この言葉についてどう思いますか?もちろんアイヌや蝦夷のことを考える上で
の題名なんですが・・・・。
自分的にはこう言い切ってしまってそんなに悪いことだとは思えません。世界
は征服の歴史の上に成り立っていることは明白です。別に迫害しようとかそん
な気はさらさらなく、むしろ彼らの自己主張をきいてみたいとすら思うのです
が。そのようなことがあるのを聞いたことがない(もちろん細かく探していけ
ばあるのでしょうが普段意識するレベルで)ので上記のような発言にいたりま
した。感情的にならずになぜそうなのか?を歴史的、政治的に説明してくれる
人を求めています。
また、この問題についてはあまり知らないので、できればアイヌや蝦夷につい
ての本(ルーツや今はどんな状況にあるのかナドナド)がありましたらお教え
ください。

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A 回答 (12件中11~12件)

民族という言葉を使うのであれば、日本は単一民族ではありません。

ご質問者は「民族」という言葉対する解釈を間違えていると思われます。
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私もよくは知りませんが、新潮文庫、船戸与一著


「蝦夷地別件」上・下何かが、小説ですがいいんではないかと......。(読んだ事ないけど。笑)
 ただ日本人が、それほど純粋な単一民族とは思いませんが。お尻に蒙古斑があり、しゃべる言語は、チベットの方に起源があると聞きました。
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Q渡来人って!??

弥生時代に渡来してきた人は
「渡来した人」と呼ばれるのに、

大和政権(古墳時代)に
渡来してきた人については
「渡来人」と呼ばれています。

渡来した人と渡来人は
違うのでしょうか?

混同してはいけませんか???

また、
なぜ弥生時代の方は
渡来人と呼ばれないのですか??
少しでも分かる方教えて下さい!
よろしくお願いします(ToT)

Aベストアンサー

「渡来人」というのは歴史用語ですが、渡来した人というのは行動そのものを指してるようですね。
区別してるからには意味があると思います。
古代史は根本史料が存在しない為わからないことが多いのですが、実は大陸から「渡来」する人は弥生時代からひっきりなしだったようなのです。そもそも弥生時代を象徴する弥生式土器も大陸から来た人が持ち込んだ文化だという説が有力ですし、弥生人そのものが大陸からの移住者という説もあります。
ひとついえるのは日本に統一(?)政権ができてから以降の移住者に関しては、日本側に「大陸からの移住者」「外国人」としての認識があったのではないか、ということです。
逆に言えばそれ以前はあまり大規模な「国」と言う概念がないため、単なるよそ者と解された可能性もあるのではないでしょうか。渡来人、というのはすでに日本が(範囲はともかく)ひとつの国という概念があり、大陸や半島の国家が「外国」という認識ができてからの移住者、と言うことではないかと思います。

Qユダヤ人の迫害について

第2次世界大戦でなぜドイツはユダヤ人を迫害したのでしょうか?

Aベストアンサー

ユダヤ人を主に迫害しているのはキリスト教徒ですが、それはイエス・キリストを十字架にかけるようにユダヤ人たちが望んだからです。そもそも、そのイエス様じたいがユダヤ人のはずですが、イエス様は「神様の子」なのでユダヤ人ではない、という解釈のようです。

ユダヤ人はある特徴がありまして、それは「他人にどう思われようと独自の信仰を絶対捨てない」ところです(厳密にはユダヤ教徒がユダヤ人でありヘブライ人とことを指すわけではないのですが)。ユダヤ教は律法(その宗教の決まりごと)がマニアックなまでに厳しく、例えば乳製品と肉を一緒に食べてはいけないからチーズバーガーはダメとか、安息日はなにがあっても働いちゃダメとかです(もし安息日に急病人が出たら?働いちゃいけないのでユダヤ人のお医者さんは何もしません。だって、働いちゃダメだって決まりですから)。
アキバ系もそうですが、極端なマニアは嫌われます。この律法マニア集団もそのマニアックさ加減が嫌われているところがあります。
ここらへんは在日朝鮮人の人たちも似ているところがあって、彼らは決して日本人に融合しようとせず、自分たちの文化アイデンティティをかたくなに守ろうとします。それがこっち側とすれば「こっちに住んで長くなるのにこっちの習慣に馴染もうとしない」と感じるのです。

中世のキリスト教は、基本的に「商売は穢れてるので禁止」でした。中でも、形のないものを商売とする金融、銀行業は禁じられました。しかし、ないと困るのでそれはキリスト教徒ではないユダヤ教徒にやらせました。ユダヤ教徒たちは軽蔑されながら商売に精を出して金持ちになりましたが、しばしば裁判で理不尽な判決を受けたりしました。突然財産が没収されたり、貸した金を返してもらえなくても裁判が取り合ってくれなかったりしたのです。このあたりのユダヤ人の心境はシェイクスピアの「ベニスの商人」がよく描かれています。

ユダヤ人を主に迫害しているのはキリスト教徒ですが、それはイエス・キリストを十字架にかけるようにユダヤ人たちが望んだからです。そもそも、そのイエス様じたいがユダヤ人のはずですが、イエス様は「神様の子」なのでユダヤ人ではない、という解釈のようです。

ユダヤ人はある特徴がありまして、それは「他人にどう思われようと独自の信仰を絶対捨てない」ところです(厳密にはユダヤ教徒がユダヤ人でありヘブライ人とことを指すわけではないのですが)。ユダヤ教は律法(その宗教の決まりごと)がマニアッ...続きを読む

Q豊臣時代で渡来人を先祖とする武将はいますか?

古代までは百済などからやってきた渡来人が貴族になることもあったようですが、豊臣時代あたりまでで、渡来人を先祖とする武将はいますか?
いたら教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3222409.html
似たような質問がありましたので参考にしてください。
大内氏は渡来人を出自と名乗っていたそうです。

Q歴史的に差別が続く根源的なものとは?

奴隷 人種差別
そういった歴史などから来る差別が
歴史的に続いている地域は、
どういう地域、文化、家族間などで差別が受け継がれているんでしょうか?
できる事ならば個人単位の話で教えて下さいますと幸いです。

また、どういう情報を見ればその現実的なものが見えてくるか?
というご回答も頂ければ助かります。

また、差別意識に飲み込まれる人と
それをおおむね克服してしまえる人には
どういう差が見受けられるものでしょうか?
親の価値観を受け入れた結果か、
はたまた親を反面に克服した結果なのか。
ご回答頂けますと幸いです。

Aベストアンサー

 地域・文化・家族というレベルでの社会的差別はありますが、その根源にある個人の『差別する心』の在り方は、個人の劣等感や優越感と密接に関連しています。

 人間の成長は、子供の頃の「他人の真似をして育つ」時期と、「自分自身の価値観」を確立する思春期に大きく変わります。

 子供の頃は、他人の真似をして育つので、無意識に自分自身に対するの評価を、「他人」と比較によって行う傾向が強くなります。

 それに対して、第二反抗期を含む思春期には、人間として十分な社会経験や、周りの大人の配慮がのもとで、他人との比較ではない「自己完結する自分自身に対する絶対評価」を身につけていきます。

 人間が自己に対して行う評価は、「他人との比較」と「自己完結した絶対評価」の両方を加味した評価となりますが、「自己完結した絶対評価」の確立が十分でないと、他人との比較でしか自己の評価が出来なくなり、『自分よりレベルの低い人がいなければ、自己をプラス評価出来ない』という心の在り方の人間が出来上がります。

 このような心の在り方になってしまうと、無意識に「他人に対するマイナス評価を、自分個人の中のものではなく、隣人と共有することに努力を払う」行動を取ったり、「家族・出身地・国籍など、本人にはどうにもならない点にマイナス評価を求め、それを重視する」行動を取ったりします。

 それに対して、自分に対する絶対評価が確立している人間は、自分自身の行動自体に、自分自身が合格点を出している限り、その行動に対して他人が行う誹謗・中傷には、あまり傷つきません。
 自分の行動などに対して、評価を与えるのは、自分の中にある絶対的な価値観であって、他人からの評価ではないのです。
(ただし、自分の行動が社会的に認められ、それを通して自分の中の絶対的価値観が社会的に認められたと感じられるときは、深い満足感を感じるようです。)

 逆もしかりで、他人を誹謗・中傷することも少なく、他人に対しても、その個人その人の『人間としての絶対評価』はしても、その評価は自分自身以外の人に同意を求める性質のものではないということを、自覚しています。

 地域・文化・家族というレベルでの社会的差別はありますが、その根源にある個人の『差別する心』の在り方は、個人の劣等感や優越感と密接に関連しています。

 人間の成長は、子供の頃の「他人の真似をして育つ」時期と、「自分自身の価値観」を確立する思春期に大きく変わります。

 子供の頃は、他人の真似をして育つので、無意識に自分自身に対するの評価を、「他人」と比較によって行う傾向が強くなります。

 それに対して、第二反抗期を含む思春期には、人間として十分な社会経験や、周りの大人の配慮...続きを読む

Q渡来人の帰化

ふと疑問に思ったのですが、渡来人は外国人でしょうか、それとも帰化人でしょうか??
古代に大陸や朝鮮半島から渡って来た人たちのことを渡来人(そのまんまですね)と呼ぶということを確か高校の教科書で見ました。
でも、この言葉はニュアンスが掴みにくいんです。
つまり、その渡ってきた人たちやその子孫はその当時から歴史上ではどういった位置づけだったのかわかりにくいということです。
呼んで字のごとく、『渡来した外国人』という位置づけだったのでしょうか?それとも『渡来し帰化した外国人』だったのでしょうか?
また、現代では渡来人と呼ばれる人たちはいないように思います。(末裔の方はいらしても、日本人であるように思います)ということは、歴史上いつごろの時代に帰化したのでしょうか?
何か知っている方いらっしゃれば教えてください!!
お願いします!

Aベストアンサー

歴史学用語を誤解しているようですね。
渡来人は、以前は帰化人と記述されていました。
しかし「帰化」なる概念は王化思想に基づくもので皇国史観に繋
がるという極めて現代的、政治的な理由からそれが否定され、「渡
来」となったのです。
ですから、帰化であれ渡来であれ、実態は変わりません。あくまで
用語上の問題ですので。
ではその実態ですが、どういうものであったかというと、「新選姓
氏録」などの書籍では「蕃別」とされ一種の蔑視を受けていました
が、彼らの持っていた工業技術などは重宝がられ、比較的に安定し
た地位、時には重要な地位を与えられていました。また彼らには、
当然といえば当然ですが、天皇への臣従の意志、大和国への「帰化
」の意志があったことも事実で、例えば代表的な渡来氏族である秦
氏などは、在来の人々以上に積極的に、神社を建設するなどしてい
ます。

Qユダヤ人は何故迫害されてきた?

表題どおりなんですが、最近ユダヤ人に学ぶ
ビジネス書を読んで興味を持ったのですが
そもそも2000年の間迫害されてきた理由と
現在でもいい顔しない人もいるようですが
それもなぜか知りたいです。

Aベストアンサー

ユダヤ人迫害に関しては、一般的な問題と、ユダヤ人固有の問題の双方を考える必要があります。

一般に、放浪民族は、差別の対象になりやすい傾向があります。
それは、定住せず、地域に溶け込まず、自分達だけの世界をつくるためです。
国を無くした民族は、放浪民族になるか、その地で被支配民族となるか、多民族と混合するかの、どれかとなります。
ユダヤ人は、放浪民族となり、ユダヤ教という独自の宗教を中心として、国を失った後も、アイデンティティを持ち続けます。

そのため、分散した地域とは別の社会を築き、自分たちの結束を強める事により、民族を維持してきました。

独自の社会システムをユダヤ教が持つため、地域社会との摩擦が多発し、迫害の対象となります。
同じような例として、ロマ人(ジプシー)、アルメニア人などがあげられます。
ユダヤ人は、たびたびの迫害のため、資産を不動産ではなく、現金で持つようになり、金融業を中心とした活躍をします。

当時キリスト教も、イスラム教も、金融を禁止していたため、そこにユダヤ人の活躍の場がありました。
しかし、その事が、高利貸しユダヤ人となり、一般住民の反発を買う事になります。

また、ユダヤ人は、自己の結束を強くした結果、自分達ユダヤ人意外を全く信用しない民族になってしまっています。
現在のイスラエル人は、極めて利己的、協調性の文字が、イスラエル人の辞書には無いほどの多民族との協調性の無さ、他人の言う事を、全く聞く耳持たない性格、非常識なほどのケチ、などの性格を持ってしまいました。
そのため、イスラエル人と係わった後、必ずいやな感情を相手に与えてしまいます。
この事が、現在まで続くユダヤ人、イスラエル人迫害の原因となっています。

ユダヤ人迫害に関しては、一般的な問題と、ユダヤ人固有の問題の双方を考える必要があります。

一般に、放浪民族は、差別の対象になりやすい傾向があります。
それは、定住せず、地域に溶け込まず、自分達だけの世界をつくるためです。
国を無くした民族は、放浪民族になるか、その地で被支配民族となるか、多民族と混合するかの、どれかとなります。
ユダヤ人は、放浪民族となり、ユダヤ教という独自の宗教を中心として、国を失った後も、アイデンティティを持ち続けます。

そのため、分散した地域とは...続きを読む

Q渡来人が仏教を伝えた?

大和朝廷の時代、中国や朝鮮から日本へ移り住んだ技術者たちを渡来人と言うそうですが、彼らは用水路や古墳を作る技術、鉄器や青銅器を作る技術、養蚕・機織の技術などを伝えたと聞きました。

では仏教は渡来人が伝えたのだと言い切ってもいいのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教が伝わってきたのには公伝と私伝とがあります。つまり国家が要請して伝えてもらう、というのと、そうでなくて誰かが持ってきた場合。
前者については百済聖明王から、ということで百済からの伝授です。つまり朝鮮経由。
ですがその前に明らかに私伝があります。つまり向こうから来た人が伝えたものです。これは当然ながら渡来人によるものです。
その後ある程度の知識と信仰が背景になって改めて国家が要請して経典や仏像、さらに僧侶そのものを招来することになります。さらに発展した段階でこんどは人を留学させて、勉強させて、という形になります。この場合は渡来人とはいえないでしょうが、少なくとも最初の私伝、そして公伝もある段階までは渡来人によるものと言い切れますね。

Qアイヌ民族について

今、大学のレポートを書いているんですが、どう探してもわからないので質問します。アイヌおよび北方民族の呼称の変化について何かわかれば教えてください。できれば詳しくお願いします。

Aベストアンサー

日本の古代、中世の記録によると、「蝦夷[エミシ]」が登場します。
平安時代末期になると蝦夷は“エミシ”ではなく“エゾ”とよばれるようになり、蝦夷はアイヌ民族を指し,擦文文化からアイヌ文化へ移行したようです。

詳細は、参考urlをご覧ください。
下記のページもご覧ください。
http://www.ryuhyo.com/annai/event/orocyon.html

http://homepage2.nifty.com/tkina/papers/19970630.html

参考URL:http://www.onitoge.org/nyumon/rekishi5.htm

Q新羅、高麗など渡来人の信仰したものは?

日本書紀や続日本書紀などに新羅、高句麗などからの渡来人を
東国に移住させたとあります。
もしそうなら彼らの信仰した神などを祀った痕跡があるとおもうのですが、
それは何でしょうか?
埼玉県に高麗神社があり、開祖である高麗若光の墓もありますが、
神社は渡来人が始めたものなのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

長野県松本市の東部には、高句麗からの渡来人が移住し、積石塚などの遺跡があります。
http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/prefecture/061.html

この古墳の近くに「須々岐水神社」がありまして、祭神は建御名方命、素盞鳴命となっています。
素盞鳴命(スサノオノミコト)は牛頭天王との関連が指摘されており、中世以降の神仏習合の過程において、高句麗の人々が信仰していた神が、スサノオに置き換えられた可能性が考えられます。

参考URL:http://homepage3.nifty.com/himegappa/jisha/chushin/susuki.html

Qアイヌさんについて

差別されてたとの話聞きますが理由を教えてください

Aベストアンサー

見た目や言葉・慣習・文化の違いからじゃないですか? 人間、異なる存在には生活や身を守るために警戒心を持つものです。

後の時代の人間が人種差別だと訴えても当時の日本人には「何それ?」的な話。


当時はジョン・レノンはいなかった。ラジオやテレビから「イマジン」が流れてくる時代ではなかった。

現代では混血が進み、純粋なアイヌは存在しないようですね。


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