街中で見かけて「グッときた人」の思い出

ゆうべ、「NANDA」に元西武の石毛さんが珍しくテレビに出ていました。そこで思いだしたんですが、石毛さんは昔西武の監督要請を断ってダイエーに移籍しましたよね。これを断った理由は何だったのですか?

あと、石毛さんは引退後アメリカに渡り指導者としての勉強をずっとしてこられてオリックスの監督に招かれましたが、チームは全く振るわずにシーズン途中に解任されてしまいました。現在は、四国独立リーグを運営するなど指導者としての素質は十分にあると思うのですが、何故オリックスでは結果を残せなかったのですか?

A 回答 (4件)

次の東尾体制が嫌だったか現役を続行したかった。



石毛氏の次の伊原氏も思ったような成績が残せなかったことをみるとそれ以外に原因があると思われます。
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オリックスで成績を残せなかったのはやはり戦力が不足していた事でしょう


今年がそこそこやっていってるのは近鉄とオリックスの2チーム分のレギュラー選手が試合に出てるわけですから
それでも、楽天と不振の日ハムがずるずる負けているだけなので今のオリックスが結果を出しているとはいえませんが・・・。
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ダイエーに移籍したのは、現役を続行したかったからですね。

あとは、新しい環境でチャレンジしてみたいというのもあるのかもしれませんね。ダイエーではあまり活躍できませんでしたが…。

一言で言うと、オリックスのフロント側に問題があるからです。あの頃は、戦力になる選手が少なかったんですよね。でも補強に力を入れるわけでもなく、それでいて早くに結果を求めて、あれでは誰が監督をやっても同じ結果になっていたと思います。いくら指導に長けた監督でも、名選手は一朝一夕では作れませんし、采配に長けていても、ある程度手駒が揃っていなければすぐに結果を出すことは難しいです。
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当時、西武フロントは、森監督の後継者として石毛氏に期待していました。


が、現役を引退して監督に据えたいというフロントの思惑に対して、あくまでも現役続行を希望する石毛氏が対立して、石毛氏のFAとなりました。当時、石毛氏は、2000安打などの記録も目前に迫っていましたし、続けたいという希望が強かったのでしょう(結局、ダイエーで活躍できず、2000安打なども達成できなかったのですが)。
ちなみに、東尾監督の退団の際も、現在の伊東監督を巡って対立があったのですが、石毛氏の教訓を生かして(?)、伊原監督、伊東兼任コーチという形で落ちついたという経緯もあります。

オリックスで実績を残せなかったのは、第一には戦力不足でしょう。聞くところによると、石毛氏は、チーム編成などに関しても意見を言えず、まさに「指揮」専門という形だったようです。
ただ、石毛氏自身も、ダイエーの2軍監督をすぐに解雇されてみたり、オリックス監督時代も選手とトラブルを頻繁に起こしてみたりということもあるので、そういう部分も解任劇に影響したのかも知れませんが。
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