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駕籠自体、相当重そうなのに、人を乗せてかなりの距離を走る。
昔の人の体力には感心するものの、乗ってる方も乗り心地悪そうだし、二人分の人件費がかかります。
なぜ人力車のように、車輪をつけようと思わなかったのでしょうか。大八車とか、牛車とかはあったわけで、車輪の概念はありますよね?
何かの理由で幕府が禁止していたのですか。

A 回答 (12件中11~12件)

駕籠の乗り心地は思った程悪くはなかったようです。


駕籠の種類によりますが町駕籠は比較的平坦な町中の道路を、特に急ぎなどを頼まない限り歩く速度位で移動します。

大名駕籠のような立派な作りの場合、普通4人の陸尺が担ぎ、必ず交代の人数がついていたものです。
又速度も歩く速度くらいで乗客の負担をかけないように気をつけます。
ですから駕籠の中で煙管に煙草を詰めて煙草盆から火をつけるなど優雅なものでした。

早駕籠というのは危急の場合走る速度で移動しますので、疲れる前に担ぎ手が走りながら交代し、かなりの交代要員がついて走ります。  これらの交代要員は宿場毎に交代する定めで多くの担ぎ手が走り続けました。 乗り手も不眠不休で負担をかけないよう駕籠の中の吊り手にぶら下がって腰を浮かして乗りました。

従って町中、各宿場毎にかなりの人数の駕籠かきが常駐していました。
彼らの既得権は他に替わるものがない時代尊重する必要があったのです。
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この回答へのお礼

乗り心地が良くても、歩く速さと同じなら、現代人ならいらいらするでしょうね。

交代要員が多いと、今度は費用が大変だろうし。

人力車的なもので、一台一人で引けるなら、倍の客をさばけたような気もしますが。
なぜそこまでして既得権を守ったのか。

No2さんの本を読んで、また補足質問します。

お礼日時:2005/07/12 21:55

平安時代は牛車がありましたが、都の中を移動するくらいでそれほど長距離を移動するものではなく、長距離には輿つかいました。


車輪はあっても今のようにゴムタイヤがついているわけではなく乗り心地も悪く、また雨が降れば泥濘になってめりこんだりして山の多い日本の地形では使いにくかったと思われます。
それに対して駕籠はどんなに悪い道でもひっかかったりすることなく通れますし、特にアジアに共通することですが、どれだけ人の手をわずらわせるかが貴人のあかしみたいなものでしたから、多数の人がかつぐほどステータスシンボルになったと思います。
ちなみに天皇などは駕籠には乗らず輿でした。
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この回答へのお礼

は、はやい!

輿というのは、肩から上に乗る部分が付いている、駕籠は下についている、でよろしいですか。
確かに日本は道路事情が悪いですね。その意味では駕籠の方がいいようです。

明治時代には道が舗装されたのでしょうか。

お礼日時:2005/07/12 14:23

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