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働くために遊ぶのですか?
遊ぶために働くのですか?

某掲示板で職業がランクづけされています。これは、「働く」ことを基本とした考え方だと思います。なぜなら、「遊び」を基本とするならば、どのような職業も関係ないからだと思うからです。

何が「遊び」になるのかは、曖昧なので「遊び」の考察もよろしければお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

こんにちは。


わたしは遊ぶのも働くのも、自分におもしろいことを選ぶように
心がけています。
わたしの遊びと仕事のボーダーラインは、「報酬」でしょうか。
あとは、仕事なら「納期やノルマ」が存在することくらいでしょうか。

遊びだって自分の感情や教養を豊かにしてくれたり、人脈を広げて
くれたりして、まわりまわって仕事にプラスになってくれるものと思います。
仕事のように遊び、遊ぶように仕事するなんて形で生きていたいなあ…。
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この回答へのお礼

mimosa2001さん、ありがとうございます。

仕事に対して、何らかの負荷はないのでしょうか。
遊びにも負荷はあると思いますか。

お礼日時:2002/02/26 21:38

遊びの定義は私の場合、「えり好みが出来るシチュエーション」にいることかな。

人にしても場所にしても。仕事はどうしても我慢しないと行けない場面がでてくる。ので、遊びに行く・・となると思いっきり自己中心的になって、好きな人だけの中で、好きな場所に遊びに行く、と言う感じ。

仕事と遊びの関係は・・・療法がバランス取り合っていると言う感じでしょうか。どちらがどちらの為というわけじゃなく。忙しいときに限って精力的に遊びに行くし、逆に仕事が暇で時間があっても遊ぶ気にならないんですよね・・・。そういうときは、暇な時間は何にもせずにボーッとしてる(笑)。どっちもお互いのカンフル剤になってるのかナァと思います。はい。
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この回答へのお礼

tweetieさん、ありがとうございます。

かもめのジョナサンを思い出します。
「満足について」http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=215081
(No.16以降参照)

お礼日時:2002/02/26 21:51

本来「仕事」ってやりたくないことだと思うんですよ。


だって、多くの人が「やりたくない」と思うような、
「危険な仕事」や「汚い仕事」は、たくさん給料がもらえるじゃないですか。
(芸能人やスポーツ選手で、その人以外には出来ないという
「希少価値」という意味で、高給な場合もありますけど)
ということは、
「お金がもらえる」という時点で、基本的にはやりたくないことなんだと思います。
逆を言うと「お金もらえないけどやる」というような仕事は、
まずめったにないと思います。
とすると、仕事は、出来るならしたくないわけです。
そうしたら、仕事と遊びで、
仕事が基準となることはありえないのではないでしょうか。
つまり、「遊ぶために働く」だと思います。

この回答への補足

すみません。
↓「仕事のために遊ぶ」です。

補足日時:2002/02/26 22:07
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この回答へのお礼

tomikou0000さん、ありがとうございます。

そして、仕事のために働く…
ループですね。

tomikou0000さんは、どちらの方が大切だと思いますか?

お礼日時:2002/02/26 22:07

遊ぶために働くという定義は外国人がよく口にすることでしょう、恐らく。

何の為に働くかって最も基本的な考えは食べていくためでしょう。例えばあなたが働いている状況を想像して下さい。あなたにはなにか特別な趣味や特技みたいなものがあってその為に働いていますか?恐らくほとんどの人が労働は労働、遊びは遊びと割り切って生きているのだと思います。そこに所詮仕事は仕事いう所詮という言葉が付随すれば労働と遊びは点と線でつながるでしょう。日本という国からはこの所詮という観念がなかなか見えてきにくいもので、ゆとりがある人なら別ですが、そうでない人はその場を一生懸命働いてるはずです。それは素晴らしいことでもあると思いますし、所詮と自分の中で割り切ってしまえればまあその人にもよると思いますが 自分の労働という一つのカテゴリ-の中に隙間ができて遊びのことを考える余裕もできてくると思います。そこで自分は遊びのために働いているんだと考えるかどうかはその人の精神的な部分が問われてくるわけで一概に余裕のある人達がそうだとは正直言えないと思います。
 遊びに関しては色々あると思います。お金をかけてそこに自分がストレスを感じずなにもかもその瞬間だけは忘れて快楽があればそれはその人の中では遊びにはいるかもしれません。もし遊びというものが知りたければ子供に聞いてみてはどうでしょうか?これはふざけているのではなく
子供は遊びに関しては精神的な部分ではプロだと思います。あの頃に一瞬だけでも戻って楽しめれば人生もっと面白く生きがいもできると思います。そのために年齢とともに忘れ去られたあの古き頃の経験を思い出すべく子供に接触して、その次に自分にとってそれは何なのか考えてみてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

007yamiさん、ありがとうございます。

>恐らくほとんどの人が労働は労働、遊びは遊びと割り切って
生きているのだと思います。

について。では、何のために、遊ぶのですか。子供とは何を子供
とするのですか。

お礼日時:2002/02/27 06:15

●遊びと仕事(働く)を区別するとしたら。



 社会活動であるかどうかに まず着目します。
 社会活動であるならば仕事です。

 次に「ゆらぎ」に着目します。ゆらぎとは自然の摂理のひとつで
 人間の行動もゆらぎのあることを「快」とします。
 ゆらぎのある活動は遊びです。仕事にはゆらぎがない場合が多いです。

 それでも 仕事を遊びでできる人もおります。
 遊びを仕事にしてしまう人もおります。
 ゆらぎのない活動はスポーツだったり趣味だったりします。
 もちろん仕事と趣味の中間の活動も存在します。例えばボランティアなどです。

 働くために遊ぶのですか?遊ぶために働くのですか?
 それは 人それぞれでしょう・・・。
 わたしは 人生すべて遊びになるようにコントロールしています。
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この回答へのお礼

chihokoさん、ありがとうございます。

>人間の行動もゆらぎのあることを「快」とします。
なぜ、「快」とできるのですか。

お礼日時:2002/02/27 19:02

私は、働くために遊び、遊ぶために働いてます。


働くばっかりだときついし、遊ぶばっかりもきついです。
ぷう太郎生活をしてる時に思ったんだけど、毎日休みが続くと、何にもすることながくなるんです。遊ぶことを探すのが大変。毎日同じような日が続きます。お金をもらっても、たぶん、そのうち退屈します。できないことを夢見たり、前々からやりたいと思っていたことができる、達成感とか満足感って、満たされない気持ちからのスタートだと思います。仕事も遊びも、自分の存在価値や生きがいみたいなものを探す手段かなあ。どっちを基本に置いても、求めるものは「満足感」とか「充実感」だと思います。

仕事にやりがいやおもしろさを求めるのは、「せっかくやるんなら」という気持ちがあるんじゃないのかなあと思います。仕事って毎日のことだし。
毎日のことと言えば、たとえば食事。食欲だけを満たすためなら、食べられるものならなんだっていいんだろうけど、人はたいてい「おいしいもの」を食べたがります。「おいしいもの」の基準は人それぞれだと思うし、それでも他の人がおいしいと思うものを聞いてみたくなると思います。「働くこと」も同じかなあと思います。

「遊び」って、「本気」があるから「遊び」なんじゃないかなあ。
私の友達にソムリエがいます。お酒が好きだそうで、好きなことで仕事できてるからいいなあなんて思うけど、それなりに苦労があるそうです。彼は、遊びでのお酒と仕事でのお酒って、気持ちが違うそうです。当たり前だと思われるかもしれないことだけど、仕事と遊びってそういうものなんじゃないかなあと思います。相反する二つがあって、意味があるものなのかも。
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この回答へのお礼

usapさん、ありがとうございます。

仕事に対する負荷が強い場合はどうなると思いますか。
遊びを補完するために働けるとは思いますか。

お礼日時:2002/02/27 06:24

働くために遊ぶのですか?  そうじゃない。


遊ぶために働くのですか?  そうじゃない。
働く時は働く 何故なら 働く時というのは すでに働いている時
遊ぶ時は遊ぶ 何故なら 遊ぶ時というのは すでに遊んでいる時
 
「今はねる時間でしょ!」
「なんでママ。僕は起きてるよ?」
 
この問いは、この母親のような言動です。 
遊びもかえ難く、労働もかえ難い。
畑に行く時は畑に行く。学校に来る時は学校に来る。
では、
行って来ている時とは何時の事でしょう。
このアドバイスにお礼はいりません。

「ねぇ、学校に来てよ。」「え?おれが行くん?」「違うよ、君が来るの。」
「え?だから俺が行くんだろ?」「いいから早く来て!」 
「わかったよわかった。行くよ行くよ。」「ゼンゼンわかってない!」
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

あいかわらず要点を得ていない回答だと思います。私の主観ですが、質問を取り違えているようにも思えます。

お礼日時:2002/02/27 06:32

御礼を見て、なんか伝わっていないようなので、また来ました。



>仕事が基準となることはありえないのではないでしょうか。
と書いたのは、
「仕事のために遊ぶはありえない」という意味です。
だから、
>どちらの方が大切だと思いますか?
なんて質問は、無意味です。100%遊びですから。

また書きますが、
「仕事は本来やりたくないこと」だと思います。
収入が無いと生きていけないから、仕方なくしているだけです。
生まれながらに大富豪かなにかで、有り余る財産があれば、
仕事する意味は無いですから。

「働く」という行為自体は、本来、意味は無いと思います。
収入を得るための単なる「手段」です。
たとえば、
「受験勉強」は試験に合格するためにするのですよね。
だから、合格したらもうやりませんね。
それはつまり、合格するための「手段」なわけです。
「受験勉強」自体が目的なら、合格しようがしまいが関係無くするはずですから。
仕事だって同じです。
ただ、
生きていくために、目的である「収入」を途絶えさせるわけには行きません。
だから、止めるわけにはいかないんです。それだけのことです。

何度も書きますが、基準は「遊び」です。
しかし、ただ遊んでいるだけでは収入が無いから生きていけません。
だから、働くんです。仕方なく働くんです。

カテゴリー「哲学」なので、哲学的に考えるとこういうことになります。

現実的に自分自信の場合を考えてみても、やっぱり「遊び」の方が大切です。
「仕事のために遊ぶ」なんて、正直、意味がわかりません。
確かに、
下の方々が書かれているように、ずっと遊んでいるだけはつらいかもしれません。
でもそれは、現実的にいつまでも遊んでいられない、というような思いが、
根底にあるからなんだと思いますよ。
このままでは、いつかお金が尽きるとか、世間体がよくない、とか。
そういう事が無くて、
ホントにまったく、一生働かなくて良い、となれば、
一生を通じた遊びを計画できると思うんですよ。
だから、本来は「遊びがつらい」なんてないはずです。

改めて辞書を引いてみたところ、
遊びとは「楽しみですること」と出ていました。
とすると、つらくなった時点で「遊び」では無くなっているのではないですかね。
逆に、一般的にいうところの「仕事」でも、
その行為自体が楽しみであれば、収入のある「遊び」になるのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

tomikou0000さん、ありがとうございます。

>「仕事のために遊ぶはありえない」という意味です。
仕事は嫌なものを前提として、回答してらっしゃいますが、仕事の中にも楽しさ
(遊びの要素)が入っているのではないでしょうか。

「遊ぶ」というのは、簡単に定義できるものではないと思います。回答を聞いてい
る限りでは労働の対極として捉えておられるし、ストレスのかからないものだと
捉えているようにも思えます。

お礼日時:2002/02/27 18:44

何の為に遊ぶって、人はいちいちそんなこと考えて遊んだりはしないでしょう。

ただ遊びというものが自分にとって何なのかということではないのでしょうか。はっきり言って何のために遊ぶかこれは一人一人、状況や生きてる環境も違うから一概にこうだとは言えないと思います。あなたはどうなんですか?何故遊ぶのですか?それが快楽だけを求めてそうしているのならそれがあなたの答えでしょう。
こういう類の質問はこうだとは言えないと思います。一人一人自分の中に哲学というものが年と共にできてきますからね。 それと言い方は悪いかもしれませんが子供は原始人だと思います。彼らはお金の使いかた、学力、精神的な成熟度、様々な意味で未熟です。わたし達大人は遊びの方法や金の使いかたは彼らより熟知しています。反面、一番の原点つまり快楽を見出しにくくなっているのではないでしょうか。これも人にもよると思いますが。何の為に遊ぶのかというあなたの質問もこの原点に返ればきっとなにかがみえてくると思います。
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この回答へのお礼

007yamiさん、ありがとうございます。

ここでは、哲学しているつもりです。答えは無数にあるかもしれませんが、私に
回答を求めるという行為は、場違いのようにも思えます。
なぜなら、私は答えを出せないから、ここで質問しているからです。みなさんの
回答によって、解を出そうとしているため、序盤から解を求めて欲しくないと思います。
もう一つ加えておきたいことは、根本を問いたいため質問した限りです。
ヘーゲルやニーチェなどの思想家から解をだすのも手段ですが、私は読書家では
ございませんので、いつも自論として回答しています。
(自論でも著名な思想家と考えがだぶる点もあるため、自論でもよいと思っています。)
ところで、方法論は要りませんので、あなたの考えはどのようなものでしょうか。

お礼日時:2002/02/27 18:57

>仕事に対する負荷が強い場合はどうなると思いますか。


>遊びを補完するために働けるとは思いますか。

私なら・・・ですが、仕事におもしろさをみつけないとやってられないんですよね。おもしろくないなあ、やりたくないなあと思いながら、仕事を続けるのは苦痛です。たとえば、仕事に関する知識を増やしたり、要領良く仕事をこなせるようになる自分がうれしかったり、そういうことって、軽い気持ちでの生き抜き風の遊びでは、なかなかないことだったりします。趣味を極めようとすると資金が必要なことが多いんだけど、仕事の場合は、会社がお金を出してくれるというのはとってもうれしいですね。私は以前ドコモショップで働いていました。その頃は、仕事上の知識としてのモバイルやITと、趣味の領域でのそれは違っていたけど、私にとってはたいへん興味のあることで、趣味と仕事を兼ねていた時期もありました。この時私が感じたのは、好きなことを仕事にしてしまう辛さですね。好きなことを嫌いになりそうなことが、仕事上ではありえるわけで。そうだなあ、遊びって、自分がやめたいと思えばやめられるという自由があることなのかもしれませんね。

仕事で得た何かについて、仕事で必要なこと以上に、自分で追求することは、趣味というか遊びの一環になります。もちろん、趣味を極めようとした場合、趣味という遊びに重点が置かれるわけですが。おそらく、趣味でもある程度極めたり、行き詰まった時に、「もういいかな」と思ったりすることがあると思います。これを乗り越えようとするのは、自由なだけに、仕事の壁を乗り越えるのよりも難しいのかもしれませんね。

時には仕事のおもしろさが、遊ぶ以上に楽しく感じることもあります。充実感や達成感が満足につながるというか。そういう場合、遊べるはずのOFFというか休日は、寝たりボーっとしたり、疲れを取るための休息に当てられることが多くなります。週末に遊びすぎて体が疲れた場合は、仕事に影響しますが、仕事中にきつい思いをしても週末はめいっぱい遊びたいと思う人は、それなりの気合があるんだろうと思いますよ。私はもう年なので、若い頃のように、時間をめいっぱい使おうとすることはないのですが。

アルバイトなどでは、遊ぶお金や、夢とか何かの資金のためだけに働く人もいます。それでも、多くの人は、その仕事なりのおもしろさを見つけていたような気がします。おもしろさを見つけられない場合は、どうしたらラクにやれるかってことを考えていそうだなあ。それが難しい人は、辞めていくことが多かったですね。余程強い意志がない限り、いやなことを「いやだ」と感じながら続けることは難しいだろうと思います。それに、いやだいやだと思っていると、仕事は全然うまくならないし、上司や同僚にも良く思われないし、その環境を気にせずに仕事を毎日続けられるくらい割り切れることは、私から見ればすごいなあと思うことです。

残業が多すぎて、プライベートの時間がうまく取れない場合も、仕事に対して誇りを持っているとか、将来の夢を持っているとか、大切な何かを守るためとか、そういう目的がないと、難しいのかも。時には惰性もありだと思います。人は弱いから。遊びでも仕事でも、自己管理することって難しいですよね。

仕事で遊びを補完する、という意味で回答を書いたつもりなんですが、ずれていたらごめんなさい。あーなんかえらそうなことを書いてしまっていますが、私も仕事と遊びについては考えているところです。参考までに。
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