
言葉を通して考える事について。
「聞く」
誰かの発話を空気の振動を経由し聴覚神経を経て
(あるいは何かの本を読んで)
「考える」
発話された意味を言葉に翻訳して理解する、
「カンガエル」
発話による刺激と、脳の中の記憶により、信号に変換
01.01.01.・・・又は、同じ、違う、同じ、違う・・・
この繰り返しの結果
「考える」
脳の中の信号の結果を、言葉に再度翻訳して、
「発話」
『言語のない世界に生きた男』の話は本当ですか?
大変大雑把な図式ですが、
質問は、「カンガエル」と言う部分が、
カントの言葉を借りれば「物自体」にあたり、
感性的な理解は不可能であり、結果として、
思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。
皆さん、どう思われますか。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
関係ない話ですみません。
だって意味がよくわからないものですから。(;;)
でも犬を飼っていると、このあたりの事情がなんとなくわかります。
ノンバーバルコミュニケーションというか、動物との意思疎通というのは
なんとなくありそうな気がします。
犬は考えていないかというと、結構考えているのです。
行動を選択しその結果を喜んだり、落胆したりします。
主人の行動を観察して、「散歩かな?散歩に連れていってくれるかな?」
と目をきょろきょろ、おちつかないそぶりを見せます。
台所でカンッという、皿のふれあう音がすれば「条件反射」で駆け寄って
餌を催促するように吠え続けます。
この条件反射なるものが、実は「カンガエル」の原型であるかのように
思うのです。
記号論的に言えば、意味作用とでもいうのでしょうか、
事象やモノに意味を付与する(意味を選択する)行為が、
「思考」の実体であると思えます。
次に記憶ということがあげられます。
学習といいかえてもいいです。
条件反射は記憶による学習ですが、そこに言語は介在しません。
嗅覚と音などがおりなす気配が、次のおこりうる事象を予感させる
から、犬は吠えたり、そわそわしたりします。
ただ、そこに、いわゆる人間の言語は介在しないのは間違いない
けど、犬は犬なりに一連の気配を、グーとがガルルとか◎$)(’&%$
とか名前はないにしろ感性的に識別してる可能性はあるかもしれない
しかし、一方でそういう行動を観察する人間が「ゴン太。ごはんよ」
とか「ポチ。散歩だよ」と「発話」することで、音を聞き取って、この
僥倖は「ごはん」という発話でもって確定するという学習をしている
という可能性があります。
おそらく、感性的な思考はあると思います。
記憶と密接にむすびついていて瞬間的に一定の結論を導きだします。
それが未来の記憶(デジャヴュや潜在意識)であったりするから
不思議で楽しいのでしょうね。
なんか的外れで恥ずかしいなぁ(^^;
なんか的外れで恥ずかしいなぁ(^^;
とんでも有りません、参考になる回答有難うございます。
なつほど、犬とのコミュニケーションですか、「なまもの」の嫌いな私は全く気が付きませんでした、金魚鉢の癖に(笑。
つまり、犬は「ポチ」と発話されても、◎$)(’&%$と聞き、○$)(’&%$→●$)(’&%$→◎$)ごはん(’&%$
その後、目の前にドックフードが現れて、からだ全体で学習する。
ひゃ~あ、それこそ意味がサッパリわかりませんね、反射ですから。
でも、基本的には、犬のしていることと、人間のしていることの違いは
質ではなく量の違いだと考えるべきですね(そんな事言ってません、ですか?)
ちょこっと疑問も書いときます。
人間は「視覚」が他の感覚より優先されるそうです、
犬の場合「臭覚」がもし優先されると、別の解釈の可能性も有りそうですね。
デジャヴゥですか、判らない事がいっぱいで「くわばらくわばら」
改行二つ
だって意味がよくわからないものですから。(;;)
質問の意味はよくご理解いただけたと思いますが、
「意味がよくわからない」て何処の事(笑。 有難うございました。
No.11
- 回答日時:
面白いですね。
日本語と英語など共通する概念を有する名詞の違いは各文化との関わりが深いとされていますよね。
思考と言語との関係、言語と文化との関係から推察すると、人間は生来、言語能力を持ち、生まれた環境の持つ文化に影響された言語を習得し、その中で普通は思考をするとされてるのではないでしょうか。
「考える」については小林秀雄さんが書かれてますが、私はあまり面白く読めなかったけれど、ひょっとしたら答えが見つかるかもしれません。
カントが書いてる思考は、有意識の筋道だった論理立て、哲学的な思考法ではないのでしょうか?
無意識下、もしくは情緒的な感性、直感と判別してるのではないでしょうか。
ご回答有難うございます。
小林秀雄さんですね。
パソコンデスクの柱に並んでいる、付箋がまた増えてしまいました(笑。
あたりまえのように、毎日考えていますが、
判らない事が一杯で、確かに、面白いですね。
>無意識下、もしくは情緒的な感性、直感と判別してるのではないでしょうか。
やや、フロイトの無意識、カントの直観、戦線を拡張しすぎた為、撤収!
また宜しくお願いします。
No.10
- 回答日時:
ヒョンなことで覗いてみると、面白そうなので。
。言葉で考えることを「思考」と概念付けることは可能に思います。
只、犬猫など《言語》をもたないと言われてるものも考え、判断はしています。
《思考》のあとに《言語》がある。
《言語》とはチョムスキーの変形生成理論によれば、《言語脳》の能力が豊かなのが人間。日本人でもアメリカで生まれ育てば、英語をしゃべる。教えなくても。そういう意味で普遍的な能力。
でも、10歳と8歳だったか狼に育てられた姉妹は、姉は生涯(寿命も狼並み)遠吠え、四足で歩き、食事も狼的だったそうです。
見た目は人間でも脳が狼になってしまっていたそうです。
おっしゃてるテーマが「思考」の定義によりかわるのを思います。
犬も4~5歳くらいの言葉は理解しますが、発話能力が舌発音器官にありません。ただ、声帯や鼻息で音程などで表現はしていますが、それは、気持ちを表現してることが多く、《言葉》にあたることの表現はジェスチャーによるのを思います。言葉なら数秒で伝わることが、数分かかったり。
書き込み有難うございます。
補足要求ですか、どのみち、すべての書き込みにお礼しますから
ここで書いておきます。
回答とお礼の繰り返しで、私も訳がわからなくなったのでしょうか(笑。
基本は>言葉を通して考える事について。
パズルやリュービックキューブでしたか、図形や数字ではなく
概念的言語を使用して考える場合
脳の中で起きている事を、どこまで理解できるか、と言い換えても良いかも知れません、脳の中には、神経細胞と化学物質、電気、大体そんなものしか有りません。
それを、人工知能やチューリングマシンと比較して「脳の中の言語」と「発話されたり聞こえる言語」との関係を、どこまで推測できるのでしょう?
例えば、チュムスキーの普遍文法にしても
英語を使う人の「dog」と日本語を使う人の「いぬ」と発話で
脳の中でどこまで同じ(普遍的)でどこが違うのか、とか判りますか。
これで、補足になりますでしょうか?また広げてしまった、締め切れない。
それにしても、ただでさえ文法は難しいのに英語の文法ではお手上げ。
外国の研究の紹介ではなく、日本のチョムスキーがいれば判りやすいかも
有難うございました。
No.9
- 回答日時:
人は「物自体」を知ることはできませんが、知ることのできないものに「物」という具象を想起させるような言葉は合わないと思うのです。
確かに、それは人が「物」を認識する際の元となるものだと思いますが、「物自体」という言葉を当ててしまうと、認識された「物」が「物自体」の相似物であるかのような印象を受けてしまいます。そういうこともままあるとは思いますが、ステレオグラム(平面のある模様が、脳内の処理によってそれとは別の形をした立体に見える)のように、認識された「物」が「物自体」の相似物ではないこともありうるかもしれない。(「物自体」を知ることができないので、証明は難しいですが)ですから、もう少し幅をもたせた名の方が自分にはしっくりします。ただ、私の「物自体」という言葉に対する印象は個人的なもので、カントが意図したものではないと思います。>今回私は「言語」に関して質問しましたが、「思考」に関する質問と
誤解されたのかもしれません。難しいところです。
No.7での私の回答は質問文の「思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。」という部分に疑問をもったからです。言語を使って思考することがあるのは、誰もが認めると思います。問題は言語によらない思考がありうるかどうかですが、もしあるとすれば、イメージのような感覚的なものではないかと考えました。絵を描いているときに全体のバランスを見ながら部分を調整しているとき、優れた画家はそれこそ犬の反射のように言葉によらない判断を下していることもあるのではないでしょうか。それを思考と呼んでいいかはわかりませんが、近いものではあると思います。
>机の上にリンゴが二つ
実際に目の前にある机を見たイメージと
「机の上にリンゴが二つ」と発話された刺激は、
脳の中でどのように「同じ=正解」と決定できるのでしょうか。
どちらも、二つのリンゴが他のものとは区別される同種の固体であると認識され、理解に至ると思います。つまり、同じ、違う、同じ、違う・・・というのはどちらも感じています。ただ、その感じ方というのは抽象的な数の概念とは違うのではないかと思います。
ハイデガーについて、
もちろんfishbowl66さんの個人的な嗜好は尊重しますが、私はハイデガーについて人格と思想は分けて考えています。確かにハイデガーは「ナチを否定しなかった」という批判はありますが、「存在」についてそれまで誰もしなかったような思想を練り上げた(完結してないので、練った?)のは事実です。もし、ハイデガーが何か一貫した道徳論を説き、それによってナチを肯定したのならば、その道徳論を批判するのが建設的でまっとうな態度だと思います(一貫した道徳論は聞いたことがありませんが)。
いらっしゃいませ、ハイデガーに関して、余計な事を書き込み、
ひょつとするとと、期待していましたが、お手数をお掛けしながら、
お茶も出せません(汗。
「物自体」関しては難しいところですね。
特に脳の中のことですから「クオリア」と「認識できない脳内言語」
私がこの二つの区別をもう少しハッキリさせた方が良かったのかも知れません。
ただ、よく考えてみると、この二つわ区別できるかも、難しいですね。
この辺は、そんなかんじですねぇ~とうなずいておきます。
前回のご回答に関するご指摘、仰る通りでございます。
あの一行は、私の思慮不足、はっきりミスでしたね
冒頭に>言葉を通して考える事について。と書いて、油断してしまったのかも。
「思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。」
これはもう少し丁寧に
「思考に『脳内言語』が必要かどうかを問う事は『脳内言語』は『物自体』的な領域にあり、そもそも認識不可能な為、問う事自体を、を断念せざるを得ない。」と
お恥ずかしい限りでございます。
リンゴの件は、別の観点から、質問してみようかと考えています。
気が向きましたら、遊びに来てください。
ハイデガーに関しても仰る通りです、
>人格と思想は分けて考えています。私もそうすべきだと思います。
読みたくないと嫌っているわけではないのです、
読みたい本が、他に一杯有り過ぎる、過日も5.6冊の本をご紹介いただき、
悪戦苦闘、「本が多すぎるぞ~」と悲鳴をあげています。
またまた長々書き込んでしまいましたが、
また宜しくお願いします、有難うございました。
No.7
- 回答日時:
「1+1=2」という計算は、「机の上にリンゴが二つ」というイメージで行う(理解する)ことができますが、抽象的な数の概念で行うこともできます。
前者のイメージには概念からはみ出す部分があります。ですから、概念だけによる思考とは別のものもあると思います。また、イメージというのはただ「想起するもの」、「到来するもの」であり、それを感知できる極限のものと定義するならば、それ以前のものは知ることができません。カントはそれが「物自体」と言っているようですが、私には知りえないものに固定的な印象の名をつけているように思えます。その領域については知ることができないので、「物自体」とは別のものからもイメージが奮起されている可能性を否定することはできません。ですから、「物自体」という言葉はちょっと固定的な感じがします。単なる語感の問題だと思いますが、「イメージはなんだかよくわからいところからやってくる」という感じがするので、ハイデガーの現存在と存在者の区分の方が自分にはしっくりきます(ハイデガーは難解なので正確な理解をしている自信はありませんが)。
ご回答有難うございます。
御礼が少し遅くなりましたが、微妙な誤解が有りました。
>「物自体」という言葉はちょっと固定的な感じがします。
「ものじたい」・・・・固定的という言葉に、
ご回答者様が、感性豊かな女性?と言う記憶が飛び込んできたのでしょうか、
「物自体は固い」と言う印象が残ってしまいました。
流石、感性的かつ新鮮な表現とひとまず誉めておけば、一丁上がり。
微妙に違っていましたね、「言葉が固定的」でした。
文字だけで正確な意味を伝える為には、書き手と読み手の
意識の問題が有るのかもしれません、
今回私は「言語」に関して質問しましたが、「思考」に関する質問と
誤解されたのかもしれません。難しいところです。
机の上にリンゴが二つ
実際に目の前にある机を見たイメージと
「机の上にリンゴが二つ」と発話された刺激は、
脳の中でどのように「同じ=正解」と決定できるのでしょうか。
改行二つ
正直、すっきり解決したのかどうか、心配になりました。
PS
ハイデガーを無視するわけでは有りませんが、
1)貨幣の哲学が無い
2)道徳哲学関する部分を私が知らない
3)ナチを否定できなかった
以上の私の記憶から優先順位が低く設定してあります、大変申し訳有りません。
長々と本心をかきましたが、嫌われたいからでは有りませんよ(笑。
No.6
- 回答日時:
困ったものですね。
身体的な学習反映は思考ではありませんよ。意識すれば随意ではなくなる。この学習反映は心理学あるいは人智学の分野です。理解できないでしょうが。夢を思い出す。ひらめきをですね、忘れないように枕もとにメモとペンを用意する、そういう人います。こころに受けた雑多なノイズによる夢は思い出しやすく、努めれば忘れません。ひろめきに近いものは思い出しにくく、忘れやすい。夢をおもいだす行程で思考を使いますか。言葉も使いません。得体の知れない網なんてありません。ただただ精神が凡庸なだけと、あたま(脳、理知)の訓練不足なだけです。精神が、心が粗雑なつくりのため物質的なものからより離れている精神事象を受容できないだけです。考えるとは何事か、生まれつきの知恵と訓練による知恵とは何事か、ほのかに哲学書に載っています。本当に知るのならまがいではない思索をしなければならない。思考がカオス状態では難しいでしょう。再度のご投稿有難うございます。
う~ん、これは、試練でしょうか、私も困ってしまいます。
現実の社会の中では、この場合、聞かなかったことにするのが一番ですが。
次善の策として、とぼけたり、すり買えたりするのが定番ですね。
言語について考える事の困難に付いてのフィクション
「若いカップルが、ラブラブ状態の時、男の子が、女の子に
『ラップしてチンしたい』年頃の女の子なら、意味判りますよね。
スーパーの店先で、お魚さんの切り身を見ながら
『ラップしてチンしたい』とつぶやいても
どれどれと、品定めをはじめる買物客もいるかもしれません。
私のような『おっさん』が見ず知らずの女性に
『ラップしてチンしたい』と言ったら、
病気と思われ、静かに、去っていくでしょう」
さて、『ラップしてチンしたい』の
正確な意味とはなんなのでしょうか?
なるほど、迷宮旅行のオプションツァーでしょうか、
くれぐれも墜落しないで欲しいものです。
「心と体を分けることは、もはや医学生を指導する為の教育上の便方でしかない」
『脳の中の幽霊』ラマチャンドラ
No.5
- 回答日時:
問題は概念的思考以外の思考が果たして思考と呼べるものなのかどうかなのだと思うのですが。
つまり猿の実験のように、具体的状況が眼前に与えられていて、かつ具体的動作によって解決する場合ですね。
あるいは、具体的な心象の助けを借りての思考です。
(例えば詰め将棋のような)
後者は別として前者を思考と呼ぶかどうかです。
いつもお世話になります。
#4さんの回答の前半部分ですよね。
長くなる為結論だけ申し上げれば、
自律神経・反射神経等による、意志の関わらない反射と
その対極にある、思考との中間点に運動はあると思います。
思考に限りなく近いのが、字を書くこと、
思考に最も遠いことが、直立二足歩行、
正直、言葉で正確に表現できずに、こんな事に成りました。
これに懲りずに、今後とも宜しくお願いします。
No.4
- 回答日時:
私は私という意識と会話するために言語を用いますが、私が生きていくうえでは、映像や感覚をもとに、かなり複雑な因果関係のある行動の連鎖として実行しています。
私は喉が渇いたと思いながら、言語を介さずコップを取り上げ蛇口の下おおむね3センチのところにコップを差し出し(ぶつけて割らないためです)蛇口を全開に対して四分の一程度ひねり約0.5秒後もとに戻します。そして蛇口の下をくぐりぬけながらコップを引き出し、水平をたもったまま口元に運んでから頭部を傾斜させるとともに、コップを傾けます。もちろんこぼさぬように。私は一連の動作がうまくいった場合は特に何も言葉にしませんが、失敗した場合や子供に教える場合はそれらを言葉にして、どうしてうまくいかなかったかやどうやればうまくいくかを「言葉で思考」するかもしれません(そして言葉にならぬその行為が複雑な行為の連鎖であることをほんの少し自覚するのです)。その一方で、ニュースを聞きテロ事件に憤りを感じ、言葉により表現された良く知りもしない国の情勢と国際政治について、なぜそんなことが繰り返されるのかと考えるのです。手に取ることも、見ることもできない抽象化された言葉によって。
私は言語にならない具象的な世界にあって突き動かされ、言語により抽象化された世界で言語による思考をしています。言語はすかすかの網として世界をすくい上げようとしますが、いつも世界はすり抜けてしまいます。しかし、網にからんで残った世界の切れ端は網の形につながりをもっているように見えます。そうして、すくい取ったもので更に網を作ってより多くの世界をすくいあげようとします。ときにはうまくいき、ときには溶け出して再び流れてしまいます。目の細かい布のようなもの作ればよいのかもしれませんが、それでは重すぎてすくい上げることができないのです。より太くて、良い形をした網で、持ち上げることの可能な程度の網ができたとき、私は少し幸せを感じます。
有難うございます。
示唆に富んだアドバイスのおかげで、解決の糸口が見えました。
後半の、>すかすかの網
言語だけでなく我々の感覚そのものが「すかすかの網」でした。
価値をすくう貨幣も「すかすかの網」でした。
脳の中の問題は、生物学を参考にしつつ、脳生理学と矛盾の無い程度で、
言語の現象学を考えればよいのでは、
ひょっとして、チョムスキーは、結論はともかく「言語の現象学」かな、
でも、ソシュールは構造主義で時代はポスト構造・・・
ぶっつけ本番で、お礼もまとまりませんが、参考になりました。
運動と思考の間に「すかすかの網」をかけた理由は有るのですが、
長くなりますので、省略させてください。
質問は締め切るベキかも知れませんが、私の癖で、週末に締め切ります。
重ねて有難うございます。
No.3
- 回答日時:
こんにちは。
仰いますとおりカントは実体的自我を否定しています。
<思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。>という「物自体」の領域となりそうです。
釈迦に説法かと思いますが、例えば猿が思考しているかどうか我々には証明の仕様がありません。
ヘレンケラーの例でいえば
彼女はWATERをモノの名前として認識しましたが、同じことを猿にしても無理ですね。
しかしながら猿にもアプリオリな直感形式や悟性的なカテゴリーは存在するはずです。
それが無ければモノとしての「リンゴ」を瞬時に「林檎」と認識することは不可能だからです。
すなわち猿に「構想力」が存在しないとはいえないわけですね。
しかしながら言語をもっていない。
実験や実際生活上の行動によって猿が単純な思考をしていることも知られていますが、
それを証明することは不可能です。
PS
灰の中にダイヤモンドを発見いたしました。
う~む、
『私の以前の質問と比較すれば、少しはまともになった』
そう解釈しておきましょう。
<思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。>という「物自体」の領域となりそうです。
この場合、カントの「実践理性批判」結びの、有名な言葉も
再度、深く考え直す必要がありますね、道徳法則の「理由」
但し、哲学に断念や諦めは、似合わないかも
大変有難うございました。
No.2
- 回答日時:
ヘレン・ケラーにヒントがあるのではないかと想います。
彼女は2歳を前に「眼」「耳」「口」が、ふさがった状態になってしまいました。
で、6~7歳の頃、指文字を通して「WATER」体験をします。
片手に水しぶきを感じながら、もう一方の手に「WATER」と指文字を感じ、この時に「物には名前がある」ということを初めて知ったんです。
それからの彼女は取り憑かれたように知識欲求が芽生え、物凄い勢いで学習し、女子大に入学するほどまでになってしまいます。
「WATER」体験以前の彼女はと言えば、暴れる、かんしゃくを起こす・・・と、それは野蛮な獣のようであったそうです。
それまでも指文字で「言葉」は知っていたようなんですが、まだまだ単なる記号にすぎなかったんだと想います。
たとえば、気に食わないことがあると人形を壊してしまうんだそうですが、「物には名前がある」と悟ってからは、人間らしい罪悪感が生まれたんだそうです。
それまでが”単なる記号としての言葉”だったとしたら、WATER体験以降からは”意味を持った言葉”に昇華したんだと想います。
知性の開花、心の目覚め・・・だったのではないでしょうか。
サリバン先生の日記には「言葉が思考を生む」とありました。
ヘレンのケースから言うと、言葉が意味を持ったときから、思考が誕生するのだと想います。
ご回答有難うございます。
「WATER」「WATER」「WATER」何度も繰り返したのでしょう、
脳の中では、ニューロンの発火や化学物質の連鎖が瞬間に百回、
これも繰り返しですね。
「WATER」を「冷たい」と言う感覚でなく
「物の名前」と理解するためにも、繰り返しですね。
ひょっとすると、物理学の√nの法則でしょうか。
感覚又はクオリアが記号として記憶できない点を検討できそうです。
サリバン先生は「多すぎる言語学者」を知らずに幸いだったのでしょうかね(笑。
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