痔になりやすい生活習慣とは?

昔読んだ考古学の本では、弥生時代の遺跡からは馬の骨は発見されていないとありました。
魏志倭人伝にも牛馬はなしという記述があります。
ところが下のサイトには、縄文時代からの在来種がかなりの種類いたとあります。((6)日本の在来馬)
http://ojizoo.jp/habataki/200250-05.html

弥生時代に馬がいたという証拠が見つかっているからだと思いますが、どこの遺跡でしょうか?
また、牛についてはどうでしょう。
農耕用には馬よりも牛のほうが便利なのですが。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

興味があるので調べました。


増田精一氏著『日本馬事文化の源流』(芙蓉書房出版・2006年初版)にかなり詳細な解説があります。

「名古屋市熱田貝塚、神奈川県平塚豊田本郷遺跡からは確実な弥生時代の馬骨が出土、それぞれに刻線を施している」

「縄文時代遺跡より四川馬系の小型馬の馬歯、馬骨が出土するが・・・」

他にも数例あります。

また、「放射性炭素年代測定の結果、出水貝塚出土の馬骨は歴史時代のものとの見解が発表されている。(略)こうした事情も十分考えられるが、縄文、弥生時代に馬の飼育が全くなかったとすることはできない」との記述もあります。
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#3です。

回答に誤りがありました。
『日本馬事文化の源流』の初版発行年月は、1996年9月(2006年は誤り)です。真に申し訳ありません。

その後、次の資料を見つけました。
http://www.haniwakan.com/kenkyu/kanpou/006.html

やはり、縄文時代に馬はいたと思います。

参考URL:http://www.haniwakan.com/kenkyu/kanpou/006.html
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佐原眞「騎馬民族は来なかった」、NHK出版 (1993) には、弥生時代には馬はいなかった、と書いてあります。


馬が弥生時代の遺跡から発掘されることもありますが、フッ素分析の結果から後代のものだろうとします。なぜ、遺跡から発掘されるかですが、後世に死んだ馬を捨てるために穴を掘って埋めたのではないかと言います。
もっとも、フッ素分析を信用しない考古学者も多く、また発掘したのが大先生だとなかなか違いますとは言えないようです。
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↓こんなの見つけました。


馬はいつどこから日本にやってきたか?
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/uma-7_3 …
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Q日本の古代の牛について。

Wikipedia「ウシ」歴史の項には、
「紀元前400年ごろの弥生時代の遺跡からウシの骨が出土しており、これが2012年現在日本で発見されたもっとも古いウシの出土である。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。」と記述されています。

どんなウシか、どこの遺跡か、知りたいのですが、検索しても見つかりません。
ご存知の方教えて下さい。

また、“中国大陸から持ち込まれた”と言うよりは、古代の大多数の牛は、朝鮮半島から持ち込まれたのではないでしょうか。
“中国大陸から”と聞けば、中国から海を越えて直接日本へ来た感じがします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「牛の博物館」でこんなふうに説明しています。
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/02_tenzi/tenii1-08.html
なお、家畜としての牛でなければ、もっと以前にウシに属する動物かいたようです。
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/02_tenzi/tenii1-03.html

このような説明もされています。
http://liaj.lin.gr.jp/japanese/liajnews/liaj10909.pdf
原牛が家畜牛の祖先種ではあるが、わが国で飼われてきた在来和牛は、日本にいた原牛から家畜化されたという証拠はない。家畜牛の起源は、西アジア地域に生息していた原牛が9、000年前頃に馴化され、それが家畜の牛となって、数千年の時を経て文化の伝播と共に日本へやって来た。これが日本の家畜牛の始まりとなったのである。
わが国で最も占いとされる家畜牛の証拠を示すのは、東京都港区で兄つかった弥生時代中期の伊皿子遺跡の牛骨出土例があるが、家畜牛が本格的に持ち込まれたのは古墳時代以降とされている。岩于・のオーロックスは直接わが国の在来牛と関係はないが、いずれにしてもハナイズミモリウシと共に、旧石器人の狩猟の対象とされ、また生息地の環境の変化などが原囚で絶滅したと考えられる。
 
「原ノ辻遺跡より日本最古の牛骨が出土し」のような説明や、「日本最古の牛遺跡、 大浜、日本古代牛骨碑」も、あちらこちらにありますが、観光目的や孫引きで出所不明の諸説であてにはならないようです。(発見した!と思って報告したり、それを信じた人がいたのは間違いはないのでしょうが)

http://kaken.nii.ac.jp/d/p/01490018/1990/6/ja.ja.html
研究概要
わが国の牛,馬の渡来時期とその経路を明らかにするために、遺跡から出土した牛,馬に関わる遺物を全国的に調査し、さらに牛,馬の出土骨、歯を肉眼的、計測学的に検索し、在来牛や在来馬のものと比較を行い、以下の結果を得た。
1.牛,馬の骨や歯の出土調査は、各都道府県からの報告や文献ならびに現地調査によって行ったが、牛の出土は、全国で213カ所でみられ九州、関東が多く、馬は475カ所からの出土で、やはり関東が多い。また、時代別では、馬と共に中世が最も多く、ついで平安、古墳、奈良の順である。弥生以前のものも報告されているが、現在のところ東京都伊血子貝塚(弥生中期)の牛頭蓋骨が最も古く、確実な出土例である。
2.出土骨の形態は、牛では在来牛である見島牛を口之島牛のものに似ており、また、馬では御崎馬やトカラ馬に類似し、推定体高は128cm前後で、中型馬に属するものが多いが、小型馬も含まれている。
3.馬具の出土状況は、古墳時代を中心に調査したが、全国で1265カ所の遺跡から出土しており、地域別では九州の368カ所が最も多く、ついで関東、近畿、中国の順である。また、馬具は時期的には4~5世期初頭に古墳の副葬品として出現し、5世紀代に分布が広がり、7世紀には古墳の減少と共に、その出土数も激減する。
4.埴輪馬の出土は、全国で297カ所にみられるが、関東が圧倒的に多く、170カ所を占め、ついで近畿、九州であり、5世紀末頃から出現し、造形的に最も充実したのは6世紀である。祭祀に用いられたとみられる土馬は、奈良、平安時代に最も多く、全国589カ所のうち、328カ所が近畿地方で、特に平城京、平安京など古都に多い。
以上の調査研究から、わが国の牛、馬は、弥生以降に朝鮮半島を経由して渡来し、当時の人々に飼養させていたことが示唆された。
 
原の辻遺跡の報告にもそれらしいものはないです。
http://inoues.net/harunotuji/harunotuji.html
http://inoues.net/harunotuji/harunotuji2.html
http://inoues.net/harunotuji/harunotuji3.html
(上の一連のサイトは、とても詳しくて、自分で現地に行けない場合にとても参考になります)
http://www.iki-haku.jp/exhibit/index.html

「牛の博物館」でこんなふうに説明しています。
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/02_tenzi/tenii1-08.html
なお、家畜としての牛でなければ、もっと以前にウシに属する動物かいたようです。
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/02_tenzi/tenii1-03.html

このような説明もされています。
http://liaj.lin.gr.jp/japanese/liajnews/liaj10909.pdf
原牛が家畜牛の祖先種ではあるが、わが国で飼われてきた在来和牛は、日本にいた原牛から家畜化されたという証拠はない。家畜牛の起源は、西アジア地域に生息していた...続きを読む


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