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ウソ自体が常に悪であるとは思いません。
しかし、この世の中には、わかりきったウソを吐くという、ばかげたことが往々にしてあります。
私自身はそのような、わかりきったウソをつくことに非常な嫌悪を覚え、なるべく本音を語ろうと思うのですが、そうすると、社会で生きにくくなる。
わかりきったウソは、結局、誰もが暗黙の了解として承知の上であり、それでもなお吐くものだというのなら、それは「ウソだとわかっているようなウソはウソではない」というパラドックスを包含していることになり、つまり“ウソを吐く”という行為自体が形骸化してしまうのではないでしょうか。
そこで、私のように、わかりきったウソに反吐が出た経験がある方、そういった人間がよりよく生きるための書生術に関する、知恵をお貸しください。
「それが真理です。諦めなさい」的な発言は建設的ではないので、ご遠慮いたします。

A 回答 (36件中11~20件)

1.相手には本当のことを言ってほしい


2.本音を語りながらも周囲の人とうまくやっていけるようになりたい。

ということだと思います。
具体的な提案をいくつか。

1について
・受け止める
相手があなたのとは違う意見を言ってきたときに、否定したり皮肉で返したりせずにそのまま受け止める。特に日常生活では「そうか、そんな風に思うんだ。。。俺ははこんな風に思ってたんだよ・・」とお互いに提示しあうにとどめて、無理に正解をひとつに決めようとしないこと。お互いが両方の情報を持ち、それに基づいて自分の納得する答え(意見)を育んでいけばいいのだから。
あなたは回答者と衝突しすぎ。
そういう人は、なかなか本当のことは言ってもらえないですよ。だって、言ったら反発や否定が返って来て、不愉快になるから。どうしても、「なぜあなたの満足(本音で語り合いたい)のためにこっちが不愉快にならなければいけないのか?」と思ってしまいます。気の強い人はあなたのリアクションに反発して再反論するかもしれないけど、それでは議論(しかも往々にして感情的な)になってしまいます。それ以外の人には「勝手にやってろ」と放っておかれます。
別に肯定も否定もしなくていい、ただ、「ひとつの情報」として、自分の中に蓄える。そうすると、そのときは理解できなかったことでも、「ああ、あの人はこういうことが言いたかったんだ」とあとから気づいたりします。
そういう「まずは相手を受け止める」という習慣が身についている人には、ほんとうのことを伝えやすいでものです。それに、人はたいてい、ほんとうは気持ちよく本音を言いたいものですよ。酒の席では色々言うでしょ?でもふだんは反発されたりダメだしされるのが怖くて、言えないだけで。だから、「この人には言っても大丈夫」と思われる人間にあなたがなっていけば、1の問題はずいぶん変わってくると思う。ラクになっていく。それには相手の言葉をちゃんと受け止める。イメージとしては言葉をボールに見立てて、放物線を描いて飛んできた言葉を胸でやわらかくトラップするつもりで聞く。は?と思うかも知れませんが、これにはちゃんとした研究もあります(参考文献:高岡英夫著『からだにはココロがある』)ので、是非参考になさって、試してみてください。

キャッチボールに例えると、あなたは「手加減なしに、思いっきり、まっすぐ」と要求している。でもたいていの場合、相手はコントロールに自信がないのです。少々それてもちゃんと捕ってくれると信じられれば投げやすいけど、あなたは気に入らない球には知らんぷり(この質疑応答に顕著に現れていますよね)なので、投げにくい。またイヤな球を投げられると、イヤな球を投げ返してきたりするので、キャッチボールになりません。だって、楽しくないから。「でも俺は真剣勝負がしたいんだ」みたいに話をすりかえる。だけど、「捕る」ことに対しては真剣でない(投げてくれと求めるばかりで)ので、相手は辟易してしまいます。
ちょっときついかな?
でも「捕る」=相手にとって投げやすい状況を作って、相手の本音を引き出す。そしてちゃんと受け止める。ということは、人や社会を変えようとしなくても、あなたの努力だけで進歩させられる事です。しかも際限なく。人は自分自身を変えることでも難しいのだから、他人を変えようとするのは尚難しいですよ。だから他人を批判するのをやめて、素直になって自分の至らないところを正直に認めて、少しずつでも改善していったほうが、ずっと容易です。

・ガードをおろす
>男同士でね、「本音言ってよ」って、そんな気持ち悪いことがこの世の中にありますか?
とありますが、相手に心を開いてほしければ、たとえ気持ち悪かろうが情けなかろうが無様だろうが、もしそれが本当に感じていることなら、それをそのままさらけ出す方がいいです。むしろしどろもどろで、かっこ悪いくらいでいい。そういう人に周囲は安心します。お互い人間なんだという気になって、心がゆるみ、素のままの自分を出しやすくなります。逆に格好をつけていたり完璧っぽい人には、つい緊張して通り一遍の対応をしてしまいます。
「こいつも可愛いとこあるな」と思える相手にはいろいろ言いやすい。
あなたがそういう事が苦手だとしたら、それがあなたの弱さのように感じますが、如何でしょうか?弱いのは相手だけじゃないはず。
でも「本音言ってよ」じゃないですね。「俺のこと嫌いなの?」これがあなたのほんとうに聞きたいことじゃないですか?そうだとしたら、聞けますか?相手を傷つける発言ではないですよ。もしきけないのなら、あなたも本音を語れてないのです(責めてる訳じゃないですよ。自分の弱さも見つめてほしいだけです)。

2について
まず第一に、私はあなたが相手にちゃんと本音を伝えられているのか、非常に疑問です。本音を「語っている」かもしれない。でもそれは発話しているだけで、「伝えている」とは違います。伝わらないので誤解され、無用の反発を買っている部分が多いと思います。

では「伝える」とはどういうことか?
キャッチボールに例えると、相手が構えを取っているときに、相手の捕れる範囲に、捕れるスピードで投げる。相手が予想以上に下手でちゃんと捕れなかったら、辛抱強く捕れるまで何球でも投げる。そして、相手が実際にちゃんと捕る。ということ。
コミュニケーションは相手がいないと成り立ちません。

もっと具体的にいうと、
まず準備段階として、「まえから思ってたんだけど、本当のこと言っていい?」というような前置きがひつような場合が多いです。だって当たり障りのないことではない、もうちょっとショックなことを伝える場合も多いわけでしょ。相手にまず覚悟を決めてもらう。
で、
誤解のないように正確な言葉で包み隠さずに語る。感情的にならないように極端な言い回しを避けて、かといって無機的にならないように平易な言葉で丁寧に、心を込めて語る。
たとえば「嫌い」というときに、憎しみをこめたり、吐き捨てるようにとか心を止めてバチンと石を投げつけるように言うのではなくて、「ショックかもしれないけど、ごめんね、でもどうしても嘘はつきたくないから」という思いをちゃんと胸の中で感じながら、つまり本当のことを伝える辛さをちゃんと感じながら、伝える。そうすると、同じ言葉でもあなたの心の温かさや思いやりの雰囲気が伝わって、相手は救われます。ほんとうに心から「言いにくいことを正直に言ってくれてありがとう」と返してくれる場合が増えます。

文章を拝見していると、おそらくあなたは本当は心の温かい方のような気がします。でもシャイで素直な愛情表現が苦手で、あたたかい気持ちの伝え方は苦手なのではないでしょうか。
今のあなたの文章を読んでいると、言葉の端々からフラストレーションが溢れて、まるでバチバチ放電しているようです。「ネガティブなことは極端に激しく、ポジティブなことは控えめにさらっと」。そんな感じ。バランスが悪いので誤解されやすいですよ。
痛々しいです。
本音というのは、「ほんとうに感じていること」「正直な感想」「ありのままの事実」。それを過不足なく、自分の伝えたい強さと同等の口調で、相手のペースに合わせて伝える。そういう努力を心がけていけば、それだけコミュニケーションは正確になり、無用な誤解や反発が減って、楽になります。少なくとも「分かってもらえない」という孤独感は軽減されていくはず。

言いたいことはまだまだあるのですが、長くなりすぎるのでこの辺で。
「人はたいして強くない」
「コミュニケーションは誤解が多い」
それは私は、真理だと思いますよ。
その前提に立脚した上で、本音で語り合いつつ良好な人間関係を築いていけるようになるために、あなたにできることを提案したつもりです。
参考になったでしょうか。
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面白い題名ですね。

まるで本の題名のようでw
本当はみんな嘘なんか付きたくないんですよね。でも、嘘をつかないと生きにくい世の中なんですよね。

インチキ・サギ・ペテンのような嘘をつく人間は論外として、本当は本音で話したいんだけど、本音で話した結果のことを考えるとみんな本音で話しづらい。。。そういう気持もよくわかりますでしょう?わからなければ思慮ってみてください。

親しき仲にも礼儀ありという点をふまえて、本音で話し合える関係こそ本当の仲。
だけど、相手だけに求めていてはただでさえこういう世の中だから、自分自身が本音で話していくような人間にならなければ本当の関係も得にくいでしょう。
ある意味で本音で話そうとする人には、自然と本音の人が集まりやすくなりますよね?
話しづらい世の中で本音で語る人には、それだけのいい意味での代償もあるということです。
わりに合うか、合わないかは人それぞれなので別として、保身に走る人には相手も保身ばかりの人が集まりやすくなるでしょう。しかし、本当はみんな本音で話す仲を良しとする人がほどんどでしょう。
こう考えるとそもそも、ただで何かを得ようとするのはむしが良すぎますよね(あなたに言っているわけではないです)
なにかを得ようとするには、なにかを差し出さなければならない、そういう観点から物事を見つめていくと光明はみえると思います。

あなたが本音で話す人だから、そう思うのも痛いほどわかりますが、話したくても話せない人もいるということを寛容に受け止めて、そういう人のためにも本音で話しやすい人にあなたがなっていく。
そうすればあなた以外にもいい影響を与えることができ、自分自身にもいい影響を生むことだって可能なはずです。おおげさだと思われるかもしれませんが、中にはあなたのような勇者を見て、なにかを学ぶ人もいるでしょう。そんな一人立つ人になってください。
世の中に対していきどおりを感じるのはわかりますが、こればっかりは一人一人があなたのように一人立っていく以外にありません。憤りを感じることもありますが、その反対にいい代償が必ずあるはずです。あなたが飛躍するための、憤りさえもいい代償なのかもしれません。

でも、わかっていると思いますが、初めからなんでも本音で話すのは良くないですよ。相手がどんな人間か、どんな人生を歩んできたか、どういう価値観か、なんてわからないんですから。それだけ気もつかわなければならないのが、私達人間が調和していくための、大切な理性でもあるのですしね。
そこを乗り越えれば、あなたが良しとする関係も築かれることでしょう。

別に世の中がそうだからといって、あなたはあなたです。全ては自分次第だということを肝に銘じ、それでも憤りを感じるのであれば、あなた自身が良しとする振る舞いをしましょう。自他共にとても価値あることだと思います。

>わかりきったウソは、結局、誰もが暗黙の了解として承知の上であり、それでもなお吐くものだというのなら、それは「ウソだとわかっているようなウソはウソではない」というパラドックスを包含していることになり、つまり“ウソを吐く”という行為自体が形骸化してしまうのではないでしょうか

わかっている思いますが、問題に焦点を当てるのではなく、解決法に集中しましょう。

それと、話が広がったり、それたかもしれませんが、参考になれば幸いです。
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ある大手企業で、十数年勤務しました。


その経験から言うと、
「組織の中にいる限り、本音で生きることはほぼ不可能である」
と断言できます。

組織の中で働いていると、どうしても上司や同僚と意見がぶつかりあうことが
あります。
同僚であれば誠心誠意、相手を説得すればよいのですが、上司となるとそうも
いきません。
権力の差で、絶対にこっちが負けます。(苦笑)

仕方なく、わかりきったウソであっても、無用の衝突を避けるために言わざる
を得ない現実があるのです。


こういう環境がイヤになって、会社を辞めてフリーの道を選びました。
一匹狼はいいですよ。
同じような境遇にある人は、ウソが少ないです。
それだけ、真剣に生きている人が多いからだと思います。

ということで、No.19の方の意見に一票です。

組織に所属していなければ、平然とウソをつく相手に出くわしても、こちら
から関係を切ることもできます。
まあ、生活環境的には厳しくなることもあります。これは能力と実力次第ですね。
もっとも、自由を得るための代償なのかもしれませんが。
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 隠棲、隠遁、素晴らしいです。

 夏目漱石も吉田兼好も、その道を枯渇し、入っていったのかもしれません。
 それは「世の中アホばかりだ」と毒づくわけではなく、そういう気持ちが遠因ではあったかもしれませんが、結局は自分の中の静かな諦観とやって来る孤独への覚悟、さらにはより良い人生を求めた上での行動だったのでしょう。

 現代では、最高の贅沢と言える境地だと思います。

 お金を稼ぐために、仮りの姿をさらしながらこの世と関わり、例えば夕方5時以降は一切雲隠れするとか、例えば40歳になったら世俗から全面的に撤退するとか、方法はあると思います。
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>ウソ自体が常に悪であるとは思いません。



 私もそう思います。

 うそをつくというのは技術です。

 目新しい話ではありませんので貴方も
何回も聞いたと思いますが、エンジニアの
世界にいると、原子力は有効に使えば
エネルギー源になるが、悪用すれば
核兵器になるという類の話があります。

 うそもそうだと思います。うそをつく
人の心がよくないと、悪用されてしまいます。
思いやりのあるうそが、人に希望を与えたり、
幸せにすることもあると思います。

 自分に対して本音で接して欲しいという貴方の考えが、
まだ、周りの人に十分に伝わっていないように思います。
そこは、もっとPRする余地があると思います。

 ただ、自分に対して本音で接して欲しいと思うのは
いいと思いますが、相手にも本音でぶつかって
いこうとすると、反発されると思うので注意して
下さい。

 厳しくても本音を好む人もいるでしょうし、
甘い夢が好きな人もいます。好みの問題ですので、
そこを押し付けあっても建設的ではないと思います。

 うそが苦手な人間は、職人やエンジニアの
ように真理を探究する職種につくのも一つの
手です。人とのかかわりを最小限にするのも
いいと思います。

 自分の力で畑を耕し、自給自足の生活を
目指すのもいいかもしれません。
 
 私自身は、自分の技を信じ、みんなに喜んで
もらえるものを作る職人の世界に憧れています。
踏み出す勇気がないだけなんですけどね(笑
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

隠棲っていうのも、それは手ですよね。でも、さっきの人も言ってましたが、男同士でね、「本音言ってよ」って、そんな気持ち悪いことがこの世の中にありますか?

お礼日時:2005/10/08 14:06

NO.20さんは生活に追われ、感性が功利によって隅に追いやられ、麻痺した結果に過ぎません。

それだけのことです。質問者さんはキチガイを招き寄せ、逆恨みを買っているだけで何の益もないこと。仮に徹底的な話し合いを試みても、各々が自己を翻弄させる誤謬を知り、抑制できなければ、納得できる答えを分かち合うことが不可能なことを、いまだ知らぬということです。キチガイにはキチガイの生きる道がある。ほんの少し光明を知るだけで、自己開発出来ぬ者は、教え諭すのはおごり高いだけです。
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世の中はくだらないウソで満ちている、かどうか私には分りません。


世の中、社会と言っても広いですし、ウソと一口に言っても漠然としていてひとくくりには出来ません。

おそらくはくだらないウソも崇高なウソも、くだらない真実も崇高な真実も、この世の中にはたくさんあるのではないかと思っています。

そして人というものは時と場合において、くだらない存在であったり、かつ崇高な存在であったりするものだと長年の経験で学びました。

仕事や政治や経済など社会的立場の違いによって利益が絡んでくると
問題は複雑になってくるでしょう。
その場合のウソについては長年専業主婦をしている私には上手く答えるすべはありません。
そこで友人や家族という個人的付き合いに限って考えてみます。
おそらくkneisslさんが最も問題としているのもそこだと感じましたので。

くだらないウソをつくのは、本人がそれをウソと認識していようがいまいが、
自己保身のためでしょう。
ホントのことを言うとまずい状況になるから身を守るためにあえて
ウソを言う。これはわかりやすいですね。
ウソと認識せずにウソをつく場合は、ホントのことと向き合うのが苦手なのです。
自分の本音をいつも探って確かめるのは結構きつい作業です。
苦手なことから逃げるために、結果として安易なウソのほうを選ぶのです。

人を傷つけないためというよりは、自分を傷つけないためであることが多いのです。だからこそ、「くだらないウソ」になるのです。

kneisslさんはいつも本音で真正面から人にぶつかっていく生き方を望んでいるから、周囲の人にこのような態度を取られると傷つくのでしょう。

kneisslさんは多分若いのでしょうね。
私自身は10代の頃、どうして人は自分の本心を言わないのだろう、ウソばかり、と人が信じられなかったときがありましたが
いつの間にかそんな気持ちを忘れてしまっていました。

何故その気持ちを忘れてしまったのかは意識していませんでしたが、
いま思うには、ウソをつくことを許容できるようになったのでしょう。

自分もウソをつくようになったからではないですよ。
わざわざウソを考え出すのは、面倒ですからね。

多分、子育てをしていて子どもに鍛えられたのだと思います。
子どもはほんとにすぐばれるウソをつきますから。
そしてくだらないウソをつく人も内面は子どもなんです。

大人になれば、出来るだけウソのないところで人を傷つけない言動が自然に身につくものだと思います。
年の功、ってやつですね。

年を重ねると、最上段に構えなくても自然に自分自身が見えてきます。
ですから自分と向き合うことがそれほど辛いことではなくなってくるのですね。

それでもやはり自己保身のためのウソはなくなりません。
無意識のうちに私もついているかもしれません。
人は弱くて、くだらない存在ですから。
それでも一方では、強くて崇高な存在であるときもたまにはあるんですよ。
一人の中にそれが混在しているんです。

話がそれてしまったので戻します。

>わかりきったウソを吐かなくてはならない、このアホらしい世の中を生きる処世術

文面から感じる人柄と処世術という言葉が似合わない気がします。
また処世術を身につけないと生きていけない世の中だとも思えないのです。
正直に誠実に生きている人もたくさんいると私は思っています。

>友達なのに、なんでホンマの気持ちも言えないんですか?そんなもん、優しさでもなんでもありません。

だったら友達にあなたの本音を伝えてはいかがでしょう?
友達でいたいから、ホントのこと言ってよ。君と本音の付き合いがしたいんだ、と。

自分のなまの感情をぶつけるとまずい相手ならば、わかりきったウソをつかなければならないその理由を分析してみてはどうでしょう。

「人間の本質を探ることは最大の関心事」とのことですから結構面白いと思いますよ。


いかに自分のアイデンティティーを保ちつつ、他人との友好をはかるか。
これは全ての人間に課せられた課題ですから。
頑張ってくださいね。

(追記)思いつくままを書き連ねたとりとめのない文になってしまいました。お詫びします。
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>アホらしい世の中を生きる処世術



生き方を追求するには何処にも所属しないでおくことでしょうか?“所属するものを守ろうとするのが規律・掟”で、社会的動物である人間には選ぶことしか自由はないようです。

所属してしまうと義務や権利を偽りでも執行しなければならないし、不自由に甘えながら「馬鹿げている疲れるよ」と本音も甘えた弱みで言えなくなる。

どこにも所属しないでいる処世訓は、意志に基ずき社会的弱者になることを実行するか、無人島に暮らすかですかね? そうすれば社会に嘘を帰属させなくて済みそうです。

自由は理不尽と戦って勝ち取るものであり、理不尽と戦うことすら完全に放棄するのも自由。

不自由は欲望(比較幸福)が生み、自由は盲目の本能(絶対幸福)が生む。

何となく思いついただけですが。後の解釈は各人の想像力で膨らませお楽しみ下さい(苦笑)建設的処世訓・現象学は苦手です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

真面目に考えてるとアホくさい、ということですかね。それも正しい、まことに正しいと思います。

お礼日時:2005/10/08 13:59

知恵をお貸しくださいと、言うあなたの手にゲロを盛ります。

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>わかりきったウソに反吐が出た経験がある方、



「オレはお前の味方だ、今回の始末はオレにまかせろ」そういう上司が
今回の責任はすべて、この男(つまり私)の独断で
上司の私ははかりしらぬことで・・・という保身のためのレポート書いてあってのを
発見したときは、思わず殺意を覚えました。

>そういった人間がよりよく生きるための書生術に関する、知恵をお貸しください。

その上司は、他でもそういうことを繰り返していたので、結局昨年任期半ばで
退職。直腸がんの手術で入院中です。
私はもちろん、有名な神社に呪いをかけにいきましたけど、そんなこともとより信じる
ほど子供ではありません。
基本的冷めた目で自滅を待つということですよね。
人に裏切られた経験などいくらでもあります。

昔恋人に、花見にいくといわれて実は上司とモーテルに言っていたりとか
先妻が、2年も前に元彼に抱かれに愛知県まででかけていたのを知らずに
ぬくぬくと過ごしてきたとか、不倫相手にもうひとり恋人ができたのを知らされ
ずにいたりとか、とにかく私ぼーーーーっとしてるから、騙しやすいと思うわれ
るのでしょうね。

処世術は簡単。騙されたふりをして徹底的に証拠をつかみ、反撃の機会をさぐる
それをてこに、いつかそいつを乗り越える準備をする。
もちろんもともと血の気の多い人間ですから争いごとは大好きです。
上記のレポートはちゃんとしかるべき味方となる役員には伝えたし
浮気の後始末は、本人つかまえて土下座させて、恐喝一歩手前まで憂さ晴らしした
し、しっかりそういう女性とはこちらの傷が癒えるまでしばらくつきあった後
ばっさり切り捨てました。

こういうのは処世術というより、悪あがきというのでしょうけどね。
腹がたったら、じっくり考えて仕返しします。
なにしろ競争社会ですから負けたくない。

ほら、嘘も競争原理から生じるのです。騙されて泣き寝入りしたら負け。
そういう単純な回答では許してくれませんかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

先ほどまでのは途中だと、書き込んだ後に気付きました。すいません。

「目には目を、歯には歯を」っていうのは、動物行動学では基本中の基本らしいです。だから、回答者さんの“単純な回答”は、技術論としては合格点(失礼な言い方ですが)だと思います。

お礼日時:2005/10/06 21:50

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