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こんにちは、今高校三年の冴えない人間です(^^)

先日、世界史の授業で先生が時間無くて曖昧にしてしまった事があったので皆さんに聞きに来ました。

4つあります


(1)2つの中国問題とは。
  中国が中国で・・・台湾が中国じゃなくて・・・ってよくわからないんです^^

(2)なぜ日本は日中戦争に負けたのか。
  ただwwIIと同時だったからだと私は思ってます。

(3)朝鮮戦争で国連軍が送れたのは何でか。
  ソ連が・・・っていってたのは覚えてます。

(4)朝鮮戦争の日本への影響
  隣で戦争してるから、米軍がお金使って、武器かって、成金がでてきた?


    以上の4つです。
時間があるときでかまいません。
もし詳しい方が見ていたらお願いします

A 回答 (3件)

私も世界史の専門ではないので、間違ってるかもしれませんのでカンベンしてくださいね(^-^;でも歴史に興味を持つことはいいことですよね!



(1)清朝が崩壊したあと辛亥革命で中国の実質的政権を執ったのが、孫文率いる国民党でした。そのときの国家の名前を「中華民国」としました。しかし、毛沢東率いる共産党が農村部中心に勢力を増して、中国が二分して内戦状態になりました。日中戦争はこの混乱のさなか日本が中国大陸に「満州国」という傀儡政権を作るなどの侵略をしたわけです。そして最終的には共産党が中国大陸を押さえることに成功し、国民党政権は台湾に逃れ、現在でも台湾だけは「中華民国」と名乗っています。ただ、日本政府を含む多くの国は「中華民国」政府を国家として承認していません(ただし、日本も大陸の中国共産党と国交を結ぶまでは「中華民国」を正当的な中国政府として国交を樹立していました)。こうした経緯もあり、中国共産党は台湾も我が領土として、「中華民国」政府を認めていないという状況が、戦後60年経って依然として続いているわけです。なお、台湾の国民党は現在野党になってしまっています。

(2)日中戦争の経緯はいくつかの契機があるので一言では難しいのですが、一つは中国共産党の猛烈な反日抗争があったこと、敗戦末期にソ連が日本に宣戦布告して敗戦濃厚だったときに決定的な打撃が与えられたことが言えると思います。戦後しばらくはソ連に捕虜として抑留された日本人が多数いて、シベリアで命を落とした捕虜もたくさんいたことはよく知られています。補足としては、太平洋戦線(対英米戦線)や東南アジア・インドでの戦線も、敗退を続けた日本は中国へ資金・武器・物資を送り出す余裕がなくなって、中国内の戦力低下も共産党の抗日に耐えられなくなった点も見逃せません。

(3)朝鮮半島は日本の植民地でしたが、敗戦とともに南半分をアメリカが、北半分をソ連が押さえました。戦争集結とともに、アメリカ&西ヨーロッパの資本主義陣営とソ連&東ヨーロッパの社会主義陣営との対立が激化して、朝鮮の南北の政権のどちらに正当性があるかを巡って激しい対立が生まれました。南側は形としては国連軍が統括することで各国で合意していましたが、実体的にはアメリカ軍が中心でした。その後、朝鮮戦争が始まり当初は北朝鮮側がソウルをさらに南下し(これには大量の中国義勇軍とソ連が支援をしていました)、半島の大部分を押さえましたが、その後アメリカを中心に必死の巻き返しを図り、いまの38度線でいったん停戦ということになりました。そういうわけで、形的には朝鮮戦争はいまだ終結したわけではなく、38度線でいったん停戦という状態がいまも続いています。

(4)戦争は非常にお金がかかります。日本は戦争で国土が荒廃してしまいましたが、皮肉なことで朝鮮戦争で武器だけではなく、さまざまな物資が必要となりその生産拠点としてアメリカ占領下にあった日本に大量の物資生産の発注がありました。それを軍事特需と言います。結果として成金が生まれると言うよりは、破綻した日本の経済活動と生産活動がお隣の朝鮮戦争の特需によって、復活する契機となって、高度経済成長の足がかりになったと言われています。元々は日本が植民地化したところが戦争になって、そのおかげで日本が復活する契機を得たという歴史の皮肉の一つかもしれません。

こんなんでいいかな?
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この回答へのお礼

お・・お・・・・・お・・・・

すごい・・・!

長文ありがとうございます!かなりの感謝です!

教師になっちゃっても大丈夫なのでは?^^

すっきりしました!ありがとうございました!

お礼日時:2005/10/17 17:52

基本的には#1の方の言われる様な事ですが、歴史には解釈の問題があるので、若干違った見方からの補足・・・。



(1)(2)に絡んで、実際に日中戦争の初期に関しては国民党政権が正統政府という状態であり、共産党は逃げ回っていました(大長征)。日本敗戦時の戦勝国は中華民国で、蒋介石はポツダム会議にも出ています。
従って、その後の国共内戦に敗れた国民党は日本より割譲(返還)された台湾省に渡り、そこに中華民国の臨時政府を造りました。
国連(戦勝国連合)の常任理事の席はその後も中華民国が占め、当時の西側世界では暫く中華民国が正統な中国と位置付けられたいました。
その後、徐々に中華人民共和国を無視して国際政治は語れないと言う実情の中、西側各国も正統政府としての中華民国を見捨て、中華人民共和国が現在の位置を占めました。
日本では田中角栄が国交を結ぶまで、上記の中華民国が正統政府という立場で、現在も交流自体は続けています。
日中戦争については、IFとして日本が専念したとしても、ベトナム戦争で米国が勝てなかった様に勝利する事はできず、今の状態まで(満州・朝鮮・台湾を失う)なったかはともかく、その後侵略した地区からは撤退せざるを得なかったと思います。
(3)に関しては、当時は中華民国が常任理事国だったので、ソ連だけが東側の常任理事国でしたが、結果的に拒否権を発動しなかったため、国連軍として米軍が戦争に介入する事ができました。
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます!

(3)はソ連が会議をボイコットしていたから見たいですね。

皆さんの知識はすごい・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2005/10/19 11:33

1 中華人民共和国と中華民国が現実を無視した主張をしている訳です。

中華人民共和国は中国共産党が行った事も無い台湾も中華人民共和国と主張しています。
中華民国は中華人民共和国も中華民国の領土だと主張しています。
世界中にはよく或る話です。
個人のトラブル(民事)でもよくありますよね。

2 日本は中国共産党にも国民党にも負けていません。アメリカに負けたのです。IFの話になりますが、日本が南方に進出しなかったら、日本と国民党が協力関係にあったら、アメリカが蒋介石を早く見捨てていたら、、、違う歴史になっていましたね。

3 38度線で戦線を膠着させたのはトルーマンですが、韓国も北朝鮮も民族分断につながるので大いに不満だったようです。
マッカーサーは、決着がつくまで戦争を継続すべきだという意見で、最終的に解任されました。おかげで朝鮮半島や満州で原爆が使われなくてすんだのですが。

4 朝鮮戦争で日本の役割が大きく変わりました。
アメリカは日本が東アジアの安全を脅かす存在だとして戦争を仕掛けました。しかし、日本の主張は東アジア(特に中国や満州)の赤化を防ぐという使命感を持っていました。
朝鮮はアメリカもヨーロッパもあまり関心を示していませんでした。
しかし中国が赤化し、朝鮮半島に赤軍が流れ込んできたので、日本を東アジアの防共基地として整備し、朝鮮半島の赤化を防ごうという方針になりました。マッカーサーが日本を再評価したからだと思います。
しかし日本はアメリカが押し付けた憲法を盾に再軍備を断り今に至っています。
北朝鮮問題が解決したら、日本とアメリカの関係は変わります。
日米安保条約の存在意義がなくなりますから。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます!

話は変わってしますんですが、日本の常任理事国入りは無理そうですね

フランスだかどっかは、日本はすごい支援しまくって、お金をイッパイ出してるから

って理由で理事国入りさせるべきだっていっているみたいですけど、

靖国参拝でまた延期されそうですね・・・

参拝しなくても中国の方はさせてくれなさそうでしたけどね

ありがとうございました!

お礼日時:2005/10/19 11:39

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