ヨーロッパの歴史に関心を持っているのですが、なぜドイツ語をドイツ語と呼ぶのかがどうしてもわかりません。

まだまだ勉強不足なのですが、歴史に「ドイツ」という名称が登場したのは近代になってからなのではないでしょうか?
それ以前に神聖ローマ帝国の皇帝を数多く排出したハプスブルク家の本拠地から「オーストリア語」と呼ばれるのであれば納得できるのですが、なぜ「ドイツ語」なのか?

1815年のドイツ連邦規約に基づいて、言語の名称もドイツ語と規定されたのでしょうか?
もしそうなのであれば、それ以前の言語の名称など、教えてください!お願いします。

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A 回答 (3件)

「ドイツ(Deutsche ドイッチェ)」の語源である「theodiscus テオディスクス」というラテン語が始めて文献に認められるのは、786年のことであり、#2さんの言われるように、「民衆の言語」という意味です。


当時すでにほとんど文語となっていたラテン語に対して、「人々が会話で使う言語」という意味を持っていたものと思われます。
これをイタリア人が、「アルプスの北に住むゲルマン系の言語を話す人々」という意味で使い始め、1000年頃にドイツでも自称として使うようになったようです。
そのころは、「ディウティスク(diutisk)」でした。
14世紀後半以降は国名も、「ドイツ国民(deutscher Nation)のローマ帝国」と称されるようになりました。
なお、オーストリア(ドイツ語でエステルライヒ)は、神聖ローマ帝国内の一領邦に過ぎず、たまたまハプスブルク家の領地であったということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私が認識していたより「ドイツ」と言う言葉の語源が登場したのはずっと古い時代なのですね。
これからもいろいろ調べてみたいと思います。

お礼日時:2005/11/09 17:04

補足しておきますと、ドイツという言葉のもともとの意味は「民衆の」といった意味のようです。

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ドイツという名所のもととなった用語はもともとドイツ語のもととなった古高ドイツ語にあり、15世紀以降はいまのドイツを含んだ地域(時期により大きく変動しますが)ドイッチラントと呼ばれていました。


パプスブルグ家が皇帝位を独占し、オーストラリアを所領とする以前から、神聖ローマ皇帝はローマ教皇に戴冠されるまではドイツ王であり、ルドルフ・フォン・パプスブルグがついた地位はは正式にはドイツ王です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
もっと、神聖ローマ帝国とドイツの関係を調べてみます。

お礼日時:2005/11/09 16:59

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Qドイツ連邦

ウィーン会議後に成立したドイツ連邦の境界は、
オーストリアのおおよそ西半分のみがドイツ連邦に組み込まれているのですが、
オーストリアの国境と完全には一致していないのは何故なのですか?

Aベストアンサー

ウィーン会議の目的は、「革命前の状態への復帰」が名目でした。ですから、革命中に滅亡した神聖ローマ帝国も復活させねばならず、結果としてドイツ連邦は神聖ローマ帝国とほぼ同じ領土となりました。

その結果、オーストリアの全土が組み込まれていません。
(正確に言えばプロイセン王国も全土が入っていません)

そもそもこの「ドイツ連邦」というのはドイツを統一させるものではありません。

むしろその逆で、会議ではイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの勢力均衡をはかることも原則とされたために、実際のドイツ連邦というのはいわば、プロイセンとオーストリアがヨーロッパ中央部での覇権争いを抑止するための人工的な勢力均衡の枠組みでした。
(プラス、保守反動体制(ウィーン体制)による、ドイツ統一を防ぐ役目)

ですから、上記の、神聖ローマ帝国の復活と言うのは全くの名目でした。

その後、オーストリアを破ったプロイセンによってドイツが統一されるのはご存知の通りです。

Qドイツの貴族(近世以前。できれば神聖ローマ帝国時代)について教えて下さい。

小説を書いたりしているのですが、いろいろとこだわってしまうため気になることが多くて困ってます。


1.伯爵の息子は子爵だそうですが、公爵などの息子はどうなるのか(長男と次男以下の違い)
2.領地の分割相続は行われていたのか
3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか
4.爵位のない貴族の扱い
5.辺境伯、方伯、宮廷伯などの上下(どのような序列か)
6.主な宮廷内の役職と相応の爵位
7.辺境伯と侯爵の違い
8.イギリスにおける準男爵的地位はあるのか
9.イギリスでは騎士は一代限りだが、ドイツでそのような一代限りの称号はあるのか


以上の9つです。
それなりに自分で調べたつもりなのですが、他のヨーロッパの国々と混ざって余計にわからなくなってしまいました…。

一つでもわかる方がいらっしゃいましたら、回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 すいません。いきなり間違えてました。m(_ _)m

>確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。
 これイギリス方式ですね。ドイツ系では子供は全員両親と同じ階級の待遇を受けるようです。(女性の方が上位の爵位を持っている場合も有るので…。)
 イギリス方式も厳密に言うと、長子のみが親から譲られた儀礼称号を名乗れるようです。(次男以降は爵位を名乗れない)
 例 当主が A伯爵 B子爵 C男爵 を持っている場合…。
   当主 A伯爵○○閣下
   長男 B子爵□□閣下
   孫  C男爵△△閣下

  http://blogs.dion.ne.jp/duke/archives/89855.html

 ちなみに抜かした質問は、前回の回答時にも判断つかなかった者なので

>3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか
 基本、寿命が来るまで勤める事になると思うのですが…。
 バイエルン王国だと寿命まで勤めた方、途中で退位した方、廃位させられた方など色々いらっしゃいます。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

>4.爵位のない貴族の扱い
 爵位を持っている方を貴族と呼称するのだと思うのですが…。
 イギリスのジェントリー階級の事でしょうか?

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

>1.単独相続の場合、次男以下は修道院や騎士になって奉公、という形がやはり一般的なのか。それともどこぞに婿入り?
 男爵家などの下級貴族は基本的に、当主が貴族としての最低限の品格を守るのすら難しいのが普通なので、次男以下は自活できる職を目指すのが一般的かと…。(修道士や学者や文化人、運が良ければ廃嫡された家に入れたり…。)
 ただ、辺境伯クラスになると、領邦と称される半独立国家状態に成りますので、とうぜん次男以下の息子にも、相応の職務を与える事が出来るようになります。(長男が社長なら、次男は支社長と言った感じかと)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E9%82%A6

 日本で言う所の陪臣と言うやつですね。(将軍家から見た場合の、各大名の家臣)神聖ローマ帝国には帝国等族身分と呼ばれる、300あまりの世俗諸侯、数百の帝国騎士、数十の聖界諸侯と帝国都市が存在しており、それらに仕える領邦等族と呼ばれる人達が存在しておりました。

>2.イギリスは騎士は次代からその称号が使えないだけで、その家格は失われないと聞き及びました。…ドイツの騎士に当たる階級の人々と、イギリスの騎士の違いって何なんでしょう。
 イギリスのナイト(勲爵士)の事を指しているのだと思いますが、中世の騎士とは全く別物です。中世の騎士団の故事をまねて、功績が有った人や主君のお気に入りを集めたものですから家格の上下には影響(本人に直接帰属する物です)は…。ちなみに、入団を許された証明としての記章が所謂「勲章」です。イギリスのガーター勲爵士(Knights of the Garter)に今上陛下が最高位の勲章騎士として序せられているくらいですし…。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88

 ちなみに、中世のヨーロッパの騎士を出来るだけ広範囲で包括しようとすると、騎士の従者など規定の訓練を受け、馬に乗って戦う者という事になってしまいます。騎士と呼ばれる身分のうち、その四分の三が不自由身分の家臣「ミニステリアーレ」だったりするくらいですから…。(主君がいない騎士だっています)

 http://www.h3.dion.ne.jp/~hiryu19/history/knight.html

 また、ドイツの騎士というと「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会(チュートン騎士団)」は、外せません。(平時は修道士で、必要なら武器を取って戦う騎士でもある)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3

 ドイツ騎士修道会の有名なFLASHが有りますので宜しければ。
http://www.geocities.jp/napowhis01/grunwaldver2.html (鉄十字の騎士)

 なお、彼ら騎士たちや修道会は神聖ローマ帝国内では、爵位を持った貴族たちと並列に存在しており、帝国代表者会議主要決議までは対等の立場でした。(世俗化と陪臣化)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E8%80%85%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%BB%E8%A6%81%E6%B1%BA%E8%AD%B0

 すいません。いきなり間違えてました。m(_ _)m

>確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。
 これイギリス方式ですね。ドイツ系では子供は全員両親と同じ階級の待遇を受けるようです。(女性の方が上位の爵位を持っている場合も有るので…。)
 イギリス方式も厳密に言うと、長子のみが親から譲られた儀礼称号を名乗れるようです。(次男以降は爵位を名乗れない)
 例 当主が A伯爵 B子爵 C男爵 を持っている場合…。
   当主 A伯爵○○閣下
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Q「中国」 という名称は歴史上、いつ頃から登場?

今の彼の国は 「中国」 と呼びますし、その国の国籍をもつ人は 「中国人」 と呼びますよね。

この表現方法は、一体いつ頃から歴史に登場するのですか?

昔の秦や漢の時代に既にあったのでしょうか?  それとも現在の中華民国や中華人民共和国が成立してからでしょうか?

Aベストアンサー

歴史上、中国、あるいは夏、といういいかたのほうが中華より前にありました。
#1さんの仰るように詩経がもっとも古い記録のようですが、ただここでいっている中国は現在の中国より狭い領域です。またいわゆる中華思想、外族に対し自分の側を中国(ないし夏)と称する使い方は西周ではなく東周戦国時代のあたりのようです。その際、例えば斉なら斉を中国とし、秦あたりを夷狄とする(春秋公羊伝)、あるいは韓を夏の正統とし、呉・越を蛮夷と呼ぶ(春秋左氏伝)といったいわゆる諸侯国による他国の蛮夷よばわりと表裏です。したがってこの時代の「中国」というのは書物により大差あり、またその広さはまあ諸侯の国ひとつかふたつぶんぐらいです。同様に「中華思想(という言葉はこの時代ありませんが)」も後代のものとはちがってもっと狭い地域を「夏の正統」と考える、という思想でした。
その後秦漢帝国の統一を見てやっとまあ私たちが中国とおもっているあたりが中国だということになりました(もっともチベットとかはこの時期もはいってませんが)
で、中華ということばですが漢代にもないようです。中国という名称は史記にも出てきます。ただ、地域名です。
国名は「漢」とか「唐」とか「大元」(元といういいかたは実は正しくないらしい)とかであって国名としては確かに中華民国(ただし略称)以来ということになります。
同じく中華思想も現代に続くものとしては明代に作られたものですが、日本の明治の「王政復古」同様、伝統を復活させるという大義名分ではありますが、その実過去のそれとは異質のものでした。

歴史上、中国、あるいは夏、といういいかたのほうが中華より前にありました。
#1さんの仰るように詩経がもっとも古い記録のようですが、ただここでいっている中国は現在の中国より狭い領域です。またいわゆる中華思想、外族に対し自分の側を中国(ないし夏)と称する使い方は西周ではなく東周戦国時代のあたりのようです。その際、例えば斉なら斉を中国とし、秦あたりを夷狄とする(春秋公羊伝)、あるいは韓を夏の正統とし、呉・越を蛮夷と呼ぶ(春秋左氏伝)といったいわゆる諸侯国による他国の蛮夷よばわりと...続きを読む

Qハプスブルク家について

どうしてハプスブルク家は滅亡したんですか?
この間、エリザベート(宝塚)見てきたのですが、よくわかりません。ルドルフが死んであと継ぎがいなくなったからですか?

Aベストアンサー

NO.1の方がおっしゃるとおり、滅亡してません。

子孫は欧州各地で政治家などをしている、と以前
何かで聞いたことがあります。

ただ、オーストリア政界への復帰は難しい、同じ
時に聞きました。
(復帰したら人気がそちらに奪われるから?)

Qドイツの歴史

マイセンの初期(1700年代前半)の頃のドイツの様子について知りたいのですが、有名な出来事といったら何ですか?

また、年代によるマイセンの青の双剣の変移を知りたいのですが、参考になる詳しい文献が見つかりません。御存知の方いらっしゃったら教えて下さい。

Aベストアンサー

ドイツは他に詳しい方々がいらしゃると思いますが、

今ドイツになっている地域は、当時はまとまった1つの国でなくて、何とか公国とかいう風に分かれていたのだと思います。
マイセンは「ザクセン王国(元はザクセン公国)」ですか。ドレスデンが首都なんですね。
ザクセン、マイセン(地方)、ドレスデンなどをキーワードに歴史を調べてみたら良いのでは。

月並みですが、ウィキペディアを覗いてみてはいかがでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3_(%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8)
 ↓
で、参考文献に出ている本のタイトルで検索してみると、
http://www.amazon.co.jp/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E9%99%B6%E7%A3%81%E7%B4%80%E8%A1%8C%E2%80%95%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3-%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89-%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB-%E3%81%BB%E3%81%9F%E3%82%8B%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E4%B8%89%E6%B2%BB%E9%83%8E/dp/4418052208


文献ではありませんが、
「青の双剣」について出ているサイトがありました。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/nihonnotsurugi/column/07.html
http://www.geocities.jp/meissenlady/meissenlady01.html

ドイツは他に詳しい方々がいらしゃると思いますが、

今ドイツになっている地域は、当時はまとまった1つの国でなくて、何とか公国とかいう風に分かれていたのだと思います。
マイセンは「ザクセン王国(元はザクセン公国)」ですか。ドレスデンが首都なんですね。
ザクセン、マイセン(地方)、ドレスデンなどをキーワードに歴史を調べてみたら良いのでは。

月並みですが、ウィキペディアを覗いてみてはいかがでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3_(%E9%99%B6%...続きを読む


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