プロが教えるわが家の防犯対策術!

どうして年上には「尊敬の念」を持って接しなければいけないのでしょうか?そんなに年上は偉いものなのでしょうか?確かに「技術」「知識」において凄い人はいます。そんな「凄い人」には「尊敬の念」を持って接しなければいけないというのは分かるのですが、そこまで「能力が無い人」にどうして「尊敬の念」を持って接しなければいけないのかが分からないのです。例えばイチローが凄いとして、イチローは50才のうだつの上がらないサラリーマンに、どうして「尊敬の念」を持って接するのか?先輩というだけで、そんなに偉いものなのでしょうか?
世間知らずなので宜しくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (26件中1~10件)

◆ 肉食獣や遊牧民の社会は、限られた草場を奪い合うイス取りゲームの社会です。

先輩はおろか兄弟や親さえ互いにライバルとなって争うのです。
 大きく見ても英雄がいないと群れごと全滅することだってあり得ます。年上を尊び年功序列でリーダーを作っていたら、強い英雄は生まれません。そこで肉食社会では全ての者を、平等対等に自由に競わせて、強い英雄を選びだす仕組みです。
 逆に草食獣社会はリーダー不在の社会です。英雄も責任者も居ないので、何が起こっても誰も責任を取りません。今日本の社会は肉食民の制度を採りいれていますが、国の支配者の意識は草食民の江戸時代のままです。
◆ 草食獣と草食の民は悪事は一切しないのに喰われるばかり。農民の心の支えが諦めの宗教と言われる仏教です。その暮らしの規範が儒教です。年長者を尊敬するのは儒教の基本精神のようです。
 農民の生活を支える豊作は力ではなく、長老の経験と記憶だけが頼りだからです。種まきの時期一つ間違えても一家は飢え死にです。収穫は年に一度しかないからです。
 その恐怖心の裏返しが年上尊敬(長老崇拝)の心ではないでしょうか。従って先輩を敬う心が強いのは、佛教や儒教思想の残る東南アジアに限られるはずです。
 欧米のドラマが強調するのは「長幼の序」ではなくて、その逆の「子供を大人として扱う」シーンの方です。

参考URL:http://www.geocities.jp/kounmee/Nihonjinwa.htm
    • good
    • 3
この回答へのお礼

「先輩を敬う心が強いのは、佛教や儒教思想の残る東南アジアに限られるはず・・・」なるほど!!!とりあえずは、納得させられるな~。ありがとうございます^^

お礼日時:2006/05/01 14:07

最近は、普通に生きている人でも突然死んでしまうことが多くなりました。

(事故、病気、事件、etc)
だから「一年でも長く生きれている」といういささか軍隊じみた「尊敬の念」を持っているからというのはどうでしょう。
    • good
    • 1

本来は、年長者は経験があり、経験を踏まえた判断によって適切な判断ができるために、それを尊重することが、自分の本当の気持ちから尊敬できたのでしょう。


ただ、現在は、社会のシステムが変わり、経験主義だけでは、その意見を尊重することはできません。
また、一般的に年功を積めば経験が豊富になるというのは個人差があります。そう考えると一般的に年功を尊重するというのは、経済効率からすると意味のないことです。

さて、とはいうものの、あなたより一年上の人間の人脈は、あなたより確実に広いはずです。と言うことを考えれば、その人脈を利用して更にあなたの人脈を増やしていくことが、あなたのためになるのではないでしょうか。

自分がのし上がるためには、幅広い人脈が必要です。
    • good
    • 0

年上だからといって、尊敬の念を持って接する必要はないと思います。


しかし、そのようにいう人は、年下の人に尊敬の念を持って接して欲しいのでしょう。
戦前、日本は、江戸時代以来の伝統的な儒教の影響もあって、政府の政策で、そのような教育を受けさせられたのです。そのような考え方は、今でも残っているのだと思います。

年上には、尊敬の念ではなくて、人間として敬意を払えばよいと思います。
ですから、同年代の人や年下の人にも、同じく、人間として敬意を払う必要があると思います。
    • good
    • 0

 べつに“尊敬の念”を持って接する必要は微塵もないでしょう。

ただ、より生きやすくするために、“尊敬の念”を持ったフリはしたほうがいいと思います。世の中には“年上”ってことしか威張れるものがないのか、そういうかわいそうな人種もいますので、そういう人と衝突するのは百害あっても一利のないことですし、できるだけそのような無駄なトラブルを回避するためにも、“尊敬の念”を持ったフリして接した方がいいと思います。

 要は“本音”と“建前”ですよね。心で舌を出しながら、顔は笑って頭を下げたりしておけばいいのではないでしょうか?もちろん付け上がってこない程度に賢く距離は保ちつつ・・。
    • good
    • 0

俺はあんまり詳しく知らないですけどね、これ、おそらく、儒教の考え方なんだと思うんですよ。


日本の道徳って割と儒教もとにしてるから、そういうとこから来てるんじゃないか、と。あんま知りませんけどね。

もう今の時代ですからね、別に「なければならない」で語る必要もないのかなと思うんですけどね。
「尊敬の念」は確かに持たなければならないかと言われると、俺はノーだと思いますけども、持ったフリをできるとやっぱり便利でしょうね。敬語と一緒ですよ。敬語喋れるのと喋られへんのやったら、やっぱり喋れたほうがいいわけでね。要は便利かどうかだけですけどね。中身なんて、確かめようないっすからね。だから、誰に対しても大上段に構えた態度でしか接せられないというのは、やっぱり生きにくいでしょうね。「尊敬の念」に対する反発から、余計にそれらを排除するのはあまり得策じゃないかも知れません。まあ、経験としては増えるかもしれないけれど、絶対必要なもんでもないかなと。ちなみに俺は、持ってません、まったく。
    • good
    • 0

実に尊敬できる先輩(先人)を持つ人はしあわせである。

 かれは、自分の未来のすがたについて、そのあり得べきかたちと希望とをすでに見いだし、自分自身をよく信頼しており、また他の人々への信頼を確立しているとのであると言えるからです。

人は、ただ年長であるというだけで尊敬に値するのではない。 その人が、ひととして為すべきことを為し終えず、知るべきことを知らず、為すべからざることを為し、知るべからざることに執著しているのであるならば、それではかれはただ年老いて衰えただけの人であると知られ、結局は本人もそれを認めざるを得ないでしょう。 しかしながら、ここなる人が聡明であって、よく経験を積み、学識があって、為すべきことを為し、為すべからざることを為さず、知るべきことを知っていて、知るべからざることについての興味が無く、温和であり、争わず、弱き人・劣った者の言葉をこそ恕(じょ)し、自己を制した人であるならば、かれこそ尊敬に値する人であると知られ、尊敬の念を以て人々から多く迎えられることになるでしょう。

もしそれを、自らの身に体現することを願うのであるならば、尊敬すべき人を尊敬し、他の人の行為はさておき、(自らの)行為の帰趨をこそ能く識り明らめて、よく気をつけて人生を歩み、他ならぬ自らがまさしく尊敬さるべき人になるべきです。

***
    • good
    • 0

もう一つ宜しいでしょうか。


尊敬の念というのは、年配者だけではなく全員に対して持つべき行為だと思います。
自分より実力が上の人には素直に。
自分と実力が大してかわらない人にも、自分と違う場所で優れている場所はあります。
そういったものが少ない人も、そういったところで尊敬すべきだし、そうでなくても相手のいいところを尊重することで、他の所も改善する可能性があります。それをする気がなくても、人と接する時に相手を敬う部分があったほうが、互いに尊重する機会ができていい関係が築けると思います。
問題は、相手が尊敬の念を盾に嫌なことをしてきた場合ですね。
その場合は、「申し訳ありませんが・・・」「先輩のおっしゃることごもっともですが、宜しいでしょうか、実はこういったデータが出ておりまして、これを考え合わせると別の結論に達します。どうお考えでしょうか・・・。」などと、上手くやる方法はいくらでもあるのです。少し抵抗を感じるかもしれませんが、これができると、「あの駄目な先輩にきちんと礼儀正しく接することができるのか」と評価も上がります。また先輩を立てる姿はそれをのぞいても立派な行為だと思いますよ。
こういったことを頑張ると、もう一段階上の人間になれますから、そういったことも含めて、「尊敬の念」を大いに活用してみる、というのも一意見としてあるのではないでしょうか。
    • good
    • 0

すべての人に尊敬の念を持つということは、私にもできません。

普段、口には出しませんが。

けれども社会人としての一般常識として、最低限のルールとマナーは守ったほうが良いと思います。

年上の人に対するタメ口は、単なる甘えとしか思えません。挨拶もしっかりしたほうが良いと思います。

たとえどんな人にでもです。能力が自分より劣っていると思った人にでもです。
    • good
    • 0

すべての人に尊敬の念を持つということは、私にもできません。

普段、口には出しませんが。

けれども社会人としての一般常識として、最低限のルールとマナーは守ったほうが良いと思います。

年上の人に対するタメ口は、単なる甘えとしか思えません。挨拶もしっかりしたほうが良いと思います。
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q目上の人は敬わないといけない!?

よく目上の人は敬えなどと言いますが、あれってただの戦略としてであって、それ以外の意味で敬う理由などないと思うんですがどうでしょうか?

年上だろうがなんだろうがクズはいつまでたってもクズだし。年輩だからっていうのが、必ずしも敬う理由になるとは思えません。

こんな意見、どう思いますか?暇なときに気が向いたら回答ください

Aベストアンサー

度々お邪魔します(笑)。

>問題は年上だからって理由で敬え!となる風潮です。

風潮ですか~…。
風潮までは、一人や数人や数十人くらいの力では変わりませんよね~。

>良いところを見つけても、それでスゴイッと思わない限り、尊敬に結びつかない

そういう意味でなら、私は誰も尊敬していないかも(爆)!?
でもだからといって、人々を見下している訳ではないですよ(笑)。
部分的に尊敬する場合は割とあるので、一人の中に「スゴイところもあり」「困ったところもあり」…みたいに捉えています。
もちろん「スゴイ部分」を発見できない人もいます。
「普通だな」と思う場合は、尊重しながら楽しく付き合います。
「困ったな」と思う場合は、一応その人の立場や状況を想像してみて、理解しようとは試みますが、その上で納得できない事は絶対納得しません。
でも、そんな事を表に出しても仕方ないので、「そういうヒトなのね」と思ったまま、付き合いは程程にします。

「困ったヒト」と常に付き合わければいけない状況だとつらいと思いますが、それ以外は自分から距離を作るようにしますね。

度々お邪魔します(笑)。

>問題は年上だからって理由で敬え!となる風潮です。

風潮ですか~…。
風潮までは、一人や数人や数十人くらいの力では変わりませんよね~。

>良いところを見つけても、それでスゴイッと思わない限り、尊敬に結びつかない

そういう意味でなら、私は誰も尊敬していないかも(爆)!?
でもだからといって、人々を見下している訳ではないですよ(笑)。
部分的に尊敬する場合は割とあるので、一人の中に「スゴイところもあり」「困ったところもあり」…みたいに捉えていま...続きを読む

Q髪の毛を染めてはいけない理由を教えてください。

服装の乱れってなんでしょうか。ファッショナブルでいいじゃないですか。
髪の毛を染めてはいけない理由はなんでしょうか。髪の毛が茶色だと何がいけないんです?


教師「誰だって、服装や髪の毛の色が一番大切なことじゃないのは分かってる。でも、人間を一瞬見ただけでは、その人が『良い人間』なのか『悪い人間』なのか分からない。だから、最初にみんな、その人の服装や外見を見て評価しようとする。自分の根を評価してもらうためにはまず、外見をよくしないといけない。」

→では、身だしなみを整えて、自分の根まで評価された後なら、俗にいう「だらしない格好」をしてもいいのでしょうか?


※私の服装はしっかりしてます(笑。ヤンキーでも反抗期の少年って訳でもありません。ただ、毎朝、校門で服装のチェックをしている先生の気持ちをしりたくなったわけです。

正直、國母和宏選手が服装が乱れていると世間で責めたてられても、実力があればそれでいいと思います。外見や格好ではなくて、その人が一生かけて積み上げていくものの方が遥かに重いと思うからです。

ちなみに僕は国会議員が金髪でも真面目に国を動かしてくれるならそれでもかまわないと思います。受験や就職で髪の毛や異常なまでも細かい身だしなみで減点されるのも納得いきません。

「金髪はヤンキーが多い、(性格的に)不良や非行に走る人間は髪を染めていることが多い→金髪の人間は不合格」
との考え方は
「○○人はなまけている人が多い→不合格にしろ」
とどこが違うのですか。どちらも表面しか評価してない。ある種の差別的見解とも思います。

もちろん、変えられるものと変えられないものとで違いはあるでしょうが、

皆さんはどう思いますか?
高校生の甘い考え方でしょうか。間違っているなら一喝願います。
穴だらけの屁理屈だってこともちゃんと承知しております。
乱文失礼しました。

服装の乱れってなんでしょうか。ファッショナブルでいいじゃないですか。
髪の毛を染めてはいけない理由はなんでしょうか。髪の毛が茶色だと何がいけないんです?


教師「誰だって、服装や髪の毛の色が一番大切なことじゃないのは分かってる。でも、人間を一瞬見ただけでは、その人が『良い人間』なのか『悪い人間』なのか分からない。だから、最初にみんな、その人の服装や外見を見て評価しようとする。自分の根を評価してもらうためにはまず、外見をよくしないといけない。」

→では、身だしなみを整えて、自分...続きを読む

Aベストアンサー

先生の言っていることは一理あります。ただ意味は深いですね。

マナーを守ることは集団社会における文化的背景というものが関わっています。
日本でダメな格好が海外でダメとは限らないし、その逆も然りですね。
何でダメなの?に対して「そういう文化だから」としか言えないものもあります。
例えばご飯にお箸を立ててはいけないとか。

例に挙げたお箸を立ててはいけないのは仏教的な慣習に基づく規範ですが、「俺はキリスト教徒だから関係ねぇし、別に仏教を否定してるわけじゃねぇし」という自分なりのポリシーでご飯に箸を突き立てつつ食事をしていたら、食事を共にする相手が仏教徒なら違和感があったり不快に感じたりしますよね?
これはマナーを守らない人に対する不快もありますが、もっと重要なのは「周囲に漂う雰囲気を不快にしてしまう」ことなのです。

人間は一人では生きていません。
集団で生活し、社会を築くことで生活基盤を構築しています。
マナーというのは個々の人間に対する戒めではありますが、マナーを守ることは個々人を対象とした評価尺度の一つというものではなく、集団全体を維持してゆくための統一ルールのようなものです。ちょっと言い方を変えれば全体に合わせるために一人一人が譲歩する思いやりに近いものですね。

はみ出すということは個性である半面、社会的規律(やわらかく言えばその国の慣習や風土)を乱すことになります。時としてそれは集団生活全体に対して影響を及ぼすこともあります。勘違いしてはいけないのが「乱している本人がどう見られるか」などは全体に与える影響からみれば瑣末なことなのです。

今、世界で震災に見舞われた日本人の規律の正しさがとても高い評価を受けていますよね。「暴動が起きない」と。
これが集団生活における規律を守るということの大きな効果です。

学校生活における髪型、服装などは「守らなくたって日本が崩壊するわけじゃないじゃん」と思うかもしれません。確かにそうですし、ルールがあろうがなかろうが学業に影響がないものですよね。
でも、なぜ守らなければいけないかといえば、そのどうでも良い校律を守ることが「規範に則った社会人になるためのトレーニング」だからです。
あなたはまだ学生ですから社会に対する重大な責任を抱えてはいません。ですが、いずれはどこで生きてゆくことになろうと一人の成人として、権利と当時に責任も抱えて生きてゆくことになります。
その中には「なんで俺までこんなこと…」とか「こういうのは苦手だなぁ」なんてものもあるでしょう。でもあなた一人だけの組織ではないしあなただけのための社会ではないので、我慢しなければならない時も多々あります。
これが我慢できないような大人では信頼されないし仕事も任せられない。となればご本人も世の中でうまくやっていけない。そんな人が沢山増えたらどんな社会になるか…想像できますよね?

そうならないために学校という集団生活の場で「皆で合わせましょう」というルールを作ってマナーを身につけるのです。ルール内容そのものは大して意味がないように感じられるかもしれませんが、『相手に合わせる』『全体で統一する』『個ではなく全体を一つとして捉えて動く』ことを体で覚えることができます。経験を積ませるための実践教育ですね。
髪型・服装…些細なことばかりやらされているように見えますが、だからこそ簡単にできる課題ではないですか。高校生ならだれでもできる課題をクリアできないのなら減点対象になっても仕方がないですよね(しかも意識的に放棄するならそれは試験放棄と同じです)

同様に考え方次第の部分もありますが「オリンピックに出られる程度の努力をしてきたなら、身だしなみ合わせるくらいできて当たり前でしょ。それすらできないんならその程度の努力だったんでしょ」という見方もされてまた然りなのです(これは選手の扱いに対する視点の一つですし、バッシングに対してはまた別の価値観も働いています)

今のあなたはまだ「何でこんなことやってんだろう?」とか「いちいちウザいなぁ」で良いと思いますよ。大事なのはそれでも我慢して規律に合わせることですから。
大人になったら、制約の中でやりくりする器用さも身につけます。


小学生の頃「なんで学校を休んではいけないの?家で勉強すれば同じなのに?」と質問した子がいました。
先生は「大人になったら我慢してでも会社に行かなくてはならないし、社会や家族を支えるためには気分で休んだりできない。だから今のうちに我慢してでもやることを覚えるんだよ。勉強内容ではなく、学校に通い続けることが大切なんだ。」と言っていたのを今でも覚えています。

恩師と生徒のやりとりが私の教育に対する考え方を大きく変えてくれた気がします。
私の回答のルーツです。

先生の言っていることは一理あります。ただ意味は深いですね。

マナーを守ることは集団社会における文化的背景というものが関わっています。
日本でダメな格好が海外でダメとは限らないし、その逆も然りですね。
何でダメなの?に対して「そういう文化だから」としか言えないものもあります。
例えばご飯にお箸を立ててはいけないとか。

例に挙げたお箸を立ててはいけないのは仏教的な慣習に基づく規範ですが、「俺はキリスト教徒だから関係ねぇし、別に仏教を否定してるわけじゃねぇし」という自分なりのポリシ...続きを読む


人気Q&Aランキング