今、いろいろ調べてるんですが、前期倭寇が日本人中心で、後期倭寇が中国人中心の海賊ってことぐらいしか知りません。だれか教えてくださーい。

A 回答 (1件)

倭寇についてのサイトが参考URLに載ってますので参考にしてみてはどうでしょうか。



参考URL:http://www.ccn.ne.jp/~s-nasubi/shijikiyama/index …
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この回答へのお礼

ほんとだ!すごく詳しく書いてありました。助かりました。回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/01/19 17:28

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Q信長は朝鮮侵略したのかなぁ???

僕は世界史選択者なので、小学生並みに知識しかありません。
日本史については(^_^;)

もし、信長が本能寺の変で死なずに、豊臣秀吉が全国を統一しなかったとします。

信長も 朝鮮侵略をしたのでしょうか???

誰か日本史の理解が深い方がいれば、ぜひご教授下さい。

もし、信長も朝鮮侵略していたとするならば、
秀吉と信長の「朝鮮侵略」についての考え方の違いも
教えていただければ助かります。

Aベストアンサー

信長がユニークなのは流通=商業が良く分かっていた点だと思います。

彼の領内に対する関所の撤廃や楽市楽座の制度、公道の整備、治安維持政策などは、どれをとっても流通の円滑化を図ることを目的としています。

実際に、足利義昭を奉じて京都へ進出したときに、恩賞として大津・草津・堺に代官を置くことだけを希み、流通・貿易の要であるこの三都市を掌握しています。これに対して世間は「欲のない人」と言う評価を与えていますので、信長の発想が時代を飛び越えていたことが分かります。

そう言う意味で、信長の政策は重商主義に近く、秀吉のように土地の占拠に拘らなかったと思います。

また、戦争を見ても常に補給を整え、現地での略奪を厳禁していました(一銭斬り)。これは他の大名に比較し特長的なことです。そして無理な戦争は極力避け、相手の内部崩壊を根気よく待ちます。決戦においては勝てる段取りが十分についてから行っています。

日本国内での信長の行動からすると、朝鮮半島にせよ、東南アジア方面に進むにせよ、まず足がかりを得て相手が落ちるべくして落ちるように政戦両面で漸進的に侵略を進めたと思います。

信長がユニークなのは流通=商業が良く分かっていた点だと思います。

彼の領内に対する関所の撤廃や楽市楽座の制度、公道の整備、治安維持政策などは、どれをとっても流通の円滑化を図ることを目的としています。

実際に、足利義昭を奉じて京都へ進出したときに、恩賞として大津・草津・堺に代官を置くことだけを希み、流通・貿易の要であるこの三都市を掌握しています。これに対して世間は「欲のない人」と言う評価を与えていますので、信長の発想が時代を飛び越えていたことが分かります。

そう言う意...続きを読む

Q紀元前○世紀前期(後期)とは...

例えば、紀元前2世紀前期(後期)とは紀元前1年の方向から見て考えるものなのでしょうか?つまり、前101年~前150年(151年~200年)ということでしょうか?非常に初歩的な質問ですが、申し訳ございません。教えて下さい。

Aベストアンサー

前期は、古い半分です。BC200~BC151。

QNHKはいつから「朝鮮出兵」を「朝鮮侵略」と呼ぶようになったのでしょうか?

今夜のテレビの番組を見て疑問がわいたので質問させてください。

NHKTV、「その時歴史が動いた」ですが、今夜は加藤清正でした。
番組自体は面白く、興味をもって見させていただいたのですが、話が豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」に及んだとき、松平アナの口からは、わが国ではこの戦争の一般的な呼称である「文禄・慶長の役」や「朝鮮出兵」という言葉は一言も出ず、ひたすら「朝鮮侵略」と何度も連呼していました。
しかし、歴史を学んだ日本人なら誰でも知っていると思いますが、秀吉の目的はあくまで明国であり、日本が明を攻撃するため日本軍の通行許可を求めたことを朝鮮が断ったための出兵です。それでも朝鮮側にしてみれば日本の一方的な要求ですから朝鮮側が「侵略」と呼ぶのは間違ってはいないとは重々承知しています。
しかし日本の歴史用語ではやはりこれは「文禄・慶長の役」であり、「朝鮮出兵」のはずです。(ちなみに韓国の教科書では「壬辰倭乱」です。)

現在、韓国が日本に対し、日本の教科書が「朝鮮出兵」と書くのは「侵略」を「出兵」と記述して一方的な侵略事実を隠蔽するものであると抗議しているのも存じておりますが、その韓国の教科書が、それこそ元と朝鮮(高麗)軍の一方的な日本侵略である「元寇の役」を、「倭(日本)征伐」と書いている以上、訂正するまでもないのではないでしょうか。

それを日本の公共放送を自認するNHKは、なぜ歴史的事実に対し、定着した用語を使わず、わざわざ「朝鮮侵略」と呼ぶのでしょうか?
かなり前に在日韓国人の名前の漢字を日本語読みにして訴えられたことに懲りての自主規制でしょうか?
それともすでにわが国の歴史用語はいつのまにか「朝鮮出兵」から「朝鮮侵略」に変更されているのでしょうか?
できればNHK関係者のお答えを聞きたいのですが、それ以外の方でも結構ですので、ご教示いただけましたら幸いです。

今夜のテレビの番組を見て疑問がわいたので質問させてください。

NHKTV、「その時歴史が動いた」ですが、今夜は加藤清正でした。
番組自体は面白く、興味をもって見させていただいたのですが、話が豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」に及んだとき、松平アナの口からは、わが国ではこの戦争の一般的な呼称である「文禄・慶長の役」や「朝鮮出兵」という言葉は一言も出ず、ひたすら「朝鮮侵略」と何度も連呼していました。
しかし、歴史を学んだ日本人なら誰でも知っていると思いますが、秀吉の目的はあくまで明国で...続きを読む

Aベストアンサー

NHKは、受信料で成り立つ公共的な報道機関ではありますが、朝日新聞や共同通信と似通ったスタンスの、「左翼的な体質」を持っていることが知られています。
※ そもそも「公共的な報道機関」というものが存在すること自体変な話なのですが。

ですので、NHKが制作する番組、NHKの子会社の日本放送出版協会が発行する書籍には左翼的な色彩を帯びているものが多くあります。今回、質問者様がご覧になった番組もその一つに過ぎません。

例:
幻の外務省報告書 中国人強制連行の記録 NHKスペシャル
NHK取材班/著
日本放送出版協会
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19313205

題名のとおり、NHKスペシャルの内容を本にしたものですが、「強制連行されて日本で虐待された」と主張する中国人からの聴取内容を「何の批判検討もせずに」事実だろうとして採録した、レベルの低い本です。

番組では「証言」として字幕つきで放映され、見た人は「本当だろう」と信じたことでしょう。しかし、歴史事実として認定するには、私が本を読んだ限りでは「検証不十分」と感じられました。この本を読んで、私のNHKへの信頼度は大きく下がりましたね。(笑)

NHKはそういう怪しげな番組を平気で放映し、その番組内容を平気で出版する組織ですので、質問者様がご覧になった番組で、台本どおりにアナウンサーが
「ひたすら『朝鮮侵略』と何度も連呼」
していたとしても全く違和感は感じません。

また、全く史実に基づかない、「99.9%は私の想像」と製作者が自ら語っている「歴史ドラマ」の「チャングムの誓い」を実写版とアニメ版で繰り返し放映し、韓国への日本の親近感を煽るプロバガンダをやっているのもNHKです。
これもNHKが中心になっていた訳の分からない「冬ソナブーム」もご記憶ですよね。

NHKは、受信料で成り立つ公共的な報道機関ではありますが、朝日新聞や共同通信と似通ったスタンスの、「左翼的な体質」を持っていることが知られています。
※ そもそも「公共的な報道機関」というものが存在すること自体変な話なのですが。

ですので、NHKが制作する番組、NHKの子会社の日本放送出版協会が発行する書籍には左翼的な色彩を帯びているものが多くあります。今回、質問者様がご覧になった番組もその一つに過ぎません。

例:
幻の外務省報告書 中国人強制連行の記録 NHKスペシャル
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Q倭寇と勘合貿易について

学校の教科書などの説明に、「日明貿易の際、正式の貿易船と倭寇を区別するために合い札である勘合符が使われた」とあります。

単純な疑問なのですが、確認のために倭寇の海賊船に対しのこのこ割符をもっていったら持っていた人物は略奪をうけたり殺害されたりしなかったのでしょうか。勘合符を照合する人物はなにか武力的な裏付けがあったのでしょうか。

或いは勘合符とはそういった性質の物ではなくて単に正式の貿易船と密貿易船を区別するものだったのでしょうか。そうなると一般的に海賊とされる倭寇が乱暴も働かずにすごすごと帰っていったのでしょうか。

または勘合符の役割は朝貢貿易船以外の船の平和的な排除だったのでしょうか。

どなたか詳しい方御回答をお願い申し上げます。

Aベストアンサー

>「日明貿易の際、正式の貿易船と倭寇を区別するために合い札である勘合符が使われた」
相当に簡略化した説明です。
誰が、何のために区別したのか、ということを理解される必要があります。
勘合符を要求したのは、明王朝です。
貿易船となっていますが、この時代の日明間の貿易は現在の「貿易」とは形態も考え方も全く異なるものです。
当時の貿易の形態は朝貢貿易と呼ばれるものです。
朝貢貿易というのは、平たく言いますと、王様のところへ家臣が貢物をもってご挨拶に行き、それに対するご褒美として王様が品物を下賜する、という形態です。
明王朝の家臣である必要があります。
明王朝は、周辺の国の王に対して、明王朝の家臣としてその国を治めている、という様式をとることを強要しました。
同時に統治者に対して、お前が正式な統治者であることを認めて王と名乗ることを許すという、いわば辞令を発行していました。
古代史で有名な金印「漢委奴国王印」が有名です。
このような印を辞令として下賜しました。

この考え方は古代から清王朝が滅亡するまでの長い間続いていた中国王朝特有の考え方です。
(中華思想と呼ばれます)
明や清王朝はこの朝貢貿易以外の交易(私貿易)を一切認めていませんでした。
私貿易は全て密貿易という扱いでした。

明王朝が下賜する品物の経済的価値は家臣が献上したものよりも大きいのが普通です。
家臣の側から見れば安い品物で高価なものが入手できますから、貿易としては常に黒字ということになります。
この利益を狙って偽者が献上してくるのを防止する必要があります。
この船は正式に日本からの献上品を搭載した船です、ということを証明するのが勘合符です。
勘合符を所持した船は1401年~1547年の間で総計84隻です。
日明間での交易全体に占める割合は微々たるものです。

つまり、身分証明書ではありますが、安全を保障する効力はありません。
海上で海賊船に襲われようが、襲われまいが明王朝の与り知らないことです。

倭寇という言葉は、中国や朝鮮王朝で使われていた言葉です。
沿岸を荒らしまわる武力集団の総称です。
内容は、武装商人、日本人の海賊、中国人の海賊、ポルトガル等のヨーロッパの海賊と多岐にわたっていました。
この武装商人の中に、九州一円の大名船や博多などの商人船も含まれています。
もっとも頻繁に渡航したのは朝鮮半島です。

護送船団という考え方は存在していませんでした。
ただでさえ積載量に制限のある船に警備兵などという無駄な要員は乗せていませんでした。
乗務員が即戦闘員です。文字通り自己責任で身の安全を守りました。

海賊船と言っても、カリブの海賊ではありません。大砲をぶっ放して襲ってくるわけではありません。
船を接近させて乗り込んで白兵戦を広げるだけのことです。
こんな手間暇をかけて海上の勘合船を襲うくらいなら、中国なり朝鮮の沿岸に上陸して略奪したほうがよほど効率は良いです。
広い海上で当てもなく勘合船を探すなどという無駄なことはしませんでした。
さっさと中国大陸や朝鮮半島を目指しました。

以上がざっとした説明です、何か疑問があれば補足をお願いします。

蛇足
足利義満は、明との交易による利益欲しさに在職中にいろいろやりましたが、朝廷の家臣であることから上手くいきませんでした。
そこで引退して自由になったところで勝手に日本国王と名乗って朝貢を始めました。
息子の義持は、オレは親父とは違い他国の家臣ではない、といって止めてしまいました。
義持なき後、利に目がくらんだ連中が再開しました。

足利幕府には倭寇を働く九州沿岸の人間を取り締まる意志も能力も持ち合わせていませんでした。
明や高麗、李朝鮮は盛んに取り締まりを依頼してきますが素知らぬ顔でした。
倭寇として沿岸を荒らしまわっていた連中を排除したのは、北九州一帯の諸大名たちでした。
目的は、中国や朝鮮との交易の独占です。
倭寇を排除するのには有効だったことから、明王朝や朝鮮王朝はこれらの諸大名の交易は黙認しました。
これを組織的に徹底的にやったのが秀吉です。
秀吉の時代になってからは朱印船制度というものを設けました。
臣下の礼を要求する勘合などということを秀吉は受付ませんでした。
やがて朝鮮出兵へとつながります。

>「日明貿易の際、正式の貿易船と倭寇を区別するために合い札である勘合符が使われた」
相当に簡略化した説明です。
誰が、何のために区別したのか、ということを理解される必要があります。
勘合符を要求したのは、明王朝です。
貿易船となっていますが、この時代の日明間の貿易は現在の「貿易」とは形態も考え方も全く異なるものです。
当時の貿易の形態は朝貢貿易と呼ばれるものです。
朝貢貿易というのは、平たく言いますと、王様のところへ家臣が貢物をもってご挨拶に行き、それに対するご褒美として王様が...続きを読む

Q豊臣秀吉は何故朝鮮侵略をしたか?

豊臣秀吉は何故朝鮮侵略をしたのでしょうか。私は横山光輝作の歴史コミックの知識しかないのですが、日本統一で部下に与える禄高がなくなったからだという説明とか色々あるのでしょうが、日本の次は明国とか膨張主義を考えていたのでしょうか。日本に平和をと考えていたのであれば、おかしいし、年を取って耄碌したのでしょうか。それにしても、良く皆豊臣秀吉の命令に従って、朝鮮侵略をしたものですね。

Aベストアンサー

信長とともに本能寺の変で倒れた森欄丸で有名な「森家」の逸話として次のような一文があります。

天正15年、天下は信長の後を継いだ豊臣秀吉の手に渡った。ところが秀吉は強引に無謀な海外出兵を始める。秀吉の夢は大陸の明王朝を征服することであり、その通り道となる朝鮮国に対して邪魔をしないように求め、さらに李王室に対して朝貢(貢物を朝廷に持ってくること)を要求した。しかし、武よりも文が進んだ朝鮮国は、この求めには応じず見下した態度を日本側に見せる。

激怒した秀吉と朝鮮国との間を取り持とうと、朝鮮から援助を受けてきた対馬の宗一族と小西行長の願いも空しく、無情にも戦争は始まってしまう、こうして日本最初の海外遠征である朝鮮出兵が開始された。

秀吉は諸大名に対して「1万石に付き兵を何人出兵すべし」といった軍役を発表し、忠政の場合はおよそ1800名が割り当ての兵力であったが、忠政は2000人を超える軍勢を差し向けた。 諸国から集結した「日本軍」は総数45万人となり、「唐入り」した日本軍は一番隊から九番隊まで総勢15万8800人。

朝鮮半島を目前とした場所に巨大な城を建造することになった。肥前名護屋城である。後年の津山城に代表されるように、もともと築城を得意としていた忠政はこの普請奉行を勤めることになり、これらの兵力はすべて築城に携わることになった。また、城が完成するまでの間、秀吉らが滞在する本陣なども手配している。

おかげで忠政は兵を失うことなく、本国に帰還することができた。しかし、森家の中でも渡海して朝鮮で奮闘した一族もいた。忠政の叔父、可政である。

当時森一門ではあるが、長可と不和になって関係を絶っていたため、忠政とは別の行動をとっていたのである。後に徳川家康直参の旗本となった可政は、忠政の嘆願により、森家の執権として津山城に迎えられている。

信長とともに本能寺の変で倒れた森欄丸で有名な「森家」の逸話として次のような一文があります。

天正15年、天下は信長の後を継いだ豊臣秀吉の手に渡った。ところが秀吉は強引に無謀な海外出兵を始める。秀吉の夢は大陸の明王朝を征服することであり、その通り道となる朝鮮国に対して邪魔をしないように求め、さらに李王室に対して朝貢(貢物を朝廷に持ってくること)を要求した。しかし、武よりも文が進んだ朝鮮国は、この求めには応じず見下した態度を日本側に見せる。

激怒した秀吉と朝鮮国との間を取り...続きを読む

Q過去に世界を一つにしようと夢見た人物はだれか?

自分の知ってる限りではアレキサンダー大王やヒトラーくらいです。
どなたか過去に世界を一つにしようと夢見た人物について知っている方、どうかよろしくお願いします!

Aベストアンサー

わが国では、豊臣秀吉が世界を征服すると法螺をふいています。
当時の世界観では、唐・天竺というのが世界の果てで、それを征服して、当初の予定では

1.後陽成天皇を北京に動座させ、中国に朝廷を移す。
2.豊臣秀次を中国の関白とする。
3.皇位は良仁親王、智仁親王のいずれかにして羽柴秀保・宇喜多秀家のいずれかを日本の関白にする。
3.朝鮮は羽柴秀勝か宇喜多秀家に支配させる。
4.秀吉自身は寧波府に居所を定める。

という壮大な計画で、やがて南蛮も攻める計画だったようです。

Q北朝鮮拉致問題と日本の朝鮮侵略の違いって

先日知人が、「北朝鮮の拉致問題はそこまで責められるべきものなのか」と言っていました。日本もかつて朝鮮半島を侵略し、数人という単位とは比較にならない程の朝鮮人を連行あるいは殺害したというのがその発言の理由だそうです。ヒトラーの言葉に戦争で100万人殺したら「無罪」だが「数人の殺しは犯罪になる」というのもあると言います。
 
私は、この知人の言葉がどこか違うとは思いつつも、有効な反論をすることができませんでした。北朝鮮拉致問題と日本の朝鮮侵略の違いとは何なのでしょうか。お分かりになる方がおられましたら、宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

今は平和こそ一番というように考えられるかもしれませんが、あのころは食うか
食われるかという時代でした。日本もアジアの単なるひとつの国に過ぎなかった
わけですがいち早くその時代の流れを先取りし、富国強兵政策で国としての体制
を整えました。あの当時の理論で言えば「その努力を怠ったのが悪い」としかい
われないでしょう。

当時ロシアの力が強く、朝鮮半島まで侵攻することは時間の問題でした。しかも
当時の李氏朝鮮(だったかな)は腐敗し、国としての体制を持っておらずいつどこ
かの国にとられてもおかしくない状況だったわけです。これは日本にとって安全
保障上無視できない問題です。そのとき、日本が併合を提案し下の方がおっしゃ
るように当時としては慎重すぎるほど手続きに則ったあと併合したわけです。実
際その当時のさまざまな外国メディアは「非常に紳士的」と絶賛するほどでした。

ちなみに強制連行はありません。強制連行を裏付ける資料・事実はありません。
あるのは下の方々がおっしゃっているものだけです。それと従軍慰安婦について
ですが、一部あったとしてもそれは一部の個人が行ったもので国ぐるみで行った
ことはありません。そのような場合はその一個人が責められるわけで国が責めら
れる理由にはなりません。ましてや金銭の授受があったとしたら、現代に例えれ
ば国内のフーゾクに行くということと何ら変わりありません。

 反対するものを始末するというのは日本・朝鮮にかかわらずまったく変わらな
かったと思います。それをあたかも朝鮮半島だけで行っていたように言うのはま
ったくナンセンスです。

 対する北朝鮮における拉致ですが、これは国際法上大きな問題があります。ま
ず、領海・領土侵犯です。まったく国際的な合意を得られていません。しかも、
工作員によってという確実な証拠・証言があります。工作員は軍に属しています。
その国が責められることは想像に難くないと思います。

それと一言。南北朝鮮は戦後50年、国内の不満を解消するための道具として日本
を利用してきました。日本海問題をはじめ、そのためあることないことがあたか
もあるかの如く話が作られています。そういう何が真実かを見極める目を持つこ
とが大事ということをお伝えください。

今は平和こそ一番というように考えられるかもしれませんが、あのころは食うか
食われるかという時代でした。日本もアジアの単なるひとつの国に過ぎなかった
わけですがいち早くその時代の流れを先取りし、富国強兵政策で国としての体制
を整えました。あの当時の理論で言えば「その努力を怠ったのが悪い」としかい
われないでしょう。

当時ロシアの力が強く、朝鮮半島まで侵攻することは時間の問題でした。しかも
当時の李氏朝鮮(だったかな)は腐敗し、国としての体制を持っておらずいつどこ
かの国にと...続きを読む

Q秀吉の海賊法度

秀吉が1588年に海賊取締令を出してから倭寇の活動が終息したそうですが、それによってどんな利益、不利益があったのでしょうか。
また、この政策をおこなった動機として階級制度の固定が上げられていましたが、実際そうなったんでしょうか。どなたかお願いします。

Aベストアンサー

 秀吉が他の武将たちと違っていたのは、日本の国土統一を陸地だけの範囲で考えなかったことにあります。今でいう領海とは違うでしょうが、彼がその後朝鮮半島への進出を企てたことからも、周辺の海上を含めての国家統一を図っていたのでしょう。信長もおそらくはそう考えていました。
 倭寇を駆除することは、この領海の安全と掌握とを意味します。このことによって、海上貿易の安全が確保され、したがってより確実な利益が保証されることになります。そして同時に軍事的にも制海権を持つということにもなります。
 階級制度の固定という点ではむしろ、刀狩と検地(これは階級の固定と同時に経済政策でもありましたが)の方が有効に機能したと思います。

Q豊臣秀吉の朝鮮侵略について

豊臣秀吉が朝鮮に行って焼いた寺の名前を教えてください。あと、日本は朝鮮を植民地にしたと歴史にありますが、これはうそでアメリカが朝鮮を侵略するのを日本が守ったという説は本当ですか?

Aベストアンサー

慶州にある名刹、 「仏国寺」 に関する記述では秀吉による壬辰倭乱の攻撃で建物が破壊された歴史があるようです。

でも、そもそも李氏朝鮮時代の韓国では、仏教が徹底的に弾圧を受け多くの寺院が破壊されたようですよ。 

特にハングル文字考案で有名になった世宗大王の時代には、 「崇儒廃仏策」 の風が全国的に吹き荒れ、1万以上あった国内の寺院は何と36山にまで追い込まれました。

http://photo.jijisama.org/buddhism.html

慶州の石仏の多くが鼻が欠けている理由も説明されていますね。  大変、興味深いサイトです。

それと日韓併合に関する御質問かと思われますが、当時のロシアの南下政策が国の存亡に関わる大問題であると考えた日本国政府が半島の植民地政策に乗り出したのですが、この件に関してアメリカの極東政策が背景にあるとかは聞いた事はありません。 

当時は鎖国政策を取っていた李氏朝鮮に開国を求めにきたアメリカ商船ゼネラル・シャーマン号に、尊皇攘夷の気運を背景に攻撃を与え沈没させた事件はありましたが、これもアメリカが朝鮮を侵略しようとした表れとは言い難いように感じています。 

日韓併合に関する書物が多く出版されていますが、どれもアメリカに関する記述は少ないように思います。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/P/P349R100.HTM

慶州にある名刹、 「仏国寺」 に関する記述では秀吉による壬辰倭乱の攻撃で建物が破壊された歴史があるようです。

でも、そもそも李氏朝鮮時代の韓国では、仏教が徹底的に弾圧を受け多くの寺院が破壊されたようですよ。 

特にハングル文字考案で有名になった世宗大王の時代には、 「崇儒廃仏策」 の風が全国的に吹き荒れ、1万以上あった国内の寺院は何と36山にまで追い込まれました。

http://photo.jijisama.org/buddhism.html

慶州の石仏の多くが鼻が欠けている理由も説明されていますね。  大...続きを読む

Q「日の丸」は、海賊の旗

戦前・戦中を生きた人から、標記のような言葉を聞いたことがあります。
わけを尋ねると、もともと日の丸は海賊船ではない官許の貿易船であることを示すため、幕末に薩摩藩や幕府が船に掲げたナショナル・マークであった。しかし、(それを逆手にとって)海賊たちが好んで日の丸を掲げ、相手を油断させて襲う手段としていた。ゆえに日の丸は逆に海賊が好む旗であり、学校行事などでは、ご真影は会場内に鎮座するのに反して、校庭のポールに寂しく掲げてあるだけだった、と。
つまり真偽不明の怪しい旗は会場内に入れてもらえなかった、というのです。
同世代の方や事情を知る人、この真偽をお教えください。この人の個人的な体験や地方的な特殊性なのか、あるいは全国どこでもそうだったのか知りたいのです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>学校行事などでは、ご真影は会場内に鎮座するのに反して、校庭のポールに寂しく掲げてあるだけだった、と。つまり真偽不明の怪しい旗は会場内に入れてもらえなかった、というのです。

第二次世界大戦後、左翼系の人達が日章旗反対運動を強烈に推し進めました。
現在でも、その残渣のような教職員が残っていて、物議をかもしています。
お聞きになられたお話は、当時から流布されていたもので創作されたお話です。

この反対運動を収束させるために、1999年(平成11年)には国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布され、正式に国旗として定められました。
それまでは、国旗の定義に関する法律というものがありませんでした。
明治時代に太政官令という政令で船舶の国籍識別旗として定められていただけです。
旧日本軍が使っていたのは、法律上は軍のシンボルでした。

海賊旗というのは、左翼系の自虐史観が旺盛だった1960年代ごろに盛んに言われたことです。
根拠は、室町時代に東南アジアへ進出していた日本の商船が所属の識別旗として使っていたことに由来します。
当時はアユタヤなど東南アジアの海岸地帯には多数の日本人町がありました。

中国の歴代の王朝は王に臣下の礼をつくした朝貢貿易しか認めていませんでした。
中国王朝が認めた朝貢船以外は密貿易を行う賊扱いでした。
日本の商船は中国の官吏と度々トラブルを起こしていました。
一方で利にさとい中国商人たちは日本船と積極的に交易を行っていました。
江戸時代に長崎に来航していた中国船は中国の法令上は全て密貿易船ということになります。
日本船の中には商談を断ると武力に訴える連中がいて倭寇と恐れられていました。
朝鮮王朝も中国に習って同じように朝貢か密貿易かの区分をしていました。
中国商人のように柔軟な対応をしなかったために武力で略奪まがいのことを繰り返す連中がいてこれも倭寇と呼ばれました。
この日本船の行動を見て、中国の盗賊団が倭寇を名乗り頻繁に海岸地帯を荒し周りました。
歴史上の倭寇の襲撃の大半は中国の盗賊団によるもと考えられています。
どう考えても倭寇の記録の件数が日本商船の就航能力を超えています。

とまぁ~こういう史実を左翼系の人達特有の自虐史観で中国や朝鮮に迷惑をかけた海賊だ海賊だと言っていました。
いまだに、この自虐史観の教育を受けた年寄りの中には信じている人が沢山います。

まずは人に聞いた話の真贋を他人に聞くのではなくご自分で調べてみて下さい
ネットには沢山の情報が投稿掲載されています。

>学校行事などでは、ご真影は会場内に鎮座するのに反して、校庭のポールに寂しく掲げてあるだけだった、と。つまり真偽不明の怪しい旗は会場内に入れてもらえなかった、というのです。

第二次世界大戦後、左翼系の人達が日章旗反対運動を強烈に推し進めました。
現在でも、その残渣のような教職員が残っていて、物議をかもしています。
お聞きになられたお話は、当時から流布されていたもので創作されたお話です。

この反対運動を収束させるために、1999年(平成11年)には国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌...続きを読む


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