クロマニヨン人が人類の祖先という根拠は何でしょうか?アウストラロピテクスは二足歩行してないのですか?

A 回答 (6件)

クロマニヨン人は、現在のヨーロッパ地方の人々の祖先と考えられています。

全人類の祖先ということになると、20万年位前のアフリカ東部出身までさかのぼる必要があると思います。いずれにしても、これはDNAと骨格研究の考古学の両面からのアプローチで矛盾のない見方ということで最も有力な見方といわれています。

アウストラロピテクスは、類人猿から分離した、初めての猿人と分類されており、猿人の特徴は、直立二足歩行することです。

クロマニヨン人は、ネアンデルタール人から枝別れしたわけではなく、古い古い時代に共通の祖先の原人から枝分かれしたのです。ですから、直系の子孫ではないという意味です。

参考URL:http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/neand …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

原人からいろいろ枝分かれしたうちの一つがネアンデルタールであり、クロマニヨンであり、その二つが直接繋がっているのではないということですね。共通祖先(つまり原人)に対して直接繋がっているのであり、言い換えれば両者(ネアとクロ)は間接的に繋がっているということだと理解しました。そして今の現代人の枝の付け根にクロマニヨン人がいるから、現代人の祖先みたいな表現になっているのですね。有難うございました。

お礼日時:2005/12/01 12:10

ネアンデルタール人のDNAは、一部ですが、採取され、現生人類と血縁関係がないことが証明されていますよ。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

クロマニヨンはネアンデルタールから枝分かれしたのに血縁関係がないというのはいまいち理解しがたいのですが…。あれっ?それとも現生人類とは現代人のことであって新人(クロマニヨン)とは違うのでしょうか?血縁関係という定義も曖昧な自分にとってどれ程の離れ方を「血縁関係がない」というのかよく分からないのですが…。

お礼日時:2005/11/27 03:57

No. 3 ですが、お礼での追加質問に関して。


現生ヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・とネアンデルターレンシス)は、ホモ・エレクトス(原人)から分かれた別亜種とみなされるようです。
ネアンデルタール人のDNAは残っていないと思われますので、類縁関係や分離時期をDNAから求めることはできず、考古学的に推定するより仕方ないようです。
なお、ネアンデルタール人は3万5千年前に絶滅したそうです。しかし、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス・サピエンスが交雑することは不可能ではないかも知れず、ネアンデルタール人の遺伝子が残っている可能性はゼロではないでしょう。顔つきだけからでは遺伝関係を立証するのは困難と思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現生ヒトとは現代人(新人ではない)のことと解釈してよいのですよね。つまらない質問に付き合っていただいて有難うございます。

お礼日時:2005/11/27 04:00

二足歩行したからと言って、現代人類の祖先というわけではありません。


アウストラロピテクスは二足歩行したと考えられますが、その子孫は絶滅しています。
長谷川正美「DNAから見た人類の期限と進化[増補版]」(海鳴社、1989)ではヒト上科の進化をDNAから計算しています。これによると、ヒト亜属がチンパンジー亜属から分かれたのは、アウストラロピテクス亜属から分かれたより新しい、と結論しています(アウストラロピテクスのDNAがあるのではなく、ヒトとチンパンジーの分離は300万年前であり、それよりアウストラロピテクスが古い、という意味です)。
すなわち、二足歩行した類人猿のうち、アウストラロピテクスに進化した群とヒト・チンパンジー・ゴリラに進歩した群があり、両者は並存していた可能性があります。アウストラロピテクス亜属は絶滅し、チンパンジー・ゴリラは二足歩行の能力を捨てて森林に戻った、という結論です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。ではネアンデルタール人とクロマニヨン人との区別はどこでついているのでしょうか?現代人の中にもネアンデルタール人みたいな顔の人っているじゃないですか?それもDNAってことですか?アホな質問ですが。

お礼日時:2005/11/25 12:39

回答がずれるかもしれませんが、たしかに、アウストラロピテクスも二足歩行でした。


こんな説もあります、
http://www1.fctv.ne.jp/~ken-yao/Zinrui.htmを参考にしてみてください。

さまざまな仮説がありまして、見方があります。しかし、アウストラロピテクスが現代の人の祖先ではないというのは、かなり有力だとおもいます。
参考URLの下の方も見てみてください

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

fctvってよく分からなくて見れませんでした。有料なんでしょうか?すみません。

お礼日時:2005/11/25 12:25

「現代の人類の祖先」という意味ではないでしょうか。

クロマニヨン人以外の系列は死に絶え、現人類とDNAを共有しているのがクロマニヨン人、ということだと思います。

http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/HistoryHomo.htm
    • good
    • 0
この回答へのお礼

壁画を描いていたから文明を持っていたと考えられ、人類に近いという理解でよいのでしょうか?言語学とかDNAとかよく分からなくて。

お礼日時:2005/11/25 12:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qネアンデルタール人は何故滅んだの?

ネアンデルタール人は体が頑丈で、頭もよく、活動範囲も広かったそうです。
それが4万年前に滅んでしまいました。
原因は「環境の変化」だそうですが、具体的にはどういった環境の変化があったのでしょうか?
滅んだ原因についてどういった説があるのか教えてください。

Aベストアンサー

 
ネアンデルタール人( Homo Sapiens Neanderthalensis )が何故滅亡したのかということは、現在でもはっきりと分かっていません。現世人類の祖先は、クロマニオン人を代表とする、新サピエンス型人類で、サピエンス型人類は、大体20万年以上過去に遡ることができ(古型サピエンス型人類)、他方、ネアンデルタール人も、20万年ほど過去に遡ることができます。

大雑把には、古ネアンデルタール人と新ネアンデルタール人がいたことになり、ネアンデルタール人の滅亡というときには、新ネアンデルタール人のことを指します。(古ネアンデルタール人は、新ネアンデルタール人へと進化したものと、滅亡したものに分かれると言うことになります)。

年代的には、アルプス氷河編年では、「広義人類の文化」が出現したと考えられていた、新生代洪積世の百万年の期間に、四回の氷河期があったとされます。もっとも新しい氷河期は、ギュンツ氷河期で、これは、9万年ほど前に始まり、1万2千年ほど前に終了し、「第四間氷期(後氷期)」とも呼ばれる現世(沖積世)がその後に続きます。

ギュンツ氷河期約8万年の期間を通じて、氷河期であったのではなく、3万5千年前を中心として、その前後期間に、亜間氷期があり、この亜間氷期以前を古ギュンツ氷河期、これ以降、第四間氷期の沖積世までを、新ギュンツ氷河期と呼びます。

何故こういう話かというと、約10万年前(これはギュンツ氷河期の前の間氷期です)、ヨーロッパに鋭利な剥片石器を特徴とするムスティエ文化があり、同じ頃、同様の特徴を持った文化が西アジア、アフリカにもありました。このムスティエ文化は、4万年前頃まで継続します。ムスティエ文化を持っていたのは、ネアンデルタール人と考えられるのです。

そこで、ムスティエ文化が消える頃、または消えた後で、ヨーロッパには、3万5千年から3万年前頃から、オーリニャック文化が生まれます。この文化は、後続して、洞窟壁画やヴィーナス像を伴います。また、骨製品なども伴います。この文化は、クロマニヨン人、新サピエンス型人類の文化と考えられています。

ネアンデルタール人が4万年前に滅亡したというのは、ムスティエ文化の終了・消失と関係があり、また、ネアンデルタール人の化石はムスティエ文化と共に出土し、オーリニャック文化時代には出てきません。

また、サピエンス型人類は、20万年以上前に遡ると書きましたが、10万前に始まるムスティエ文化の遺跡が見つかる、パレスティナのカルメル山のタブーン洞窟や、カフゼー洞窟などでは、ネアンデルタール人の化石骨が出土するのですが、またサピエンス型人類の化石骨も出土します。これについては、同じ時期に、ネアンデルタール人とサピエンス型人が共存していたのか、同じ洞窟に住んではいたが、居住年代が異なるのだという二つの説があります。同じ時期に共存していた場合、混血が起こった可能性があるのです。

ネアンデルタール人の滅亡の原因として、現在までに考えられた主要なものは、三つに分かれます:

1)新サピエンス型人類とネアンデルタール人のあいだで闘争などの生存競争があり、新サピエンス人がネアンデルタール人を滅ぼした。(殺戮し尽くした、という説、更に、食人習慣もあったので、ネアンデルタール人は、新サピエンス人に食い尽くされたという説もありましたが、これは、「食人」は儀式で行われたもので、ネアンデルタール人を食料として食い尽くした、という説は否定されています)。

2)新サピエンス型人類とネアンデルタール人は、長期に共存し、交配可能であったので、混血が進み、ネアンダルタール人は新サピエンス人に同化し吸収され、独立した生物類としては消えてしまった。(現代人のなかで、生まれつき筋肉が発達し、毛深い人が生まれたり、そういう体型の家系があるのは、ネアンデルタール人の遺伝子が部分的に発現しているのだという話です。……これはミトコンドリアDNAの見地からは、無理なようにも思えますが、この説が成立するシナリオを考えることもできます)。

3)ネアンデルタール人と新サピエンス型人類は、共存し、別々の集落・集団を造って生活していたのであり、互いに干渉はなかったが、ギュンツ亜間氷期の期間に、新サピエンス人は新しい文化や技術や集団社会を造ることができたが、ネアンデルタール人は知的に限界があった為、文化情報交換性の高い、新しい共同体や技術文化を創ることができず、a)みずから行き詰まって行き、人口減少して、集団の基本母数を維持できなくなった、
b)新サピエンス人との生存領域の争いで、不利な環境に追いやられ、結果的に、成員数が減少へと進み自滅した。

3)の場合は、新サピエンス人がネアンデルタール人を、戦闘や暴力などで滅ぼしたのではなく、別個に共存していて、新サピエンス人は技術やコミュニケーション能力が向上し、集団が大きくなって行き、生産量も高まったのに対し、それと相対的に、ネアンデルタール人は人口や集団の規模が拡大せず、やがて生活領域も狭くなって来て、何時とは知れず、自滅したということです。

古ギュンツ氷河期に適応し過ぎた結果、4万年前から3万年前ぐらいのギュンツ亜間氷期の気候変動に適応できなくなったというのは、3)に分類されますが、氷河期というのは、地球表面全体が氷に覆われた時期ではありませんし、間氷期また後氷河期は、氷河が地球上から完全に消えた時期でもありません。

ネアンデルタール人は、南北アメリカ大陸には進出しておらず、東アジアにも進出していないようですが、それでも、ヨーロッパ、中東、アフリカと広範囲に分布していました。気候変動と共に、適した土地に移動することができますから、やはり、生活領域の狭さによって、集団を存続させるための最低人口を維持できなくなった結果、少しずつ静かに消えて行ったのだと考えるのが適切だとも思います。

化石人類は色々見つかっていますし、ネアンデルタール人の化石遺骨も百体ぐらい見つかっています。しかし、十万年の時間のあいだに、化石が蓄積されたのであって、特定の時点で見ると、世界中に存在したネアンデルタール人は、10万人程度の規模だったとも考えられます。対し、オーリニャック文化期の新サピエンス人は、百万人ぐらいに人口増加していたとも考えられます。

ネアンデルタール人は、ギュンツ亜間氷期も細々と生き延び、新ギュンツ氷河期の半ば、2万年ぐらい前にも、存続していたという説もあります。更にその子孫が生き延び、ヒマラヤのイエティ(雪男)がそれだという説もあり、これが本当だと、ネアンデルタール人は、滅亡していなかったことになります。しかし、イエティは、目撃談と伝説はありますが、物証がありません。

イエティの皮だと伝承されて来たものも、調べてみると、別の動物の皮だったりしました。(しかし、紀元10世紀頃だと、もしかすると、未だネアンデルタール人の子孫が生存していた可能性があります。世界中に、雪で覆われた山奥などに棲む、毛深い巨人の伝承があるからです)。

(註:ホモ・サピエンス Homo Sapiens は、ネアンデルタール人も含みます。クロマニヨン人や、現代の人類は、ホモ・サピエンス・サピエンス Homo Sapiens Sapiens と言い、ネアンデルタール人は、最初に書いているように、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス Homo Sapiens Neanderthalensis です。どちらも、ホモ・サピエンスです)。
 

 
ネアンデルタール人( Homo Sapiens Neanderthalensis )が何故滅亡したのかということは、現在でもはっきりと分かっていません。現世人類の祖先は、クロマニオン人を代表とする、新サピエンス型人類で、サピエンス型人類は、大体20万年以上過去に遡ることができ(古型サピエンス型人類)、他方、ネアンデルタール人も、20万年ほど過去に遡ることができます。

大雑把には、古ネアンデルタール人と新ネアンデルタール人がいたことになり、ネアンデルタール人の滅亡というときには、新ネアンデルタール人...続きを読む

Q洞窟の壁画とかはどうして描いたのでしょうか?

タイトル通りなのですが古代人というか原始時代というかそのくらい昔に
洞窟に壁画が描かれていますよね。
どうして壁画を描いたのでしょうか?
調べたのですがわからなかったもので。
どなたかわかる方いましたら教えて下さい。
ふっと疑問に思っただけなんですけどね。

Aベストアンサー

 
まず、尋ねておられるのは、ラスコーなどの数万年前に描かれた洞窟壁画の「描かれた目的」だと考えます。

中国の墳墓やエジプトのピラミッドのなかや王家の谷の王墓の壁画や、あるいは中南米のマヤやアステカにも、壁画があるとか、北アフリカの現在は砂漠となってる場所に、数千年以上前の岩石絵があるなどは、目的の点で、分かっているものもあり、色々違った目的の場合もありえるので、一括で論じるのはどうかと思います。

ラスコーなどの壁画は、クロマニヨン人が描いたものと考えられます。「目的」は何かは、彼らは当然、無言語文化で、記録などもないので、現在から、絵を眺めて、推測するしかありません。その場合、「現代人の心理」では、了解できない目的なども当然考えられます。

基本的に、これらの洞窟絵画は、洞窟の奥深いところに描かれていて、彩色が非常に鮮明で、かつ絵が写実的で躍動性があり、更に、モチーフとして、野牛を初めとして、狩りの獲物になるような動物が「多数」描かれているというのが特徴です。

「狩りの成功」を祈り、「絵に描いた動物が手に入るように、呪術的行為」として、狩りの獲物の絵を描いたのだという説が、有力な説として古くからあります。この場合、いまでいう「宗教的目的」で描いたのだということになります。

記憶ですが、描かれているものには色々なものがあるが、そのなかに、鹿の皮をかぶった、明らかに人間と思える像の絵も描かれていたはずです。(違っていたかも知れません)。

こういう絵があった場合、これは、何かの儀式を行っているときの絵だとも、儀式の目的のために描いたのだと言えます。では、その儀式の「目的」はということになります。

クロマニヨン人だと、狩猟生活をしていたと考えられますが、しかし、食料は、植物性のものもあったはずです。魚もあったと思えますが、そういうものは描かれていないようです。少なくとも、主なるモチーフ絵としてはないようです。

そうすると、単に、狩りの獲物の大量を願うというより、牛や鹿や、その他の動物の持つ「力・生命力」に何かの意味で敬意を表し、それらの偉大な動物の「力」などが、部族や住民に助力することを願って描いたという可能性が高くなります。

絵に生き生きと描いた野牛などの「肉」が欲しいのか、「その象徴的生命力」が欲しいのか、いずれにせよ、「欲しいもの」を絵や像などで表して、象徴的呪術的に手に入れ、これが、現実的な肉や生命力の入手につながるという考えが呪術では一般です。

「ヴィーナス像」という、女性の特徴を誇張した像や、妊娠している女性の像が、やはり、クロマニヨン人が作ったと考えられる時代で出土します。これらも、子孫繁栄と「豊穣」を呪術的に操作しようとしたとも言えます。

洞窟の奥深く、人が入って来られないような場所に描いていること、また、現在でこそ、電気の照明で、全体の絵がはっきり見えるのですが、昔は、そんな明るい照明は持ち込めず、煤や二酸化炭素で窒息してくるはずなので、ごくごく弱い光でしか絵は見ていなかったことなどを考えると、これは、「見るための絵」ではないということになります。

隠された場所、または神聖な、いわば「神殿最奥の至聖所」に描かれた絵だとも言えます。先に述べたように、食料の植物や魚や貝などは出てこないところからすると、「狩猟の成功」を呪術で操作しようという目的と、力があり、生命力に満ちる野牛などの「生命力・力」を、部族などのために確保しようという目的だと思えます。

この場合、「人間の立場」は、一方的に狩りをする「万物の霊長」ではなく、野牛などの方が、高次存在で、野牛を、神などのように崇めていて、その力の分与を願ったのが目的かも知れません。動物が、力強い、生き生きした写実的表現で、躍動感に満ちて描かれているのは、まさに、そのような「力・生命力」を崇拝し、助力を願ったためだと思えます。

部族の秘密の儀式=呪術である訳で、「日常と聖」という二分では、「聖」であり、多様な意味で、「守護の神」の絵として、洞窟の深奥に描いて、近づけないようにしていたのだとも思えます。「力・生命力の分与・幸運の分与・神である野牛等自身が肉や毛皮を分けてくれること」への祈願と、呪術的操作のために描いたのが、目的でしょう。
 
クロマニヨン人の心理など分からないので、「自信なし」にします。
 

 
まず、尋ねておられるのは、ラスコーなどの数万年前に描かれた洞窟壁画の「描かれた目的」だと考えます。

中国の墳墓やエジプトのピラミッドのなかや王家の谷の王墓の壁画や、あるいは中南米のマヤやアステカにも、壁画があるとか、北アフリカの現在は砂漠となってる場所に、数千年以上前の岩石絵があるなどは、目的の点で、分かっているものもあり、色々違った目的の場合もありえるので、一括で論じるのはどうかと思います。

ラスコーなどの壁画は、クロマニヨン人が描いたものと考えられます。「目的...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報