コスタリカではなぜ軍を廃止できたのでしょうか?

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A 回答 (2件)

コスタリカに住んだことがあります。

コスタリカは日本のテレビによく登場しますが、いつも国立自然公園とかジュラシック・パークのヒントを得たという離島などで、コスタリカ人や政治形態についての紹介は一度もなかったのではないかと思います。

2月28日付け朝日新聞朝刊でコスタリカの非武装政策を中心にコスタリカの紹介記事が出ています。この記事を見た上での質問でしょうか?

コスタリカは小さな山国で人々は少し閉鎖的ですが平和を愛する永世中立国です。
スイスも有名な中立国ですが、違いはスイスは武装した中立宣言国で国連に加入していません。コスタリカは非武装で国連に加入しています。コスタリカの中立は国連と米州機構で守られているといえるでしょう。

独立以来、大きな政変など経験していなかったコスタリカに1948年内乱が勃発しました。内乱に勝った政権が1949年憲法を制定し軍隊放棄を行いました。当時の人口は100万ぐらいだったと思いますが、内乱は小国にとって命取りであり、国の発展のためには二度と国民同士が戦ってはならないということで軍隊を廃止し、教育へ投資をしたわけです。その時以来コスタリカの自慢は警官の数より教員の数が多い国
ということです。軍隊を廃止したのは日本のように外国と戦争をした結果ではなく、世界レベルから見れば小さな内乱の結果です。中立宣言は隣国ニカラグアに革命政権が誕生し、国内世論が防衛のための武力保持派と非武装論者に分かれたとき、時のルイス・アルベルト・モンヘ大統領が非武装と紛争不介入を国民に再確認するため「永世中立宣言」を行いました(1983年1月)同年11月17日対外的にも発表して今日に至っています。

コスタリカの例は日本にも大いに参考になり、これまでも心ある人々が何回か軍隊がなくても国は守れるとコスタリカの例を紹介しています。しかし、中米の小国の例など参考にならんというのがこれまでの反応で、昨日の朝日の記事は時の流れ(時代の変化)を感じさせる記事でした。

参考URL:http://www.costarica.co.jp/
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この回答へのお礼

>2月28日付け朝日新聞朝刊でコスタリカの非武装政策を中心にコスタリカの紹介記事が出ています。この記事を見た上での質問でしょうか?

そうです。
以前から、その事実そのものは知っていましたが、
どういう成り行きで廃止してしまったのか、それが知りたかったのです。
日本とは違う経緯と同じような結果というわけですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/08 02:03

コスタリカには軍隊はありませんが、軍事力というか防衛力は廃止していません。

日本の自衛隊をちっちゃくしたような、警備隊があります。この警備隊が国境を守っているわけです。

で、コスタリカは親米政策を推進しているので、なんかありゃアメリカが助けてくれるわけです。(テキサス空軍基地やフロリダ基地からも近いし。)

この辺少々、日本と似ていますよね?

それと周辺諸国にそれほど脅威となる国がありません。
わざわざ近くの大国アメリカを敵に回してまで、コスタリカを占領しようと考える国が無いのではないでしょうか?

実際完全非武装までできる国って存在しないのではないかと思います。
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Qコスタリカ共和国憲法の条文が見たい!

 私は今、大学生で、今度、ディベート大会があり、その資料集めをしています。それで、ディベートのテーマが、“日本は、日本国憲法第9条を改正すべきか”なのですが、現在、コスタリカの非武装体制についてを材料として使おうかとおもっています。

 ですが、肝心のコスタリカの平和主義を主張する憲法の条文がはっきりと載っているものをみつかりせん。そのため、コスタリカに対して肯定的な考え方をしようと、否定的な考え方をしようと、コスタリカがその非武装の体制をとっている、ということ自体を証明できない状態です。それで大変困っています。
 なので、コスタリカ共和国憲法全文の日本語訳、又は、せめてコスタリカ共和国憲法の非武装主張をしている条文(たぶん第12条)の日本語訳を教えていただけないでしょうか? ホームページでも構いませんし、どなたか語学が堪能な方は、訳していただけると本っっっっ当にうれしいです。

 また、コスタリカの非武装についての意見がありましたら、述べていただく、というのも、とてもうれしいです。

 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 一部の日本人が持ち上げる「理想の平和国家」って、二昔前はスイス、一昔前はスウェーデンでしたが、最近はコスタリカのようですね。

 でも参考URLが現実です。

 「コスタリカ=非武装中立=素敵♪」という論法で臨むと玉砕の危険が大です。

参考URL:http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/sindou.html

Q北朝鮮軍(+中国軍)vs韓国軍(+日本軍、米国援助)ではどっち勝つか?

北朝鮮軍(+中国軍)vs韓国軍(+日本軍、米国援助)ではどっち勝つでしょう?

中国は、物資や武器、資金の提供、軍事力の援護
日本は、自衛隊の援護?ただし、どれぐらい派遣できるのかは未知数ですよね。
イージス艦は派遣しそうです。
しかし、陸自、空自は派遣は難しそうですが、有り得ますかね?
(今度の総選挙で鳩山政権が与党になれば楽に?)
米国は例のごとく、武器とイラナイ紙切れ同然のドルを韓国に援助します。

この場合、韓国が勝ちそうに見えるのですが、
某所の外人の書き込みによると、
「韓国がやられ、日本が反撃する(抵抗する?)」とあります。
これは、どういう意味なのでしょうか?
実際に韓国と北朝鮮同士ならば、韓国が圧倒的差で勝つと思います。
また、この場合、中国+北朝鮮軍が日本へ攻めてくるということも有り得るのでしょうか?
しかし、結局は日本が割りと楽に防衛し、中国がやけくそになって日本へ核を撃つということは有り得ませんか?
実のところ、無いとは思いますが、中国は奥が深いので難しいです。

一応、念のために原文載せます

Try this. 2009 North Korea gets attacked by South Korea. Japan joins with SK. China joins NK. US refuses to take sides. Israel attacks Iran, EU/US refuse to help. Russia does nothing. Aussies turn on china and helps SK+Japan. USA funds Israel and SK offensive. SK is ruined, but japan keeps attacking. Israel is stuck in a long term hit-and-run war with Iran supporters. EU finally steps in to help Israel and Japan, Russia sides with China, 2011. 2012, USA official joins the Allies, war cont.

北朝鮮軍(+中国軍)vs韓国軍(+日本軍、米国援助)ではどっち勝つでしょう?

中国は、物資や武器、資金の提供、軍事力の援護
日本は、自衛隊の援護?ただし、どれぐらい派遣できるのかは未知数ですよね。
イージス艦は派遣しそうです。
しかし、陸自、空自は派遣は難しそうですが、有り得ますかね?
(今度の総選挙で鳩山政権が与党になれば楽に?)
米国は例のごとく、武器とイラナイ紙切れ同然のドルを韓国に援助します。

この場合、韓国が勝ちそうに見えるのですが、
某所の外人の書き込みに...続きを読む

Aベストアンサー

僕は中国が本気で支援したら韓国軍が負けると思います。
日本軍は役に立たないでしょう。
「韓国がやられ、日本が反撃する(抵抗する?)」
これはない気がします。
米軍が反撃しそれに巻き込まれる形で支援、
そして支援した段階で日本も標的になるってことはあるでしょう。
日本に攻めてきた場合も楽に防衛なんてことはまずないと思います。
みえる軍だけじゃなく日本には多数の中国、朝鮮の人がいます。
その人たちの一部でもテロなんか起こそうものなら。敵軍が来る前に大混乱でしょう
中国がやけくそになるぐらいの状況にならすでに日本半分ぐらいなくなってるんじゃないかな

Qコスタリカ方式ってどういうものですか。

 鈴木宗男氏の選挙区で、もう一人の自民党代議士と票を食い合わないために、小選挙区と、比例区で出馬を交代するとテレビで見たのですが、コスタリカ方式と言うそうです。国名にコスタリカと言うのはありますが、初めて聞くコスタリカ方式というのは、どういうものなのか、どなたか教えてください。まさか、コスッカライタカリではないですよね。

Aベストアンサー

コスタリカは国民の政治意識が強く浮動票というものがあまりなく、
候補者は強固な組織票を確保しています。そのため、大きな組織票を
持つ候補者は連続当選が可能になります。そこで考え出されたのが
2番目と3番目(順位は関係ないが)の組織票の合計が
トップの候補者の組織票を上回るように下位の候補者が同盟を組むことです。
つまり今回はAさんが立候補したらBさんは応援勢力になり
Bさんの持つ組織票はA候補者のものになり当選。次回の選挙は
Bさんが立候補してAさんは応援にまわるという交互立候補方式のことを
コスタリカ方式といいます。

自民党の場合は同じ地盤に2名の候補者がいたら、比例区と小選挙区に分け
比例区ではAさんの支持者は自民党へ投票し小選挙区ではBさんへ投票する。
次回の選挙では交代するという方式です。

本場のコスタリカ方式と異なるところは、どっちにしろ議員にはなれる
ということです。選出方法が違うだけですからね。じゃあ、いちいち交代する
必要ないじゃん、ってことになるんですが、政治家にとって地盤というのは
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2人とも小選挙区に立候補して自民党票を食い合って、共倒れ、
民主党の新人が当選という選挙区がたくさんあります。

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トップの候補者の組織票を上回るように下位の候補者が同盟を組むことです。
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Q開教間も無く、どっとイスラム教はなぜに中東に広まれたのでしょうか? また、軍もなぜ強かったのでしょう

開教間も無く、どっとイスラム教はなぜに中東に広まれたのでしょうか?
また、軍もなぜ強かったのでしょうか?
その時、カトリック側はなにもできなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

1:広まった理由は武力と寛容です。
イスラームは教祖であるムハンマド自身が剣を持ち戦っています。ムハンマドが戦ったのは自分の出身であるマッカのクライシュ族です。
ムハンマドは敗戦を経験しながらも戦い続け、ついにマッカを占領します。このとき現在でも有名なカーバ神殿を徹底的に破壊し、マッカの人々は「許されて」イスラームに入信することになりました。この一大都市マッカの占領によってムハンマドとイスラームの威信は大いに上がり、アラブ部族たちがこぞってムハンマドに使節を派遣しました。これによってアラビア半島の大部分が統一されます。

その後、正統カリフ(=ムハンマドの後継者)時代にリッダ戦争(ムハンマドの死による反乱・内乱)を経て、対外戦争を開始。「大征服の時代」となります。
この時代、中東で勢力争いをしていたのはササン朝ペルシアと東ローマ帝国でしたが、戦争により互いに疲弊していました。それでも初期の戦いでは東ローマ軍がイスラーム軍を壊滅させるなどしていましたが、次第に押され始め、ついに東ローマはシリア軍団が壊滅、撤退を余儀なくされ、ペルシア帝国は滅亡することになりました。

さらにイスラーム国家を受け継いだウマイヤ朝により征服は繰り返され、イベリア半島から中央アジアまでの広い範囲を勢力圏とすることになります。
このウマイヤ朝の時代、ムスリム以外の人々は重税を課せられたため、多くの人々がイスラームに入信しました。しかし、イスラームの教義に反するアラブ人至上主義の差別的政策を行っていたウマイヤ朝に対してイスラーム社会では不満が噴出し、最終的には革命を起こされ滅亡します。
次に政権を握ったアッバース朝は平等な権利を保障する政策を取ったため、イスラームは各地で受容され根付いていきます。


2:イスラーム勢力の武力ですが、これは時代によって要因が異なるでしょう。
ムハンマド時代の武力を支えたのは士気の高さです。敵の目的は「既得権益の確保」であり、犠牲を出さないよう出し惜しみをしていたのに対し、イスラーム側は「負ければ神は否定され、苦労して建てた初のイスラーム国家が滅亡し、全てが水泡に帰す」というような排水の陣で戦いに望んでいました。

それ以後の戦いは宗教に起因する士気の高さに加え優秀な指揮官が確保できたこと、時流に乗れたことによると思われます。
マッカ占領によりそれまでライバルだった指揮官が仲間になったほか、威信によって他部族を従え、多くの優秀な指揮官が手に入りました。東ローマ、ペルシアと戦った際には両者とも強大な勢力であったものの長征などにより疲弊、低迷と混乱の時代に片足を突っ込んだような格好で、急速に勢力を広げ乗りに乗っていたイスラームには他にめぼしい敵もなく有利でした。

さらに時代が下ると、イスラーム社会は文明自体が発展していきます。
イスラームが抑えた中東は当時西と東の交差点であり、特にアッバース朝時代には中国などとの交易によって多くの富と文化文明がもたらされました。
またイスラームは教皇などの明確な指導者はなく「共同体の中で人々が考えていく」ことによって運営される方針のため、宗教に関することを初めとして「考えること=学問」が発達しました。
征服と交易により諸文明が融合され、学問が進んだ結果、科学的な分野でも発展を遂げ、イスラーム帝国は世界の先進国として地位を確立します。
これによって地力である国力による優位性を高め、高い武力を有しました。

1:広まった理由は武力と寛容です。
イスラームは教祖であるムハンマド自身が剣を持ち戦っています。ムハンマドが戦ったのは自分の出身であるマッカのクライシュ族です。
ムハンマドは敗戦を経験しながらも戦い続け、ついにマッカを占領します。このとき現在でも有名なカーバ神殿を徹底的に破壊し、マッカの人々は「許されて」イスラームに入信することになりました。この一大都市マッカの占領によってムハンマドとイスラームの威信は大いに上がり、アラブ部族たちがこぞってムハンマドに使節を派遣しました。こ...続きを読む

Qメキシコからコスタリカへ

今年の夏からメキシコへ留学する大学生です。

メキシコの大学は冬期休暇が2ヶ月もあるそうなので、休暇中にコスタリカへ遊びに行こうと思っています。
そこで質問なのですが、メキシコからコスタリカへはどのように移動するのがいいのですか?
また、費用はどのくらい必要ですか?
コスタリカへは高校のとき留学していたので、友達の家にお邪魔するつもりです。
もし安い行き方があれば教えてくださると嬉しいです。
留学先はメキシコシティです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

メキシコからコスタリカですと、飛行機のほうが安くなると思います。
バスですと、メキシコシタィからサンホセまで、6日から7日かかります。
途中で観光しながら行くのであれば、かまいませんが、コスタリカが目的であれば、飛行機をお勧めします。
バスは、コスタリカへの直通はなく、途中の各国の首都で乗り継ぐはずです。
夜間国境通過ができないため、早朝首都を出て、午後~夕方次の国の首都に着くパターンだったと聞いていますので、バスの場合、バス代のほかにホテル代がかかります。
ただ、私がそれを調べたのは、6年位前ですので、現在は変わってきているかもしれませんが。

Qなぜ第二次世界大戦時にアメリカ軍は日本軍の暗号通信

なぜ第二次世界大戦時にアメリカ軍は日本軍の暗号通信を解読出来ていたのにハワイのパールハーバーの奇襲攻撃を許したのでしょう?

日本軍がハワイのパールハーバーを攻撃することは,アメリカ軍は知っていたはずですよね?

アメリカ軍は日本軍にパールハーバーを攻撃させて,自国で開発していた核爆弾を実戦で使ってみたかった。

だから日本軍にパールハーバーの攻撃を許して,自国の離島民を殺すのと引き換えに核兵器の実験ではなく実際に使う口実を作った。

違いますか?

なぜ日本軍の秘密暗号を解読していたアメリカ軍がパールハーバーだけ攻撃されるようなヘマをしたのか謎です。

Aベストアンサー

 1941年当時、米国は日本軍の暗号解読に成功していません。
 米国が暗号解読に成功していたのは日本の外務省の通信暗号です(ちなみに、日本も米国の外交通信暗号の解読には成功していました)。

 また、「米国はパールハーバーが攻撃をされることを知っていた」というのは語弊があります。
 米軍は通信信号の傍受(信号の内容を解読できてはいなかったが、どの地点からどれだけの通信電波が発信されているかは探知できていた)から、日本海軍が千島列島に集結しているらしいということを察知(日本軍はほかの軍港から通信電波を盛んに発してそこに艦隊がいるように偽装し、単冠湾に集結していた軍艦は完全に電波封止していたが、フィリピンや中国大陸にある通信傍受施設の測定誤差範囲に両方の地点が入っていたため、偶然にも日本の偽装電波の発信源が単冠湾であると誤って断定してしまった)し、「少なくとも空母1個戦隊(空母2隻以上)の艦隊が北太平洋に出撃したまま行方不明である」と分析していただけです。
 その分析結果から「パールハーバーが奇襲を受ける可能性がある」という危機感を抱き、12月6日までの一週間は警戒態勢をとるように太平洋艦隊に命令が出されていました(パールハーバー攻撃は偶然にもその翌日だった)。
 米軍がパールハーバー奇襲について「知って」いたのは、それだけです。具体的に「12月8日の早朝に大規模な空襲が行われ、停泊中の太平洋艦隊が壊滅する」とまで知っていたわけではないのです。

 そして、開戦直前に日本の暗号を解読して攻撃の1時間前には日本が開戦に踏み切ることを米政府は知りますが、それは日本の外交暗号(日本政府から駐米日本大使館へ送られた対米宣戦布告の文面)を解読したものであって、日本軍の暗号を解読して作戦内容を知っていたというあなたの理解とはだいぶ違います。


>アメリカ軍は日本軍にパールハーバーを攻撃させて,自国で開発していた核爆弾を実戦で使ってみたかった。
>だから日本軍にパールハーバーの攻撃を許して,自国の離島民を殺すのと引き換えに核兵器の実験ではなく実際に使う口実を作った。
>違いますか?

 全然違います。
 開戦当時、原爆はその製造の可能性を検討されていた段階です。核分裂兵器の開発が決定されたのは1941年12月18日のことであり、真珠湾攻撃よりも10日も後のことです。
 さらに、原爆開発のための組織であるマンハッタン工兵管区が立ち上げられたのは翌年のことです。
 原爆を使いたいがために真珠湾攻撃を許したというのは、時系列的につじつまが合いません。
 謎があるとすれば、なぜちょっと調べればわかるような矛盾に満ちた陰謀論を簡単に信じてしまうあなたの思考の仕組みのほうです。

 1941年当時、米国は日本軍の暗号解読に成功していません。
 米国が暗号解読に成功していたのは日本の外務省の通信暗号です(ちなみに、日本も米国の外交通信暗号の解読には成功していました)。

 また、「米国はパールハーバーが攻撃をされることを知っていた」というのは語弊があります。
 米軍は通信信号の傍受(信号の内容を解読できてはいなかったが、どの地点からどれだけの通信電波が発信されているかは探知できていた)から、日本海軍が千島列島に集結しているらしいということを察知(日本軍はほか...続きを読む

Qコスタリカの性犯罪率はどのくらいですか?

日本の未成年への性犯罪が増えた切欠は、売春が規制されてからという事を言う人がいたのですが、本当か気になっているものです。


そこで質問なのですが、コスタリカでは売春は合法で、セックス目的でアメリカ人がはるばるコスタリカに来るそうですが、コスタリカの性犯罪率をご存知の方は教えてください。


もし、コスタリカの性犯罪率が他国と比べて低ければ、上に挙げた根拠を証明する一要素になるかもしれません。

Aベストアンサー

検索しただけの知識ですが、

http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4_S.asp?id=247
によると、
「司法警察が発表した犯罪統計によれば、2007年の総犯罪発生状況は前年に比べ増加傾向にあります。主な罪種別には、殺人338件(前年比3.6%増)、強盗9,350件(8.5%増)、強姦531件(2.5%増)、車両盗難6,075件(2.6%)増、窃盗目的の家屋・ビル等へ侵入12,619件(9.4%減)です」とのことでした。
人口はwikiによると、4,579,000人だそうです。

検索しただけの知識で、詳しい考察等はできませんが…。

Q進駐軍が米軍ではなく、ソ連軍だったとしたら

敗戦後の進駐軍が、米軍ではなく、ソ連軍だったとしたら。
Q1.日本はどうなっていたでしょうか?
Q2.日本共産党の宮本顕治氏の運命は?
以上2点について教えてください。

Aベストアンサー

 昔の革新とか、左翼の思想の方はそういう成り行きを是としていたと理解しております。
 私達にとっては、単にアメリカとソ連の違いでしかなく、日本人は、日本国民は器用にやってきたと存じます。
 開発が或はもっと遅くて、自然がのこっているかもしれません。
 そのほうがいいですね。
 天皇や皇族、その他の上層特権階級のうち、身のこなしのうまい人は、うまく結託できたでしょうね。いわゆるソ連の支配権力者と。
 天皇制は維持できない。廃絶。天皇の名において、とかなんとか法律の裁可と公布の署名、御名御璽はない。
 天皇関連の意識は継続していない。それはある意味徹底できている。
 宮本顕治さんがソ連からの独自路線を持つにいたるかどうかは不明ですが、そうなれば粛清。
 野坂参三は手をずうっと切れなかったみたいですね。
 ただそれだけの、やわらかい人なのでしょうね。
 だから、お金をもらっていたとしても、別にいけないこととされないでしょうね。
 ソ連の崇拝は続いたのでしょうね。でもソ連と違う仕方を考案してうまくやっていくのが日本人です。
 革新の方もあぁいう、そしてこの試練はないだろうが、別の試練があった。以外にソ連批判勢力となりうる。
 そんなことどうでもいい、儲けと利益だけの人はべったり。それは今と同じ人種。同じ遣り方。資本主義でも自由主義でも、そういう人は同じ。アメリカでもソ連でも、変わらずに載っていく。
 宗教や伝統が継続できないかもしれない。民俗心性や心情が痛手を受けるかもしれない。
 でもアメリカも謀略的にずいぶん金抜きをしてきていますからね。むしろまともに否定されたら、水面下でもっとちゃんと続いていた可能性がある、つらいけれども。
 そしてどっちにしろ、物事への片目を隠されている状況は変わらない。
 私はソ連でもよかったし、アメリカでもよかった。
 昭和は偉大で、民族、そして国として、物心両方で最高に盛り上がった時代であり、状況であったが、息の詰まる軍部優先や権力機構はとても生きられない。兎も角それだけは終わって欲しかった。終戦時、7歳だが、とても虚弱児、内面的、特徴的な子どもは呼吸はできやしない。
 普通、一定レベル、はみ出さない、標準。大勢への一致。
 号令一つで、規定のことはやれなければいけない。
 これが終わった、終戦ではない敗戦は結果としては不幸中の幸いでもあった。大人、女性、特に幼子や病人を抱える家、戦災で丸裸の人はとてもたいへんだったが。
 焼けなかった人、近郷の農業者、などは私たちの両親からみたら、天国と地獄ではなかったろうか。
 最初の進駐軍はそういう人に親切であった。ソ連がそうだったか、それは不明。そして個性とはみ出しをあの、スターリンが認めるか。
 異端は生き難いのではないか。あのスターリン治世下では。
 レーニンならもっと東欧ももっと違っていましたでしょう。
 それなら、アメリカより完全にいいのではないだろうか。
 

 昔の革新とか、左翼の思想の方はそういう成り行きを是としていたと理解しております。
 私達にとっては、単にアメリカとソ連の違いでしかなく、日本人は、日本国民は器用にやってきたと存じます。
 開発が或はもっと遅くて、自然がのこっているかもしれません。
 そのほうがいいですね。
 天皇や皇族、その他の上層特権階級のうち、身のこなしのうまい人は、うまく結託できたでしょうね。いわゆるソ連の支配権力者と。
 天皇制は維持できない。廃絶。天皇の名において、とかなんとか法律の裁可と公布...続きを読む

Qコスタリカとハワイへ行きたい

海外格安航空券でハワイとコスタリカのチケットって売っているのでしょうか。最初にコスタリカのサンホセへ3泊。その後ハワイ・ホノルルで3泊希望しています。近くの旅行会社では無いと言われました。購入方法ありますか?

Aベストアンサー

旅行会社の言う通りですよ。多分呆れられたと思います。
コスタリカへは10万位、ハワイは5万位で日本の空港に一旦戻り直ぐに出かける。つまり2回旅行する事ですね。
余りその様な人はいないと思いますがやってみて下さい。

Q東軍は、敗戦時に退却路として中山道を使うつもりであったので、秀忠軍は関ヶ原へ進行する意図を最初から持

先日,ラジオで加来耕三氏の話を聞きました。

関ヶ原の戦いで、東軍の徳川秀忠軍は中山道において手間取り、関ヶ原の戦いに間に合いませんでした。秀忠軍は、信州の真田軍との戦いで、不覚を取ったから、と言われていますね。

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賢者の皆様に論評をお願いします。

Aベストアンサー

まず、秀忠軍は徳川家の主力部隊でした。
徳川家実質的NO2であり、総理大臣的立場であった、本多正信が軍監として配されていた事からでも、あきらかでしょう。 
徳川家康がもっとも信頼していた、本多正信をつけたのは、家康の戦略を熟知していた存在だからと、容易に推測できます。
小山の陣より、西軍に対する為、上杉攻めの軍を西に返すわけですが、秀忠軍は江戸には戻らず、そのまま東山道に向かっています。
江戸に戻った家康は、諸大名に対して50通近い書状を送り、懐柔の策を施し、一月後に東海道を登って行きます。
この間、秀忠軍の工程を並列すると、秀忠軍の方が先に美濃に着いてしまう事になります。そこで、時間的帳尻を合わす為、真田昌幸の上田城を攻めたわけです。これももちろん家康と正信の示し合わせた作戦でしょう。
もし、美濃で合流するつもりであれば、上田には後詰を残して無視してと東山道を登り、木曽を抜けた中津川辺りで駐屯して連絡を取り合えばいい事ですから、主力の徳川軍は温存させるという意図がありありです。
小山では、上杉軍に対応する為、次男結城秀康を残してます。

では、何でそんな作戦を立てたのか。
私の推測では、この際豊臣恩顧の有力大名は共倒れ、殲滅させるという意図があったのではないでしょうか。
関が原で戦ったのは、西軍宇喜田秀家、小西行長、大谷行部、それに実質的総大将(当事者、発案者という方が打倒と思いますが)、石田三成のたった4家大名です。それに対し、東軍は福島正則以下、お歴々歴戦の有力大名が揃っています。対して、家康の率いている徳川軍は、本多忠勝、徳川家の執政役井伊直政の有力2武将以外は、かなり老齢(40代前後ですが)の兵卒が多かったようです。3万5千も掻き集めたのですから、関東領地の農民も相当数駆り出されたようです。
これでは、徳川軍はまともに戦えませんので、ほとんど戦っていません。家康の代わりに4男忠吉が井伊直政治の後見で奮戦した程度です。
尚井伊直政は、この時の鉄砲傷がもとで、戦後まもなく亡くなっています。忠吉も矢疵をおっています。この疵が疵が原因で、のちのち、早い時期に亡くなっています。
従って、もし旗色が悪くなれば、一端戦線を引いて岐阜城あたりまで下げ、秀忠軍と合流して、次戦に備えたのではないでしょうか。
そうなれば、味方していた東軍の豊臣の諸将からも裏切るものが出た事でしょうが、戦力は当然疲弊していると計算していたと思います。
そこに、35000の無傷の兵と、秀忠軍の40000の主力が加われば、徳川家の兵力だけで、十分に再戦できる、撃破できると想定したと思います。豊臣恩顧の大名なんて、じゃまなだけですから。

家康の本当の敵は、大阪城に篭る毛利輝元なわけです。

ですから、この一戦に徳川の運命をかけた家康としては、負けられない戦いの作戦計画を正信と、十分練り上げた結果ではないかと思います。
秀忠軍が背走の為の温存なんて、有り得ないという事です。

最後に勝つ為の戦略という事だと、私は確信しています。

まず、秀忠軍は徳川家の主力部隊でした。
徳川家実質的NO2であり、総理大臣的立場であった、本多正信が軍監として配されていた事からでも、あきらかでしょう。 
徳川家康がもっとも信頼していた、本多正信をつけたのは、家康の戦略を熟知していた存在だからと、容易に推測できます。
小山の陣より、西軍に対する為、上杉攻めの軍を西に返すわけですが、秀忠軍は江戸には戻らず、そのまま東山道に向かっています。
江戸に戻った家康は、諸大名に対して50通近い書状を送り、懐柔の策を施し、一月後に東海道を...続きを読む


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