「パイドロス」でソクラテスが弁論術の批判をしていますが、弁論術とはなんですか??ソクラテスがつかっている問答法とどうちがうんですか?いまいちよくわかりません。おしえてください。

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A 回答 (5件)

はらはらするな(笑 盛り上がるのはいいけど(祭


ソクラテスって史実的にいたの?プラトンの創作人物じゃないんだ?
まあどっちでもいいけど。
処世術という言葉がそっからきてるとは驚き!知らんかったわ。今さっき別の質問で使ったばっかりだよ、その言葉!
でも、救世術の方がずっと大事だな(笑
ソクラテスの問答法は、ソクラテスがたずねるんだよ。基本的に。
で、相手の奥底を徐々に徐々に導いてくる。で、相手が、もう出す物がありません(泣、。ってなったら、ソクラテスの仕事は終わり。
弁論術、いかに相手を黙らせるかはソクラテスと同じだけど、到達点がゼンゼン違う。ソクラテスに黙らされると進化するが、弁論術で表層をいじったって、根本にある虚に気付く事は無い。
余裕の自信ナシです。(笑

PS:他の解答者の話し聞くの楽しいな!こんなgooみたいな学校があったら、俺は学校やめてなかったのかもな(笑←今年、自信満々で辞めました!(爆 
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また補足としてパイドロスでも登場する法廷弁論家のリュシアスが


エラトステネスの告発を、政治的な弁術で無罪にされてしまう歴史的な事実も
あります。弁論術がプラトンによって書かれるにはそのような背景が
あるのです。おそらくアリストテレスの『弁論術』によって整理された
論理学的な分類学とを混同されているのかもしれませんね。
たしかにソフィストがすべて詭弁をろうしていたわけではありません。
あくまでもプラトンが批判しソクラテスに語らせる弁論術の中でという
ことを前提にしています。

それからパイドロスの最後の方には「書かれた言葉への不信」が語られています。
弁論術も問答法も「話す言葉」であることは注目しておきたい点です。
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哲学史として間違っておられるので言及いたします。


質問されている方はパイドロスにおける批判について問われています。
これはいわゆるプラトンの解釈に即したものを問われており、
辞書をひけばわかるような回答ではないことはたしかです。
弁論術が「論を弁ずる技術」などということは文字を見るだけで
わかるばかりか、一般的なイメージでも連想できることで
それをことさらくどくどと難しそうに説明する必要はないでしょう。

プラトンの著作はつねに現実的な問題についてのべられてきました。
特にパイドロスの成立した時期を考慮すると、社会的な構造の
問題もふくまれてこの弁論術は批判されているのです。たしかに
弁論術には、ヘーゲルが注目したような弁証法の萌芽もあります。
しかしそうした技術がいかなる意味において用いられているかということを
明らかにしなければ、プラトンの批判の意味は理解できません。
ただ「論を弁ずる技術」ならどうして批判する必要があるのでしょうか。
歴史的な意味合いから弁論術とは弁護するために生まれたものなのです。

しかしまさに<弁護するため>という「目的」によって論理というのは
使用するべきなのかどうか、本来は「目的」ではなく論理とは「探求」
そのものなのではないかと問い始めたのがプラトンの人物造形による
ソクラテスの問答法なのです。ですから同じ物であるという間違った見解を
述べている人がいますが、全く別の形式をもったものであると考えなくては
なりません。この混同は重大な誤解です

ソクラテスが言葉を「探求」しようとしたことは、ほんとうにプラトンを
読んだことがある人であれば誰もが感じることのできることでしょう。
議論を差し向けられた相手が答えに窮するのは、言葉を本質的に
探求したことがなかったからなのです。「国家とはなにか」「勇気
とはなにか」「善いことはなにか」なにげなく普段使っている言葉
そのものにソクラテスの疑問はむけられます。

こうして我々は、プラトンがのべた弁論術と問答法の違いを、その成立の背景も
ふくめて区別する必要があるということです。
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  少し違っている気がしますので、愚見を述べさせていただきます。
 
  「弁論術」というのは「自分を弁護する論を立てる術」ではないと思います。それは端的に「論を弁ずる(述べ・語り・説明し・主張する)技術」のことだったと思います。いかに自分に都合のよいように、論を述べるか、処世術とか世渡りの術としての弁論なら、世界中の文化であります。
 
  古典ギリシアで特に「弁論術」が問題になるのは、古典ギリシア文化が、際だって「合理的」であったからです。「合理的」であるためには、「論のすじみち」つまり「理(ロゴス)」を知らなければならない訳で、古典ギリシアにおいて、多くの、議論家が現れ、また、確かに裁判に勝つための議論術も教えたのですが、彼らは、「理=ロゴス」とは何かということを追求しました。これらの人たちをソピステース(普通、ソフィストと言います)と呼んだのですが、彼らは、人間の言語や理屈や論理を様々に研究し、色々な議論の仕方や論の立て方を発明しました。
 
  その色々な論の立て方次第では、白を黒とも、美を醜とも相手を納得させるような論が立てられたので、人間は論次第で、ものごとを真偽を自分で決めることができる、真とか善などの基準は、客観的にあるのではなく、人間の心のなかにあり、それを論によって操ることのできる人間に一切の基準はあるということで、プロタゴゴラスというソピステースは、「人間は万物の尺度である」とも言ったとされます。
 
  古典ギリシアの弁論術の興隆と展開は、「合理性」とは何か「論理的とは何か」「真とは何か」「理性とは何か」などの問題について、大いに考察し、豊かな成果を生み出しました。ソークラテースは、ソピステースの一人である、もっとも偉大な、最大のソピステースなのです。プラトーンが述べるソークラテースの議論も、随分詭弁と紛らわしいものがたくさんあります。
 
  ソピステースたちが、色々な議論の方法を開発し、実用化したので、「論理」とは何かという考察や反省が進んだのです。しかし、ソークラテースは、最初、自然哲学者で、それからソピステースとして活躍し、最後には、「愛智者」になったのですが、ソピステースとしての彼は、自身、詭弁を述べていたとも云えます。ソークラテースは、プラトーンの著作に出てきますし、クセノポーンの回想記にも出てくるはずですが、その他に、当時有名だった「喜劇」にも、登場人物として出てきます。そこに出てくるソークラテースは、息子を弟子入りさせると、詭弁を論じて、とんでもない者に変わって帰って来たとか、または、色々あやしげな物質をまぜたりして、奇怪なことをやっている錬金術師みたいなイメージでも出てきます。
 
  プラトーンやクセノポーンが伝えるソークラテース像とは、相当に違った姿で出てきます。これは、ソークラテースが、自然哲学者で、自然の研究もしていたし、ソピステースとして、詭弁活動にも励んでいたことを示します。
 
  ソークラテースはしかし、違う活動もする訳です。それは、伝承では、彼の友人が、デルポイにあるアポルローン神の神託所で占ってもらったところ、「ソークラテース以上の智者はいない」という答えが出たので、ソークラテースは「自分が、この世で最高の智者とはどういう意味か」ということを考え始めたのが契機だともされます。
 
  ソークラテースは直感的に、あるいは明敏な智慧で、ソピステースたちの論のなかに、虚偽議論としか思えないものがあることを見抜いていました。ソピステースたちは、「正しい議論方法」と「虚偽の議論方法」の両方を開発したのです。どれが正しく、どれが間違っているかなどの系統的な区別や、また「正しい論理」とは何か、というのは、アリストテレースの「論理学」で、古典論理学として、それから二千年以上、1世紀ほど前、記号論理学が出てくるまで、論理学といえばこれだとされていた、アリストテレースの古典論理学に、その分類というか、区別が出てきます。こういう論理学という書物を著すことができたのは、ソピステースたちが、たくさんの議論や論の立て方を開発したからです。
 
  例えば、弁論術のなかで、「詭弁論理」とされるものは、「虚偽論」に色々な虚偽の論のパターンがありますが、「言葉の曖昧さ」を利用した虚偽弁論もあるし(二つの意味がある言葉を使って、場合場合で、都合のよい意味の方を使うとか)、一見もっともらしいが、よく考えると、最初の前提に、結論がすでに入っているもの(「論点先取の虚偽」と言います)、また「偉大なペリクレースもこのように述べている」とか、権威に基づいて、一見、真に思わせ、人を納得させる虚偽弁論(これを、「権威による論証の虚偽」と言います)、また人々の同情を買い、「このような善良で、ポリスに献身した人について、その罪を問うのは、寛大な人のなすことではない」などと主張することも、有罪か無罪かという観点からは虚偽論法になります。ただ、これは「情状酌量」ということで、現代の刑法でも、別に虚偽ではなく、残っていますが、論理から言えば、一種の虚偽です。被告人の態度とか、弁護士の弁論の腕前で、有罪のはずが無罪になったりするのは、やはりおかしいのですが、どれが詭弁か、どれが正しい論証か、実際には判断が難しいのです。……推論法での誤謬というのもあります。例えば、「アテーナイでは、古来より男は清廉潔白で、更に市民たる者は、清廉潔白が旨とされてきた。このわたしはまさに男であり、まさにアテーナイの市民である。このわたしが何故、清廉潔白でないことがあろうか」などは、推論規則で間違った推論とされます。これも詭弁論法ですが、色々飾りを付けて、こういうことを主張すると、本当のように思えてきます。
 
  それはとまれ、「弁論術」そのものは、功罪あいなかば、というより、功績の方が大きかったのです。ソークラテースはしかし、当時の考えからは、「少し古い倫理観」を持っていたのです。あるいは、あまりにも新しい「人間観」でしょうか。両方共云えるのです。ソークラテースは、ソピステースらしく、あくまで「論で考えよう」という態度を崩しませんでした。その一方で、自分は博学博識で智者(ソポス)だと思っていたが、デルポイの神託以来、反省して考えてみると、自分で色々なことを突き詰めて考えると、他人を納得や説得させられても、自分は「納得できないこと」が無数にあることを自覚したのです。
 
  そこで、ソークラテースは、智者を自称しているソピステースの元に行き、色々な問題で、「わたしはよく分からないので、教えてほしい」という風に質問して行きます。そうすると、相手は回答するのですが、ソークラテースはそれに納得できないで、答えの欠陥や疑問点を、「論」によって質問します。そうすると、「論の術」を売り物にしているし、実際、自分でもプライドを持っていた相手は、これに対しても回答します。しかし、ソークラテースは、それでも納得せず……という過程になって、最後に、相手のソピステースも、「分からない」という返答になります。つまり、「自分は智者でない」ということを、他の聴衆の前でも明らかにせねばならなくなったのです。(この結果、ソークラテースは、ソピステースたちから恨みを買い、また彼らのパトロンでもあった有力者や貴族からも恨みを買い、後にでっちあげの裁判の被告席に立たせられます)。
 
  ここで、ソークラテースが議論した相手は、彼らなりの「論理」で議論したのだということが重要です。議論のベースとなる、手順あるいは共通了解の基盤があったのです。ソークラテースはそれを知り尽くしていたので、相手の論に、疑問を呈することができたのです。つまり、ソピステースの弁論術は、決していい加減なものではなかったのです。
 
  ソークラテースはしかし、ソピステースの弁論術では、究極の問題の「答え」はでないと言うことに気づき確信します。それなのに、ソピステースたちは、自分を「智者」と称し、そう自負し、人間はいかに正しく生きればよいのか、祖先などの残してくれた倫理の規範をどう生かせばよいのか、本当に難しい、答えが得られない問題について、真剣に考えようとしていない、これでは、駄目ではないか、というのがソークラテースの弁論術批判です。「智者(ソポス)」でなく、「愛智者」であらねばならないというのが、ソークラテースの考えなのです。
 
  ソークラテースの問答法は、弁論術と基本的には同じものです。違うのは、弁論術は、「何かの目的を証明するため」に使われ、その結論の真偽は、真か偽か、それらしい論が立てられれば、更にそれ以上を問うことはしなかったのに対し、ソークラテースは、「答えがない」ことを実は知っていたし、相手の答えに対し、疑問を提示すると、疑問も合わせて相手は考え直し、最初とは違う見解が出てくるので、問答によって、「新しい考え」を得る、生み出す技術だとも云えたので、「問答法」とも言うのです。問題によっては、問答法で、正解の出るものもあったでしょうが、でないものもあったのです。「真」とか「善」とか、究極的に答えはない、またその他の色々な問題でも、答えのないものがたくさんある、ということを知り抜いていたソークラテースの議論は、観衆が、「見事だ、その通りだ!」と言って、拍手喝采すれば、それで終わりというのとは違ったのです。後者は弁論術の目標です。しかし、ソークラテースの目的は、「思いこんでいる知識」に疑いの心を与え、自分で考えることを導く論法であったのです。そこで、これを、「問答法」とか、「産婆術」だとか言ったのです。
 
  ソークラテースの「産婆術」については、以下の参考URLの質問のわたしの回答(No.5)も参照してくだされば幸いです:
  >No.223578 質問:ソクラテスの産婆術について説明しなさい。
  >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=223578
  

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=223578
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古代ギリシアでは裁判の時、自分が弁護人となっていました。


不正なことをしたとしても、上手にみんなを説得できれば
評決で勝つことができたのです。平たく言えば口のうまい
人であれば、真実を捻じ曲げても生きていけるというわけです。
この自分を<弁>護する<論>の立て方の<術>を
教えた人たちがソフィストと呼ばれる人で、いわゆる世渡りのコツを
教えたのでした。これが処世術ともよばれる弁論術です。

では弁論術と問答法ではどのように違うのでしょうか。それは
ソフィストのやり口をみれば自ずからわかってきます。
当時、言葉の使い方は、おなじ語でも、いろいろな使い方をしました。
それというのも古代ギリシアの世界は一つのまとまった国ではなく、
小さなポリスとよばれる独立した都市のあつまりだったからです。
それぞれの都市での言葉の意味の違いがあったのです。
それは同一のポリス内部でも影響して、言葉は無軌道に使われていました。
このような意味の違いを利用して、弁論術は意味の抜け穴をつくり
詭弁を正当なものにしていったのです。ソクラテスはこれでは
人が生きるべき真実というものが揺らぎ、弁のたつ人がどんな
虚偽でも自分のためだけに正当化できることを批判して、
言葉の定義というものをもとめるようになったのです。

何気なく、自明のように使っている言葉に対して、それを徹底的に
どのような意味で、どのような用法でつかっているのか?
そのように無限の問いを投げかけることで、言葉への曖昧な態度を
めざめさせて、使うべき言葉がほんとうはどんな意味なのかを
探らせようとしたのです。ですから問答法とは精神分析にもにていて
問い掛けることで、自分の語る言葉を意識することができたのです。
お産婆さんが、出産に手伝うようにソクラテスは対話する相手が
真実を生み出すことを問うことで手助けしたのだともいえます。
ですから問答法は産婆術ともよばれるのです。

一言でまとめると弁論術とは自分を弁護する方法であり
問答法とは言葉の本質を探究する方法です。
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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