昔の千円札の肖像でもある「伊藤博文」は、教科書には「いとうひろぶみ」というふりがながついていると思うんですが、昔「なんでも鑑定団」の中で、「伊藤ハクブン」といっていたことがあったと思います。
「お江戸でござる」で杉浦日向子さんが徳川15代将軍「徳川慶喜」を「徳川ケイキ」と言っていたような気がします。
この呼び方にはちゃんとした意味があるのですか?(ただのスラングじゃなくてという意味です)
「折口信夫」を「オリクチノブオ」と呼ぶのとは少し違う気がするので質問しました。「折口信夫」は知らないで使っている人は多いですが、「伊藤博文」は知っていて使っている気がするので。

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A 回答 (2件)

「有職読み」という、成功した人を元の名前ではなく、音読みで読まれる現象があります。



藤原定家(さだいえ)を藤原ていかと読んだり、森有礼(ありのり)を森ゆうれいという具合です。

作家などは、ペンネームが音読みで読まれて、そのまま通用していることがあります。
著書の奥付にローマ字で書かれている名前が、本によって違う場合もあります。

折口信夫(しのぶ)を(のぶお)と読むと、知らないと思われてしまいますね。

出版社が勝手に音読みにしていたので、訂正したと言っていた作家もいました。
佐藤雅美という時代小説作家がいますが、「まさみ」と奥付にふりがなを振られ、女流作家と勘違いするファンが多く困ったそうです。「まさよし」と読むのだそうです。
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この回答へのお礼

「有職読み」ですか。知りませんでした。
「藤原定家」はなぜか気になりませんでしたが、「藤原俊成」を「シュンゼイ」と読むのはやはり疑問でした。
例に「折口信夫」を出したのは極端すぎた気がします。音読みではないですから。
徒然草の作者の「吉田兼好」の本名は卜部兼好(ウラベカネヨシ)ですが、後に「ケンコウ」と呼ばれるようになったのも「有職読み」でしょうか。

お礼日時:2002/01/31 05:01

日本の男性文化が漢学・儒学指向であった伝統の名残りだとおもいます。


古くは中古~中世の貴族名などでも、藤原定家(ふじわらのさだいえ)を藤定家(トウ・テイカ)、俊成(としなり)をシュンゼイなどと書き、読みならわしていました。
「より正式なものは音読み」という意識がどこかにあるんでしょうね、やっぱり。

伊藤博文の名はもちろん「ひろぶみ」で合ってます。
「ハクブン」と読むのは、スラングとはいわないまでも、一種の衒学的な読み癖と思ってくださってかまいません。
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この回答へのお礼

「藤原俊成」の名前は「トシナリ」だと思っていたので高校の文学史の本で「シュンゼイ」とルビが振られていたので変だと思ってました。
スラングという言葉を使ったのは、「原敬」を「ハラケイ」と読むのは友達のニックネームみたいに思えたからです。
3年前、「折口信夫」は「ノブオ」だと思い込みがちだと本で見たので不適切ながら例にしました。教科書で折口信夫がどんな人であるかを知ったのはそれから3ヵ月後のことでした。

お礼日時:2002/01/31 05:20

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Q伊藤ハクブン?

昔の千円札の肖像でもある「伊藤博文」は、教科書には「いとうひろぶみ」というふりがながついていると思うんですが、昔「なんでも鑑定団」の中で、「伊藤ハクブン」といっていたことがあったと思います。
「お江戸でござる」で杉浦日向子さんが徳川15代将軍「徳川慶喜」を「徳川ケイキ」と言っていたような気がします。
この呼び方にはちゃんとした意味があるのですか?(ただのスラングじゃなくてという意味です)
「折口信夫」を「オリクチノブオ」と呼ぶのとは少し違う気がするので質問しました。「折口信夫」は知らないで使っている人は多いですが、「伊藤博文」は知っていて使っている気がするので。

Aベストアンサー

「有職読み」という、成功した人を元の名前ではなく、音読みで読まれる現象があります。

藤原定家(さだいえ)を藤原ていかと読んだり、森有礼(ありのり)を森ゆうれいという具合です。

作家などは、ペンネームが音読みで読まれて、そのまま通用していることがあります。
著書の奥付にローマ字で書かれている名前が、本によって違う場合もあります。

折口信夫(しのぶ)を(のぶお)と読むと、知らないと思われてしまいますね。

出版社が勝手に音読みにしていたので、訂正したと言っていた作家もいました。
佐藤雅美という時代小説作家がいますが、「まさみ」と奥付にふりがなを振られ、女流作家と勘違いするファンが多く困ったそうです。「まさよし」と読むのだそうです。

Q8代将軍・徳川吉宗以降の、御三卿も含めた徳川将軍家のわかり易い家系図を教えてください。

江戸時代の徳川将軍家の、8代将軍・徳川吉宗以降の、御三卿も含めたわかり易い将軍家の系図が知りたいです。

徳川将軍家の8代将軍・吉宗以降のわかり易い家系図を教えてください。

Aベストアンサー

普通に考えると将軍家の家系図となるとこれだと思いますが。きちんと家柄(水戸、尾張、紀伊など)も載っていますので。

参考まで。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/5/55/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E7%95%A5%E7%B3%BB%E5%9B%B3.svg/1280px-%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E7%95%A5%E7%B3%BB%E5%9B%B3.svg.png

Q明治・大正時代の人名は音読みか訓読みか

明治・大正時代の人名が本によって音読みだったり訓読みだったりして、ばらついてることがありますが、これはどっちが正しいのでしょうか?

例)伊藤博文(ハクブン/ひろぶみ)

また当時は音読みと訓読みのどちらを使っていたのでしょうか?

Aベストアンサー

「実際にどう読むか」は親か本人でもない限りわからないのは昔も今も変わりませんが、
「有職(ゆうそく)読み」といって、「名のある人はとりあえず音読みにしておけば失礼ではない」というのが我が国の伝統です。

Q徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎した時の「上野□様」は誰?

静岡で書かれた3月7日付けの手紙を解読中です。字の形から、下記の□に「宮」か「亮」が入ると推定できるのですが、どちらでしょうか。
「江戸表は上様御始め御附の御旗本衆迄、上野東叡山へ御入、坊中に御謹慎、上野□様御扱の為、此の程御上京との事に候えば、ひとまず静謐は申すべく、然れども会津の方、よほどむつかしき様子、何とぞ双方静謐に相成候様ひとえに念じ入る事に御坐候。」

Aベストアンサー

歴史には疎いので、的外れかもしれませんが・・・・

http://www.aura-press.com/scriba/si/sst-boshin-ueno.htm
こんなサイト↑見つけました。
慶応4年の、 戊辰戦争 上野の戦い までが日を追って経過が書いてあります。
それによると、
3月7日には
> 旧幕府側の上野輪王寺宮・公現法親王が有栖川熾仁親王に面会し、江戸城総攻撃の猶予を嘆願。
(上記サイトより抜粋)
おっ、"上野輪王寺宮"だって。
この人かな??

参考URL:http://www.aura-press.com/scriba/si/sst-boshin-ueno.htm

Qあまった墨汁を

せこい質問ですみません。

墨池にどぼどぼ入れすぎて、使い切れなかった墨汁って、また瓶に戻してはまずいでしょうか。
水などで薄めなかった場合です。

Aベストアンサー

常温日陰保管で普通に使用していた場合、
大体で墨汁の使用適正期間は約一年、
開封せずに保存していた場合は大体2年~3年
持つと言われています。
(その製造過程やモノにもよりますが)


その中でも保たせるためにはなるべく外気に
当てないことと温度が上がらないことが条件に
なりますので、今回のご質問ですと結論から言って
良い結果は生まれないと思われます。
他の方が言われるとおり、少なくても半年以内に
使い切る場合は良いとかんがえますが、それ以上に
期間が長いのであれば品質を保つという観点では
あまり良いとは言えません。
その場合、墨池にとる段階で多少の面倒はありますが
一回に使用する量を上手く想定して、足りなかったら
途中でたしていく書き方が良いでしょう。

Q「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

今もし千円札の肖像画の図柄が変更されたとします。
それが「伊藤博文」の復活だったら…
おそらく、韓国は猛反発するでしょう。

なぜなら、伊藤博文は朝鮮半島植民地支配のシンボルだからです。
また、伊藤博文を暗殺したテロリストは韓国では英雄とされています。

さて、昔は千円札の肖像画は伊藤博文でしたが、それに対して
韓国人は不快に感じたり抗議したりしてなかったんでしょうか?

Aベストアンサー

q:「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

a:「伊藤博文」への韓国の反発はありませんでした。
 そもそも、日韓併合への反発は韓国政府による作られた
 韓国民の感情に過ぎないのです。

 私の若い頃、韓国人の対日感情に関する世論調査統計で
 日本統治を知っている世代に比べ知らないはずの世代ほど
 反日感情が強い傾向が示されており、不思議に思った記憶が
 あります。

 韓国初代大統領、李承晩は、日韓併合により中世的特権を奪われた
 両班階級だったので、亡命臨時政府を作ったのですが、日韓併合
 で、中世的頚木から開放された朝鮮庶民は誰も従って行きませんでした。
 なので、日本と戦う兵士も当然居なかったのです。
 実態の伴わない亡命政府だったのです。

 日本の敗戦を機に事大主義が伝統の朝鮮人は反日に大きく態度を
 変えるわけですが、韓国内での政権の求心力強化や、韓国民の
 統合のアイデンティティのため、徹底的反日教育と、理不尽な
 対日要求を行ったのです。これが不可欠だったのです。

 権力者の言動に追従する朝鮮民族の国民性と、高学歴者の言動に
 盲従する朝鮮民族の国民性が相俟って、今日の日韓併合への韓国
 民の感情が醸成されてきているにすぎないのです。

q:「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

a:「伊藤博文」への韓国の反発はありませんでした。
 そもそも、日韓併合への反発は韓国政府による作られた
 韓国民の感情に過ぎないのです。

 私の若い頃、韓国人の対日感情に関する世論調査統計で
 日本統治を知っている世代に比べ知らないはずの世代ほど
 反日感情が強い傾向が示されており、不思議に思った記憶が
 あります。

 韓国初代大統領、李承晩は、日韓併合により中世的特権を奪われた
 両班階級だったので、亡命臨時政府を作った...続きを読む

Q偉人の名前の読み方

教えてください。

伊藤博文→いとうはくぶん
徳川慶喜→とくがわけいき
木戸孝允→きどこういん

このように名前を音読みする場合がよくありますが、なぜでしょうか。
それとも音読みが正しい読み方なのでしょうか。
混乱して困っています。

どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

3名を個々に調べたわけではないのですが、昔の人が名前の呼び方を変えた理由について書きます。※当然、諸説あります。

(1)明治・江戸時代以前の有名な武将や家柄の当主などは現役を引退すると僧侶になることが多かった様です。当然、僧侶の名前を新たに作って改名する人もいれば、訓読みの本来の名前を音読みにして改名する場合もあったそうです。※現代の僧侶も同様です。

(2)当時は公的な場所や正式な文書を作成し、名前を読み上げる時(告知)などは音読みで読むことが多かった様です。本などのペンネームも同様でした。※公的文書に漢文(音読み)が多かったことなども理由にあげられます。

(3)武士の家系であれば元服などの門出を大切にしていたと思います。当時は新たなことを行うときに名前を変えたり、呼び方を変えたりしたようです。※歴史上の人物で一時期を境に改名や読み方を変えた人は多いです。

以上の3点から言えるのが
A1:ある一時期を境に自己を一新するために呼び方を変えた。((1)と(3))
A2:公的な場と私生活の場で呼び方を変えた。((2)と(3))
ということが考えられます。

さらにA1とA2で考えると
当時の人は現代人と違って、名前を変える(呼び方を変える)ことによって自分を変える・立場を変えるという作業を行ったのだと思われます。

ご質問の3名は個々に理由は違うと思いますが、
公と私の使い分け、古い自分から新しい自分へと変わるために自分の呼び方にも拘り、訓読み→音読みに変えたりしたのですね。

結論として
ご質問の解答は「同一人物なので訓読み・音読みどちらも正しいです」



でも、好きな歴史上の人物がいたら、この人はどんな理由で読み方を変えたのかな?と探りながら歴史を勉強するともっと楽しいかもしれません。

余分なことを言いました。

以上ご参考まで

3名を個々に調べたわけではないのですが、昔の人が名前の呼び方を変えた理由について書きます。※当然、諸説あります。

(1)明治・江戸時代以前の有名な武将や家柄の当主などは現役を引退すると僧侶になることが多かった様です。当然、僧侶の名前を新たに作って改名する人もいれば、訓読みの本来の名前を音読みにして改名する場合もあったそうです。※現代の僧侶も同様です。

(2)当時は公的な場所や正式な文書を作成し、名前を読み上げる時(告知)などは音読みで読むことが多かった様です。本などのペンネームも同...続きを読む

Q徳川慶喜と妾

鳥羽・伏見の戦いに敗れたというか、戦わずして江戸に逃げ帰った徳川慶喜は、その開陽丸の船中に「妾」を乗せていたそうです。まったく「あきれた奴」だけれど、明治になってから、徳川家の再興を密かに、願っていたのか?十男十女をもうけたそうです。

ここで質問なのですが、
(1)この20人の子供の中には、正室美賀子夫人の子供はいたのでしょうか?
(2)この頃(明治初期)、慶喜には、何人くらい妾がいたのでしょうか?
(3)20人の子供の中には、新門辰五郎の娘、芳の子供はいますか?

Aベストアンサー

美賀子夫人には子供はいません。

一度、流産したあと、子供には恵まれなかった、、そうです。

あの時代の殿様は お家存続のため とにかく沢山子供を生ませたそうです。

子供の夭折が多かったため、、とも言われています。

慶喜が静岡に隠棲するときには、数えられない位の側女がいたそうですが、

新村信、中根幸の二人に整理したそうで、あとの側女はお払い箱だったそうです。

新門辰五郎の娘、芳は静岡に行くことを自分から拒否した、、、と言われています。

新村信は、12人、中根幸も12人の子を生んだそうです。(その他、流産もあり)

二人は、顔立ちがそっくりで、子供たちもどちらが自分の母親とは、意識しないで暮らし

二人の立場はあくまで女中だったので、子供たちも「信! 幸!!」と呼び捨てだったそうです。


徳川慶喜の残した言葉で、私が一番 印象に残ってるのは

「長州は、最初から反幕だったので恨みはないが、薩摩は、最初、味方となったのに、寝返った。

薩摩だけは、絶対に許せない」と言ったという言葉です。

薩摩って、「簡単に寝返る信用ならない藩」なのだったのですね。


慶喜の偉い処は「逃げた」処ですね。

小栗上野介の策を取り入れれば、幕府が勝てたでしょうが、

慶喜は「単に一戦に勝つだけなら勝てる。しかし、朝廷を握られており

幕府の土台が腐っている以上先はない」と見ていたそうです。

そういうことを考えれば、先を見ることが出来た優秀な人物だったと思います。

美賀子夫人には子供はいません。

一度、流産したあと、子供には恵まれなかった、、そうです。

あの時代の殿様は お家存続のため とにかく沢山子供を生ませたそうです。

子供の夭折が多かったため、、とも言われています。

慶喜が静岡に隠棲するときには、数えられない位の側女がいたそうですが、

新村信、中根幸の二人に整理したそうで、あとの側女はお払い箱だったそうです。

新門辰五郎の娘、芳は静岡に行くことを自分から拒否した、、、と言われています。

新村信は、12人、中根幸も12人の子を生んだそ...続きを読む

Q明治の人の名前

明治時代は下の名前を音読みすることがあったという話を聞きました。
谷干城(たてき)→かんじょう
西郷従道(つぐみち)→じゅうどう
臥雲辰致(ときむね、たつむね)→たっち
松方正義(まさよし)→せいぎ
伊藤博文(ひろぶみ)→はくぶん
木戸孝允(たかよし)→こういん
以上の人物は音読みするのは聞いたことはありますが、でも黒田清隆→せいりゅう、山形有朋→ゆうほう、大久保利通→りつう、というのは聞いたことがありません。
そこで思ったのですが、音読みするというのは一般的に行われていたことなんでしょうか?それとも一部で用いられていたものなのでしょうか?
またなぜこのようなことが行われていたのでしょうか?

Aベストアンサー

 そうですね、黒田、山形、大久保さんの音読みは、私も聞いたことはありません。
 先に挙げられた谷干城以下はおおせの通り、音読みが多く、また音読みの方が正解の場合もあるようです。
 名前の読み方は、何時の時代もハッキリと決まったものがないというのが実情です。
 昔でも今でも、戸籍には読み方やフリガナは書いていません(戸籍の名前は自由に変えることはできませんが、読み方は本人の勝手でどうにでもなります)。↓
http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/ujina/ujina5.html
 ですから、明治の人の名前の読み方は、本当のところはよくわからないのが実情だと思います。
 挙げられた明治の有名人の読み方も、当時一般に呼ばれていた読み方(音読みが多い)から、本人が『ワシの名前の読み方はこうじゃ。』といった記録や御子孫の話などから、訓読みの方が正しいと判断して修正し、現在の読み方になっているものと思われます。
 それでは、昔なぜ音読みが多かったかと申しますと、実際に本当に音読みの名前も多かったですし、また訓読みは意外と難しい(どう読むのかわからない)ということがあります。
 だから、他人は漢字を見て、どうしても読みやすい音読みにしてしまう傾向があるように思います。語呂がいい、発音しやすいということもあるでしょう。
 例えば原敬は、『たかし』が本当らしいですが、当時から最近まで『たかし』と呼ぶ人は居ませんでした。みんな『ハラケイ』と呼んでいました。私自身も音読みの方が読みやすい名前で、会社では定年まで音読みの方が通っていました(チャンと呼んでくれるのは人事の女の子だけ(笑))。
 まあ、戸籍にフリガナがついているわけではなし、当時は今の区役所のように読み方を届けることもしません。
 テレビやラジオ放送もない時代ですから、正しい読み方が一般に伝わりません。本人も世間が違った読み方をしているとは、ウスウス気づいていたとは思いますが、気にしていなかったと思います。

 西郷従道の氏名届出のエピソードが面白いです。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E5%BE%93%E9%81%93 
 山本権兵衛は『ごんべえ』じゃ『カラスがほじくる』を連想するので『ごんのひょうえ』にしたのでしょうか。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B 

 そうですね、黒田、山形、大久保さんの音読みは、私も聞いたことはありません。
 先に挙げられた谷干城以下はおおせの通り、音読みが多く、また音読みの方が正解の場合もあるようです。
 名前の読み方は、何時の時代もハッキリと決まったものがないというのが実情です。
 昔でも今でも、戸籍には読み方やフリガナは書いていません(戸籍の名前は自由に変えることはできませんが、読み方は本人の勝手でどうにでもなります)。↓
http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/ujina/ujina5.html
 ですから、明...続きを読む

Q伊藤博文について。

ちょっとした質問です。
伊藤博文は朝鮮併合に反対していたんですか?

Aベストアンサー

Yes


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