現在の対処法としては、自分用のノートを作らせて、フローチャートを作ってもらう、また、説明書の良く使う部分を折り曲げておく位ですね。

 調度昨日、デジカメで撮影した映像をSDカードを抜き取ってPCに読み込ます作業をしていて、1)メモリーカードをPCに入れられない。 2)画像を取り込めない。 3)作業終了後、SDカードをデジカメに入れられない。 →と来ました。

 1)は入れる場所を教えたのですが、裏表逆に入れようとしたので、”反対だよ”と言ったら、裏表を逆にしたのではなく、前後を逆にしたのです。これはもう、入れる場所以前の問題です。(端子の場所を手前側にして、突っ込んじゃいました。)”普通、考えたら分かるんじゃない?”と言っても、ぐちぐち文句を言ってます。一挙に疲れました。

 2)SDカードを入れると普通、取り込みますか?とメッセージが出るはずですが、それも分からず、あっちこっち触りまくって、結局また私を呼ぶ羽目に。(・・・PC教室6年位通ってるはずなんですけど。ちなみに私はPC歴2年強位なんですが。)
 
 3)1)の時と大差ないボケをかましてくれました。

ほとほと疲れます。一時が万事、この調子です。それなのに、良い物を買おうとするんです。私だって、自分で使いながら、マニュアルと睨めっこしながら教えているっていうのに。

 学習能力があるのか?って感じです。なんだか愚痴になってしまいましたね。長文失礼しました。
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この回答へのお礼

どこでも同じような状況があるのだな、と思わず笑ってしまいました。(失礼)
>学習能力があるのか?って感じです。
これは同感です。うちの母も同じ間違いを何度も何度も繰り返しています。そして、自分ができなければ、機械のせいにします。このパソコンは壊れている、とか、言って、自分ができないことを正当化しようとします。そんなわけで、最近では、教えるほうも諦観めいたものを持っているしだいです。

お礼日時:2005/07/05 10:29

興味深い質問でしたので、私が経験的にこうだと思う「理解する」の定義をまとめてみました。



ある概念を理解するとは、
(1)その概念を、その人が理解している概念の適切な組み合わせで置き換えることができること
(2)その概念と、他の概念との違いを挙げることができること
(3)その概念の具体例を挙げることができること
である。どうでしょうか?

(1)は再帰的な定義になりました。つまり、易しい概念(抽象度の低い概念)から積み上げるような形で、徐々に難しい概念(抽象度の高い概念)を理解していっているように思います。ただ、難しい概念になるほど具体的なものと離れていくので、なんとなく理解しているようで理解していないという状況が出てきますので、(3)ができることも「理解」の必要条件と思います。上の定義での「概念」は、「動作」とか「言葉」とかに置き換えてもいいと思います。

ここで、「電話番号を登録する時に最初に機能ボタンを押す」という動作を理解するためには、「機能ボタン」の働きや、「機能ボタン」と「電話帳ボタン」の違いが理解できていることが必要になると思います。でも「機能」という言葉は抽象的で具体例がイメージしにくい(おそらく実際にこの電話機のいろいろな機能を寄せ集めたボタンなのでしょう)ので、機械操作の経験が少ない人が理解することは難しそうですね。「電話帳」という言葉は「機能」より具体的な言葉ですし、「電話番号登録」とイメージも近いので、こちらを押したくなるのではないかと思います。
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>理解するというのはどういうことなのでしょう? 最も適切な定義を教えてください。



理解する・・というのは、思考の結果として一連の考えがひとつの概念に収斂することです。

たとえば、女を理解するということは、女といろいろな経験を積んで、そこから得たものから
女とは、嘘をつくものだ、とか女とは打算的なものだとか、女とは動物的だとか
女とは母性的だとか・・拡散する複数の考えのなかで、普遍的に応用可能な
「女はセックスしたら、すくなくともこっちのもの」とか「女は3人孕ませても信用しては
ならない」とか「女はやっぱり美人がいい」など、共通原理といえるものをまとめて
これが、おれの女性観みたいなくくりかたをします。
曰く「女なんてこんなもんだ」と彼が言うとき、彼の意識の中では、女は「理解できた」
と感じているわけです。

たとえば、女の言うことを理解するということは、また別のことで

女の言う言葉の意味をひとつひとつ追いながら、背景にある彼女の欲望や意識を
さぐって行く作業が必要になります。
「いいのよ。お誕生日にエルメスのバッグなんて買ってくださらなくても。そうね。私
ヴィトンのお財布くらいでとってもうれしいの。」
この言葉をまにうけて、エピでもダミアでも財布を買っていった日には、彼女の
いうことを理解していたことにはなりません。

理解と納得は似ています。理解できても納得がいかないから、人間関係はもつれます。
思考の結果として一連の考えがひとつの概念に収斂したものの、それが受け入れられる
ものかどうかで、納得と理解は分かれます。
逆に、収斂が不十分なままに、受け入れる体質の人間もいて、納得だけはするものの
理解にいたっていないというケースがあります。

な、な、わかるだろう・・・そういって話をするけど、よくわからない。でも彼がそこまで
一生懸命なのだからきっと大切なことに違いない。そういう納得の仕方もあります。

おまえ理解したはずじゃないのか?

そのへんが仕事でも、恋愛でもトラブルの種。
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×エピでもダミア


○エピでもダミエ

どうもブランドを正しく理解していないようです(^^;
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「理解する」とは、



その事象を誰かに説明したとき、
正確に意味了解を得られる状態。

それでいいと思います。
ここの質問では、「理解する」というのがどういうことなのかを、あなたに説明して、伝わればその人は理解を理解しているといえるでしょう。説明されて、まだアヤフヤであれば理解していないと言えるでしょう。

但し、もちろん相手が理解できるレベルにあることが前提条件です。小学生に微積分を説明するなんてことは、ちょっと厳しいですもんね。
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この回答へのお礼

みなさんへ、
回答、ありがとうございました。いろいろと考えさせられました。

お礼日時:2005/07/11 11:01

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