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ゴート族がスペインやイタリアに及ぼした目に見える具体的な影響はどういったことですか?具体的なartifactか歴史上の事件を指摘してください。

A 回答 (3件)

イベリア半島の西ゴート王国について。



西ゴート族はスペインに本格的に侵入する前にフランス南部で既にローマ文化に馴染んでいたようです。従って半島侵略後に言語、習慣、宗教もローマ化され、独自の言語もイスラム教徒が半島を侵略し(711年)西ゴート王国が崩壊した頃には既に話されてなかったようです。

西ゴート族の半島支配は300年未満でその後のイスラム教徒の約800年の支配の影響に較べれば、生活習慣、建築物、灌漑、土木、文学などに見るべきものはありません。勿論300年も支配したのでそれなりの影響は残しています。(例。裁判法典)言語でも地名、人名、単語に痕跡は見られるものの専門的になるほど少ないといわれます。

歴史的事実
1.ローマの支配制度(イベリア半島を3つの属州に
分割)を捨て半島を統一国家として支配した。
2.711年イスラム教徒の侵略の前に王国は崩壊したが貴族の一部が半島西北部の辺境に逃れ、小さな王国を興した。彼らがやがてレコンキスタ(国土回復戦)を興し800年後に半島を回復した。

このように西ゴート王国は700年間に及んだローマ支配と800年間に及んだイスラム教徒支配の間にわずか300年間続いたローマ文化とカトリックを受け入れた2-3%の西ゴート族とその10%にも満たない貴族階級がきずいた王国なので文化の影響が少ないわけです。
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東ゴート族が、イタリアに及ぼした影響と言いましても、東ゴート王国が、イタリアを支配していたのは、50年くらいですから、決定的な影響は与えていないでしょう。



西ゴートに関しても、西ゴート族が現在のスペインに与えた影響は、大きいものではありませんが、現在のスペイン人に、ヨーロッパの一員であるとの認識を与え、後のレコンキスタの原動力となつています。

西ゴート王国が滅ぼされた後、カンンタブリア山脈内の辺境に成立した、アストゥリアル王国は、西ゴート王国の継承を謳っており、そのアストゥリアル王国が、レオン王国、カスティジャ王国、スペイン王国へとつながります。

中世のスペイン人(まだスペインという国は無かったが)にとって、西ゴートの末裔を主張する事で、ヨーロッパとの結びつきを強め、ピレネーから先はアフリカではなく、イベリアの地もヨーロッパであるとができたのだと思います。
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artifactや歴史上の事件ではないですが、


現代にそれぞれの国に使われている言葉が主な影響結果では?

スペイン・イタリア・フランス・ポルトガルといった国は、ドイツ・
イギリスといった国々と同じようにゲルマン人の侵入を受けたのに
英語系ではなく、ラテン語を母体とした言葉です。
これは、東西ゴート族がこれらの地を支配した際、ローマ文化・体制を
保護した名残だそうです。
でも、こんなことは質問者さんには基本的なことかも・・。
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