題名の通りですが、カントの思想や業績を追っていってもすっきり「どういう人だ」というイメージがわきません。その点、デカルトの思想ははっきりとイメージできるのですが、カントの場合、とらえどころがありません。イメージでわかりやすく、高校の倫理程度のご説明をしていただければと思います。よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

s-wordさん、久しぶりですね。


さて、カントの業績が判らないとのことですが、話を高校の倫理に限ってしまうとそれは当然です。

カントの哲学上の業績で一番大きくかつ重要なのは「純粋理性批判」です。ここで、彼は従来あった経験論と合理論のいずれにも限界があることを指摘し、理性の認識能力についての限界を示します。簡単に言うと、学問と呼べるものの対象は経験に限るべきであり、それを基礎としてもたないものは「信仰」の対象でしかないとします。同時に、人間が外界の事物を認識出来るのは、私たちにその認識を構成できる能力があるからだ、とします。(哲学プロパーの方へ:これはものすごい省略です。哲学プロパーからみれば誤りだらけだと批判されること必定ですが、哲学的訓練のない人に判るように書くとこうなると思います。)この業績は哲学史上に燦然と輝くものであるといえるでしょう。

さて、カントには三つの問いがありました。その内容は
1.何を私は知ることができるか?
2.何を私は為すべきか?
3.何を私は希望することができるか?
の三つの問いのうち、初めのものに答えたのが「純粋理性批判」です。
2番目の問いに答えたのが「実践理性批判」です。この本でカントは義務の遂行を道徳の中心問題として説き、人間の自由意志とは何かを追求しました。これはある程度は「純粋理性批判」からは独立していますが、カントとしては1.の問いに答えたあとの次の問題です。

ところで、高校倫理の教科書に載っているカントの内容は実はこの「実践理性批判」の内容であり、「純粋理性批判」の内容にはまったく触れられておりません。
(どうしてそうなっているかは旧文部省で教育内容を精選した人に聞かなくては判りません)そのために、デカルト以来の合理論とベーコン以来の経験論を批判統一してドイツ観念論を作ったと言われてもピンと来ないのだと思います。学校の教員によってはそういう説明すらなく、ただ単に「善意志」とか「人格」とか「目的の王国」とかを説明する場合もあるでしょうし・・

つまり、カントは人間の理性の限界の中で、学問として道徳・倫理を考えようとし、その枠内で何を為すべきか、何を善とするか、自由意志とは何か、などを展開しているわけです。

ですから、カント哲学の神髄を知るためには、高校倫理の枠を越えて認識の問題、そしてカントのいう「理性」とは何かの問題に踏み込まなくてはなりません。・・残念ながらそれについては、このような欄で述べきれるものではなく、専門家としての道を歩む決意なくしてその道に入るわけには行かないのではないかと思っております。
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この回答へのお礼

>s-wordさん、久しぶりですね。

aminouchiさん、お久しぶりです。その節はお世話になりました。

>カントの哲学上の業績で一番大きくかつ重要なのは「純粋理性批判」です。ここで、彼は従来あった経験論と合理論のいずれにも限界があることを指摘し、理性の認識能力についての限界を示します。

教科書を見ると、「カント以前にデカルトとベーコンという人が出てきて、それらを批判したと書かれています」が、曖昧な説明でよくわかりませんでしたaminouchiさんの御説明で、「純粋理性批判」というものを知ることができて、深く理解することができました。どうもありがとうございました。ところで、専門家の方を前に非常に乱暴な言い方で恐縮なのですが、「イギリス経験論哲学と大陸合理論哲学を足して2で割った」と捉えるのは間違っているでしょうか。

お礼日時:2001/10/26 01:07

回答ではありませんが、(私の経験から、)気に留めておいていただきたいことがありますので書いておきます。



大学に進学し、そのときにまだ哲学に関心をもっていたら、ぜひ、できるだけ原書講読を多くしてください。本は購入する必要はありません。1ページでも、半ページでもかまいません。きっと多くの新たな発見があるでしょう。

カントは原書も難解なのでお薦めできません。デカルトは原書もやさしく、(当然ですが)日本語もほとんど反復しないで理解しながら読み進むことができるので、最右翼で推薦できます。

私は、きわめて貧困な語学力で、モンテーニュ、パスカル、ショーペンハウエル、スピノザ、ヤスパース、ベルグソン、ちょっとずれて、B.ラッセル、エマソン、ウェブレン、カーライル、ラスキン……何と一貫性がない(~:~)などに挑みました。もちろん、部分的に気に入った箇所のみではあります。
しかし、なんと瑞々しく、なんと新鮮な言葉として入ってくることか…と感激したものです。デカルトなどは、日本語で読んだ場合とは、イメージも大きく変わりました。単なる合理主義ではない、デカルトの呼吸のようなものを、その文体、その文脈から感じ取ることができました。このような経験こそ、意識の中に持続的に残る“哲学の恵み”となるものだと思います。

日本語訳に対しては、きわめて腹立たしく感じたことも再三再四です。恣意的に難解な表現にしたり、主部と述部の対応ができない、あるいはあいまいな、論理学でいう標準形式から逸脱した叙述が、当然のごとく、ふんだんに出てくるのです。これが哲学書を我々から遠ざけている大きな要因の一つになっています。それだけではなく、ちょうど透き通ったガラスに曇りをかけてしまうように、その魅力を隠蔽してしまっている、と言ったら言い過ぎでしょうか。しかし、そういう例が目立っているように思われます。(誤解が生じないように付け加えておきますが、いつ頃からでしょうか、昨今ではずいぶん改善されています)

もとより、日本語の顔をした外来語のようで外来語でない明治期の多くの造語、これも始末に負えない厄介者としていまだに残っています。
(福沢諭吉、西周、???? らの、この作業の概要、可能であればその全貌を知りたいと考えています。どなたか、文献などを紹介していただければ幸いです)

脇から出しゃばったような発言、失礼しました。
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この回答へのお礼

>大学に進学し、そのときにまだ哲学に関心をもっていたら、ぜひ、できるだけ原書講読を多くしてください。本は購入する必要はありません。1ページでも、半ページでもかまいません。きっと多くの新たな発見があるでしょう。

原書ですか。日本語で書かれてたものより原書に触れてみるのが一番かもしれませんね。進学したあとに読む本を部屋にためているのですが、それを読んだあとに挑戦してみようと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/11/16 03:48

はじめまして、s-wordさん。


「イギリス経験論哲学と大陸合理論哲学を足して2で割った」というご意見では足りないかもしれません。なぜなら、彼が作り出した概念の多くは実に独自性に溢れているからです。あえていうなら、経験論の抱えていた懐疑的な部分と、合理論の持つ独断的側面に、カントがまったく新しい概念を構成してこの双方の問題にもちこたえる哲学を創建したわけで、その創造的な部分をイメージの中に加味しなければ、たんなる集大成した人で終わってしまうからです。

それというのも彼の主著とされる三冊の「批判書」は70になるかという老人の手によるものです。それまで時計のように生活をしてきたという彼の日課には毎日会食のあとの、友人達との議論の時間というものがありました。そこでもちだされるありとあらゆる哲学的議論は、経験論から合理論まで、様々な定義と命題が交差する場所だったのです。このような長い年月をへて、ついに彼は、その無数の問題群にすべて答えられるような、哲学的な空間をつくりだしたからでした。

それらはすべて人間の能力について考えられたものです。感性、悟性、理性という3つの独創的な働きをもつ概念の構成によって、3つの批判書は構成されています。それぞれの書では、それぞれの概念の役割がかわり構成法がかわります。第一批判は
aminouchiさんが明解に説明されたように、認識能力の仕組みをさぐったものです。これは感性にまつわる、詳細な議論なのです。特色は、認識能力に<時間>の要素を加味したことにあるようです。この認識はかわっていて、自分がいわば認識できるように世界のほうへ認識の法則の網をなげこむのです。こうして網にかかったものだけが認識できるというわけです。(物自体という言葉が思い出されてきたでしょうか)

第二批判ではいかに道徳的に行動するかというテーマを認識の仕方のモデルを用いながら、答えたものです。ここでも自分自身が取り決めた法則にのっとって、自分自身がそれを合法的に行うこと、そこに自由をみいだしています。なにしろ自分で決めたことだけしかしないわけですから、こんな自由と畏怖はありませんよね。ここでの特徴は実に、法廷としての理性という考えです。主客的認識よりも、むしろカントの近代性は、審判者として理性を持ちえたというところにあるようです。

第三批判こそは、彼を経験論と合理論の折衷者としてはとどめ置かない魅力に溢れたものです。そこでは判断力という人間の能力が検討されます。美的なものと目的論的なものに区別されるのですが、常にこれらの判断力は、今まで取り決めてきた
3つの能力の関係を反省して、再構成するチャンスをあたえるにようになっています。

これらを大急ぎで見渡してみて、一つだけ大きなカントという名前に裏書するもの
があるとすればそれは、やはりデカルトもそうだったわけですが、哲学を組み立てる根本からやり直した人であるという印象を持つことができるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

taleさんはじめましてこんにちは。お礼が遅れて申し訳ありません。御説明していただいたことを頼りにもう一度、別の本で勉強してみると何となくカントのことが分かってきたような気がします。taleさんの仰る「経験論と合理論の折衷者としてはとどめ置かない魅力に溢れた」ということがわかるようになっただけでも良かったと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/11/16 03:37

大変に面白く、ユニークに説明されている文献を紹介しましょう。



みすず書房から出版されている『西洋哲学史』のカントに関する部分を読むとよいでしょう。

客観的な視点ではなく、B.ラッセル独自の視点になりますが、とても魅力ある説明をしています。
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この回答へのお礼

参考文献をご紹介していただいてありがとうございます。ぜひ書店に立ち寄ったときに見てみたいと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/10/26 00:57

下記サイトを参考にしてはどうでしょうか?



参考URL:http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/44/ohsu …
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。いっぱい知らない人が出てきてびっくりしてのですが、とても抽象的なお話でおもしろく読ませていただきました。

「こうした展開にもカントとそれ以降のドイツ観念論に見られた議論の反映を見出すことができる。カントの自己認識に関する議論においては、「自己」を完全に認識することの不可能性が主張され、「私の意識」と「私の認識」を区別するという形で(B154)自己認識においても主客の分離の原則が維持されているが、」

この部分批判哲学の意味なんですね。

お礼日時:2001/10/26 00:56

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3.青かびタイプ
4.セミハードタイプ
5.長期熟成
6.シェーブルチーズ?
7.ウオッシュタイプ

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アナトー色素については、本来の伝統的な製法には用いられません。どうして添加するのかを考えましたが、本来は長い期間熟成させてから食べるチーズなのに、工場で短期間に大量生産しているのが現状ですので、熟成させているように見せるために色素で色をつけているのだと思います。ちなみに実際に熟成したチェダーチーズはオレンジ色ではなく褐色らしいですよ。

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竹田教授の哲学講義21講―21世紀を読み解く [単行本] 竹田 青嗣 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/443415432X

カント入門 (ちくま新書) [新書] 石川 文康 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480056297

カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか (ちくま学芸文庫) [文庫] 石川 文康 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480092145

デカルト―「われ思う」のは誰か (シリーズ・哲学のエッセンス) [単行本] 斎藤 慶典
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140093072

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Qこれは美味しいと思うチーズは?

最近白カビタイプのチーズやブルーチーズ等いろいろなチーズに興味を持つようになりました。チーズの種類は関係なく、あなたが美味しいと思うチーズを教えて下さい。
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こいつを生ハムにちょこっと乗せて食べると上手いです。
第2位はスティルトンです。イギリスのブルーチーズです
そのままでも上手いしチコリやセロリに載せて食べても塩味が強いので上手いです。
第3位はモッツァレラチーズそのままでもトマトと合わせても上手いです。

で、今まではワインに合うものをあげてきました
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Qカントの思想について、アインシュタイン以後、この宇宙の時間と空間は伸び

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哲学の歴史ではカントの存在は圧倒的に大きい気がするので、私もいつか時間ができたらカントの本を読んでみようとは思っているのですが、現代ではナンセンスだ、と言われると、ちょっとさみしいような気がします。

現在の世の中について何か論じたいと思ったら、思考のベースとしてクラシックな哲学をひも解くより、現代の思想家の本を読んだほうが良いのでしょうか?どちらにしても、現在の思想のルーツを確認するために、過去の思想も知る必要はある気もするのですが…

ヘーゲルについても、アマゾンのレビューでもっともらしく批判されている方がいたので、思想史の貴重な資料としてはともかく、近代あたりまでの哲学は現代の思想、社会分析には直接は役に立ちにくいのかな…という不安もあります。どうなんでしょうか?

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ということが立花隆氏の近著に書かれていたのですが、哲学の学問の世界でもそういう認識はあるのでしょうか?

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Aベストアンサー

「哲学の歴史ではカントの存在は圧倒的に大きい」というご指摘の中に、
既に答えがありますが、アカデミックな“歴史研究”としての側面が
大きく、哲学本来の意味である実際に生きていく上での世界観として
の思想とは遊離しています。

ちなみに、絶対時空のアンチテーゼとして、100年も前の相対性理論を
持ち出すのは古過ぎで、アインシュタインさえ、その後の量子論的
世界像についていけず、古典的な遺物として批判にさらされました。
相対性理論において、時間と空間が絶対的ではなく、観測者との相対
において変動するものだと指摘したアインシュタインですが、そこに
相互作用する物体は、認識体とは独立した絶対的なものとして扱って
いました。
しかし、量子論的世界像(コペンハーゲン解釈)において、
「人間原理」が提唱されるに至り、アインシュタインは必死で反論
したものの、次第に孤立して晩節を汚しました。
量子力学の不確定性原理は、同時期に登場した論理学における
ゲーデルの不完全性定理と共に、“認識のいい加減さを排除した
絶対的な本質”を否定(ないし無(無限不確定性)に還元)しており、
それに基づかない思索は、いかに深くとも矛盾(先験的思い込み)を
内包する、いわゆる「素朴唯物論」と呼ばれるものに属します。

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に
よって生じています。
量子的な相補的不確定性を介した、自我仮説と時空仮説の相補分化
と、そこにおける、無の射影としての存在性。
(無の無限の闇に対する自我の射影)
全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)
補完なのです。
我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、
「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の
感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験
(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的
広がりは発生しているのです。
(認識体自身が、その仮説的空間に有限な大きさを占めている
ことで先入的根拠の完全否定)
(ここから先は、過去回答をご参照下さい↓)
http://okwave.jp/qa/q5875288.html

「哲学の歴史ではカントの存在は圧倒的に大きい」というご指摘の中に、
既に答えがありますが、アカデミックな“歴史研究”としての側面が
大きく、哲学本来の意味である実際に生きていく上での世界観として
の思想とは遊離しています。

ちなみに、絶対時空のアンチテーゼとして、100年も前の相対性理論を
持ち出すのは古過ぎで、アインシュタインさえ、その後の量子論的
世界像についていけず、古典的な遺物として批判にさらされました。
相対性理論において、時間と空間が絶対的ではなく、観測者との相対
におい...続きを読む

Qカントについて

現在レポートを書くためにカントについて調べています。
今混乱していてはっきり言って自分でもどこがわからないのかよくわからないのですが、倫理学を中心に書きたいと思っています。

そこでなにかカントの倫理学についてお勧めの本などあったら是非教えてください。

また、現代におけるカント哲学という点で、カント哲学がどのような影響を現代に与えているか教えてください。先日カリーニングラードで18カ国が参加した国際学会が行われたというのを目にし、現代におけるカント哲学について何か知っていることがあったら教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カント」にある、「普遍化の論理と相互承認の倫理」(342~358頁)がお勧めです。

この論文においては、序の見出しが「カント理解の現代的状況」というように、まず、カント解釈の中でも主に倫理を巡る研究史を示し、それから「定言命法」と「倫理」の問題を現代のカント研究の立場から論じていきます(注も57個付されていて、役に立ちます)。
また、この「カント」特別号には、アドルノ研究者の細見氏による「アドルノのカント論」(286~294頁)も見られます。

さて、今年、2004年度は、世界の各地でカント・シンポジウムや国際会議やゼミナールなどが非常に多く開催されています。カントの生誕地カリーニングラードにおけるものは、その一例に過ぎません。
2月12日の記念祝典の後、4月22日から24日に開催されたカリーニングラート大学による国際会議では、だいたい以下のようなテーマに分けられたようです。
1)異文化におけるカント受容
2) カントの理論哲学における先験性と先天性の問題
3) カント哲学における形式および超越論的論理学
4) カントの実践哲学における普遍主義
5) カントにおける人間と文化
6) カントによる生の構想

先述の「普遍化の論理と相互承認の倫理」という問題は、まさに四番のテーマですね。

しかし、
>カント哲学がどのような影響を現代に与えているか
を本当に考えるならば、やはりニーチェの存在を忘れてはならないでしょう。

今月の26日~29日にナウムブルク(Naumburg)では、「理性、生、存在 ― 衝突するカントとニーチェ」というテーマのもと国際会議が開かれます。カント協会とニーチェ協会の相互協力のもと(ニーチェは怒るでしょうね、、、笑)。

ニーチェが『善悪の彼岸』などでカント批判をしているのは有名ですね。しかし、その批判の背後にはどのような倫理的問題があったのか、ニーチェ自身が使う手段を逆に使って、なぜそこまでカントを批判したのか?、など考えてみるのも面白いかも知れません。

それでは

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カン...続きを読む

Q18世紀のドイツの哲学者・カントは、生涯を生まれ故郷でほぼ過ごしたにも拘らず、歴史に残る業績を、なぜ

<イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク>
で生まれ>
<生涯のほとんどをその地で過ごし、そこで没した>
そうです。中退した大学も、その地だそうです。
他の地を旅行し見聞を広げたり、賢者と議論をしたことがないようです。
このカントが、一生限られた狭い土地で過ごしたにも拘らず、歴史に残る業績をあげることができたのは、どいう理由があったのでしょうか?

Aベストアンサー

思考を深めていったからだと思います。

その時に哲学的批判に気がついた。
その実践によって自己を深めることができたので、偉業を残せました。

ようは「自分と向き合ったから」と言うことのようです。
自分の答えは自分が持っていることを証明して見せたと
言えるのではないでしょうか?

単なる思考好きではなかった。
超思考好きで、貢献をして長寿だった。

以前は、哲学でカントだけは読まないとしていたのですが
自分と同じ考えを検索で探すと、カントが幾度も浮上して
諦めて読むに至り、哲学カテを徘徊するようになりました。

Qたこ焼きに合う「チーズ」って?

最近?チーズ入りたこ焼きって流行ってますよね?

1.みなさんは、どの種類のチーズが合うと思いますか?
おすすめのチーズ(具でも、生地に混ぜ込むタイプ、上にかけるタイプ?
どれでもかまいません)を教えてくださいv

2.あと、チーズ入りたこ焼の場合、たこは入っていた方がいいですか?
それとも、ない方がいいですか?

3.同じく、チーズの場合、ソースやマヨネーズはあった方がいいですか?
何か合いそうな物があったら教えてください。

その他、何かたこ焼きについておもしろいことがあったら教えてください。
よろしくお願いしますv

Aベストアンサー

#2で書いたEivisですが、今日は昼から「チーズタコ焼き」に挑戦しました。

使ったチーズは家にあるもので、先日書いたウォッシュタイプや山羊のチーズなどはまだ季節外れなのです。

用意したのは塩分の少ない順に「キャマンベール」「グリュィエール」「ゴルゴンゾーラ」というところで、
このうち「ゴルゴンゾーラ」が一番個性的で、味もしっかりとしているようです。

いずれもソースなしでは物足りなくて「キャマンベール」「グリュィエール」などはお好み焼きソースとも一息あわなくて、
LIONの「ガラムマサラカレーソース」にマヨネーズを加えたものの方が一番あったようです。

一方日本製の「とろけるチーズ」「プロセスチーズ」を入れたものが意外に美味しく、特に「とろけるチーズ」などは
「グリュィエール」などより値段的にもいい線をいっている訳です。

どうせ試し序という事で「小ぶりの海老」「ホタテの貝柱」も試して、それぞれ美味かったのですが・・・どうして
「タコ」は一番しっくり来るんでしょう??
どうも一昨日意気込んで考えていたほどの成果は得られませんでした。

最後に感想としては、チーズは同じ粉でも「イースト菌」醗酵したフランスパンやライ麦パン等と相性がよく、
薄力粉を使った粉臭い焼き物には「ホタテ貝柱」「海老」「タコ」といった魚介の方が合うように思います。
 このことは溶いた天ぷら粉のような「たこ焼」が海産物に本来あっているのかもしれません。

いずれにしても「ソース」が意外に重要な事がよくわかりましたが、ひょっとすると「具のない」タコ焼でも、
青海苔、赤生姜、オカカが載っていれば結構いけるのではないかと思いました。

#2で書いたEivisですが、今日は昼から「チーズタコ焼き」に挑戦しました。

使ったチーズは家にあるもので、先日書いたウォッシュタイプや山羊のチーズなどはまだ季節外れなのです。

用意したのは塩分の少ない順に「キャマンベール」「グリュィエール」「ゴルゴンゾーラ」というところで、
このうち「ゴルゴンゾーラ」が一番個性的で、味もしっかりとしているようです。

いずれもソースなしでは物足りなくて「キャマンベール」「グリュィエール」などはお好み焼きソースとも一息あわなくて、
LION...続きを読む

Q高校倫理 カント『純粋理性批判』について

 大学受験生です。
 教えていただきたいことがあります。
 カントの『純粋理性批判』に対する参考書の解説の中で
 「感性のはたらきとは、必ず特定の時間、空間を前提としてなされる」
 「私たちの経験による認識というのは、実は何らかの時間、空間を限定した上で
ないと成立しない」
という表現があるのですが、よく内容がつかめていません。
 具体的にわかりやすくご説明いただけると助かるのですが。
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

哲学経験ないけど、何となく回答>w<b
>感性のはたらきとは、必ず特定の時間、空間を前提としてなされる
>私たちの経験による認識というのは、実は何らかの時間、空間を限定した上で
ないと成立しない
この二つの命題は実質的には同じこと言っているようだよぅ
「経験」=感覚や知覚によって直接にあたえられ体験されるものごと
感覚や知覚→総じて感性をさすと思うぅ
それで、二つの命題比べたら、なんとなく言ってることはおなじかなぁ
ようは感性と限定された時間・空間の関係をいってるってこと

つぎ!
自分たちの日常会話って、大体場所と時間を指定して会話されるよねぇ?
A 「集合!!」
B 「どこに?」
A 「山梨県に」
B 「いつ?」
A 「週末に」
B 「なぜにわざわざそんな遠くに?」
A 「山が本当にないのか手分けして調べよう」
とまぁ、こんな風に何処で何時何分何秒地球が何回回ったらという時間・空間の限定を伴って
初めてコミュニケーションが成り立っているといっても過言ではないのでは?

逆に時間・空間指定がなければどうなるかなぁ
例えば、時間指定がない場合
A 「Cは私の妻だ」
A 「Dは私の妻だ」
B 「重婚・・・!?」
このばあい、Aは犯罪者(重婚罪)かあるいは一夫多妻制の国の人となってしまいそう
でも、時間指定があればはっきりするかなぁ~
A 「Cは私の妻だった」
A 「Dは現在の私の妻である」
E 「おまえだったのか!わしの元妻Dの不倫相手は!!」
E 「いつだ、いつからなんだ。はけ!!」
A 「うははははぁ、ぐはぁ、・・・」
*動詞の過去・現在形も時間指定の一種と考える
いずれでもなかったとなってまうことにも・・・
空間指定は考えてみてちょ
このように日常生活においては、時間・空間の限定があって初めて
物事が認識・理解されるといっても過言ではなさそう
時間・空間の限定、すなわち時間・空間の区切りがあって物事の関係が見えてくるということ
ここでもう一つ
人の理解とか認識はどのような過程を経て起こるか
外界→感性→認識→理性→観念、データ、命題etc→理性→観念、データ、命題etc→・・・・
という感じにかんがえられているのかなぁ?
これを前提に話をすすめようっと
>感性のはたらきとは、必ず特定の時間、空間を前提としてなされる
>私たちの経験による認識というのは、実は何らかの時間、空間を限定した上で
ないと成立しない
これは、つまり、
外界→感性
の段階で時間・空間の区切りがおこっているということでは?
つまり、外界を、区切られた時間・空間として感覚に受け止めて認識に至るということ
例えば、t時にA点にある物体がT時にB点に移動するという現象を
t時における空間A点、T時における空間B点、と時間・空間を限定(or区切る)したうえで、
その二つの区切りを対比した結果として物体の動きを認識するに至る
これが感性の働きだ、ということかなぁ
でも、これだとパラパラ漫画みたいだなぁ
なんか変じゃないか!!
>カントの『純粋理性批判』に対する参考書の解説の中で
この参考書の題からして、理性と感性を比較してるのではなかろかぁ
つまり、時間・空間の限定は理性の作用ではなくて感性の作用だよとか

あり、これじゃぁ日常会話の件、意味ないような・・・
あ、でも、日常会話の件考えると、時間・空間限定は理性の作用とでもいえそうだぁ
たぶん><

げぇ、もうAM4:00じゃんけぇ
なんてこった!!

哲学経験ないけど、何となく回答>w<b
>感性のはたらきとは、必ず特定の時間、空間を前提としてなされる
>私たちの経験による認識というのは、実は何らかの時間、空間を限定した上で
ないと成立しない
この二つの命題は実質的には同じこと言っているようだよぅ
「経験」=感覚や知覚によって直接にあたえられ体験されるものごと
感覚や知覚→総じて感性をさすと思うぅ
それで、二つの命題比べたら、なんとなく言ってることはおなじかなぁ
ようは感性と限定された時間・空間の関係をいってるってこと

つぎ!
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