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他の私鉄を見ると都心に近くなってくると複々線になっている線が多いように思えます。

東急田園都市線はなぜ複々線に出来なかったのですか?

やはり地下だからでしょうか?

A 回答 (4件)

もともと二子玉川~渋谷間は玉川線と言われる


路面電車が走っていました。
ちなみに田園都市線は、二子玉川から大井町線に乗り入れていました。
多摩田園都市から都心に行くのに便利なように
二子玉川~渋谷まで玉川線を廃止して
地下鉄(新玉川線)を作って田園都市線を直通させました。
これが現在の田園都市線です。
当時は、青葉台などは本当に何にもない町でした。
ここまで沿線が宅地開発されるとは東急も
予想できなかったので、当時は地下区間が複線で建設されました。
今から地下区間を複々線にするのはほぼ不可能なので、
代わりに、大井町線を溝の口(計画では鷺沼)に
延ばす工事をしています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大井町線早く伸びて欲しいですね。
大井町線も大井町からどこかに乗り入れる計画はなかったんでしょうか?

お礼日時:2006/03/12 22:45

新玉川線(渋谷~二子玉川間)の当初計画は、銀座線と同じ規格で作り、渋谷からは銀座線に乗り入れるというものでした。


ただ、さすがにこれでは輸送力に無理があるため、その後現在の規格に変更され、都心側の受け入れ路線として半蔵門線が作られることになりました。


この新玉川線計画は、東急が手がけた多摩田園都市開発と完全にリンクしていました。
東急が主導して沿線の宅地開発を手がけるので、沿線人口はある程度予測が付き、その予測に応じた輸送力を用意すればいいという考えだったのです。

この多摩田園都市開発では、沿線に企業も誘致して「職住接近」も実現することにしていたので、都心に通勤する人の数を若干低く見積もっていた面もあります。
ところが企業誘致はうまくいかず、沿線住民のほとんどは渋谷方面に出るということになりました。

それに加えて、実際に開業してみると東急が手がけたエリアより外縁部で、東急系以外のデベロッパーにより急速に宅地開発が進んでしまったのです。
さらに、ラッシュ時に運転本数が限界になっておりノロノロ運転となっている小田急を嫌って、横浜線や小田急江ノ島線沿線からの乗客が流れ込んできました。

また、横浜市営地下鉄があざみ野まで延伸してきたことにより、港北ニュータウンからの通勤客も引き受けることになりました。
これも、当初の路線計画では考慮されていなかったようです。

以上のような理由で、当初計画より乗客がかなり多くなってしまい、今のような混雑になってしまいました。


現状で二子玉川から都心部を複々線化するのは無理なので、二子玉川~溝の口間の複々線化で大井町線方面に一部の乗客を流すほか、港北ニュータウンからは横浜市営地下鉄4号線(横浜環状線)を日吉まで建設し、日吉から東急東横線・目黒線を利用できるようにして乗客を分散させようとしています。

東急は、この2つの工事が完成することで多少の緩和は可能だろうと見込んでいるようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/東急田園都市線,http://ja.wikipedia.org/wiki/多摩田園都市

この回答への補足

小田急や、横浜市営地下鉄、許せん!って感じですね。
回答ありがとうございました。

補足日時:2006/03/13 19:34
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この回答へのお礼

>>沿線に企業も誘致して「職住接近」も実現

 そんな計画があったのですね。
 実現すれば、こんな混雑は避けられたのに・・・。

 東急沿線の住民は、渋谷の方に向かわないとまともな仕事は少ないです。

お礼日時:2006/03/13 19:31

No1の回答のお礼の質問にある大井町線の乗り入れ計画ですが、都営三田線と直通運転する計画がありました。



三田線は当初、北側では東武東上線と、南側では東急池上線と乗り入れするという計画でした。
三田線は三田~五反田間を浅草線と併走し、池上線の大崎広小路~戸越銀座間に連絡線を造り池上線に直通、そして旗の台では大井町線との連絡線を造って長津田まで直通運転するというものです。
しかし、東武・東急ともに乗り入れルートが大回りになるので難色を示し破談になりました。

詳しいことは↓に書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%96%B6% …
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沿線に住んでおります。



元々、田園都市線のエリアは山の中を走る様な路線で、こんなに沿線人口の居なかった路線です。
開業当時は、鷺沼まで4両、鷺沼で2両分割して長津田までは2両編成という路線でした。

また、運転本数も少なく、一応は建設当時にソコソコの利用客の増加は見込んでいたものの、ココまでの混雑は流石に見込むことは出来なかった様です。

そんな路線ゆえ、複々線など、当時には思いもよらなかった様です。

その為、開業当時は大井町~二子玉川~長津田の運転系統でしたし、二子玉川~渋谷(旧称:新玉川線)は、路面電車そのまま継続か、今後の状況によっては、首都高速3号線建設工事と一緒に、銀座線の延伸によって建設するつもりで居た様です。

都市整備が成功したといえば分かりやすいのでしょうか。

ただ、成功しすぎたのが今日の状況。
田園都市線は電車の本数が多くて、電車で渋滞してしまうほどの状況。これ以上どうしようもありません。

その為の改善案が、大井町線の延伸という事業。
溝の口まで現時点では工事をしていますが、構想としては鷺沼まで計画しています。

大井町線をバイパスとし、田園都市線の利用客を、
△ 大岡山>>目黒線
△ 中延>>都営浅草線
△ 大井町>>京浜東北線/りんかい線
・・・に、流すつもりの様です。

現状の大井町線の全列車各駅停車ダイヤでは、田園都市線からの旅客の転移は期待できません。
その為、急行運転を行うとしており、等々力、大岡山、旗の台、大井町で改良工事をしています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
来年に期待したいですが、大井町線の6両編成の急行とはちょっとなさけないような・・・・。

お礼日時:2006/03/14 22:26

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