どういうことなんでしょうか?

これ(↓)では、なんだかわかりません。
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search. …

※無学な者ですので、素人にもわかりやすいご回答をいただけましたら、幸いです。

よろしくお願いします。

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大分弁」に関するQ&A: 大分弁?『市場』

A 回答 (2件)

 


  簡単に書きます。
 
  この「予定調和」は、ライプニッツのモナドロジー(モナド論・単子論)のなかに出てくる概念です。
 
  モナド(単子)とは何か。この世界は、現在の物理学では、多数の原子から成り立っていますね。原子は更に素粒子から成り立っていて、素粒子はゲージ場という……という風に理論があって、最終の粒子は分かっていません。しかし、世界が原子から造られているということは、多くの人の同意が得られるでしょう。
 
  ライプニッツは哲学者兼物理学者兼何でも屋であったので、世界は、モナド(単子)という一種の原子で造られていて、モナドが集まって、ある秩序を持って、この世界ができていると考えたのです。
 
  ライプニッツのモナドは、人間の精神のモナドとか、犬の意識のモナドとか、草のモナドとか、石ころのモナドなどもあり、物質の原子とは大分違います。精神も物質も含めて、モナドが表現しているとしたのです。そこで、モナドには面白い特徴があるのです。
 
  「わたしの精神のモナド」は、PCのディスプレイで、この質問を見て、文章を読み、そして、回答をいま書いているのです。その前には、貴方が、質問を立てたのでしょうし、それは、「貴方の精神のモナド」が知っていることでしょう。わたしは貴方ではありませんから、貴方がどういうことを考えて、どういう動機で質問を出したのか分かりませんが、貴方は知っています。わたしは、回答を書き終えると、多分、文章を読み返して訂正などした後、送信するでしょう。
 
  すると、貴方のところに「回答が来ました」というメールが来ます。それを見た貴方は、すぐにか、三日後か知りませんが、このサイトに来て、自分の質問を見ると、そこに回答があるのです。それを読んで、「おお、この「星花」という人が、何か書いているなあ、暇な人だなあ、何かよく分からないなあ……」などと考えたとします。質問した貴方、回答を書いたわたし、回答を読んだ貴方、それぞれに、ディスプレイの向こうの文字を読んだ「経験」があるのです。また「文字などを見た」とも云えます。
 
  見ることや聞くこと、経験の記憶などを、広い言葉で、「表象」と言います。貴方の精神のモナドには、この質問に関係して一連の「表象」があるのです。わたしの精神のモナドにも一連の「表象」があります。
 
  普通だと、貴方のモナドから、質問がわたしのモナドに送られ、わたしのモナドから回答が貴方のモナドに送られた、と考えるでしょう。ライプニッツのモナド論が面白いというか不思議なのは、貴方の精神のモナドは「閉じている」のです。わたしの精神のモナドも「閉じています」。すると、どうやって、質問と回答のやりとりが、貴方とわたしのあいだで可能だったのか。閉じているということは、貴方のモナドからは、何の情報も手紙もわたしのモナドに来ないし、逆もまたそうなのです。
 
  それなのに、貴方とわたしはコミュニケーションが可能で、表象が互いの精神のなかで成立しています。このように、モナドが閉じていることを、「モナドには窓がない」というのですが、窓のないモナドが集まって、何故、世界が全体としてあるのか、コミュケーションできないはずなのに、何故、質問と回答で対応があるのか?
 
  ライプニッツの説では、それは、「神の予定調和」がモナドのあいだにあるからであるとなります。こんなことはライプニッツは言っていないかも知れませんが、全能の神を通じて、質問が貴方から神に通じ、神からわたしに通じ、回答も同じように神を通じて交換されたのだということです(そういう説明ではなかったと思いますが、「神の予定調和」とは、こういうコミュケーションが成立しているように、過去未来に渡って、すべて、神が予定的にできごとを調和させて配列した結果、時間のなかで、こういう一致が起こるように思えるということです)。
 
  これが、ライプニッツの「予定調和」です。
 
  なお、何か、これと似た回答をした記憶があるので、質問検索で調べると、以下の質問で、わたしが回答しています。参考にしてください:
  >No.169511 質問:ライプニッツについて
  >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=169511
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=169511
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この回答へのお礼

うわ。

すごくたくさん書いていただいて、ありがとうございます。
しかも、超高速、電撃回答!!
アホな者に教えるというのは、きっと大変でしょうから、
なんだか申し訳ないような気がしています。

えと、No.169511 も合わせて読ませていただきまして、
私の少ない語彙で脳に再構築させてみましたんですけど、
あっていますでしょうか?

明らかに見えている現象(「表象」?)の因果関係の連鎖だけでは、
説明できないような偶然や運命的なできごとは、
神様があらかじめ仕組んでいたことなので、
特別に「予定調和」と呼びましょう。とライプニッツさんが言った。

ということなんでしょうか?

ご回答いただいたのは、「風月」さんじゃなくて「星花」さんであったのは、
「神の予定調和」で「最高に善くなるべく」スケジュールされていたってことでしょうか?
そうであるなら、私なりの小さな感動を覚えます。
なにかしら、世界を見る目が変ったような気がします。

モナドって、なんかおいしそうな名前ですが・・・

「犬のモナド」とか、「草や石ころのモナド」・・・・
遊佐未森ワールドみたいですね。
どうしてモナドは「閉じている」んでしょう?
「開いている」モナドは、ないのでしょうか?
(あ、質問ではなくひとり言です)

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/11 12:34

重大な誤りが見受けられますので、少し長くなりますが


指摘しておきたいと思います。
まず、モナドを物理学的な原子とおなじものであると考える事です。
これではなぜ、意識のモナドや精神のモナドといったものがあるのか
説明できません。俗流の理解ではモナドを原子論とも訳すので、
インターネットの情報などを見る限りではそう理解してしまうのも
無理からぬことです。モナドロジーだけでなく、ライプニッツの
『実体の本性と実体相互の交渉ならびに心身の結合についての
新たな説』(ライプニッツ著作集8)などを読むとモナドとは
物理学的な原子とはまるで違うものであることがわかります。そして
このモナドを理解することが予定調和を理解することにもなります。

たとえば細胞というのは、一つのまとまったものとして我々は
とらえることができますよね。膜におおわれて、一つのものとして
みなすことができます。それと同時にこの細胞をどんどん集めていくと
臓器になりますよね。心臓とか肝臓とか。これも一つもまとまったもの
としてみることができます。しかしそのときはそれを細胞のあつまりと
みないで、臓器としてみなしていることを覚えておいてください。
次にこうした臓器も組み合わせて、人間と見なしますよね。これも
ひとつのまとまりと考えられます。さて、すべては有機的な物質なのに
それは「細胞」や「臓器」や「人間」というふうに別々のまとまりとして
みなすことができます。このように「一つのまとまりとして見なすことの
できる状態」をモナドとよぶようです。ですから犬にもひとつのまとまった
意識があるとすれば、それは犬の意識のモナドですし、何百もの草も
いっせいに風でひとまとまりになびけばそれは草のモナドなのです。
つまり<表象>という概念はまとまったもととして表現できるもの
なのです。

さてこの理解がすむと今度は、なぜ「モナドには窓がない」といわれるか
という疑問がうまれると思います。細胞と臓器の例を思い出してください。
臓器とみなしているときはそれが血を送るとか、解毒するとかまとまった
機能をみることができます。しかしこれを細胞のあつまりだと視点をかえると
さっきまで見えていた臓器の視点は失われてしまいます。つまりモナドという
「一つのまとまった見方」は別のモナドに組替えられてしまうと、まとまった
状態を壊してしまうことになるのです。窓によって外の空気をいれようと
開け放ったとたん、家そのものが壊れてしまうのです。だからモナドには
窓がないと語られるのだと考えられます。しかし身体を見ていても
それが細胞というモナドと臓器というモナドを維持している限り
すべて並列に、いわばパラレルワールドとしてみることができるように
なります。

さてそのようなパラレルなモナドが、もしばらばらになってしまったら
世界は生まれることはないですよね。モナドは別のモナドと明らかに
区別されますが、モナド同士が、自分たちを壊さないように調整を
とっていかなくては一つの統一的な世界はうまれません。そこで
ライプニッツは『弁神論』でも言及しますが、このような無数の
モナド全体を調和させる力そのものがあることを神様がいることの
根拠にしようとしたのです。つまり予定調和とは、出来事の中の
あらゆるモナドを調和させる力のことなのです。もちろん神様が
することですから、それが善いことに関係することは間違いないのですが
「神様が世界を良く導くために用意していた運命のようなもの」では
ないのです。神様はモナドを予め調和させようと考えているだけで
よいことをする運命をきめているのではありません。

つまり今j_euroさんが私のへたくそな説明を読んでくださったことが
運命的であったというのではなく、今こうして読んでくださることで
この出来事のモナドが私とあなたの間に調和をとろうと働いているという
ことであるようです。それは信念のモナドかもしれず、誠実のモナド
かもしれず、疑念のモナドや反発のモナドかもしれません。その全てが
それぞれのモナドを保持しようと調和をとりはじめるということです。
これがモナドの間にある「神の予定調和」です。

この回答への補足

高度な知識をわかりやすく解説いただいたことに感謝します。

ふとこのサイトを見渡しても、モナドの調和であろうと見られる質疑が展開されていることが感じられるようになってきたように思います。

ポイントについては、私のようなものがご回答の内容を云々言えるわけもなく、
かといって、「同じ」や「なし」にもできず、ご回答いただいた順とさせていただきました。

starfloraさん、taleさんありがとうございました。

補足日時:2002/03/23 20:28
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この回答へのお礼

たくさん書いていただいてありがとうございます。

実は、数日前にお礼を(私も負けないくらいにたくさん)書いて入れていたのですが、今日見ると、ぜんぜん残っていませんでした。

すいません。
(なんかミスったのかなぁ。ガッカりと共に、申し訳ないです。同じ文をもう一回お礼に入れようという気持ちはあるのですが・・・「へこたれ」のモナドが蔓延中で・・・<理解は進んでいるのか?)

>その全てが それぞれのモナドを保持しようと調和をとりはじめるということです。
>これがモナドの間にある「神の予定調和」です。
 運命的に「スケジュールされている」というより調和をとるように「プログラムされている」というふうな感じで(私なりに)理解を進めたいと思いました。

ご提示いただいている
>『実体の本性と実体相互の交渉ならびに心身の結合についての 新たな説』(ライプニッツ著作集8)
などを読み解けば良いのでしょうが、そのような頭脳を持ち合わせることもできていませんので、taleさん、starfloraさんのように平易に解説していただくととてもありがたく思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/23 20:27

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Qカッコ悪い使い方

カッコ悪い使い方ってあると思います。
モノの使い方、言葉の使い方、ファッション、
店の利用の仕方、あるいは、このサイトやネットの使い方etc
皆さんの考える「この使い方はカッコ悪い」を教えて下さい。

Aベストアンサー

ものの使い方ではないんですが、ひとつ挙げるとすれば、その人が外見的にカッコ良い人でもそうでなくても、いかにもカッコつけた態度をとっている人、つまり自意識過剰が見え見えの人はカッコ悪いと思います。

逆に言えば、自分に自信が持てるってことは、すごく幸せなことかも。
ま、それがその人の性格だったら、どうしようもないですけど・・・(-_-;)

Q場合によっては、理性的=都合の良い人、損ですか??  理性的=大人、感情的=子供の筈が……………………。

以下は、私の友人S氏が述べていたこう述べていた事柄ですが。
如何なものなのでしょうか??

本来はこうですよね。

一般的に、
「理性的=精神的に大人」、
「感情的=子供(精神的に幼い)」
とされていますが。

実態としてですが、彼は場合によっては矢張り一概に言えない、その通りであるとは限らないように思うそうです。
私も一理ありそうに思えなくもないですが。

何故ならですが。

最近の彼は、物事をやたら深く追求したせいもあってか、渦に巻かれて抜け出せませんとの事です。ノイローゼなんですかね?
死にたいぐらいイライラする時もあるみたいで。


前記したオーソドックスなものとは対照的に、こんな場合ありませんかね??普通に。明らかにです。

感情的、すぐに泣く = 理性的な相手から我儘を聞き入れて貰える、仕方無い子だと黙認され、許容されているから、もう誰からも「子供」だなんて言われたりしない、うまく理性的な人を利用する。
だから大人びた賢さ(要領の良さ)を持つと言う事になる。

理性的、冷静で大人びている = すぐ泣いたりするような相手に振り回される、うまく利用されざるを得なくなるから、都合の良い人間となる。
だから「単純」、「子供」だなんて謗られたりする。
突拍子もなく感情的になった時は、すぐさま「子供」、「幼稚」、「まだまだだな。」
等と言われて諭されてしまう。

でも何だかんだ言って、

感情的=愚かで子供、
理性的=冷静で大人、賢い
ですか??
そうとも限らないかと思いますし、物事には側面がありますね。

感情的=要領が良い、理性と知恵は子供並だが、違う意味で要領が良い、

理性的、我慢強い=都合の良い人間なので損をしやすい、単純、ある意味子供、我慢強いってだけの面では大人
なんですか??
皮肉なもので頭に来ませんかと思います。
と言いますか、どちらが寧ろ得なんでしょうか??この俗世では感情的で大胆な方が良いのですか??


私は特に大した経験ありませんが、ドラマや漫画のシチュエーションには飽き飽きしますね。

理性的で冷静=扱いやすい、
感情的ですぐに泣く=ずるい
を補足しておきます。

俺が何に腹を立てているか、もう御解りでしょうかね?

確かに扱い難いのも子供だから、子供が得するのは当然かと思いますが。

本来、
理性的=大人、
感情的=子供
の筈が、
まるで、そう、

「感情的=子供」、
「理性的=子供の玩具」

みたいではないでしょうかと。
如何??


彼(友人S氏)は、以前、他所の掲示板にこのような事を書き込んだ時に、「貴方は深く拘って追求すると言うどころか、幼稚ですよ。」
とか言われて、半分怒ったようにこう言っていました。

「ふう。これらは世に書かされて書いたようなものなのに、俺が何に腹を立てて書いたか、まだ御解りでないのか。鈍い奴は多いし、心豊かでない奴も多いな。チャラチャラしてるからだろう。テレビやバラエティ雑誌ばかりでなく、俺みたいにもっと本を読めやって話だ。人間成長には読書、特に世界の文学や、心理学からだと思うぞ。」
等等。


では回答を御待ちしております。
ああやって深く考え出すと、まるで矛盾だらけで答えが出ず、渦に巻かれて当分抜け出せなくなると、彼も迷っているようですので。

以下は、私の友人S氏が述べていたこう述べていた事柄ですが。
如何なものなのでしょうか??

本来はこうですよね。

一般的に、
「理性的=精神的に大人」、
「感情的=子供(精神的に幼い)」
とされていますが。

実態としてですが、彼は場合によっては矢張り一概に言えない、その通りであるとは限らないように思うそうです。
私も一理ありそうに思えなくもないですが。

何故ならですが。

最近の彼は、物事をやたら深く追求したせいもあってか、渦に巻かれて抜け出せませんとの事です...続きを読む

Aベストアンサー

>どちらが寧ろ得なんでしょうか??この俗世では感情的で大胆な方が良いのですか??

理性的=賢い、冷静、しかし行動しなければ、卑怯、ずる賢い.

感情的=正直、素直、しかし考えなければ、直情、単なるコドモ.

 素朴な感性によるエネルギーをアタマで処理し、その中間の心で対処すれば、素直で賢いと言うことになります。

いずれにせよ、「迷っている」人は、ほっといたほうが良いのではないですか.

Qラブホテルで、本来以外の使い方をした経験、ありますか?

本来の使い方は、皆さん知っていますね?
そうではなくて、本来以外の使い方です。
テレビで「ラブホ女子会」が流行っている話をしていましたが、例えばそういうこととか、単に寝るために泊まったとか、出張で使ったとか、カラオケとか、昼寝とか・・・とにかく、本来の使い方ではない使い方です。
もちろんその後も、本来の使い方はしないでチェックアウトしたという前提です。

ラブホテルによっては、そういう使い方を認めないところもあるようですが、本来以外の使い方をした経験はありますか?

Aベストアンサー

お盆に家族旅行に行ったとき高速で30Km渋滞と表示されていたので、雄琴温泉に仕方なく宿泊しようとした。何処も満室で仕方なくラブホに家族で宿泊した。
回転するベッドや明るさの調整できる風呂があり、子供が大はしゃぎで遊んでいた。
妻とこんな使い方もあるなーと話をした。家族全員だと雄琴なら6,7万円必要なところ8000円ですみ
朝食もディナーのような肉料理だった。フロントの人は、普通はこんな使い方しないけど、いい勉強になった
こんな使い方も考えてみたいと言っていた。

Q <A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q5660955.html">色に関するこの理解について</A><A HREF="http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.html">osiete1.goo.ne.jp/</A>質問番号5660955は色に関する理解として適切と判断しました。この主観は適切か否か、適切かつ否か、適切でもなく否でもないか、これら以外なのかフィロの点から御回答ください。リンクはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.htmlです
レンダリングテクストもコピーペーストしておきます。
よろしくおねがいします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひ

色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひとりブレインストーミング|
||
|色相は色温度であり周波数である(これを一とする)
||
|明度は光の波の振幅の大きさである(これをニとする)
||
|彩度は光の波の波形(これを三とする)
||
|色彩学としてこのような理解を素人なりにしてみました|
||
|誤解や誤りや理解不足があれば矯正ご指導ご鞭撻おねがいします:||

投稿日時 - 2010-02-09 03:47:55
通報する

QNo.5660955

7KISARAGI

困ってます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q5660955.html">色に関するこの理解について</A><A HREF="http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.html">osiete1.goo.ne.jp/</A>質問番号5660955は色に関する理解として適切と判断しました。この主観は適切か否か、適切かつ否か、適切でもなく否でもないか、これら以外なのかフィロの点から御回答ください。リンクはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.htmlです
レンダリングテクストもコピーペーストしておきます。
よろしくおねがいします。

ーーー...
続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

答えは知らないんですが、
この分析の方向性は大好きですねー。ちょっと似てるかも・・

で、本題が、僕もさっぱりです、すまんです。
参考と言うことでいいですか?


何週間か前、僕も光の性質について考えてたんですが、ほんとにさーっぱり。
明ー暗についてははっきりしても、他の無限の色は一体何なんだろう??みたいな・・。
今この辺りに関係する問題を解けないものか、いろいろ四苦八苦です。
なんかでも、いい結論出たら聞いてみたいですねー。
以下考察・・


で、
周波数の違いが、色の違いに対応。それは、客観と主観の対応。
色相が周波数なのはそうですよね。色相は関係性。時間変化。

明度は、光の強さ。存在の大小。空間存在。

彩度は、ビビッドさ、リアリティーの含有量。色が乗る乗らないのことで、モノクロの世界かカラーの世界かを決める。現実感。セピアの写真じゃリアリティーないし。

大体、哲学でも、メインに3要素が出てくるような概念は、時間空間リアリティーの3要素と関係在ることがとても多いので、参考に。


今考えて、こういう分析です・・というか分析じゃないか・・

なんか不思議調の題と質問文につられて、なにもまとめず書きました。というかまだ分析しきれないから。

こんにちは。

答えは知らないんですが、
この分析の方向性は大好きですねー。ちょっと似てるかも・・

で、本題が、僕もさっぱりです、すまんです。
参考と言うことでいいですか?


何週間か前、僕も光の性質について考えてたんですが、ほんとにさーっぱり。
明ー暗についてははっきりしても、他の無限の色は一体何なんだろう??みたいな・・。
今この辺りに関係する問題を解けないものか、いろいろ四苦八苦です。
なんかでも、いい結論出たら聞いてみたいですねー。
以下考察・・


で、
周...続きを読む

Qこのお箸の使い方ってOKなんですか?はたして疑問

たまに目にする箸の使い方。
フォークとナイフのように右と左に1本づつ持って
何かを切る、という箸の使い方って正しいんでしょうか。
私個人的にはそういう使い方を目にすると
嫌悪感を覚えるのですが。以前テレビを見ていたとき
君島十和子さんが堂々とそういう使い方をするのを
見て驚きました。ネットで調べたけれど、この使い方に
ついては見つけることができませんでした。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

調べてきました。
「ちぎり箸」というそうで、間違った使い方のひとつとのことです。

参考URL:http://www.table-manners.org/dainty_kaiseki/chopsticks/

Q4% 8%

下世話な質問失礼します。預金準備率の関係です。

1)4万円か8万円を持った人が,100万円分の信用創造を作り出すわけですが、そんなの有り、といった気分ですが、4~8兆円持った人が、100兆円分の信用創造を作り出すと、参りました、と、ひれ伏しそうですが、こんな感じ変だなと思いませんか?

2)人が一生で25年働くと、一年分が4%で当然その半分は8%になるのですが、これは偶然としても、私たちは、日頃、持てる能力の、90%以上を保留して、4%から8%の能力で社会的な生活をしていることになるのでしょうか?

経済学的な現象では、身も蓋もありません、本当のところなぜこんなことが常識になるのでしょう。

下世話な質問、せめて酒の肴にでもなれば、幸いです。

Aベストアンサー

参考程度の追伸まで
日本のGDPは500兆円程度で国の税収入は40兆円程度ですから消費税に換算すれば8%ですよね。つまり、平均8%以下の貢献度なんです。実際は税の不公平によりパレートの法則のように20%の人たちが80%を負担しているので一般的な平均貢献度はもっと低いですね。
また、国としては、40兆円で500兆円の価値を創造しているとすれば、8%の準備金とも考えられますね。
一方、国民が持つている預貯金総額は1500兆円程度ですからそれに比べると国家予算は3%程度しかありません。また、GDPとの比較では、逆に1/3の価値創造しかしていないのがわかりますね。投資効率の悪い国なんですね。
日本は、約4000万世帯で絶対必要経費が年平均200万程度の生活費だとすると約80兆円程度しか必要でないはずですね。預貯金が1500兆円ですから約20年分ですね。
ご指摘のように銀行の準備金で換算すると5%程度ですね。もう少し国民は浪費しないといけませんね。

Q日本語 「よう」の使い方

「よう」の使い方で同じ使い方のものを選ぶ問題の中で、
 1. 彼の家は大きくて、お城のようです。と
 2. 彼は日本人のように上手に話せます。が、同じ「よう」の使い方になっていました。1.は名詞+のようだ。 2.は名詞+のように+名詞or形容詞の使い方だと私は思うのですが......。1.と2.が同じ使い方になるのはどうしてなのでしょうか........?教えてください。

Aベストアンサー

コメントにお答えします。

まず、最初のご質問文の中にある誤りを指摘していませんでしたが、
 2.は名詞+のように+名詞or形容詞
は誤りで、
 2.は名詞+のように+動詞or形容詞or形容動詞
とすべきです。


では、本題。

>>>1.と2.の「よう」の意味は同じ、使い方は同じではないということですか??????。

問題は、解答者に対してこの2つの比較を求めています。
1「~のようです」(「ようです」の終止形)
2「~のように」(「ようだ」の連用形)

あなたの考え方は、
 1.は名詞+の+「ようだ/ようです(=終止形)」。
 2.は名詞+の+「ように(=連用形)」+動詞or形容詞or形容動詞
となっているから、使い方は異なるのではないか、ということですよね。

しかし、
国語(日本語)の問題で「同じ使い方のものを選べ」という問題がある場合、
単に活用形が異なるだけの言葉同士を「使い方が違う言葉」として扱うことは、通常ありません。


「お城のようだ/ように/ようです」「日本人のようだ/ように/ようです」は、
A + の + ようだ/ようです = 「Aのようだ/です」
の形です。
つまり、「形として、使い方が同じ」です。

そして、どちらも
・「Aではないけれども、Aに似ている」
・「Aではないけれども、Aの感じがする」
という意味になります。
つまり、「意味として、使い方が同じ」です。

ですから、1と2は、「形としても、意味としても、使い方は同じ」ということになります。


では!

コメントにお答えします。

まず、最初のご質問文の中にある誤りを指摘していませんでしたが、
 2.は名詞+のように+名詞or形容詞
は誤りで、
 2.は名詞+のように+動詞or形容詞or形容動詞
とすべきです。


では、本題。

>>>1.と2.の「よう」の意味は同じ、使い方は同じではないということですか??????。

問題は、解答者に対してこの2つの比較を求めています。
1「~のようです」(「ようです」の終止形)
2「~のように」(「ようだ」の連用形)

あなたの考え方は、
 1....続きを読む

Q偶然=必然=運命???

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

1:こういった場合あなたなら、(生死に関わらず)その原因は「偶然・必然・運命」のどれに当てはまると思われますか?お答え頂けるのであれば、なぜ、そう思われますか?
2:「世の中に偶然はない」という言葉を信じますか?
  具体的に、そう思った出来事などはありますか?

私は、「偶然・必然・運命」というのは、言葉やそれぞれの意味は違っても、もしかして同じ事なのかなぁと思い始めています。偶然が世の中になければ、全ての出来事は「必然的」に起こっている事になりますよね?その「必然的」に起こっている事柄の中にいつもいる私達は、それが「運命」なのでしょうか・・・。
この辺りで、頭がぐるぐる状態です(-_-;)

上手く伝えられないのですが、皆様の考えや意見をお教え下さい。私は哲学の専門家でも何でもありませんので、直感的な回答でも構いません。色々な意見を聞きたいです。

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

1:...続きを読む

Aベストアンサー

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というような、法則概念の前提に、「主体の自由意志」という概念が重要な意味を持つのです。

原始人や幼児がそうである、そうであったと考えられるのですが、初期には、主体の自由意志の発動というものは意識されていないのです。世界の事象の生起は、舞台の劇を見ているように勝手に流れているのであって、自分もその劇に登場していても、自分が何かをしようとして、話やできごとが進行するのではないのです。

こういう捉え方は、偶然でも必然でも運命でもないのです。そこに世界が自分も含めてあって、展開しているという状態です。原始偶然とも、原始必然とも、原始運命とも呼べるのです。

ところが、主体が主体的に、何かを希望し意志し、そのように世界の事象や自己に関係ある何かの状態を、希望の方向へ、形へと展開を望んだとき、展開を意志した時、ここから偶然とか必然という「概念」が成立するというか、主体精神に把握されてくるのです。

「必然」という概念は、比較的、後になって把握されてきます。「自由な志向意志」に対する「抵抗」として、「偶然」と「運命」が把握されるのです。

さいころを投げて、特定の目が出るように意志しても、自由に出る目を決めることができないのです。また、狩猟にでかけて今日は大きな獲物が欲しいと思っても、希望や意志の通りにことが運ぶとは限らないのです。有名大学に入学したいと希望しても、意志の思い通りにはなりません。

このような希望や意志の思い通りにならない世界の事象の生起の法則というか、ありようを体験すると、これを把握・解釈するのに、最初に「偶然」という観念ができるのだとも言えます。入試が成功するかしないかは偶然だと考えるのです。

しかし、意志に抵抗する偶然の事象生起について、そういうことが起こるという事実に意味を見出そうとすると、偶然であるが、それは「意味あることなのだ」とすると、これは「運命」なのだ、ということになります。戦争に勝つも負けるも時の「運」だという把握です。神が偶然のさいころを振って決めているのかも知れないが、それは我々には「運命」であるという把握です。

しかし、事象の起こり方を色々経験し観察もしていると、偶然だと思ったことが、実は、規則性があるということが分かります。例えば、温度や風の具合によって、獲物の収獲に違いが出てくることが分かると、獲物とする動物の行動に、ある規則性があることが分かります。熟練の狩猟者は、こういう規則性を利用して、自己の希望や意志を実現するのです。技術的応用とも言います。

また雨や晴れや暴風などは、偶然に、でたらめに起こったり止んだりすると最初は考えるのですが、そこにまた規則性が発見されます。世界はでたらめに生起しているのではない、という考えが出てきます。起源がよく分からないが、ある「必然」で動いているように思える、という把握をしたとき、「必然」の概念が生まれるのです。

必然は、意志や希望に抵抗することもあるのですが、必然の規則性を利用して、意志や希望を実現することもできるのです。ある季節のある時刻頃には、大風が吹くというのは、必然で、意志では、この風を止めたり、遅らせたりできないとしても、この風を利用して、狩りを有利に行い、獲物を獲得できるというようなことが可能になるのです。

大学の入試は、テストがあって、それである一定の点数を獲得しないと合格できないのです。これは意志に抵抗する必然条件だとも言えます。幾ら祈祷したり、神に祈ったり、「必勝祈願」だとか考えても、必然条件に合わないと、入試には落ちます。

しかし、逆に、試験問題を調べ、その種類の問題を解く練習を繰り返し行い、大学受験塾などで、入試試験問題に対し十分に準備すると、試験で一定の点数を取ることができ、合格できます。点数で合否が決まるという必然法則に対し、意志の技術的応用で、必然があるので、それに準拠して、成功の方法が分かるということになります。

しかし、入試は、合格最低点数があると共に、獲得点数の上位から200人とかを合格にしてゆくという必然システムもあり、ある年度の入試では、獲得点数で合格できたのが、同じ獲得点数の実力なのに、もっと点数を取る受験生がなぜか、入試に加わって、200人の外に押し出されて不合格ということも起こるのです。

入試システムの必然に応じて、可能な準備をして、入試に臨んでも、合格するかどうかは、ときの運、あるいはその年度の偶然によるという事態も生じるのです。

こうして、世界の事象の生起について、「自由意志」への抵抗として、「偶然」と「必然」があり、偶然と必然を技術的に利用して、意志の希望を実現しようとする人間の知恵の展望には、実は、「未来の成り行きの先取りヴィジョン」というものがあるのです。

システムの「必然性」は、未来のヴィジョンを築くのに有効なのです。こうすれば、こうなるという必然法則・因果法則があれば、未来がどうなるか予測できるのです。しかし、偶然という要素が、予測を不完全にします。偶然はさいころを投げるようなことで、結果がわからないのです。

ここで、未来のヴィジョンを前もって展開できるという人間の未来展望能力から、「未来と時間経過の結果」についての、「背後に隠れている構造」を構想した結果の「把握態度・構想態度」という精神の態度が出てくるのです。できごとの生起について、「楽観的」か「悲観的」かというような態度がありえるでしょう。

結局、あらゆる知力、知識を尽くして、未来を予測しようとして予測できないとき、未来に対し、「すでに定まっている」という把握態度を取るか、「定まっていない」という把握態度を取るかです。これは、知識を超越した次元での世界の隠れている構造要素・原理が問題となっているのです。

この把握態度と、「意志の能動性の態度位相」というものが交錯すると、未来展望に幾つかのヴァリエーションが出てくるのです。「既定+能動意志」の場合、能動意志を含めてすでに決まっている運命である(積極的運命従属)。「未定+能動意志」の場合は、決まっていない未来を、意志で切り開こう(積極的運命開拓)。「既定+消極意志」では、運命の前、なすすべもない(消極的運命従属)。「未定+消極意志」では、未来は分からないので、なるようになるしかない(意志放棄運命従属)。

>個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。

1)「巻き込まれた」という限りは、「偶然に巻き込まれた」のであるが、巻き込まれた事実において、それは「必然」である。ただし、予見でき回避できた場合は、「必然」とは言えないでしょう。回避しようと思ったが、偶然巻き込まれたか、回避の努力も空しく巻き込まれた、という場合、「必然」ではないでしょう。巻き込まれざるを得なかった場合、必然です。

それを、「運命」とするかしないかは、或る意味、意味のない問いとも言え、未来が既定の場合も、未定の場合も,両方とも、そういう運命だという把握は可能なのです。「運命などない」というのは、意志によって運命を切り開けるというヴィジョンです。

従って、この問いの場合、それは「運命」であった、ということになります。人生のあらゆるできごとは、偶然も必然も含めて、運命だと言えるからです。

2)「世のなかに偶然はない」ということはありません。偶然が一杯あります。さいころの例になりますが、さいころを振って出てくる目が、何であるか、神か悪魔か天使が、一々決めているとは考えがたいので、偶然で決まっているとするのが自然でしょう。

ただし、人生のヴィジョンにおいて、人間の意志や知恵や策謀を超えた彼方で、何ものか人知を超えた法則で、人生の運命は決まっているという展望をした場合、「世のなかに偶然はない」ということになります。これは、そういう事実・事態が「ある」というより、人間の側の認識・把握の問題です。

「世のなかに偶然はない」ので、それゆえ、何を試みても無駄だという考えにもなれば、そうであるが故、運命を切り開いて、未来を切り開くのだ、という考えにもなるのです。

「偶然はない」ので、意志しても、定まった運命は変わらないとも感じられれば、「偶然はない」ので、意志すれば必ず道は開かれる、失敗した場合は、努力が足りなかったのだ、と両方出てくるのです。

人生について、偶然、必然、運命というようなことを考えると、先に述べたように、予測・予見できない次元でのありようが問題になってきて、それをどのように見積もり、意志的に展望するかで、偶然、必然、運命というのはぐるぐる回って行くのです。

一切は必然だと展望すると、そのように展望した世界の運命は、何ものかの気まぐれによる偶然に支配されているとも考えられ、更に、そのような何ものかの気まぐれも、また必然で、偶然ではないのだ、という風に、幾らでも、予見できない次元の決定項について、偶然と必然を入れることができるのです。

わたしは、「運命を切り開くことのできる人間」というヴィジョンが好きです。わたし個人は、力尽きて倒れようと、人類は、その運命を切り開き、星々の未来へと到達するであろうと、展望しています。逆に言えば、経験として、わたし自身について、自己の運命を切り開くのは難しいと痛感しているということです。

しかし、どこまでも希望と意志は持ち続けて行きたいと思っているのです。
 

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というよう...続きを読む

Qタイガーバームの使い方

おみやげでタイガーバームを頂きました。使い方を教えて下さい。
基本的な使い方から意外な使い方まで、何でもお願いします。

Aベストアンサー

「何にでも効く」というふれ込みの万能?軟膏ですね。(笑)香港やシンガポールにはこれで大金持ちになった方が作った「タイガーバームガーデン」なるものがありました。
基本的には筋肉痛や肩こりなどに効くとされていますが、匂いがものすごいため、人前に出るときにはどうかと思います。
使用法は、少量をとり、肌に良くすりこみます。さらにマッサージをするすと、有効成分が浸透しやすく、いっそう効果的だそうです。
でも、けして切り傷や生傷には使用しないで下さい。 また体の粘膜部分など敏感なところへの使用もだめですよ。

Qミシェル=ジャン=フランソワ・オズレー

「東アジアの宗教の開祖ビュッデゥ あるいはブッデゥに関する研究」

1817年に出版された小冊子のようですが
これは現在、読めますか?

bouddhismeと最初に呼んだのがフランス人の

ミシェル=ジャン=フランソワ・オズレー
らしいですが、この人物はどのような人だったのでしょうか?

Aベストアンサー

michel jean francois ozeray Recherches sur Buddou ou Bouddou, instituteur religieux de l’Asie orientale

ttp://books.google.de/books?id=F8AUAAAAQAAJ&pg=PR3&lpg=PR3&dq=michel+jean+francois++ozeray+Recherches+sur+Buddou+ou+Bouddou,+instituteur+religieux+de+l%E2%80%99Asie+orientale&source=bl&ots=GGJh2NAuj-&sig=vvUwoVJgbUiueKcOnGpiGaxFZnc&hl=de&sa=X&ei=_X5yUJisCI3HsgbdzoC4BA&ved=0CEwQ6AEwBw#v=onepage&q=michel%20jean%20francois%20%20ozeray%20Recherches%20sur%20Buddou%20ou%20Bouddou%2C%20instituteur%20religieux%20de%20l%E2%80%99Asie%20orientale&f=false

michel jean francois ozeray Recherches sur Buddou ou Bouddou, instituteur religieux de l’Asie orientale

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