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イスラム文化に魅かれています。
そこで、イスラム文化と密接な関係にある言葉、言語を知りたいのですが、どのようなものがあるでしょうか。
もし宜しければ、地域や歴史などと共にご教示いただければ幸いです。

A 回答 (5件)

下記のようなページはどうでしょうか。


なかなかおもしろいものと思いますが。

参考URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/tokada/search/islam_s …
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この回答へのお礼

これは面白そうですね。(^^
ご紹介いただき、ありがとうございます。

お礼日時:2006/01/02 18:37

他の方々がおっしゃるように、アラビア語、それとペルシア語がメインでしょうが、他にもイスラームの国はいろいろあって、いろいろな言語があります。


中東はもちろん、アフリカにもありますし、アジアにも。

アジアだとたとえば、アフガニスタン⇒パシュトゥン語がメイン(でも他の語もある)、インドネシア⇒インドネシア語(バリ島はバリ・ヒンドゥで文化が違うらしい)、マレーシア⇒マレー語、など。

宗教的な厳しさ・柔軟さ、特色、文化などは、国や地域によります。
私もあまり知りませんが、イスラーム圏と一口に言っても、本当に様々なようです。
国の情勢だけ見ても違いますしね。穏やかな国とか、荒れてる国とか。

スンニ(スンナ)派、シーア派、というのも調べてみるといいかもしれません。
イラク情勢のニュースにも出てくる名前ですよね。
ごく簡単に言うと、預言者として誰を崇めているかが違うようです。

言語の話からは離れてしまいますが、歴史や文化では、こんな本も面白かったです。
「イスラーム世界の女性たち」文春新書
白須 英子・著
  ↓

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166603 …
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
言語マップなどを調べてみたのですが、中東地域でも、まるでヨーロッパのように他言語が集まっているのに驚きました。地球上に密集する他言語達を、方言と思うか、言語と思うか、、一種の方言の集まりだと思ったほうが、やさしいですね。
 ご紹介してくださった本のレヴューを見ると、イスラームに対する誤解と偏見に一石を投じる、うんぬんと書いておりました。
 それで、そういえば、日本の文化も、誤解され、偏見をもたれているんだろうなぁと、思いました。誤解や偏見が、文化の差異から来るものではなく、別の因果があって生じるものかなとも、思います。ごく身近な人や物事にも、誤解や偏見って、付きまとうじゃないですか。
 多分、異文化理解において一番大切なことは、言語の差異ではないだろうと思います。人間の徳性は、文化に関わらず共感し得るだろうと思っています。その現れは違ったとしても。

お礼日時:2006/01/06 13:33

「ペルシア」が多分正しい表記です。


ペルシア【Persia・波斯】
(イラン南西部の古代地名パールサ P*rsa に由来する) イランの旧称。アケメネス朝・ササン朝・サファヴィー朝・カージャール朝などを経て、一九三五年パフレヴィー朝が国号をイランと改めて以来、イスラム以前のイランを指すことが多い。
広辞苑

文化は、本能を失った(本能が壊れた)人間の松葉杖です、といっている人もいます。

かなりお若い方と思いますので、岸田 秀の一連の著作および『銃・病原菌・鉄』上下 ジャレド・ダイアモンド著、草思社 を手始めに読んでみることをお薦めします。

学校か近くの図書館に百科事典があるでしょうからそこから始めても良し。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(^^。
ペルシアとは、イランあたりのことだったのですね。
以前、博物展で、豪奢な装飾のライフルや剣、装身具を見たことがあります。日本の装身武具も相当技巧の凝ったものですが、同じくらいに、すごいものでした。
 
字書類を調べてみるだけでも、楽しく知ることができそうですね。
文化は、、うーむ。
本能が幹とすれば、文化は、枝についた新しい芽であると、私などは思うこともあります。
 
ありがとうございました。
書籍などもご紹介していただき、感謝しております。

お礼日時:2006/01/04 11:03

アラビア語は当然ですがペルシャ語も重要です。



■千夜一夜物語
Alf laila wa laila
アラビア語で書かれた物語集成『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』を直訳したのが『千夜一夜』で、正しくは『千一夜(物語)』。日本では英語式に『アラビアン・ナイト』Arabian Nightsともいわれる。
■内容と成立■
この物語集成の原典は内容を多少異にするものがいくつかあるが、いずれにも枠物語があり、また全体を1001の夜に分けているところからこの題名が出ている。枠物語の主人公はペルシアの王シャフリヤールと、大臣の賢い娘シェヘラザードである。妻の不貞を知ったシャフリヤール王は、毎日女を連れてこさせ、一夜をともにしてから翌日これを殺させた。シェヘラザードにその順番が回ってきたとき、彼女は王に世にも不思議な話を聴かせ、夜が明けるころになると、続きを聴きたければ明晩話しましょうと王に告げ、次々に話を続けて3年近くが過ぎた。この間にシェヘラザードは王の子を宿し、王の怒りも解けて、女たちを殺すことはなくなったというのである。
 こうした枠物語のなかに、おもなもので180ほどの長短の物語(ほかに支話が数十)がはめ込まれている。古いインド・ペルシア・ギリシア起源の物語に、後代のアラビアの物語が加えられ、その種類も幻想的な物語、恋愛物語、寓話(ぐうわ)、伝説、小話(こばなし)など、きわめて多様である。この物語集成の原型としては、中世ペルシアの『千物語』(ハザール・アフサーナ)との関係が古くから論じられている。10世紀のアラビアの著述家マスウーディーの『黄金の牧場』およびほぼ同時代のイブン・アン・ナディームの図書目録『アル・フィフリスト』中に、ペルシアの『千物語』がアラビア語に訳されて『千夜物語』とよばれたとあるからで、このころにこの物語集成の最古の部分ができあがったと思われる。そののち、これにアッバース朝下のバグダードを中心とする諸都市のカリフ(教主)・貴人・商人らの物語、ペルシア湾海港を基点とする航海者の外国土産(みやげ)の物語、さらにエジプトのカイロやアレクサンドリアを舞台とする物語、十字軍時代の物語などが次々に付け加えられ、15世紀ころに完成したと考えられる。

■ペルシア文学

広義では古代ペルシア語、中世ペルシア語(パフラビー語)、近世ペルシア語による文学を意味するが、一般にはイスラム期におけるアラビア文字で表記される近世ペルシア語による文学をさす。古代の文献としてはササン朝時代に編纂(へんさん)されたアベスタ語によるゾロアスター教聖典『アベスタ』と古代ペルシア語の碑文などがある。
 パフラビー文学については当該項目(「パフラビー文学」)を参照されたい。次に述べるのは近世ペルシア文学の歴史的展開と特色である。
■沈黙の2世紀■
7世紀のなかばにイスラム・アラブ軍に攻略されてササン朝が滅亡すると、イランはアラブの直接支配下に置かれ、9世紀なかばまで2世紀にわたりこの状態が続いた。この間アラビア語が行政語、学術語として用いられ、中世ペルシア語にとってかわって近世ペルシア語が生まれるが、これは実際には話しことばとして用いられたにすぎない。そこでイラン人学者たちもアラビア語で執筆し、イスラム文化形成に大きく貢献したが、ペルシア語による文献はいっさいない。政治的、言語的に独立性を失ったこの時代は「沈黙の2世紀」とよばれる。
■黎明期■
アラブの支配力が弱まり、イランのイスラム化が強化された9世紀なかばごろから、イランに地方王朝ながら民族王朝が相次いで樹立された。それら宮廷にペルシア詩人が現れ始め、幾たりかの詩人が活躍したと伝えられるが、断片的な詩が現存するだけである。しかし9世紀がペルシア文学の黎明(れいめい)期であったことは事実である。
■ペルシア文芸復興■
9世紀末から10世紀末までブハラに首都を置き、中央アジア、東部イランを支配した民族王朝サーマーン朝は民族文化振興政策をとった。そしてペルシア詩人の保護奨励に努めたためペルシア文学は非常に栄え文芸復興期を迎える。この時代の文学の特色は宮廷貴族文学としての頌詩(しょうし)と民族意識に基づく民族叙事詩で、それぞれの分野に大詩人が現れた。ペルシア詩人の父ルーダキーと大民族詩人フィルドウスィーがその代表的存在である。この時代、ペルシア古典詩の主流を形成するホラサーン・スタイルの基礎が築かれた。
■古典黄金時代 11~15世紀■
11世紀以降15世紀末まで長年月にわたりイランはトルコ系、モンゴル系など異民族に支配されたが、これら支配層はイラン文化に同化され、ペルシア詩人を保護したので、ペルシア文学はますます隆盛した。11世紀前半ガズナ朝スルタン、マフムードの宮廷には400人もの宮廷詩人が仕えたと伝えられ、ウンスリーをはじめ三大詩人が頌詩の分野で活躍し、ホラサーン・スタイルを確立した。11世紀後半から13世紀前半におけるセルジューク朝、アターベク諸王朝の時代にペルシア文学、イラン文化は最盛期を迎え、ペルシア詩の領域は内容面で従来以上にはるかに豊かになった。この時代の特色として、アンワリー、ムイッズィーらセルジューク朝宮廷詩人のほか、地方王朝の宮廷詩人の活躍が顕著で、神秘主義が導入され、サナーイー、アッタールの二大神秘主義詩人がこの分野の基礎を築いた。サーマーン朝時代の素朴な表現に比べて、この時代には多くのアラビア語彙(ごい)が用いられ、文体が華麗になったのが大きな特色といえる。『ルバイヤート』の詩人ウマル・アル・ハイヤーミーが活躍したのもこの時代である。10世紀ごろ、ペルシア詩は中央アジアと東部イランに限られていたが、この時代にはイラン全域にわたってペルシア詩人が輩出。とくに西部のアゼルバイジャン地方ではハーカーニー、ニザーミーら優れた詩人により、ホラサーン・スタイルに対してイラク・スタイルによる詩作が行われた。
 10世紀に詩とともに基礎が築かれたペルシア散文学も、この時代に隆盛期を迎え、さまざまな分野にわたり注目すべき作品が生まれた。13世紀後半から14世紀前半にかけてモンゴル軍の侵入、支配により一時的にペルシア文学は停滞するが、その後復活し、13世紀には二大詩人ルーミー、サーディーが現れ、歴史の分野でいくつかの優れた作品が数えられる。14世紀後半から15世紀末にかけてティームール朝時代にペルシア文学はしだいに衰えをみせる。しかし14世紀には最高の叙情詩人とうたわれるハーフィズが現れ、15世紀にはヘラート宮廷を中心に文化が栄え、古典時代の最後を飾るにふさわしい大詩人ジャーミーが神秘主義の分野で活躍、散文においても歴史書、詩人伝などが執筆された。
■衰退時代■
16世紀、国民王朝サファビー朝が創設されると、シーア派を国教に制定、政治面のみならず美術工芸の分野で栄えたが、ペルシア文学は王朝の政策とかみ合わず急速に衰退、この沈滞が18世紀末まで続いた。この間、インドのムガル朝宮廷がペルシア詩の中心となり、イランの詩人でインドに移住する者が続出、インド・スタイルという作風で作詩が行われるようになり、イランにも影響を及ぼした。
(C)小学館
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
本当に、大変参考になりました。
ペルシャとはよく聞く名前ですが、トルコあたりの事を言うのでしょうか。大変興味深いご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/02 18:16

イスラム文化圏の共通語はアラビア語です。

日本では
外国語大学やNHKのラジオ講座で学ぶことが出来ます。

イスラム文化圏は広大です。近くは中国(西部地域)インドネシア、フィリッピン(一部)マレーシアがあり中心は中近東諸国になりますがアフリカにも多数の国があります。

イスラム諸国の概観は外務省のHPと関心のある国の
名前で検索すればいろいろな情報がヒットするでしょう。これだけ広大な地域ですから、自分の関心事をもっと具体化して調べるなり質問する方が効率的ですよ。

http://db.gakken.co.jp/jiten/a/008790.htm

http://www.islamjapan.net/

http://www2s.biglobe.ne.jp/~racket/

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/middleeast.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
関心ごとといえば、イスラム文化、というだけで、とても漠然としたものです。関心ごとも漠然としているので、質問も漠然とした内容となってしまいますが、たとえば宗教戦争で、その原因は果たして宗教の所為か?ということが気になります。
 イスラム建築の幾何学は何故ああなのか、シルクロードではどうなのか、そういうことも気になります。気になることがたくさん在るので、回答者様方の気になっている事を聞いてみよう、そう思ったのです。
 
あえて言うなら、文化ってなんだろ、という事を考えています。

お礼日時:2006/01/02 18:35

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