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戦後長い間、修士課程は2年で博士課程は3年であり、博士課程は修士課程を修了後に修めるものとされてきました。しかし昭和24年の「大学院基準」では、両者は上下の関係ではなく、並立の関係であり直接博士課程への進学が想定されています。もちろん、修士課程を修了後であっても進学可能ですが、その場合は修士課程の履修単位は博士課程に算入できるとまで記述されています。なぜ修士課程と博士課程の並立制が実現しなかったのでしょうか?一説には、当時の文部官僚がGHQの並立示唆を上下関係と誤解した結果との解釈もあるようです。3年で済むところが、ミスで5年も必要となったとすれば、社会的責任は大きいと思います。真相をご存知の方、教えていただきたいと思います。

A 回答 (6件)

度々失礼します。

立命館大の件、私の勉強不足でした。4年生が進学する際、3年で学位が取れるコースと強調し、まさかと思いながらも、そんなこといいながら5年かかるのではないかと思っていましたら、3年目で退学しました。

さて、大学教員の立場から言えば、学士、修士ともすでに学位破壊(それにふさわしいものだけが学位を得てるか)が起きています。4年間授業料を払ったのだからもう1年払わせるのはかわいそうとか、留年させたら退学するとか言う学生の意見を真に受けて卒業させる教員もいます。

大学の学位で基本的に学位破壊が起きていないのは博士だけ(と思っていますがもちろん例外はあるでしょうが)、これを3年にするとどうでしょうか?それで、多くの人が学位を取れるのかということです。多くの人が5年かかる(あるいはそれ以上)のであれば、やはり5年を標準にすべきと思います。

質問文ではGHQが並立制を示唆としたと書かかれているのですが、No.5に対するお礼では、まるで日本が3年制を主張していたかのように取れます。いずれにしても、3年制は、一つのやり方であって、正しいかどうかは別問題です。本国の米国でも5年が一般的であり、3年制が良いとは思えません。要は博士学位に対する認識の問題であり、本来は、GHQや政府が決めることではなく、大学側が決める問題です。博士は、これだけの実績を上げたものに与えられるべきだという基準です。

私が論博を取るとき、ファーストオーサーで10本を要求されました。課程博士だと3本でよいということでした。このような二重基準も問題ですが、課程博士の年限を短くすることはより悪化する方向だと考えます。特別な実績をあげたものは学部卒後3年で博士の学位が取れるという基準で十分だと思います。
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No.3,4の追加です。

20台の貴重な時期の5年の重要性、確かに理解できます。

ですが、実際の修士課程の2年間で博士に相当する実績が出せるかどうか、これはかなり疑問です。

「優れた研究業績を上げたものは3年以上でも足りる」とは、5年で修了させるのと同じレベルの業績(例えば査読付論文ファーストオーサー3報以上など)を挙げれば、適用できると思いますが、現実にこんな学生は・・・めったに出ません。

私自身は、そんな院生がいたら3年で博士号をやっても良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

重ねてのご指摘、大変恐縮です。立命館大学の理工学研究科に、確かに一貫制博士課程(フロンティア理工学専攻)が存在します。私自身が直接確認したところ、やはり正式には5年課程ということです。つまり学部卒(もしくはそれ以上)で5年の修業年限ということです。修士課程はこの場合無いので、博士学位取得のみが目的となります。中退の場合の最終学歴は、学部卒となります。しかし5年課程ではありますが、5年で必要な単位は最短3年で取得可能に編成されており、特別優秀であれば例の例外規定による論文提出で3年で学位取得は可能ということです。(すでに取得者も現実に居るそうです。)ただあくまで5年が標準年限であり5年かけて単位取得していくのがノーマルであって、3年制の博士課程ということではありません。これならば、制度的には問題ないと思います。そこで当初の問題、つまり日本でなぜ一貫性の3年制博士課程と2年制修士課程の並立が実現しなかったのかということです。恐らく学界の権威主義的体質が関係していたかと思われますが、博士学位が学卒後わずか3年制の課程で(たとえ課程退学後数年かかるとしても)取得できるとは到底考えられないとの暗黙の認識の故かと愚考いたします。そこで課程制の大学院制度にこだわるGHQとの折衷案で、結果的に3年制博士課程は反古にされ、修士プラス博士の積み上げ5年方式のみを具体化したのではないかと推察します。しかし最近まで、特に文系では課程博士はほとんど授与されることも無く、また学界をはじめとして実社会も博士号の意義をさして認めることも無く、推移してきました。(理系は事情が異なるようですが)近年、国際化との絡みで大学院充実が叫ばれ、一転して学位授与に積極的になっている(現実に学位授与要件は以前より緩和されています)文部行政という構図を感じますね。とすれば、戦後60年近く経過してやっと、往時のGHQ案のレベルに辿り着こうかということなんでしょうか。

お礼日時:2005/10/03 19:21

法令について詳しいことは知りませんが、



>某私立大で学部卒であっても3年で博士が取得できると
>のことですが、大変失礼ですがこれは本当でしょうか?

某と書きましたが、実際に募集しているので大学名を出しても問題ないでしょう。立命館大学です。修士・博士課程(2年+3年)は普通の名称ですが、学部卒+3年で博士号を出すコースは、フロンテアコースと呼ぶと聞いています。こちらは、2年で修士というのは無いそうです。

実際にすでに修了者がいるのかどうかは知りません。
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歴史的なことは知りませんが、米国の場合実際に博士を3年で取れる人がどれだけいるのか、また5年かかる人がどれだけいるのか見てみたら明らかです。



2年修士を出たあと、3年かかることを強いられるとかかれていますが、米国でも3年で学位を取るより5年(あるいはそれ以上かかる人が多い状況です。

私の研究室を出た学生(学部4)が、修士・博士を区別せず3年で博士号が取れるというキャッチフレーズの某私大大学院に進学し、3年目になりましたが、今年退学しました。ちなみにその大学院では、2年で修士はとれず、結果は学士のままです。これは、1大学院の例に過ぎませんが、3年で博士号が取れますといっておいて、実際には取れず(一例です。取れる人がいるかもしれませんが)、しかも制度上修士号も取れないのなら、2年で修士+3年で博士の方が合理的な気もします(ちなみに、その大学院は入学時に修士2年+博士3年と一貫性博士3年を選べますが、入学後の変更ができないそうです。

博士号の取得は、年数どおりに行くというよりも、それだけの実績があがったらという事で、もちろん3年でも良いのですが、学部卒後、3年では取れないことが多いことも事実かと思います。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。確かにアメリカでも日本でも、3年とか5年とかで博士学位をとる例は稀だと思います。実際は、課程を出た後も数年かけているのが現状だと思います。ただ最低の修業年限が3年か5年かは、20代の頃は決して小さくない問題かと思いますが・・・・・・。ちなみに現行基準では、修士が2年以上、博士が5年以上です。博士の5年というのは、修士の2年を前提としている結果のようで、残りの3年がいわゆる博士課程の正味3年です。昭和24年の基準では、学士後にこの3年の博士課程を想定していたように思えます。(その後実現はしていないと見ています)コメントの中に、某私立大で学部卒であっても3年で博士が取得できるとのことですが、大変失礼ですがこれは本当でしょうか?いわゆる博士課程後期相当の3年コースならば、修士修了を前提として他に例はありますが。現行の「大学院設置基準」では、第17条に「博士課程の修了要件は大学院に5年以上在学・・・」とあります。もっとも17条には、「優れた研究業績を上げたものは3年以上でも足りる」とありますので、この例外規定をキャッチフレーズにして募集をかけているかもしれませんね。話はズレますが、最近の課程博士の運用も、大学間で基準が混乱しており、これも相当に問題ありだと思います。

お礼日時:2005/10/02 14:39

No1のものです。


いろいろとご説明いただきありがとうございました。
ご解答の内容からすると文系の型ですよね。

>最初から博士課程を目指す者が3年ではなく5年を強いられている不合理も感じます。
理系ですと博士の学位をとるのに1st authorで最低3本程度の論文は必要です(分野によりますが)。それなりの論文を書こうと思うと3年では厳しいです。また研究は経験によるところも大きいので3年では修行不足ということもあると思います。

>博士課程を目指す者が3年ではなく5年を強いられている不合理も感じます。
>修士2年プラス博士3年という長たらしく性格のあいまいな課程制度が
ここが問題点ですよね。

質問の答えはわかりませんが、当時の理系のお偉いさんたちが博士は5年必要だと主張したのかもしれません。
理系が5年で文系3年だったとすると、文系の博士課程が軽く見られると危惧した当時のお偉いさん(当時の東京帝大法学部卒の官僚さまと東京帝大の先生たちのような方たちが)が、文系も理系にあわせて5年にすべし!と決めた可能性とかないでしょうか?
こんな理由では公にはできないので色々と理由付けをしながらうやむやのうちに決定してしまったとか。

結局何もお役には立てませんでしたが悪しからず。
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この回答へのお礼

重ねてのご指摘、ありがとうございます。その後私なりに調べた結果ですが、昭和24年の大学院基準は課程制大学院をめざすGHQと戦前型の研究者養成を引きずる日本側との折衷であったようです。問題の、修士・博士の並立と積み上げの考え方ですが、基準の文言からは明らかにアメリカ型の並立が想定されています。つまり、学士から博士課程進学もありとの考え方です。しかし昭和28年の新制大学院発足後も、この件に関する明確な法的基準は無く、実際には積み上げ方式のみが取られたようです。その後昭和38年の中教審答申で、並立方式がベターだが積み上げ方式も認める、との見解が出されていますが、基準には現在に至るまで反映されていないようです。というより、現行の大学院設置基準では博士課程進学は修士修了が条件のような記載となっています。現在、博士課程後期のみの大学院も存在しますが、応募要件をみますと修士修了相当となっていて、現場もその認識のようです。なので私の疑問は、まだ晴れませんが、並立方式が実現できない理由の一つには、おっしゃるような当時のエスダブリッシュメント達のプライドも関係しているかもしれませんね。鋭いご指摘だと思いました。このような疑問にコメントいただき、頭が下がる思いです。

お礼日時:2005/10/02 13:02

古い話は知りませんが、


アメリカの場合は、院に入学した時点で修士、博士がはっきり分かれていますよね。
ただ、3年で博士が取れることはほとんどないです。
はやくて4,5年で、長いともっとかかることが多々あります。
また、アメリカの場合は修士課程修了後、博士課程への進学は両過程の意味合いの違いから難しいと聞きます。

その点、日本は修士課程2年間の後、博士課程3年間へと進学します。
修士終了後の博士課程へと進学することも、希望すれば簡単です。修士課程は博士課程前期と表記することも多くなってきました。この場合、今までの博士課程は博士後期課程となります。
私が在学している大学でも修士と書いたり博士前期と書いたり、厳密に使い分けている感じはしません。

結果、現在の大学院の体制は、、アメリカの完全分離型の修士・博士課程より、修士・博士課程を入学時点で厳密に分けることをせず、1本化して進路変更を柔軟にしている点では、日本の大学院は優れていると思います。

修士の学位が2年でとれて、1年足しただけで博士の学位を取れるという制度はおかしいとおもいませんか?これでは、修士でも博士でも大差ないことになります。

>両者は上下の関係ではなく、並立の関係であり直接博士課程への進学が想定されています。
この場合の博士課程も3年間なのですか?
むかしは知りませんが、博士課程というと博士前期・後期と呼ぶ場合の博士課程と修士・博士課程と呼ぶ場合の博士課程では意味合いが違うと思うのですが?

質問にお答えすることはできませんでしたが、ふと疑問に思いました。聞き流してください。

この回答への補足

ありがとうございました。正確に言いますと、昭和24年の「大学院基準」では、修士課程は1年以上で30単位以上、博士課程は3年以上で50単位以上となっています。ですから、博士学位が3年で取れるということではありません。まして当時は、課程博士は慣行として機能していませんでした。それと私が引き合いに出している博士課程というのは、最近の修士・博士を一本化した博士課程ではなく、それぞれ2年と3年の修士、博士課程のことです。アメリカの場合を紹介していただきましたが、確かにアメリカでは、修士課程は学士卒業後1~2年課程、博士課程は学士卒業後3年課程となっています。(ここでは専門職大学院の修士レベルではなく、研究者養成に限定して話を進めています。)つまり、修士と博士は並列していて、教育の目的や体系が原則別物との扱いのようです。戦後の日本の大学院も、アメリカの指導で作られたのは間違いなく、どうやら本来はこの並立方式が当初のスタイルであったのではと思います。それがなぜ修士課程後に博士課程という形になったのかが不明です。修士から博士への課程移動が柔軟であるとのご指摘ですが、最初から博士課程を目指す者が3年ではなく5年を強いられている不合理も感じます。特に、オーバードクター問題に見られるように、博士課程をまるまる過ごすと20代後半ということで、年齢的につぶしがきかなくなる社会的弊害も指摘されています。博士号は、社会経験を経て院再入学後に挑戦もありえますし、意欲ある人が効率よく勉強すれば最低3年でも少ないとは思いません。(現実には課程退学後に数年必要としますが・・・・・)日本のように、修士2年プラス博士3年という長たらしく性格のあいまいな課程制度が、結局のところ日本の大学院を駄目にしたのではという気がします。もしそうさせた契機が、並立すべきところを誤って上下にしたというミスであったとしたら、そのツケは大きいと言わざるを得ません。それはそれとして、アメリカの場合を紹介していただき、戦後当初の日本への制度移植に根本的な過ちがあったことを、今痛感しています。(あくまでも推測ですが)

補足日時:2005/10/01 21:09
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