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 言語学の宿題で補文標識の使い分けを分析してこいという問題が出たのですが、調べても考えてもあまりよくわかりません。

 補文標識というのは、主文の中に別の文章を組み込むときに入るつなぎの言葉のことで、「の」「こと」「というの」「ということ」「と」などです。例えば、
「私はあなたが来るということを予想していた」
 という文だと、「ということ」が補文標識です。
「彼が来ないというのは本当ですか?」
 ならば、「というの」が補文標識です。

「田中さんは寒いですと言った」
 は日本語としてOKですが、
*「田中さんは寒いですと思った」
 はダメで、
「田中さんは寒いと思った」
 にせねばなりません。
 また、
「花子が明日出発することを忘れていた」
 はOKですが、
*「花子が明日出発すると忘れていた」
 はダメです。

 私の考えでは、「ということ」は間接的な感じで「と」が一番直接的に文をつないでいるような気がするのですが、論理的に説明できるかと言えばできないし、例文を何度も言っているうちに混乱してきて結局わからなくなってしまいました。

 一応今日図書館に行って本も調べてみたのですが、探し方が悪いのかよい本は見つかりませんでした。何かこうした「の」「こと」「というの」「ということ」「と」の違いを分析するにあたって役に立ちそうな本とかサイトをご存じの方がいたら、どうか教えて下さい。あと、こういう補文標識を使った面白い例文なんかを思いついた方がいたら、是非教えて頂きたいのですが…

 やはり宿題なので自分で考えないといけないと思うので、ヒントだけで結構です。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

久野すすむ(すすむは日へんに章)さんの『日本文法研究』(1973年、大修館書店)はチェックしましたか?このトピックについての基本的な説明が17章にあります。

言語学の授業があるような大学の図書館なら必ず置いてある本です。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございます。さっそく図書館で調べてみたいと思います。久野すすむの他の本は見てみたのですが、その本のことは知りませんでした。

お礼日時:2005/07/05 21:01

この質問に、全部答えていたら、講義になってしまいますね。


「と」・「すること」だけに回答します。
「と」は引用を受ける格助詞。例文では「田中さん」が言ったと考えて置きます。すると
   「田中さんは『寒いです』と言った」と考えられます。この「と」は「心の中で思ったこと」を受ける時にも使えます。(これも引用を受けるという考え方もあります) この場合は、口に出して言わないから「です」という丁寧語を使う必要がありません。だから、
   「田中さんは『寒い』と言った」となります。

   「花子が明日出発することを忘れていた」(これも主文の主語がはっきりしませんが)は 
   「『花子が明日出発すること』を忘れていた」となりますね。
   「花子が明日出発すると忘れていた」は
   「『花子が明日出発する』と忘れていた」とはなりません。

 (『』内は主文の中に組み込まれた別の文)

 後は他の人に譲りましょう。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。参考にして考えてみたいと思います。

お礼日時:2005/07/04 19:28

「ということ」が省略がなく丁寧だけど、逆に言えば一番まわりくどい。



これを、「と」「いう」「こと」に分割する。

「こと」と「の」は同義だけど、「こと」は文語的で「の」は口語的。

あとは、これらの組合せ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。でも「こと」と「の」は同義ではありません。「田中さんがピアノをひくのを見た」は可能ですが、「田中さんがピアノをひくことを見た」はダメですから…なぜでしょうか。

お礼日時:2005/07/04 19:27

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Qとの(という)ことでした、との(という)ことです

 日本語を勉強中の中国人です。「~とのことでした」「~とのことです」、「~ということでした」、「~ということです」の違いをどなたか教えていただけませんか。混乱中です。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「とのこと」とは、自分が他の人から聞いたことをさらに別の人に伝える時に使います。
よくあるケースは、電話の伝言メモですね。
例えば、
田中さんへ
佐藤様からtelあり。
急用が出来たので、本日の打ち合わせは欠席するとのことです

この場合、佐藤様からの伝言を聞いたのは過去になりますが、「とのこと」には過去のニュアンスが含まれるので、最後は「です」となります。
「とのことでした」を使う場合は、「でした」のあとに接続詞を付けて、話を聞いた、その後の出来事などを記述する場合に使います。
例えば、
(1)佐藤さんから電話があり、急用が出来たので、本日の打ち合わせは欠席するとのことでしたが、結果的には30分遅れで出席されました。
とか、
(2)佐藤さんから電話があり、急用が出来たので、本日の打ち合わせは欠席するとのことでしたので、会議は中止しました。

(1)の場合、時系列で佐藤さんの電話、30分遅れで会議の出席、今の順です。
(2)の場合、時系列で佐藤さんの電話、会議中止、今の順です。

「ということ」を上の「とのこと」に入れかえても、意味は通じます。
でも、他の人から聞いた話を別の人に伝える場合、「とのこと」の方がより適切です。
「ということ」という言葉は、「とこのと」と同じ意味以外に、説明の時に使う言葉ですね。
例えば
「ドコモとソフトバンクの料金を比べた場合、トータルではソフトバンクの方が安いということです」とか。
ということの場合、後ろに来る「です」と「でした」の違いは、時制の違い、つまりですは現在形、でしたは過去形を表すと考えてよいと思います。

この説明でわかりました?

「とのこと」とは、自分が他の人から聞いたことをさらに別の人に伝える時に使います。
よくあるケースは、電話の伝言メモですね。
例えば、
田中さんへ
佐藤様からtelあり。
急用が出来たので、本日の打ち合わせは欠席するとのことです

この場合、佐藤様からの伝言を聞いたのは過去になりますが、「とのこと」には過去のニュアンスが含まれるので、最後は「です」となります。
「とのことでした」を使う場合は、「でした」のあとに接続詞を付けて、話を聞いた、その後の出来事などを記述する場合に使います。
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Q「~やら~やら」と「~とか~とか」の違い

物事を複数並列する時に「~やら~やら」と使っていますが、
最近の若者がよく使っている語で、同じようなものに「~とか~とか」があります。
「~やら~やら」と「~とか~とか」は、どう違うのでしょう?
なんとなく用法が違うとは思うのですが、正確にはわかりません。
以前から気になっています。どうぞ御教示ください。

Aベストアンサー

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?

ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、
私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。
「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。

これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。
1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。」
2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。」
1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。
2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。

1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。」
2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。」
これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。
2は素直な人が話しているなら単なる並列。
ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。

とまあ、こんなところです。
前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。
色々な回答がつくといいですね。

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?
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Q「の」「こと」→違い?

 以下の場合について、「の」と「こと」の違いはなんなのでしょうか?

 私は食べることが速いです。
 私は食べるのがはやいです。

 この場合、「の」を使った方が自然な感じがします。
 多くの場合、「の」をしようした方が自然な感じがします。

 以下の場合は、「こと」でも良いような気がします。
 
 読むことが速いです。
 読むのが速いです。

 …この場合は、「こと」でも良いような気がします。
 
 違いを・・・教えてください!!

 
 

Aベストアンサー

違いはありません。その 「の」 は用言 (動詞や形容詞などですが、この場合は動詞の場合ですね) の連体形 (5段活用の動詞では終止形と同形) について体言 (名詞や代名詞) の働きをさせます。

Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
ていうのは正しい敬語なのでしょうか?

Aベストアンサー

「お(ご)~する(いたす)」は、自分側の動作をへりくだる謙譲語です。
「ご連絡致します」も「ご報告致します」も、正しいです。

文法上は参考URLをご覧ください。

参考URL:http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524170.html

Q「~になる」と「~となる」の使い分け

複数の人で手分けして報告書を作成しており、現在校正中です。
今悩んでいるのは、ある人は「~になりました。」と書き、別の人は「~となりました。」と書いているところがあり、報告書全体としては「に」と「が」が混在している状態なので、この表記の揺れをなくすために、どちらかに統一すべきかどうか、ということです。
「に」でも「と」でも全体の文意は同じのような気がするのですが、ニュアンスや文法的な違い、あるいは使い分け方法があれば教えていただきたいと思います。
よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

格助詞「に」と「と」の違いですね。この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。
「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q「たら」「れば」「なら」の使い方

わかりづらいタイトルですいません。
実は日本語を勉強中の中国人から「たら」「れば」「なら」の使い方がわからないとの質問を受けたのですが、私自身明確な回答がだせません。
〔例〕
・雨が降れば、洗濯物が干せません。
・雨が降ったら、洗濯物が干せません。
・雨が降るなら、洗濯物が干せません。
このようにニュアンスが多少違う程度で、どれも同じような内容になると思います。
外国人に対してこのような場合の「たら」「れば」「なら」の使い方を説明すればよろしいでしょうか?

Aベストアンサー

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮定です。すなわち、現実には起こらなかったことに対する仮定です。
(例)もし、彼が事故に合わなかったら...(実際には事故に合った)

もう一つの用法は、現在、または、未来に対する仮定です。この仮定は本来は、実際には起こる可能性が非常に低いこと(あるいは、感情として絶対起こって欲しくないこと)を仮定する場合に用います。
(例)もし、彼が死んだら、生きていけない。
(例)もし、空を飛べたらどんなに楽しいだろう。

(3)「なら」は、「動詞等終止形+(の)+なら」あるいは「名詞or名詞句」+「なら」として使います。意味的には、仮定というより、「~~の場合は」的な意味になります。
(例)赤なら止まれ、青なら渡れ。
(例)飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。
(例)歩くなら良いが、走るならごめんだ。

以上の3つの違いを中国の方に説明する場合は、以下のような関係になると思います。

(1)「れば」=如果(ruguo)
(2)「たら」=万一(wanyi)
(3)「なら」=的時候(deshihou)

以上です。

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮...続きを読む

Qいくら・・・ても、どんなに・・・でも、たとえ・・・

 
違いを考えています。
例文を作って考えてみましたが、すっきりしません。

1.いくら・・・ても : いくら寒くても、行きます。
2.どんなに・・・でも:どんなに寒くても、行きます。
3.たとえ・・・でも : たとえ寒くても、行きます。

1と2は、まったく同じと考えたくなるのですが、どうでしょう。違いはありますでしょうか。
12 と 3 の違いは、
12が regardless of ...と、程度の大きさに言及しているのに対し、
3は、 even if ... と、 事象の有無に言及しているように考えました。

それでもまだ、とくに1と2の違いについて、釈然としませんので、アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー

辞書を引くと「いくら」(副)=「どんな」とありますから、大雑把には同じと言って良いと思います。
が、私はほんの少し違うように感じます。

1.「いくら」寒くても行きます。の方は、ある程度推量のたつ寒さのように思います。

2.「どんなに」寒くても行きます。
「どんなに」は「どんなだ」の連用形ですが、「どんな」の意味として強いのが「不測の事態」のニュアンスだと思います。

つまり、経験則上の程度問題として自信を持った(裏を返すと自分にとって限界値がないかのように対象をやや過小評価し、それを客観性として信じている)上で述べるのが「いくら」で、経験則上予測がつかないこと(例で云う寒さの種類・付随事象事故等)も含めて何をも凌駕し強調(覚悟)した上で述べる時に「どんな」を使うと思います。

3.「たとえ」の方は事象の有無(強い仮定法)と捉えて良いと思います。(URL参照)


もう少し長いセンテンスの方が差が出やすいのではないでしょうか。

1’.今から貴方がいくら努力しても、オリンピック選手に勝つのは無理だ。
2’.今から貴方がどんなに努力しても、オリンピック選手に勝つのは無理だ。
3’.今から貴方がたとえ努力しても、オリンピック選手に勝つのは無理だ。

1’はシンプルな度合いや程度に言及している(経験則上の客観的事実)のに対し、2’はやや努力の幅も否定する少々感情的な強調が見えると思います。(感情の種類は不明)

よって、少なくとも1及び1’の発言者はある程度意見を出す上で発言の対象(寒さ・オリンピックスポーツ)について博識であると自負しているように思えます。
1と1’の発言者は自負の有無について不明ですが行う忍耐・努力の種類に自分の想像を上回るどのようなものがあったにしても兎にも角にも自分の気持ちを伝えたいように思えます。

なので、私は「いくら寒くても行きます」という例文を見て違和感を覚えました。
ローカルな場所を目指している(北海道がいくら寒くても行きます)か、寒さ事態の範囲を想定出来る状態(血糖値が下がってますがその為にいくら寒くなっても行きます)か、身内との発言であれば普通に使いますが、パブリックな場所(Webや書籍)では発言者が絶対的客観性を持てる創造主である小説や詩を除いて、寒暖差の経験に自信を持つ人物は少ないからです。

ところが一文ではなく二文、もしくは登場事象の背景がわかっている状態で構成する場合は「いくら」を使った方がしっくりくる場合もあるように感じます。

(1)「いくら寒くてもその場へたどり着く覚悟を持っていた。しかし、鼻の中も睫毛も凍り、息をするにも針を飲むような痛みを感じ始めた頃、その覚悟は吹雪の宙に散った。」

→客観的(と過信した経験上の推測に基づく)覚悟が無様に砕け散った。
:主人公はある程度大人に見える。

(2)「どんなに寒くてもその場へたどり着く覚悟を持っていた。しかし、鼻の中も睫毛も凍り、息をするにも針を飲むような痛みを感じ始めた頃、その覚悟は吹雪の宙に散った。」

→元々の見通しが感情(情熱)に基づくものだった。
:主人公は少々幼稚、もしくは純心・激情家に見える。

(1)の方が読み物としてはすっと入ってくると思います。読み手よりも恐らく寒さの見識において信頼出来る主人公なのでしょう。共感は出来ないかもしれませんが、「寒さの度合い」と「挫折」についてフォーカスが当たっています。読み手は「(こういう人の覚悟を折る程とは)どれほどの寒さだったのだろう…」と想像します。

(2)は「どんなに」って「そもそもどれだけの覚悟と情熱だったの?」「(強調するほどの)たどり着かないとならない事情があったの?」「普段どれくらい我慢強いの?」「極寒について経験はあったの?」という表現が前後に説明として(1)よりも欲しくなりませんか?

以上です。

参考URL:http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?sn=143

辞書を引くと「いくら」(副)=「どんな」とありますから、大雑把には同じと言って良いと思います。
が、私はほんの少し違うように感じます。

1.「いくら」寒くても行きます。の方は、ある程度推量のたつ寒さのように思います。

2.「どんなに」寒くても行きます。
「どんなに」は「どんなだ」の連用形ですが、「どんな」の意味として強いのが「不測の事態」のニュアンスだと思います。

つまり、経験則上の程度問題として自信を持った(裏を返すと自分にとって限界値がないかのように対象をやや過小評価し...続きを読む

Q「するもの」と「すること」の違い

日本語で「~するもの」と「~すること」の使い分けの方法を日本語学習者にうまく説明できずに悩んでいます。

例えば、下記の2つの文をくらべて、なぜ1)は「こと」で2)は「もの」なのかの説明がうまくいきません。
1)趣味はラーメンを食べることです。
2)ラーメンは食べるものです。 

どちらも「食べる」という動詞につながりますが、「こと」は動名詞で「もの」は名詞としてしまっていいのでしょうか?

もしできましたら、ご教授ください。 
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。

1)趣味はラーメンを食べることです。

「ラーメンを」は「食べる」の修飾語ですが、それを除去してスリムな文にすると
「趣味は食べることです。」
となります。
さらに「食べる」は「こと」の修飾語なので、除去すれば、
「趣味はことです。」

「趣味」は、物ではなく事柄ですから、「もの」は不適で、「こと」が正解となります。


2)ラーメンは食べるものです。 
「食べる」は「もの」の修飾語ですが、それを除去してスリムな文にすると、
「ラーメンはものです。」
となります。

「ラーメン」は、事柄ではなく物です。「こと」は不適です。


つまり、
>>>どちらも「食べる」という動詞につながりますが
という観点ではなく、主語が「もの」と「こと」のどちらに該当するか、という観点で考えるのがポイントです。


ただし、上記の法則が通用しない場合もあります。
「歯磨きは食後にするものです。」
「囲碁は二人でするものです。」
が、その例です。

以上、ご参考になりましたら幸いです。

Q「通して」「通じて」の使い方

ネットユーザーにOKWebをよりよく知っていただくため、年間を通して広報活動を行います!

ネットユーザーにOKWebをよりよく知っていただくため、年間を通じて広報活動を行います!


どちらが正しいですか?

同じのような気がするのですが、どういう違いがありますでしょうか・・・

Aベストアンサー

「通す」は、下記辞書の、
4(イ)全期間、また、全体にわたってする。「夜を―・して話す」「書類に目を―・す」
という用法に該当すると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/157292/m1u/%E9%80%9A%E3%81%99/

「通ずる(通じる)」は、下記辞書の、
6 (「…を通じて」の形で)
(ア)全体に及ぼす。包括する。「一年を―・じて暖かい」「全国を―・じて流行する」
という用法に該当するでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/146333/m1u/%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%82%8B/

両者を比較すると、
「年間を通して広報活動を行います」→これからの1年間全体にわたって、順次、継続的に広報活動を行っていきます、というニュアンス。1年間、継続する主体は発言者である、という意図が強い文。
「年間を通じて広報活動を行います」→「広報活動を行います」という他動詞表現でありながら、行為者の主体性が希薄な文になっており、広報活動というものが年間を通じて存在している、というニュアンスの強い文。「通じる」が自他兼用動詞であることも関係しているのかもしれません。
端的には、
「通して」→行為者に重点を置いた表現。
「通じて」→広報活動に重点を置いた表現。
このように捉えることができるでしょう。
よって、意気込みを示す意味では、「年間を通して広報活動を行います!」のほうが自然だと、わたしは感じます。
「通じて」は、「年間を通じて広報活動が行われる予定です!」のような表現の中で使われるほうが適していそうです。
  

「通す」は、下記辞書の、
4(イ)全期間、また、全体にわたってする。「夜を―・して話す」「書類に目を―・す」
という用法に該当すると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/157292/m1u/%E9%80%9A%E3%81%99/

「通ずる(通じる)」は、下記辞書の、
6 (「…を通じて」の形で)
(ア)全体に及ぼす。包括する。「一年を―・じて暖かい」「全国を―・じて流行する」
という用法に該当するでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/146333/m1u/%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%82%8B/

両者を比較すると、
「...続きを読む

Q"しなくちゃ"と"しなきゃ"の違い

とある外国人に、日本語の"しなくちゃ"と"しなきゃ"の違いはなんですか?と聞かれ、答えにとまどいました。
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Aベストアンサー

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”しなくちゃ”の場合、多少時間的余裕があるが、”しなきゃ”の場合は、直ちに、即座にという感じがします。
結局のところ、当人にとってどれだけ緊迫性があるか、の違いではないでしょうか?


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