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 土佐日記の「忘れ貝」で、
(1)「女子のためには、親、幼くなりぬべし。」とありますが、何に対して、「親がきっと幼くなってしまう」のかが、いまいちよく分かりません。和歌の直後に、唐突にこの文が綴られる意味が良く分かりません。

(2)また、「『珠ならずもありけむを。』と、人言はむや。されども、『死じ子、顔よかりき。』と言ふやうもあり。」というところも、よく分かりません。「死んだ子は、顔が良かった」というようなこともある、とのことですが、誰がそのようなことを言うのですか??

(3)また、最後に「ある女の詠める歌」が綴られたのはなぜでしょうか?これも唐突な印象がぬぐえなかったのですが…

 現代語訳だけでは、上記の疑問が私の中では解決できませんでした。分かりやすくお教えください!お願いいたします。

A 回答 (2件)

下記のサイトの訳では、


「(死んだ)娘のためには、親は子供のように聞き分けがなくなってしまいそうだ。
『玉と言うほどもなかっただろうに。』と人は言うかもしれない。
しかし、『死んだ子は、器量よしだった。』という言い方もある。」
とあります。
まず、「ある人」は死んだ自分の子のことを「白玉のように可愛らしかったあの子」と歌っています。
よって
(1)死んだ子に対しては親バカにもなるもんだなぁ
(2)そんなに可愛くはなかったという人もいるが『死んだ子は、器量よしだった。』ということわざもある。
(3)については、別のサイトに解説がありました。http://www.asahi-net.or.jp/~mq9k-ymst/KYkobun/sa …

参考URL:http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/tosa/wasure/y …
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この回答へのお礼

大変遅くなりました。申し訳ありません。
わかりやすいご説明、ありがとうございます。ようやく理解することができました(^-^;)

お礼日時:2005/12/04 11:15

土佐日記は、土佐で娘を亡くした悲しみとその悲しみを払拭するためのたびの記録として読むこともできる作品でもあるので、それを前提として読まれると、「唐突!」感がなくなるのではないか、と思います。


感慨深い作品ですよねぇ、(つくづく)。
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