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こんにちは
ここ数年、『自分へのプレゼント』とか『自分をほめてあげる』
といった、一人二役というか、一人遊びのような言い方をききますが、
どうして一人二役できるのか、理解できません。
プレゼントをあげる自分/もらう自分、ほめてあげる自分/ほめられる自分
どうやったら、こういう別の人格をつくれるんでしょうか?
また、こういう風に別になっているのが、普遍的事実なんでしょうか?
こういう事が得意なのは主に女性で、
男性はあまりこういうことはしないというのも
あるという印象ですが、そのあたりもどうでしょうか?

A 回答 (8件)

一人二役でもなんでもなく「衝動買い」の言い訳ですよ。

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この回答へのお礼

そういう使い方もありますね。
でも言い訳として使えるということは
なんらかの『権威』や認められたなにかがあるからでは?
そのあたり、どうなってるんでしょうね…
ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 11:43

これは、自分を客観視出来るようにすることではないでしょうか?


良いことをすれば、良いことがあるとの簡単な形式を使い、自分の意識をポジティブにもっていく方法だと思います。
仕事や一般社会で、成果をあげても、もっとがんばれと求められ、奮起する人もいると思いますが、こんなにがんばっているのにと、萎縮してしまう人もいると思います。
そんな時、一般的には認められなくても、良くやっている、(自分を誉める)成果の報酬があっても良いのではないか(自分へのプレゼント)をすることにより、自分の意識をたかめていくとするものだと思います。
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この回答へのお礼

客観視ですか。
なんか自分で、親子の二役やるような感じがしますが、
正の条件付けの一種であることは間違いないですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 22:32

心理学にも色々あるので、どの立場で見るかで解釈が変わってくると思いますし、このカテゴリには私よりも詳しい方がいたと思うので、そちらを参考にしていただき、私の投稿は雑学未満と思って読んで下さい。



>ここ数年、『自分へのプレゼント』とか『自分をほめてあげる』といった、一人二役というか、一人遊びのような言い方をききますが、どうして一人二役できるのか、理解できません。

ここに集約されていると私は思ったのですが、
…hwy101さんは子どもの頃、1人で遊んだ経験、有りませんか?

例えば、「おままごと」をしたことはありませんか?

おままごとは日常生活を基本にしているので誰でも参加しやすく、メンバー次第で大きく展開を変化させられる、なかなか奥の深いごっこ遊びです。

集まったメンバーで役割を決め、1つの家庭を想定して演じ(ごっこ)遊ぶのがこの遊びの標準的な遊びの形ですが、そのとき、周囲に人がいなかったら、どうするでしょうか。
例えばある子は人形を持って来て、メンバーにして遊ぶかもしれません。
例えばある子は他の場所や親の所へ行って、メンバーになるよう勧誘するかもしれません。
例えばある子はもう1人のメンバーを自分が演じ、遊ぶかもしれません。

さて。

>どうやったら、こういう別の人格をつくれるんでしょうか?

別の人格を作…らなくても、演じればいいのではないかと思います。

ただ。
これをするには、「主である自分」を知っておかなくてはならないですよね。

おそらくこの質問のキーポイントは、ここかと思います。

hwy101さんは、料理をすることがありますか?
そのとき、「自分が今、どの手順をしているか」を想像・認識しながら、料理が出来ますか?
「自分を見る眼」を作って、「今、野菜を切っている。ざく切りにしている…」といった具合に、自分を見ながら作業出来ますか?
出来るならばあなたも「自分にごほうび」が理解できると思いますよ。つまり、

>こういう風に別になっているのが、普遍的事実なんでしょうか?

個別の事実だと思います。あなたがもしも「もう1つの眼を作れない人」であったとしても、それもまた世間の事実かと思います。

そして。
ご質問の「プレゼント」「ほめる」という行動は、文章を読んだ限りでは「自己愛を支える行為」と解釈可能と思いました。
何らかの理由により傷ついた自己愛、疲弊した自己愛、弱まった自己愛を支えようとしている行動だと考えると、出方は色々ですが、それ自体は、日常の色々な場面で大変多く見られる行動です。多分、私もあなたも自然と行っている行動だと思います。日常を細かく観察していけば、見つけられると思います。

>こういう事が得意なのは主に女性で、
>男性はあまりこういうことはしないというのも
>あるという印象ですが、そのあたりもどうでしょうか?

私の記憶では…「自分にごほうび」とは、女性向け商品で使用されたキャッチコピーでしたよね? その印象が強くのこっているため、主に女性と思われた可能性は有りませんか?
何故ここで女性向け商品で使われたかというのには、当然理由があります。しかしそれはおそらく心理学だけではなく、広告制作だとかマーケティングといった分野も考えた方が良いような気がします。
また男性はあまりこういうことをしない、というのはもっと調べてみないと…と思います。例えば男性といっても日本人男性と他国の男性では違うと思いますしね…。なのでちょっと私には分かりません。

以上、長文のうえ雑学未満ですが、参考まで。
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この回答へのお礼

質問するとき、子供のころ、一人で人形遊びとかするような子がやるような事、
と書こうと思ったんですが、差別的に聞こえるとよくないので書きませんでした。

それと、自分を客観視する自分が自分をほめたり、けなしたりするようでは
それは客観的ではないと思いますよ。

ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 22:41

専門家ではありませんが・・・。



旦那さんの稼いできたお金で自分の物を買いづらい専業主婦などの心理をついた、売り手側の戦略だと思います。
自分の物より家族の物と考える女性の財布の紐を緩めるには良いコピーだと思います。
そういう女性ばかりでないとも思いますが^^;

男性はそういう言い訳などせずに欲しけりゃ買うんだと思います。
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この回答へのお礼

#3の方がおっしゃるように、マーケティング的な意味ですね。
そういうれると、つじつまが合うところはありますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 22:43

>どうやったら、こういう別の人格をつくれるんでしょうか?



「人格の共存」というよりは、時間の経過に伴う「自己評価」だと思います。
過去の自分を振り返り、その頃の労を『癒すため』、何らかの行動をするのだと思います。

精神的な達成感を実現化し、物質的、身体的な満足へと昇華し、かつ、次の仕事への「動機付け」をしているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>過去の自分を振り返り、その頃の労を『癒すため』、何らかの行動をする

目的を達成する(せざるをえない)するため、感情的に犠牲にした部分がある
ということですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/13 22:57

こんにちは。


『プレゼント』『ほめてあげる』...周りにもいますね。
私も便乗しますし、日頃我慢の状況に迷う友にも使いますね。
私の場合には「どうしよっかな、ちょっと高いが」なんて
旅行や買い物の言い訳ですが...。

女性を見ていて思うのは、井戸端会議に混じっても判りますが
”他人のこと”、”他人の目”みたいのを常に話題にしています。
「普通できないよね~」とか「(自分が面倒でも)普通そうして
あげるもんじゃん?」とか、何の”普通”で、
それが相手にも正しい思いやりなのかはかなり微妙ですが、
銘々に常に気にして考えて我慢して生きているようです。

仕事に限っては男女問わず、やはり自分の主張や面倒を後回しにされて
時には理不尽な状況に合わせて進めなければならないことも
あるでしょう。

そんなことから我慢を強いられる状況のとき、
時には「常識」とか「他の人なら」とかどこまでが我慢すべきで
どこからが相談するなり、訴えるなりしていいのか、
自分の状況と比べて考えることありません?
その時につかう「常識」とか「他の人なら」とかが
あなたのおっしゃるところの「こういう別の人格」のひとつだと思います。

日頃「常識」「他の人なら」で自分を控えめにしている人が
ちょっと贅沢したいとき、疲れ果ててしまったとき、
同じ手順で「いつも真面目に働いている人がいたとして、
これくらいプレゼント(褒められる)あっても誰も文句いわないよね?」
って「常識」「他の人なら」に許してもらえるぐらいだと
考えないと安心してわがまましたり、甘えたりできないのでは?

特に自制心の強い友人の葛藤を癒すには
あなたのいう「こういう別の人格」モデルを想像させて
相談に乗るのが有効だったりします。
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この回答へのお礼

なるほど。セラピーの文脈で考えていたので、
意外な答えでした。そういう使い方もあるんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/14 22:54

 No.3のJJRです。

お礼を読みました。補足します。

>質問するとき、子供のころ、一人で人形遊びとかするような子がやるような事、と書こうと思ったんですが、差別的に聞こえるとよくないので書きませんでした。

 慎重に…というお気持ちで行ったことと思いますが、全く差別的ではないんですよ。
 私たち人間は、生まれてから成長する間に、必ず一人遊びをする時期があります。一人遊びを経た後、色々な体験を通して少しずつ、他人と遊べるようになる、そうして人間は発達していきます。
 また人間というのは、ちょっと弱ると、少し子どもに戻ったりします。
 高齢者が子どもにかえる現象など、聞いた事ありませんか? この、子どもに戻る現象(退行、なんて言葉があったりします)、誰にでも起ります。
 一人遊びは誰しも経験していることであるし、退行も誰にでも起ることです。ですからもしも、「子どもに戻って無邪気に振る舞う姿」を差別する人がいたら、「差別する方が、分かっていないんだ」と思ってください。
 hwy101さんが「自分にごほうび」の行動から一人遊びを連想されたことを知り、その見方、悪くないと思いますよ…ということをお伝えしたく、以上補足しました。それと、

>それと、自分を客観視する自分が自分をほめたり、けなしたりするようでは それは客観的ではないと思いますよ。

 ここちょっと違うかな……(^^;)

 私、文中で「客観視」という言葉を使っていませんよね?
 「自分を見る眼」という表現をしたと思います。

 ……何故だと思いますか?

 確かに「自分を見る眼」は、いつも使っている自分の眼とは違いますが、
 結局、使用している眼の持ち主は、自分自身です。
 つまり……「主観」なんですよ。

 …ややこしくてすみません。分からなかったら遠慮なく聞いて(補足要求して)下さい。もっと何か…噛み砕いて書きます。
 以上、ちょっと専門用語入ってすみませんが、補足でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/17 21:55

自分を誉めるというのは、自分を大切にする。

これからも、一生懸命頑張ろう、前向きに生きようと、自分を奮い立たせる意味合いもあると思います。

男であれ女であれ、プラス思考でよいと思うのですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/17 21:55

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