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通称号「東部九十二部隊」は「陸軍電波」とありますが、正式部隊名は「陸軍電波兵器練習部」でしょうか。
ある記事によると、「昭和20年5月ころからは水戸の航空通信学校の一部が陸軍電波兵器練習部という名称となり」とありますが、これにあたるのでしょうか。
また、当部隊は久慈方面に出張っていたようですが、久慈に配備されていた「電波警戒機乙型」と関係があるのでしょうか。
その他、当部隊についてわかる範囲で結構です。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

No1です。


20年5月に航空通信学校大甕分校(教導通信第3隊)と長岡教育隊(本校教
育隊の一部)が電波兵器練習部に編入され電波兵器練習部大甕分教場と
して陸軍電波警戒機教育の本拠となりました。

それ以前の電波警戒機教育は航空通信学校の担任ですが、電波兵器練
習部の飛行班が吉田飛行場に同居していましたから共同関係にあつた
と思われます。
(航空通信学校は実用実験から教範の作成までの任務を受け持っていま
す)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。No.1とあわせて、大変参考になりました。

お礼日時:2006/03/31 16:38

>通称号「東部九十二部隊」は「陸軍電波」とありますが、正式部隊名は「陸軍電波兵器練習部」でしょうか。



 そうです。

>「昭和20年5月ころからは水戸の航空通信学校の一部が陸軍電波兵器練習部という名称となり」とありますが、これにあたるのでしょうか。

 それは、誤りです。電波兵器練習部は1944年(昭19)2月、東京の北多摩に本部を設置したのが初めです。

>また、当部隊は久慈方面に出張っていたようですが、久慈に配備されていた「電波警戒機乙型」と関係があるのでしょうか。

 電波兵器練習部というのは教育部隊で、「電波警戒機乙型」を使った教育は小平で実施していましたから久慈に展開した電波誘導隊とは何の関係もありません。

>その他、当部隊についてわかる範囲で結構です。よろしくお願いします。

 陸軍電波兵器練習部は、防空と対潜水艦に関する電波兵器関係の要員(佐官・尉官および下士官)の教育および錬成を目的として、1944年(昭19)2月12日、令乙第6号下令により陸軍大臣直隷の多摩陸軍技術研究所の管轄として東京北多摩郡小平町(当時)の東京商科大学予科構内に本部と教育隊、国立町に支部を設置して臨時編成されました。
 翌45年には特別幹部候補生の教育も開始となり、4月28日に令乙第15号下令により編制が改正され、航空本部長隷下となり、本部(小平)および教育隊(4)・材料廠の編制となりました。
 各教育隊は、第1教育隊(茨城県水戸外吉田)は水戸陸軍航空通信学校内に要員を以て「機上用電波兵器」(タキ)の教育を実施。第2教育隊(小平)にて防空用電波警戒機の教育を実施。第3教育隊(山口県由宇)対潜警戒機の教育を実施。第4教育隊(国立)電波評定機(た号)の教育を実施。となっておりました。

 したがって、昭和20年5月ごろに、水戸の航空通信学校で電波兵器の教育が実施されたことは事実のようです。

 資料= 原剛・安岡昭男 編『日本陸海軍事典』( 新人物往来社 03年)

     陸上自衛隊高射学校(下志津)修親会 編『高射戦史』(田中書店 78年) 


 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。懸案が解決しました。k762さんと甲乙付けがたかったのですが・・・。申しわけありません。

お礼日時:2006/03/31 16:43

陸軍電波兵器練習部は多摩陸軍技術研究所の隷下で19年4月編成です。


うち第一教育隊(機上電波兵器の運用と操作)が水戸と浜松に有りました。

>久慈に配備されていた「電波警戒機乙型」
久慈には陸軍の最新兵器たる夜間戦闘機誘導用のタチ28号(夜間多数機
誘導方式)を装備した第一電波誘導隊 捕捉中隊の1個小隊が第四方向
探知所を工事中でしたが未完で終わりました。

東部九十二部隊については引き続き探して見ます。
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