プロが教えるわが家の防犯対策術!

このテーマを最近テレビで耳にしたのでお聞きします
皆さんはもし子供に「なんで人を(人に限らないと思いますが)殺してはいけないの?」
と聞かれたらどう答えますか?
私は人が人を殺す事を容認してしまうような世界であるなら
外にも出れなくなるからじゃないからじゃない?と
まあありきたりな事しか言えない様な気がします
しかしまあ国によっては秒単位で殺人事件が起きてる所もありますし
戦争では何千人も殺しても罪にも問われません
現実アメリカ・アフリカ等では毎日当たり前のように人殺しが行われてますし
本当にどう答えて良いのか考えて見ると分からなくなりました
皆さんはどう答えますか?
回答お願いします

A 回答 (28件中1~10件)

トラブルが相乗的に増えるからです。


淡々と人殺しをして、周りも淡々とするなら、禁止されないでしょう。

人間は、同族同士で殺し合う動物です。
できるだけやめようということです。
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「本当に、なんで人を殺してはいけないんですかねぇ?」


 私も普通に考えて、多くの回答者と同様の「人を殺めてはいけない」という意見に賛成です。
 が、森鴎外の小説『高瀬舟』の
 『愛する人が苦しんで死んで行く姿を、ただ見ている』べきか、
 『愛する人を少しでも早く、苦しみから楽にさせるため、愛する人を殺す』べきか、
正しい解答はありませんが、万が一自分が、このような場面に遭遇したら、どちらを選択しべきか…。

この回答への補足

お礼が遅くなりましてすいませんでした
いろいろな意見が出ているようですね
確かに一概に言えることではないのでしょうね
皆さん回答ありがとうございました

補足日時:2006/04/12 03:12
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お礼を書かない質問者さんにもまじめに回答しますね。



小さな子供に対して教育的配慮の返事なら‥‥

答え:そんな事当たり前だ!疑問に思う以前のことだ。絶対にダメだ、だめなんだよ。
と、理屈ではなく感情に訴える、深層心理に植え込む、洗脳に近いですね。

中学生以上なら‥‥

秩序の維持だよ、この世で最も大切なもの、それは秩序。
だから殺人そのものは絶対悪ではない。その証拠に国家が法律に基づいて死刑という殺人を行うではないか。一般人が気楽に殺人を行う、これは最悪な秩序崩壊。これを防ぐために死刑と言う国家主導の殺人をちらつかせ一般人による殺人を抑止する。

人間社会には軍隊、検察、警察、裁判所、消防署、憲法、法律、条令、約束、常識、礼節など色々有るがこれらはひとえに秩序維持のためにあるのです。
この世で一番有ってはならない物、それは無秩序状態と私は思いますよ。
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江戸時代の高僧に白隠禅師という人があります。


この人は江戸でお坊さんをしていたのですが、
ある時、江戸へ儒教の勉強のため留学していた若侍と話をする機会がありました。

若侍は、得意になって、本で読んだ通りに、国家とはどうあるべきかとか、親への孝行とはいかにあるべきかとかを熱く語ったそうです。
一通り聞き終わった禅師が、「貴殿のご両親はおいくつになられましたかな?」と聞いたところ、若侍は答えられず黙ってしまったそうです。

禅師によって、若侍は中身がないことをたしなめられたわけです。もともと優秀な若侍はその後、空疎な学問ではなく、修養を積み立派な学者となったという話が伝わっています。

質問者さん、お礼の督促をするのは厚かましいのでしたくないですが、そういうのができないようではだめなんではないですか? たくさん質問をされているようですが、お礼のコメントをほとんどされていませんよね・・。
なんで人を殺してはいけないか?などという大きな質問をする前に、そういうことが大切なのではないでしょうか? そういうことの大切さが教えられている子であれば、人を殺してはいけないことの理由を、大上段に教える必要はないと思います。自然と当然のこととして学ぶのではないでしょうか? 人を尊重することの大切さや、お礼をされない人の気持ちが分かる子なのですから。
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No.20さんのコメントに大きく頷いてしまいます。


「人を殺す」…「人」って誰?てことですよね。
名前のない誰かを仮定した事で成り立つことばの遊び…にしてはテーマが挑発的なのでしょうね。

No.20さんのコメントを読むまでは、
「ふふん。誰かのことを本気で好きになるまでは答えてあげません。」…なんて、言ってやろうかな~と考えてました。大人の余裕をたっぷり見せつけて…(笑)

もちろん、「い、いるもん!」などと直球でハマってくれれば、「へぇ…じゃあその人が殺されてもいいの?」などといじめます。(嗤)

そもそも、モノの大事さがわかれば、それを失う辛さぐいは分かるだろうし、それよりも更に、大事な人を失う辛さはわかるでしょう。

だいたい、「愛」や「死」について真剣に哲学したことのない尻の青いヤツが「殺」について訊こうだなんて10万20年早いわ。(高笑い)もっと悩ませておいてあげましょう。「そのことについて一生懸命考え続けたら、偉くなれるんだよ。がんばんな~。」(H木K子渾身の回答!)

すみません。冗談が過ぎましたかね?
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今のところの意見としては#18さんに賛成です。



「それが社会のルールだから。」

社会はルールを守って成り立つところだから、社会に存在するものはルールを守らなければいけない。

戦争があった時代は人殺しなんて簡単に行われていた。また死刑はやはり人を殺すということです。だから人を殺してはいけないというのは、普遍的なものではないと思うんです。それが許された時代や国家があったのです。

だから子供に説明するにはそれしかないかと。

スポーツをやってなぜルールを守らなきゃいけないのかと質問する子供はいないはず。
それと同じだと説明すると思います。
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「殺したら生き返らないから」です。


これは、自殺についても言えることです。
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子供への回答を想定して分かり易くお答えします。



人間は一人では生きていけなく、支えあって生きるものなので自分を助けてくれる同じ人間を殺すことは自殺にも等しく、とてもいけないことです。(この言い方なら自己中にとらわれたきかんぼうでも反論できません)
これは自然界の調和の中に暮らす全ての生命に言えることなので無益な殺生全てがいけないことです。

さらに付け足すなら、、、
私は仏教とですがもし神様がいらっしゃるならそんな殺生すら許してくれるでしょう。
自らが生きていること生まれてきたことに感謝してください。
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今のところ他の回答者さんの内容を一切読ませていただいていないので重複していたらすみません。



現実問題として、間接的にはですが
<大半の日本人は、いつも人殺しをしているか、あるいは人殺しに加担している>と思います。 ただ直接手を汚していないだけ。 そこに自分がいなけば、責任感を感じなくてすむし、罪の意識を持たなくてすむという事。 後は本人達に自覚があるかいなかです。 拉致問題も一部の人達が苦節を乗り越えて働き、一部の人達だけが長年これを支援していた。 他の人達は無視。

結局、哺乳動物種一般がやっている事と同じです。つまり<自分と自分の子孫を守るため、同一品種の他固体を死地に追いやっている>

ただ哺乳動物一般については、同一品種を死に至らしめる(殺す)までの直接的なダメージは与えていないという事です。 その結果、自分のナワバリ(=資源・環境)を守るために、他の(同一品種)個体を直接的には殺していなくとも死地に追いやるという事。 そうやって自分達の子孫繁栄を守る。

人類種は知恵が働くために、自分が死地に追いこまれる前に、邪魔者を殺して、奪う者と守る者がある。 殺すか殺されるか、いずれかの選択しかない。

>なぜ殺してはいけないか<統治権力によって制定されているから。 あるいは自分もこれに同意するから。
これでは回答になっていない人達は、現実の世の中には幾らでもいる。 だから何度も同じ質問がくりかえされる。

<このままでは、自分は死ぬしかない>事が解った時すでに遅し、<すべては自業自得>と他の人達は考える。 自分は何も悪いことはしていないのに・・・・

少し知恵を働かせて<邪魔者を殺して、奪えば良い>というのが結論と考えます。 そこから先は他の人達がどうやって共生しているかを話し合う事。 不都合があっても、殺し合いによって発生するダメージを考えれば協力した方が得という事。

この結論を現在の政治内政、行政が公正に処理できていないため、問題が報道されていない。 だから抽象論解釈得意意見が蔓延する。

では、皆さんにお尋ね致しましょう。 北朝鮮の体制はなぜ崩壊しないのか。 反乱転覆がおこらないのはなぜか。 現代はファシズムの手口が極めて巧妙なのです。
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私は、「人」一般はいないと思います。


何か抽象的な議論をすることが議論をする事だと考える風潮があるのは非常に残念です。
そして抽象的な議論をすることができる人間が哲学的であるとか考える人間であるという単純思考が、反って思考するということを貧しくしていると思います。
>誰か人を殺したかった<といって老人を殺した青年がいました。
要は自分のストレスが原因で力の弱そうな老人(逆に殺される恐れのない反撃の少ない人間)を選んで殺しただけです。
具体的な事実にあたらず考えもしないで考えた振りをして質問をする子供が、考える子供だと勘違いをしていると思います。
そして子供は答えを考えることより答えを見つけることばかりするようになる。
だから、自分にとって見つけた答えと違う事実が出てくるとその答えを受け入れらなくなる。
「人」という人はいない。名前は無いのか?母親は父親はいないのか?どこに住んでいるのか?
意地悪い答え方だと思う人もいるでしょうが、具体的な事実にあたって思考することなくして抽象的な議論を進めるのは非常に危険だと思います。
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