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まず最初に、私は自殺をしようと考えていませんからご安心ください。
一般に自殺は良くないことと考えられていますが、それはどのような理由からでしょうか?
「残された家族が悲しむ」・・「身寄りがなければよい」
「神の意志に逆らう行為」・・「人の意志は聞き入れないのか」
「その時は苦しくてもいつかはよいときが来る」・・「何を証拠にそのような未来が来ると判断できるのか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生まれる時は自分の意志を反映できないのだから、死ぬときは自分の意志に従って行動してはなぜいけない?数多の動物がいるが、人間だけが自らの意志を持って命を絶つことができる、言い換えれば人型の動物と異なる点の一つに自殺という概念を持ちうるかどうかがあげられる。病気や希望の喪失などの理由はどうあれ、自殺というきわめて人間的な行動を、否定する理由は何でしょう。
オランダでは安楽死がすでに合法化されています。安楽死は肉体的苦痛からのがれる一つの方法ですが、これを押し進め経済困窮自死、願望達成自死、迷惑回避自死などを否定できるのでしょうか。(正常な精神状態において)
宗教論旨はぬきでお答えください。

A 回答 (30件中21~30件)

いいかわるいか、ということになれば、結局は価値観の問題ですので、宗教論旨とおなじことになると思います。

誰に迷惑かけるのでなければ・・・。(生きている方が迷惑かけることもあるかもしれない・・・。)

現実逃避であり、「生きる権利の放棄」ですが、一般に「権利の放棄」でいうと、放棄している人って多いです。

ただ、こればっかりは、「やっぱり死んだのは間違いだったからやり直そう」というのがききませんから、しようとする人を止めるのは、生きている者としては当然でしょう。
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この回答へのお礼

あっさりしたご回答ですが、一番明快な答えかも知れませんね。

お礼日時:2002/02/04 11:39

 


  わたしは、この種類の質問には、原則一回しか回答しないことにしているのですが、「自殺」という、実存存在である人間が持つ究極的な「意志の自由の行使」の是非を、中世西欧の異端審問官のような詭弁的議論で否定しようという人がいるならば、そういう非道で反理性的な議論は肯定できないと明確に述べる必要があるでしょう。中世西欧の異端審問官の論理は、「魂を救うため」「肉体を苦しめ、滅ぼし、火で生きたまま焼いても」、その人の「魂」には、「善を施しているのだ」という論理です。
 
  人間は社会的存在であり、社会共同体の網の目のなかで自己の存在があるものです。そのような人間が「自殺を意志する」ということの意味は、ただ、肉体の生命を放棄する、生を自分で終焉させるというだけではなく、実は、「内面の底までも社会的存在である自己」を、まさに否定するという意志決断の意味があるのです。こういうことを明瞭に自覚して自殺する人は、少ないかも知れませんが、例えば、中高年者の孤独自殺とか、失業者の自殺などの例が多いということは、これはまさに、「社会的関係にあるはずの自己の存在が、十全でなく、社会的存在として、死んだも同然である」と痛切に思えた時、まさに社会的存在であるが故に、社会的存在としての「生きる意義」が見出せない状態に耐えられなく、このまま「社会的存在死者」として生き続けるのは辛いので、辛いこの自己も消して、社会的存在死者たることの悲しみ・苦痛・悲痛・絶望から救われたいという思いがあることがあるのです。
 
  人間はその内面までも社会的存在であるが故、逆に「自己の社会的存在性を否定するため」の自殺があるのです。生きている限り社会的存在であることから逃れられない、生きている限り、いかに薄くなっても、様々な人との社会的関係から逃れられない……このため、それから逃れるために、まさに、どんな社会も他人も追ってこれない彼方……「死の彼方」へと逃れるという形の自殺意志があるのです。まさに社会的存在が人間であるが故、この場合の自殺は、「自己の誇り、自己の意識ある人間たる尊厳を守るための」自殺だとも言えるのです。(死んでしまえば「意識もなくなる」と言っても、その「社会的痛苦に耐え難い意識」を消すために自殺を選ぶのです)。
 
  「尊厳死」の「尊厳」とは何のことかと言えば、「社会的存在としての人間の尊厳」の謂いなのです。その「尊厳」を守るための「死」を認めると言うのは、人間は「社会的尊厳を守るため、時には死を選び」そして、その行為が称賛される場合もあるのです。例えば、ニューヨークの国際貿易センタービルの事件の時、大勢の警官や消防隊員がビルに決死で入って行き、殉職しました。いまにも倒壊するか、熱が回って危険になるビルに突入し、避難者誘導のため、高い階層に登るなど、「自殺行為」でしょう。少なくとも、生命の危険を大きくかけている行為です。単に職務としてでなく、積極的に、そうした人が大勢いたはずです。その時、彼らは「自殺行為」に敢えて向かったとも言えるのです。しかし、そうして殉職した人々を、誰も、非難などしません。むしろ、称賛しているはずです。そういうことをすると、9割以上危険なことが分かっていて、敢えて、遭難者を救いにでかけ、二次遭難で死んだ人にも、非難の声はありません。自己の社会的存在であることを実現するために死をも選んだ人を称賛する他方、自己の社会的存在の故に、その完成(社会的関係の完全な断絶も完成なのです)を求めて自殺する人が、何故非難されねばならないのか、ということです。
 
  人間は社会的存在であるが故に、自殺的行為をして、称賛される場合があるのです。ならば、社会的存在としての自己への絶望故に、社会的存在の網の目から脱しようと自殺する場合、前者は「社会に寄与するが」、「後者は社会に寄与しない」ので否定するという理屈は、おかしいものとなるでしょう。
 
  近代以前の社会は、「個人」は「社会の道具」としてあったのであり、道具が勝手に道具をやめるのはけしからぬという理屈があったのです。しかし、個人は、社会の道具でもなく、他人の道具でもなく、つまり、個人の実存は、それ自体が「目的」で、何かの手段ではないのです。実存である「目的としての自己」を完成させるに、自殺しかないというのは、哀しいことかも知れませんが、それを「社会の道具・手段である個人」が勝手に死ぬのは社会や他者ににとって迷惑だ・罪だというのは、恐るべき発想でしょう。
 
  そういう何気ない、当たり前だと思っている考えが、大勢の人の「社会的存在意味の喪失感」をもたらし、中高年者の自殺などを誘導していると言うのが事実でしょう。人間は社会的存在だから、社会の役に立つ人間が人間であって、そうでない人間は、死ねという訳にはいかないが、社会にとって不要なので、無視され、誰も訪ねることもなく、何も期待されず、この時、実存としての人は、まさに、「自己の最後の尊厳」のため、乞食のような姿で死ぬことは避けたいと思い、まだ、見苦しくない形で死ねる時に「自殺」して、自分を必要としなくなった社会から消えて、死ぬことで「社会のためになろう」という考えがもしあるなら、何という悲惨で恐ろしいことかということです。そして、このようなことが日常茶飯事にあるこの社会が、どういう社会なのか、そのような社会から「逃れて、絶対の自由を得たい」という人には、まさに、誰も追ってこない「死の向こう」に逃れるしかないでしょう。こういう「自殺」は、まさに自己の「尊厳」のための死で、それに対し、なお、社会的に無責任だとか言うのは、死者に鞭打つ行為とは、こういうものを言うのでしょう。
 
  そのようなことを考え、多くの人は自殺するのではないでしょう。しかし、本人の思考としての自覚は別に、このような状況に他ならない場合というのは、考える以上に多いのだとわたしは思います。
 
  自殺する人は、反社会的だ、などという考えが、そもそも自殺へと人を追いやるのだと言うことが分からないのだろうか、という思いです。
 
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この回答へのお礼

社会的尊厳を維持するが為に「自分のプライド故に」自死をするのは無責任ではなく、これを反社会的だという考えが自死へ追いやる。ということになる。こうなりますか?反対に取ればプライドもかなぐり捨てて生に執着する方が無責任で反社会的だとなるのですか?
文章が難解で私の理解力のなさ故、間違えて解釈していたらごめんなさい。
 それから自殺と自殺的行為は明らかに別の行動です。前者は確実に死ぬことを目的としますが、後者は1/100でも生きる可能性があれば、生き抜く努力と意志があり生き抜くことを目的とします。

お礼日時:2002/02/04 11:36

善悪の基準を.刑法に基づいて考えた場合には.


自己に対して行った犯罪的行為は犯罪としての成因の一つを欠いています。従って.何を行っても犯罪ではありません。従って悪ではありません。

生物の行動として考えた場合には.答が2つあります。一つは
生物は自己の種を増加する方向へ進むことが原則であり.この行動洋式から外れる行為は種の保存に反し悪である。従って自殺行動者はなんだかの精神疾患となっている場合であり.適切な医療が必要である。
もう一つは.その種が十分数が多く生育に障害がある場合には.種の現象が必要であり.自殺もやもえない。
どちらの答がただしいのか.わかりません。

もっとも.明治政府に始まる天皇しゅうけん政治では.私の同級生に自殺を強要するような教育を行い.次々に同級生が死んで行きました。古くからある戦闘形式ですが.やってはならないことといわれていました。臣民に対してこれを命じたのがヒロヒトです。つまり.大日本帝国憲法下では自殺は善です。先日の東海村原子力燃料再処理施設では.経営者が現場作業者に対して核分裂を行っている機械に出かけてほう酸を注入しろと銘じていたようです。つまり.日本の原子力産業においては自殺は善です。次回の核施設が暴走した時には.日本人の象徴としての人物が.ほう酸を入れに出かけてもらいたいものです。かってヒトヒトが臣民に対して命じたのですから同じ事をヒトロトの子孫自身が行っても良いでしょう。
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この回答へのお礼

生物的な行動からのお答えですが、個体数が多すぎる場合は、よく言われるように戦争がその個体数の保持をつとめたと言われます。ご回答からだと、モンゴルのような人口密度が低い場所であれば自死は「精神疾患」でありインドネシアのような人口密度の多い場所では「種の保存上正しい」となります。
場所によって異なるという回答では満足できません。
 思想教育的ないきさつから天皇を出すのは意味がありません。思想教育による強制された自殺を問題にしているのではなく、あくまで自己意識による自殺を問題にしているからです。時代による自殺を考証するのであれば、切腹を例題とされたほうがわかりやすく考証もふかくなったのでは?

お礼日時:2002/02/04 11:20

日々、電車の人身事故に巻き込まれているとはいうものの、自殺というものを身近に感じた事はありませんでしたが、先日、友人が自殺しました。


何故死んだのか、全く理由は分かりません。
確かに、死は自分で決める事が出来ます。
絶対にするな!と言っても、する人はするでしょう。
でも私は、友人が死んだ事により、かなりの精神的ダメージを受けています。苦しいです。でも、幾ら苦しんでも、もう何も出来ないし、してあげる事も出来ないんです。

今回の事があって、私は自殺を殺人だと思いました。
全てを否定する事は出来ないかもしれません。
でも、私に多大な悲しみと怒りを起こさせた友人は
罪人の様な気がしてなりません。

答えになってなくてすみません。
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この回答へのお礼

ご友人を亡くされた悲しみはよくわかります。確かに自死と殺人は、行動がどちらに向くか、という意味では同じでしょう。お悔やみ申し上げます。

お礼日時:2002/02/04 11:01

これは宗教論旨というよりも人間の「死生観」や「倫理観」に関わる哲学的問題だと思います。


そして、1812さんがご指摘の通り人間だけが自殺出来る訳ですが、だからこそ自殺はするべきではないというのが一般的な倫理観なのだと思います。

あくまで私見ですが、人間は動物で、その動物の中でも最も高度な社会を有しており、人は社会的な関係の中で生きています。
一方、死はそのような関係との絶縁を意味し、そのような社会との関わりを否定する行為だと言えるのではないでしょうか。
1812さんの仰る通り、自殺は人間的な行為だと思います。では何故「自殺というきわめて人間的な行動を、否定する理由は何」かと言うと、人間がその自殺という行為を一般的に肯定することは、社会的存在である人間自体を否定することになるからではないでしょうか。

私達日本人の死生観とは、例えば「人は自ら死なずともやがて死は来る、ならば何故に自ら命を絶たねばならないのか。人は生きていれば今どんなに(精神的に)苦しくても必ずチャンスは来る、死ねば全ては無に帰し、その可能性も無に帰してしまう。残された家族や周囲の人の悲しみは計り知れず、それらの人々の生き方や精神的な世界にまで悪影響を与えかねない・・・」と正に1812さんが冒頭でお書きになっておられる通りだと思います。
よく考えてみると、私はそれらが全て人間社会の中でのみ通用する、人間の社会的存在の意義を説いた言い分に過ぎないように思います。
しかし、だからこそ人間なのであって、それが無ければ人間社会が成り立たないのだと思います。

自殺であろうと自然死であろうと、周囲の者は皆悲しみを感じると思います。それは死亡した人が「無」となり、社会的存在では無くなってしまった事に対する悲しみではないかと感じます。
自然死はどうしようもありませんが、自殺であればその人が思い留まることによってその人の社会的存在を維持出来ます。本人がどう思うかはともかく。

尚、私は、オランダで安楽死が合法化されているのは1812さんもご理解されておられる通り病気等の肉体的苦痛から逃れ、人間の尊厳や苦しまずに生きる権利を守るための措置だ、と理解しています。だから経済困窮自死や願望達成自死といったことは彼の地においても認められていないものと了解します。

ところで「病気や希望の喪失などの理由はどうあれ自殺というきわめて人間的な行動を、否定する理由・・・」というのはどうやら主に我々(日本人)が何故そう思う(否定する)かということを問われているようですね?何故ならオランダでは病気の苦痛から逃れるための安楽死という自殺は人間の尊厳を守る行為として認められているのですから、国や人によってその点は考え方の違いがあるのは明白だからです。

私自身は自殺がどんな場合においても絶対にダメだ、とは実は思っていません。でも、人はどんな場合でも自殺してよい、とは私の(上記の)倫理観上全く思いません。
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この回答へのお礼

ひととおり皆さんの回答を呼んだ上で返答をしておりますが、自死を個人的に認める。という回答が多いですね。が、これを社会が認めれば社会構造が崩壊するので、「社会的には認められない」このような結論になりそうですね。

お礼日時:2002/02/04 10:55

 


  「自殺はしてはならないことだ」という命題は、普遍的には出てきません。倫理的にみてもそうだと思います。また、深層心理的な、あるいは、あなたが認識されていない次元での世界の存在構造から、そういう理由が由来する可能性がありますが、そのような世界観に立たないし、あなたが自己の責任で、その結果を引き受けると言うなら、自殺が不可ということはいえません(あなたが自殺するのでない、と断っているのは分かっていますが、この「あなた」は、この質問者以外の一般的なこういう問いで、死のうと考えている人に対する言葉としてください。その方が書きやすいのです)。
 
  ただ、
 
  >これを押し進め
  >経済困窮自死、
  >願望達成自死、
  >迷惑回避自死などを否定できるのでしょうか。(正常な精神状態において)
 
  これは否定すべきだと思います。目下の社会や人間の精神の進化段階においてはです。
 
  というか、「経済的に困窮し自殺」というのは、新聞ネタにならないぐらい現にあるのであり、自殺者がそれだから罰せられるという法律もないはずだからです。自殺未遂でも「自己殺人未遂」などはありません(何か法律で、禁止的なものがあるかも知れませんが、自殺未遂の人で、法律で罰せられたという話は聞きません。自殺未遂で、自殺試行の際、被害を出した場合は、本人か、関係者が被害の弁償をしなければならないのは言うまでもありません。例えば、列車に飛び込んで足が切れたが死ななかった場合でも、鉄道会社は被害を受け、その賠償は必要になります)。
 
  また「迷惑回避自殺」も「願望達成自殺」も、後者は珍しいようですが、前者は結構あります。これを禁止する法律はありません。
 
  社会の常識の枠で禁止されていると言うなら、社会の常識で禁止とされる行為に、法律罰則が定められてもよいはずですが、そうはなりません。例えば、普通の人が働いて得られる収入の10倍を、大した労働もせずに儲ける人は、一般の人の勤労意欲に反するので、罰則とかもありそうですが、そんなものはないでしょう。「個人の自由な意志の行動」は尊重せねばならないというのが、近代社会の原則です。
 
  自殺も同様に、近代社会では、それも本人の「意志選択なら認める」ということでしょう。「安楽死」が難しいのは、「本人の意志」かどうかが判断しにくいということがあります。また、病院に入院中に、鬱病などの自殺の危険性がある場合は別に、患者が自殺しても、医療機関は直ちにそれで責任を問われる訳ではありませんが、「安楽死」は、一種の自殺幇助とも、更に言えば、「殺人」にもなるのです。そういう可能性があります。だから難しいのです。
 
   「経済困窮自死」、「願望達成自死」、「迷惑回避自死」などを法律で認めると、別の理由から、「殺人」の偽装とされる危険性があります(また、他者が、色々な理由で、本人の意志に反して強制してくる可能性があります)。だから、現在では、そういうことは法的には決められないとうことです。決めなくても、実際に大勢が自殺している現状です。そういった人を助けることができないかとわたしなどは考えますが。
 
  「自殺という極めて人間的な行動」を否定する理由は、ぞれぞれの人の持つ世界観や人生観、倫理観や宗教観、死生観など色々あるでしょう。しかし、それはそれぞれの人の問題で、そういうことで、自分は「自殺は可である」と思う人なら、何も自殺は否定されないでしょう。他人が否定するから行動できないというのも理由かも知れませんが、それは、人間のどんな行動でも、そういうことはあるでしょう。会社の経営が苦しいので社員の首を切りたいが、なかなか難しいというのも、比喩が変ですがあるでしょう。
 
  個人の世界観・人生観・死生観の問題で、近代・現代社会では、「自殺の自由意志」は否定されていないというのが、答えです。(別に、自殺を勧めているのではありません。自己の責任で自己の生に終末を付けるのは、これも個人の意志決定の話だということです)。
 
  仏陀釈迦牟尼は、ある僧が、十分に教えの神髄は理解したので、涅槃に入りたいと申し出た時、これを許可したという話があります。自殺を許可したということです。
 
  これと関連して、「生」には何かの目的があるという死生観があるということを記します。生は、死を越えて続く何かである可能性があり、この場合、どうも、自然な死の方が、存在の連続において望ましいようだ、ということです。しかし、こういう風に考えるか否かも、個人の自由意志に任されます。
 
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この回答へのお礼

法的な立場から自死というのは否定されていない。確かにそのような解釈になりますね。「社会的に自由意志というのが認められているから、これに基づく自死も否定されえない」
自然な死という言葉だ出てきましたが、栄養チューブや点滴によって医療的に生かされているのは、自然とは言い難い。これは肉体的なものですが、反対に精神面においては、どうなのでしょう?肉体的な尊厳死は許されるとして、精神的な尊厳死は?

お礼日時:2002/02/04 10:48

 自殺は、自らを殺す、自己破壊であります。


 他人を殺すことと同じ、殺人です。
 武士社会では、不始末があった場合、自害して詫びに変えるということが、美徳とされていた頃もあります。
 しかし、本来は、何の解決もなしておりません。
 苦しいから、望みが無いから、もっと良い所へ行きたいから等と、自ら死を選ぶとは、刹那的発想ではないでしょうか。
 所詮は、現実逃避であり、諦めと退廃的生き方ということでしょう。
 こういう考え方をするということ自体、破壊的で自暴自棄な心ということになり、性格が非常に攻撃的で捻くれている、ある面で、責任転嫁ともなり、他者への反発・反抗・批判でしょ。
 如何ですか?
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この回答へのお礼

現実逃避はこれを反対する。ということであれば、登校拒否や経済難民なども現実から逃れるための手段となります。
言われるように、殺人と自死は表裏の関係でありますが、殺人は法的以前に
相手の人権を完全に拒否し、相手の賛同を得た行動ではありません。対して自死は自己完結の結果であるといえるでしょう。社会や苦痛からの逃避と言う点では、全く合理的な手段であるのです。他人がどう言うにせよ、それが一つの解決である事には代わりありません。
自死の中でもオランダに代表される尊厳死は「破壊的で攻撃的でねじくれている」
とは思えません。
 お答えは、私の質問をなぞったものになっており、一般論をまとめたものです。
ここから一歩踏み込んだ回答を望みます。

お礼日時:2002/02/04 10:36

単純に、私は自殺はありだと考えています。


別に自殺が止められないものだからという訳ではなく、それも一つの生きる権利でしょうから。
逆に人間的だから自殺を否定しているのではないでしょうか。
自然的じゃありませんから。
そしてやはり根底に宗教があるからでしょうね。
日本は無教徒が多いといわれてもやはり根底には仏教やなにがしかの宗教がどこかしかにある訳ですから。
例えば、輪廻であったり転生であったり、逆にちゃんとした宗教を持っていないからこそ、より多くな宗教に影響されているのかもしれませんね。
「死」になにがしかの救いを求めて死ぬのでしょうが、自殺者が「死」をどう捉えているかですよね。
ネット上のどこかで自殺者の遺書が公開されていましたが…かなり考えた末だったとはいえ、
結局イジメであればその教室や学校といった限られた場所で起こっていることです。
それ以外の場所へ移れば、解決されるわけですし、これからの未来がある身ですよね。
そういう人達の自殺は容認できません。
逆に未来無い人は…となった場合、私より年が上になった人が対象ですが、
そういった人の感情は分りませんので、自殺を否定することはできません。
ただ、心的要因で無い場合は、自殺する必要はないと考えます。
今自殺しなくても、生きられるはずですし。

私が死なない理由(といっては変ですが(笑))は、日々学ぶことがあるからです。
新しい発見であったり、新しい感動を覚えています。
私がもし自殺をしようと考えるなら…植物人間になった時ではないでしょうか。
治る見込みも無く、自らの意思で行動できない状態…私は死を望みます。

それ以外で死を選ぶ理由はありません。
学生の頃に自殺を考えなかったわけではありませんが、
この年(24)になると、あの時の自殺をしようとした理由はかなり小さなものです。
それは心が豊かになったからなのか、逆に狭くなってしまったのか分りませんが、
現在の私は当時の私とは物の受け取り方や、感情の表し方も違います。
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この回答へのお礼

おっしゃられるように未経験の頃の悩みは経験を積むと小さなものになってしまう。それは確かにそうですね。人生とはその中に日々学び喜びを見つけていれば、自死する必要もないでしょう。多くの人はたくましく、アフガニスタンのような場所でも、生きています。
 が、生について執着の無い人もいます。生きる力というか、社会が貧困であれば、この生への力が大きく、豊かになれば力が薄弱になる感じがします。
自死と殺人は同じ攻撃性の表裏ですが、貧困なところでは生きるために殺人を犯すのに対し、豊かなところでは、意味のない殺人を犯す。

すいませんお礼になっていませんですね。

お礼日時:2002/02/04 10:23

1812様。


●自殺未遂をして法的に罰されることはありませんから、自殺(もしくは自殺未遂)をしたからといって、社会的に抹殺されることもありません。
たとえば、日本には死刑制度があり、それが犯罪の抑止となっていると見ることができます(とはいえ、凶悪犯罪は絶えませんが)。でも、自殺に対する抑止制度はありません。自殺したい人は、いつでもだれでもできる状態です。1812様の疑問は、「それなのに、なんで自殺には悪いイメージがあるのか」ということですよね。「冷静な判断の上に、誰にも迷惑をかけない方法で、自分にとって最もよいこととして自殺を選んだ場合」。それを非難する人がいるとしたら、その理由を知りたいということですよね。
●一つ言えるのは、自殺を他人が否定するのは、自殺した人の気持ちが、誰にも分からないからということです。自殺者がどういうプロセスを経て自殺という結論を出したのか。それは本人にしかわかりません。だから、他人は、「自殺しなくても、他に方法があったんじゃないか」と考えてしまうのです。
●または、「自殺するのが最もよい状態」…人生には、そんな状態がありえるということを、認めるのが怖い人。きっとそんな人が、自殺を否定するのでしょう。多くの人は、「自殺するしか他に方法がなかった」という状況を認めたくないのだと思います。だから、「あの人は、自殺するのが幸せだった」そんなことを、死者に向かって、言うことはできないのです。また、そのようなことを口に出してしまったら、自分の人生がこわくなってしまうのかもしれません。
●人間が他の動物と違うのは、自殺できるところ。それはその通りです。だからこそ、自殺を肯定することができないとも言えます。たとえば、子供は、ささいなことでパニックになったり、絶望したりすることがあります。その時、もしまわりの社会が自殺を肯定するようなものであったら、子供の自殺が絶えなくなってしまいます。
●自殺しても、よいのです。でも、「なにも自殺しなくてもいいのに」と言う人が消えることはないでしょう。
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この回答へのお礼

その行為を良い悪いの二元論で答えるならば、「悪くはない」という消極的ながら肯定ということになりますか。
確かに死んだ当人にそこまでの判断した過程を聞くことはできず、「自死するのがよい状態」を認めるのがこわい・・・「死への恐怖がある」人は多いと思います。
なるほど。

お礼日時:2002/02/04 10:11

自殺をする人の理由やその背景はいろいろありますね。

でも、自殺された人が周りに迷惑をかけないで自殺を完遂できるでしょうか?多くはその場所の関係者や隣人にもかなりの迷惑や悪影響を及ぼしているケースがあるよーです。電車に飛び込んで自殺したら何の関係のない乗客にも迷惑がかかるし、ホテルで自殺とかでも当然従業員や宿泊客だってかなりの迷惑でしょう。又、青木ヶ原とかの樹海に入っていって自殺というのだって結局捜索する必要があったりとか、とにかくかなりの迷惑でしょう。完全に世界中の誰にも迷惑をかけないという自殺方法があるとは思えませんから、やっぱり自殺はよくないのではないでしょうか。僕は電車に乗っている時に巻き込まれたことがありますが亡くなった方は気の毒だと思いますが、それでも腹立たしい気持ちになった部分もありました。もちろん、迷惑をかけなければイイというつもりもありませんが、自殺をするというのは人間的行動とは思えません。自分の意志で、、という考え方もちょっと身勝手では?でも、どっちが という答えにはなっていませんね。
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この回答へのお礼

周囲の迷惑は生きている人間であってもかけています。自然死出会っても迷惑はかかります。わたしは、そのような生活的な事ではなく、自死の意味そのものを
考えています。
roocさんの回答では、極力周囲へ迷惑をかけない律儀な方法を考えれば、良い事になります。

お礼日時:2002/02/04 09:48

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