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人が内面的に、何からできてるのか考えて、5種類あげてみました。
心、人格、意識、精神、自分  の5つなんですが、
(重複するようなものや、派生的なものを省いて)


探してみたところ、メインとなるのは、この5種類で全部かなーと思うんですが、
おかしいでしょうか?
また心理学で似たような分析はあるでしょうか?

他の方の意見も伺おうと思いましたので、お願いします。

A 回答 (1件)

(1) 人の内面を構成する要素の類には,言語の構成要素に対応することが可能な要素の種と,言語の構成要素に対応することが不可能な要素の種がある。

そしてこの二種で全てである。

(2) 言語の構成要素に対応することが可能な要素の種のなかには,主語となりうる可能性が有る概念に対応する要素と,そうでないものがある。ここにおいてもこの二種が全てであり,合わせて三種で全てである。

 こんな風に,矛盾概念を区分原理にして,階層を下げていくと,要素の数によらず,全部であることは保障される。

人の内面に機能と構造があり,合わせて,人の内面に機構があるという。心理学には,機能主義,構造主義がある。これを取り込まない構成は,批判され衰退した構成主義心理学に似たものとなるだろう。したがって,次の段階は(機構主義があるかどうかは知らないが,それを包含することを意図して),

(3) 主語となりうる可能性がある概念に対応する要素のなかで,構造的概念に対応する可能性のある要素と,そうでないもの(非構造的概念に対応する可能性のある要素)がある。

 「に対応する可能性のある要素」を略した表現で述べると,こういうことである。求める要素は,(1)言語構成要素か非言語構成要素で構成される。(2)言語構成要素は,主語構成要素か非主語構成要素で構成される。(3)主語構成要素は構造的概念か非構造的概念で構成される。 

 たとえば,「機能」という概念は構造的概念ではなく,非構造的概念に類するものである。「機能」においては,「有機能」「無機能」と,その可能的存在性が,また,「実現機能」「非実現機能」と,実現的存在性が言われる。構造上問われるのは可能的存在性で,「実現している・いない」は問われない。けれども「機能」は実現性が重要なのであり,実現するか否かが問われる。それで,これを非構造的概念に分類するのである。構造的概念は静的で,非構造的概念は動的である。

(4)非構造的概念は機能的概念と非機能的概念で構成される。

 たとえば,「意識」という概念は,構造的概念に類するか,非構造的概念に類するものであるか?「意識」は機能的であり,時に集中・拡散,時に無となり動的である。よって非構造的概念に類するものとするのである。これを構造的概念とすると,「意識」を「(狭義の)意識」「無意識」で構成しなければなるまい。

 思うに,構造的概念はさほど多くない。人は内面の変化にこそ敏感で,恒常的,静的な構造にはあまり概念を創造しなかったのだ。

(5)構造的概念は主体的概念と非主体的概念(環境的概念,非環境的概念)で構成される。

まで階層を下ろう。そこには,環境として表現の場がある。これを「表現時空」という。いわゆる時空は「物理学的形式を持つ表現時空」として内面の場である。ここにきて内面の構成要素が外面構成要素を導出する可能性に気づくだろう。対して,外面構成要素のその硬質的構造への偏性からは内面構成要素の導出はできないのである。

 しんどくなったので,もうそろそろやめるとする。どうでもいいけど私はいくつに区分した?

 今のところ構成要素の候補(概念に名が付されるものとして)は,場である「表現時空」と,場の機能である「意識」,場の機能の態様の「表現」である。しかし,これで全てではない。名が付される予定の概念を含めて,全てなのである。
 そして,人の内面をこう述べることになる。「表現時空の場の機能は,意識とその主体(自我)を生じさせることであり,自我は意識を明示的に表現することで自己を黙示的に表現する」
  

sheep67 さんの要素と比較すると,

心=場の概念である「表現時空」、

人格=これは黙示的自己表現を顕示的に表現したもの。で,意識表現の一貫性が人格を定める。表現内容をいうから,要素構造の階層は,上で述べたものののさらに下にある要素。これを挙げるなら他にも多くの表現内容挙げねばなるまい。

意識=機能の概念である「意識」、

精神=・・・・・・心身二元論で,身体に対して精神が論じられ,その精神の絶対化が神。内面の一元論が成立しそうだからこの用語の使用は保留する。

自分=主体概念である「自我」
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この回答へのお礼

こんばんは。御返事ありがとうございます。

読ませていただくと、これは哲学的分類だなーと思いました。
哲学として、こういう分類と、またその分類と、質問文内の分類との対応をとっていただいたのだと思います。
この哲学的分類との対応自体については、僕もだいたいそんな感じなのかなーとは思い勉強になりました。




ただ、この質問自体を、哲学にしようか心理学にしようかと思ったとき、どちらでも良かったのですが、
心理学のカテに投稿したのは、この質問分の分類自体が、いわゆる自然主義的な視点ーつまり、科学や、心理学的な?視点から、
あるいは生の臨床的で、実践的な視点からの分類、というベースがあります。
つまりこの質問文の分類の基礎には、僕個人的には、現実的な分類、リアリティーを基礎にした分類というニュアンスがあり、
なので、心理学の方に質問させていただいてます。
でも、こういう哲学的分類との照合も、もちろん大変ありがたいです。多角的に見れますので。





回答頂いた内容自体については、初めて聞く分類だったので、ググッてみたのですがあまり出てきません。
回答者さんのオリジナルな分類なのか、あるいはものすごく専門的なので、本でも紐解かないと出てこない分類方法なのか? と思いました。

おっしゃられる哲学的分類については、いくつか突っ込みたいところもあるんですが、全般として、納得が行くものだと思いました。
ただ、上に書いたように、分類のベースとなる考え方拠り所になる概念があまりに違うので、
回答文における比較対照がほんとうに正しいのかどうか、なかなか判断ができません。

この照合自体は、文章を読む限り、そうかもとは思うんですが、
やはり元々の質問文での分類が、どちらかというと心理学的なベースによって、僕は分類したので、
大雑把に、哲学と心理学、というカテゴリーのギャップを埋めるのが難しい、と感じました。
哲学では、こういう分類方法もある、ということは心に留めておこうと思いました。


参考にさせて頂きます。
こんなめんどっちい質問に色々考えていただき、回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/20 03:18

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